【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二一三幕 鍵星、未だ堕ちず――

 

 

 

 ――夜の砂浜を、二代目賢人バルザイが足取り重く走る。泥のように重い眠気と、鉛のような手足を引きずって、何処へ向かうのかもわからないまま必死に走っていた。

 童子切安綱に見逃された。エヌラスに敗北した。これまで自分が打ち込んできた魔刃鍛造の全てが、師の悲願が。大願成就を成せなかったという現実に打ちのめされて頬を涙が伝う。

 胸の奥が痛くて辛くて苦しくて堪らない。自分の中にあったものが音を立てて瓦解していく。

 砂に足を取られて転ぶ。立ち上がる気力も湧かない。ぶつけようのない怒りと、悔しさが胸中で渦巻く。それは彼にとって初めての感情だった。

 立ち上がろうとして、鈴の音が耳に届く。その正体は、一匹の猫だった。

 ロシアンブルーが顔の周りを右往左往する。

 

『おい、なぁ、大丈夫か? 立てるか? 歩けるか』

「…………」

 なんでこの猫はこんなにも自分に世話を焼くのだろう。そんな疑問が二代目賢人バルザイの脳裏に浮かぶ。しかし、身体は言うことをきかない。いっそこのまま身体を包む眠気に全てを委ねて意識を落としてしまおうかとする――だが、瞼を閉じて浮かぶのは宇田川あこの笑顔だった。

 もう一度だけ、見たい。彼女に会いたいと思ってしまう。

 

(……どうして)

 核を貫かれた身体は存在を保つことで精一杯だ。頼みの綱だった魔導書も焼失している。もはや二代目賢人バルザイの命は風前の灯火となっていた。

 それでも、なぜか。このボロボロの身体は立ち上がろうとする。

 ロシアンブルーはうろちょろと顔の前で狼狽えていた。

 

『そんな傷じゃ長くは……』

 あの状況で。あれほどまでに追い込んでおきながら、まさかここまでの返り討ちに遭うとは思いもよらなかった。二代目賢人バルザイが遅れを取ったのは戦闘経験の差だ。

 左胸の致命傷を押さえながら、立ち上がる。ゆっくりと歩き出すが、思うように足が進まない。

 呼吸が浅い。意識が朦朧とする。空気が薄い。身体が重い。なによりも――眠い。

 抗いがたい眠気に誘われながらも、目を閉じればそれが自分の最期だと何よりも自覚している。

 波の音を聞きながら足元に目を向ける。自分の影を見て、それから月を見上げた。

 

 ――この宇宙に邪神が侵略してくるまで、それほど時間は残されていない。

 邪神と対抗できるのは、唯一エヌラスだけだ。この世界においては他に居ない。

 師から課せられた命題は人類の守護だった。それも今となっては果たせそうにない。

 何一つとして、得られなかった。与えられたこの生命に何一つ報いることができないまま眠りに落ちるのも悪くない。自分にはそれが相応だ――そう考える二代目賢人バルザイは、なぜかまだ足取り重く歩き始める。

 まさしく、悪足掻きだ。

 本当になにひとつ得られなかっただろうか。そんなことを思う。

 剣指を立てて、魔法円を描く。

 それを見て、ロシアンブルーは耳を立てる。

 

『この近くに“抜け道”がないか探してくるから、それまで待っててくれ』

「……いい」

 鍵の術式はあの男に譲渡したが、それでまだ失われたわけではない。二代目賢人バルザイが描いたのは、夢への旅路。ドリームランドへの帰郷。その門を開くのは彼にとって容易いことだ。

 一度は邪神の神気に侵された身。それでもこの身に託された師の命題は潰えていない。

 

「自分の足で、行く――“開・門(オープンセサミ)”」

『あ、おい!』

 ロシアンブルーが呼び止めるのも聞かず、二代目賢人バルザイはすでに自らの手で開いた次元の門へと歩き出していた。

 本来なら、悪用するべきではない。みだりに異なる次元の扉を開いてはならないものだ。

 夜の砂浜の空間が割れる。扉のように開かれた先には闇が渦巻いていた。

 二代目賢人バルザイは自分のきしむ心臓の痛みを押さえながらその中へと進む。その姿を見たロシアンブルーは少しだけ悩み、自分もついていくことにした。

 ドリームランドの、何処へ出るかはわからない。下手をしたら神々の土地へと踏み入ることになるかもしれない。しかし、今行動しなければ果てるのは明白。

 それだけは出来ないと――二代目賢人バルザイは、その運命を拒絶した。

 

 

 

 門を抜けた二代目賢人バルザイとロシアンブルーの前に広がるのは、蛋白色の宮殿。圧倒される程に神気に満ちた空間に出た一人と一匹は、そこが誰の居城であるのかを即座に察知する。

 イレク=ヴァド王の居城。驚くことに、二代目賢人バルザイの開いた門は、その広間へと通じてしまった。

 初代賢人バルザイの残した縁がまだ生きていることを実感して、言葉にならない。

 広間を見渡せば、あちらこちらに戦闘の痕跡が見受けられた。つい最近の出来事だろう。此処で魔術による応酬が繰り広げられたことは目に見える。

 なにがあったのかと考えを巡らせるよりも先に、足音に振り向けばそこにはかの王がいた。

 イレク=ヴァド王は、二代目賢人バルザイも、互いに言葉を失っている。

 

「……これは、驚いた。君は、かの賢人の弟子か」

「――イレク=ヴァド王……」

 ひどい怪我だ。致命傷に等しい。中核を貫かれている。これではいかに治癒を施したところで助からない。

 邪神の末席に名を連ねた少年に対して、イレク=ヴァド王は慈悲の介錯を考えた。だが、その瞳より流れる涙を見て躊躇する。初代賢人バルザイ、渾身の一振りである付喪神が涙を流すなど想像を超えていた。

 

「なぜ、君は涙を流している」

「……わから、ない。俺は、やっと――師から与えられた命題を理解したというのに、此処までかと思うと涙が……勝手に」

 志半ばで果てる。その一心から涙を流す姿に、イレク=ヴァド王は二代目賢人バルザイがすでに邪神の瘴気から解放されていることを理解した。

 

「……君は、最初から人類のために作られた魔を断つ剣である。その君が一体誰に敗れたというのだ」

「……魔術師に」

 地球にいるという魔術師。将軍猫の話をイレク=ヴァド王はすぐに思い出す。

 邪神と単身、戦い続けているというかの魔術師がよもやこれほどまでとは思いもよらなかった。とんだ底力を秘めていることにイレク=ヴァド王は度肝を抜かれる。

 悔恨の涙を流しながら、膝から崩れ落ちる姿を見て、しかし彼は自分の手で身体を支えていた。

 

「――イレク=ヴァド王。俺に、一度だけ……ただ、一度限りでいい。戦う力を」

「……その力で、君は何をするつもりだ」

「人類を――いや……守りたい人ができた」

 そう口にする二代目賢人バルザイの青い瞳をまっすぐに見つめ返す。

 涙で濡れた青い瞳。赤より熱い炎の色を灯して、瞳の奥で折れていないと燃えていた。

 イレク=ヴァド王は考える。もし彼が、本当に邪神の末席として使命を全うするというのなら。彼はすでに人類に刃を向けていた。しかしその奥底に秘められていたのは師であり、生みの親である賢人バルザイの果てぬ願い。それすなわち、人類の守護。

 ――人類のために彼は産み落とされた命だ。邪神に使われようとも、それだけは変わらない。

 ならば何も迷うことはない。イレク=ヴァド王は、彼と、同じ思いを胸にした友のために今一度目の前の少年に力を与えることを選んだ。

 

「よろしい。ならば、私は幻夢境の主として君に今一度、戦うための力を与えよう――だが」

「わかってる。俺の……この胸の傷は治らない」

 失われた心臓を補填するための疑似中核。命を繋ぎ止めるための応急処置。今以上悪化することはないが、今以上に改善の兆しもない。心臓を作り直すということは、打ち直すということだ。それは二代目賢人バルザイの生涯を『やり直し(リスタート)』することに他ならない。

 それでは、意味がない。彼が得た答えに。彼が辿り着いた旅路の果ての宿願に。

 

「……君に、今一度私は問おう。君は、この力を持って、何と戦う」

 イレク=ヴァド王が描くは足の欠けた五芒星。旧神の印を結び、火を灯す。

 ヴーアの無敵の印において、力を与えよ――そう、短く口訣を結んで。

 何を守りたいかは耳にした。ならば、誰を討つための刃であるのかを問う。二代目賢人バルザイは軋む胸の鼓動に顔をしかめて、敵の顔を思い浮かべる。

 ――あの男は、人類を殺してでも邪神を殺そうとした。それは、彼にとって正しい選択であり正しい力の使い方だ。触れてしまえば全てを破壊する、まさに破壊の化身。だからこそ、大切なものをこそ遠ざけて孤独に在ろうとする。

 ならば、自分が戦うべきはあの男ではない。

 同じものを守りたいだけだ。ただ、そのための力が異なるだけで。

 二代目賢人バルザイが涙を拭い、顔をあげてイレク=ヴァド王を真っ直ぐに見た。

 

「――俺は、人類の敵と戦う。貴方と同じように」

「……よろしい。ならば私は君に力を与えよう。今一度、邪神の脅威と戦う力を。この力をどう扱うのかは君次第だ」

 ステッキを打ち鳴らし、魔刃鍛造の術式によってイレク=ヴァド王は二代目賢人バルザイを炎の中で鍛え直す。白い炎の中に飲み込まれた少年は、息を吹き返した。

 それでも、持つのは一度限り。だからこそ、その選択は慎重でなくてはならない。

 息苦しさから解放された二代目賢人バルザイが、深々と頭を下げる。

 

「感謝……します。この恩は、必ず」

「正しくあってくれ。君の師であり、私の友であった男もそれを望んでいる」

 そして、イレク=ヴァド王はロシアンブルーキャットに視線を向けた。しきりに二代目賢人バルザイの手を舐めては頭を擦り寄せている。

 

「そして、君は将軍の息子だろう? まったく、ほとほと呆れる。無茶をし過ぎだ」

「にゃ、にゃおう……でもぉ……」

「将軍はとっくにお冠だ。顔を見たらどんな説教が待っているかわからないぞ」

 耳は垂れ、尻尾も項垂れてすっかり腰が引けた様子のロシアンブルーの頭を二代目賢人バルザイが撫でた。初めて自分から撫でてきたことに目を丸くしている。

 

「……俺も、一緒に怒られるから。行こう」

「――――し、仕方にゃあ。なら全部お前に押しつけてやるかんな!」

 まだ少しふらつく足取りで宮殿から去る背中を見送りながら、イレク=ヴァド王はひび割れた玉座に腰を下ろした。

 

 これで、人類に迫る邪神の脅威は残り一柱だけとなった。だが、その相手が余りに悪い。

 頭を悩ませるが、しかし、頼みの綱は地球最後の魔術師だけだ。もっとも、その魔術師ですらどういった経緯を持って地球に訪れたのかすら怪しいが。

 本能が告げている。そこに触れてはならないのだと。

 そもそもの発端にして、全てがおかしい話だ――邪神同様に、なにか異物が紛れ込んだかのように突如として邪神達が覚醒世界の地球に現れ始めたことが。幾重にも封を施したはずの宇宙に亀裂が入ったことそのものに疑念を抱くべきだったのだ。だが、それに触れてはならないという警告がイレク=ヴァド王にはあった。

 出現した地球最後の魔術師の背後にある、見えない脅威の影を振り払うかのように頭を振る。

 そして、変わらぬ宮殿の天井に視線を移した。

 ――永劫久遠の時をどうか平穏に過ごしてほしい。心の底から人類の穏やかな日々を願う。

 

「……バルザイの名を冠する君よ。どうか……守りたまえ」

 そのただ一度限りの刃を、正しく人類の敵へ向けられることを祈る。

 

 ――鍵星は未だ堕ちず、未来へと足を向けたのだから。

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