第ニ一四幕 死闘のあとに
――夜の大江山に、蒼雷が迸る。それは鬼丸国綱の放つ清浄なる意思のあらはれ。
群がる小鬼たちを焼き払い、下げた太刀の一線で切り払う。その脚に淀みはなく、鬼の本丸へと問答無用に踏み入れる。
前蹴りで大扉を蹴破り、中に踏み入れた鬼丸国綱は隻眼の顔をしかめた。
漂う妖気の濃度はとてもではないが居ても立っても居られない。今すぐにでもこの場から離れだしたくなるほどだ。幻想の悪臭が鼻をつく。あまりのおぞましさに吐き気を催す。
本堂一面に描かれた異国の言葉。鬼たちの口から漏れ出す呪詛と思しき呟き声。自分とは異なる文化に触れた嫌悪感。――半身が鬼となってしまったからこそ、なまじ理解してしまう。
ひときわ大きな体躯を誇る大鬼が動く。
首のない仏像に向けていた身体を鬼丸国綱に向けて「……ほう」と言葉をこぼす。
「――鬼丸、国綱」
「……如何にも。俺の銘は。貴様は誰だ」
「四天王がひとり――茨木童子」
「――――」
右腕がない、隻腕の鬼を見て鬼丸国綱は絶句する。
日本絵巻を嗜むならば、その名を知らぬ者はいない。鬼の四天王が一人、茨木童子。
羅生門の鬼と同一視されるが、それは誤りであるとされるもののそれでも酒呑童子の配下であれば1、2を争う実力者であることは間違いないだろう。そしてその喪われた右腕。かつての名将である頼光四天王の一人、渡辺綱により切り落とされたものだ。
日本に現界を果たした今となってもなお、それを許さぬのはさすが名刀、髭切といったところだろう。まるで傷が疼くとでも言うように茨木童子は無き腕を抱く。
「何用か」
「――御用改めである」
「かっ……カッカッカッカッカ! 御用、御用ときたか! 如何にも、なぁ?」
腕を開き、本堂の様を自慢するかのように胸を張った茨木童子が重い腰を挙げた。その巨体、優に鬼丸国綱を見下ろすほど。まるで石像だ。
「如何にも! 我らは鬼の本懐を為すために、異界の神にすら縋り付いた不届き者。不敬千万、承知の上! 構わぬ、嗚呼構わぬ! 今一度、酒吞と共にこの国を恐怖に落とすためならば我が肉体も我が魂も捧げようぞ!」
ぐずっ。
肉の蠢く音。不快感を隠さぬ生理的嫌悪を催す音に鬼丸国綱はますます表情を険しくする。
血の涙を流し、ギョロギョロと周囲を見渡し、やがて鬼丸の蒼い眼と視線を合わせる。そして次の瞬間には、瞳が叫ぶように発火した。常軌をあまりに逸した光景に、目を疑う。脳を疑う。果たしてこれは現実の出来事なのか――否、そうでなければ身体の芯に刺さる悪寒を覚えるはずがないのだ。
――ふんぐるい! ふんぐるい!
小鬼たちが輪唱する。異界の言葉にならぬ言葉を口々に叫びながら。
――いあ! いあ! しゅぶ=にぐらす!
異界の神を賛歌しながら狂喜する。額の瞳を燃やしながら。
狂気、狂気、狂気――その渦中にあって、なお、正気を保つこともまた狂気。
鬼丸国綱は一寸、呼気を整える。短く息を吸い、丹田より吐き出す。その身に奔る蒼雷を持ってして、不浄を祓う。これまで夢の中でそうして守護してきたように。
この身が鬼と成り果てても、もはや構わぬ。
全幅の信頼を置いて鬼丸国綱はその男の顔を目に浮かべる。
童子切安綱こそは、日本最強の付喪神であらせられる。ならば、ならばこそきっと正してくれるはずだ。鬼となった我が身を清めてくれるはずだ。
あれは、最強の付喪神なのだから。
「南無八幡大菩薩――童子切安綱。お前こそは、俺の信じる男であったぞ」
「参れ! 天下五剣が一人、鬼丸国綱――! 相手にとって不足なし」
「応っ!」
鬼丸国綱が走る。眼前を阻む無数の小鬼と、その背後で佇む茨木童子を睨みつけて。
――また長い夜が始まる。それは、一人の付喪神が死力を尽くして討つべき敵との死闘であった。
夜空には月明かり。
黒い月は、抗う様を眺めてただ胸を痛める。
愛する我が子を慈しむように。ただ慈悲深く涙を流す。
なんて痛ましい。なんて愛らしい。なんて、嗚呼なんて――かわいそうに。
だいじょうぶ、もうすぐ母が行きます。
あなた達を救いに。あなた達を愛するために、愛するあなた達のために。
――エヌラスが目を覚ました時に見たのは、いつか見た天井だった。
なにやら見覚えがあるし、なにやら身に覚えがある感触に首だけで違和感のもとを探ると案の定というべきか。弦巻こころがベッドに潜り込んでいた。勝手に人の身体を抱きまくらにして。
君の眼にはこの全身に巻かれたミイラ男よろしくな包帯が見えないのか? ちょっと消毒液臭いぞ俺。などと思いながらもお構いなしにその恵まれた身体を惜しみなく押し付けてくる。とても柔らかいしとてもいい匂いがするなどと思いながら視線を外せば、不機嫌そうに座禅を組んでいる童子切安綱がこれまた部屋のど真ん中に居座っていた。
「……なにしてんのお前」
「ん? やっと起きたか。見ての通り禅だ。わからんのか」
いや知らんが。というかなんでいんのお前。エヌラスの顔が雄弁に語る。それを察してか、童子切安綱がなぜ自分が此処にいるのか、という事の経緯を簡潔にまとめて話した。
「あの後倒れたお前を、ここの侍従達が運んだ。俺は付き添いだ。わかったか」
「簡潔にまとめてくれてありがとよ……んで。なんでコレが俺のベッドにもぐりこむの止めなかったんだよ」
「何故と聞かれれば。別に同衾だの夜這いなど珍しいことでもあるまい」
「だとしてもてめぇが此処にいるのが不思議なんだよなぁ俺よぉ!」
「たわけ。貴様の見張り以外に何がある」
「見張ってんならとめろや!!!」
「大声を出すな、傷に響くし寝た子が起きるだろう」
むしろ起きろ今すぐなるべく早めに。祈りが通じてか、こころがもぞもぞと動きだす。変に動かれると色々当たってよろしくない、とてもよろしくない。はよ起きろ。
「はー……まぁいい。よくねぇが」
「どっちだ」
「……今、どういう状況で何日経った」
「あれから三日。夜な夜な怨霊共が悪さをしている程度よ」
おかげで毎晩駆り出されているが、と童子切安綱は愚痴をこぼす。誰のせいだと言わんばかりに片目でエヌラスを睨みつけて。
ついでに言えば、現在朝の五時。早朝だが夏を前にして日が昇るのが早い。そして、この時期は雨も多くなる。梅雨入りももうじきだろう。そうしたら、あとは夏を迎えるばかりだ。
自分の容態については、一応は弦巻家が応急処置を施した程度だろう。だが、魔術回路の損傷にまでは手が入っていない。それも当然だ。
あの夜――二代目賢人バルザイの放った偃月刀の群れに突貫した。その刃をあえて己の魔力の媒介にしたブーストがあったからこそ限界を超えた魔術運用が可能だったのだ。当然、その反動を無視できるほど人体は頑丈にできていない。銀鍵守護器官の不調もまた、あの時掠めた一撃が原因だと理解している。
……確かに勝負には勝った。だが、魔術師としての敗北はエヌラスが痛感している。
悔しさよりも先に、不甲斐なさを覚えた。自分はまだ遠いのだと。
(……腕落ちてんのか、俺?)
ちょっと不安になった。多分そんなことになったら師匠に蹴り殺されそうだが。
全身の鈍い痛みに顔をしかめながら身体を起こして、そこでようやくこころが目を覚ますかと思いきや、まだしがみついてくる。頭をすりよせてくる始末に、童子切が鼻で笑った。
「もしやと思うんだが童子切」
「なんだ」
「こいつ、俺が爆睡中ずっとこんな調子だったのか?」
「そうだが?」
「てめぇほんとマジで後で一発ぶん殴らせろ」
一回くらい止めろ。
「かわいい童ではないか、お前によく懐いているようだし、何が問題だ?」
「もうちょっとこう貞操の危機とかねぇのか」
「俺のいた時代では子を成しているような歳だぞ?」
「とんでもねぇ倫理観だな昔の日本、頭おかしいのか」
人の国のことを言えた義理ではないが。
「まぁ、よい。お前が目を覚ましたとあればいくつか話しておきたいことがある」
「なんだよ……」
「――鬼丸国綱、数珠丸恒次の両名が未だ戻る気配がない」
「…………」
「それと、日を追うごとに月が妙なことになっている。なにか心当たりは?」
「あるにはある、が。それは俺の問題だ。お前には関係ないことだ」
「あいわかった」
やけに聞き分けの良い童子切安綱に、エヌラスは目配せをした。
「童子切、それだけか」
「ああ、それだけだ。早く傷を癒やせよ。そうでなければ叩き切った時に夢見が悪い」
「そうだな……お前まさかそれだけのために俺のこと見張ってたのか?」
「他に何がある」
当然だ、と言わんばかりに童子切は言い放つ。これ以上見過ごす気はないようだ、となれば腹をくくるしかない。
「海の外がどうなっていようと、俺は皆目知らん。俺は俺の国を守るだけだ」
「だから俺を斬るって?」
「そうだ」
「……大した野郎だよ、まったく」
目を覚ましたとあれば、当然ながらこの後に波乱が押し寄せてくることもエヌラスは見越していた。そしてそれは、こころが目を覚ましたその日のうちにやってくる。
バンドメンバー勢ぞろいで押しかけてきた日には流石に苦笑いをするしかなかったが。