童子切安綱と千聖、彩とイヴは弦巻邸の裏庭――といってもその敷地が広大過ぎて本当に裏庭なのかどうかもわからないが。
邸宅を離れてから、ライブ会場の近くにある芝生に童子切が雑に腰を下ろした。
「して、俺に話とはなんだ?」
「……三日月宗近さんについてのことです」
「アイツの話なら、ほれ。そっちの桃山から聞いている」
「丸山彩ですー!?」
なにか言いたげな彩を無視して、童子切は再び座禅を組み始める。
「貴方のことは彩ちゃんから聞いていました。でもこうして話をする機会に恵まれなかったので」
「今更あの裏切り者のことなど話す気はないが……まぁ聞くだけ聞いてやる」
「はい。三日月宗近……ミカヅキさんですが、最初からどこか気が触れていたようでした」
「…………」
「月夜の晩にだけ妖怪化が進んでいたこともあるので、名前にもある通り恐らく月が関係しているんじゃなかったのかと……」
片目を開けて千聖の話に耳を傾けていた童子切だったが、先程からずっと自分に向けられた視線が気になるのかイヴを一瞥した。敵意も邪気も一切感じられないどころか畏敬の眼差しには少し居心地が悪そうにしている。
なにを思ったのか、いそいそと隣に座り込むと同じように座禅を組み始めた。子犬のようなものだと思うことにする。
「七星剣と丙子椒林剣の二振りを降ろし、後にアイツに討たれたとも聞いている。だからどうしたというのだ」
「……私が言いたいのは、全てあの月が原因ではなかったのかと思いまして。エヌラスさんと協力して闘うことはできませんか?」
「この俺に月を斬れとでも? 無茶な話だ。水面に映る月ならまだしもな」
日本最強の付喪神と言えどエヌラスのような無茶は出来ない。それでもまだ千聖は食い下がる。
「ならその手助けだけでも、どうかお願いします」
「……まったく、どいつもこいつも。何故に俺の邪魔立てばかり」
「邪魔をしているつもりはありません。気を悪くしないでください」
「それでも俺の腹の虫の居所は良くないぞ」
「鬼丸さんと数珠丸さんの御二方のことですか?」
「……そうだ」
その焦りと苛立ちを抑え込むように童子切は座禅を組んでいた。
「私が見た京の都は、確かに魔境と呼ぶに相応しい有様でした。それでもそこで平和のために尽くす付喪神の皆さんがいたことも、確かな事実です」
「そうです! 新選組の皆さんがいました!」
口をへの字に曲げて、不機嫌さを隠そうともしていない。これでは禅問答も形無しだ。彩の気の所為か、童子切の周囲が陽炎のように揺れている気がする。
「貴方も、今の日本を憂う一人ならば一時の共闘はどうか堪えてはくれませんか?」
「…………」
「わ、私からもお願いします!」
隣で座禅を組んでいるイヴがじっとりと汗ばんでいた。
「そんな魔境に、鬼丸さん一人を向かわせたのは――」
悪手であった、と指摘しようとした千聖だったが童子切は眼で制する。その眼光に射抜かれて思わず身体を竦めた。
「俺が此処に残っていなければ、今頃は街が一つ消し飛んでいただろうよ」
エヌラスと二代目賢人バルザイの死闘の最中で、人々が見たのは落ちてくる流星だった。だがそれは空中で突如として爆発、破片は何処かへと消えている。――それを迎撃したのが童子切であるということは紛れもない事実だ。
「あの二人の戦いは、まさに死闘と呼ぶに相応しかった。それだけに泥沼化していたがな」
「……本当に、るーくんのことを貴方が斬ったんですか?」
「そうだ。そうすべきだった――本来はな」
童子切の言葉に、千聖が眉を寄せる。まるで現実はそうではなかったかのように。
「そうはならなかったんですか?」
イヴの率直な質問に、二人が体を強張らせる。しかし意外にも、童子切は「ああ」と素直に応えた。
「……そうは、ならなかった。一夜限りあの男を斬るのを見逃した。食事の恩にそう約束した。だが今はどうだ。あれやこれやと流されるままに、アイツの味方が俺に乞い願うのだ。「どうか肩を並べてくれませんか」と。これが腹を立てずにいられるか、まったく」
「…………」
「加えて、あの容態を見ろ。寝首を掻くことなど二度と御免だ」
「まるで――いえ、やめておきます」
「そうしろ。俺が刀を抜く前にな」
――童子切安綱。その銘を与えられたのは、鬼の首魁である酒吞童子の首を斬ったことからだ。だが、それは決して戦ったわけではない。人の身で鬼と斬り結ぶことは叶わず、酒を用いた。
神便鬼毒酒と伝えられているそれを使って酔い潰れた酒吞童子達の首を刎ねたが、それでもなお酒吞童子だけは首だけで噛みついたという。
人の身で成せなかった鬼退治。それを自らの為すべきこととして童子切安綱は譲ろうとしない。だからこそ、自分の目覚めに対して危惧していた。今一度、この国に鬼の手が伸びるものとして。
「……あなたは本当に、気位の高い方なんですね」
「生きにくいぞ、こいつはな。将の席に身を置くと不自由で敵わん……」
「そうでしょうね」
「じゃあ、なんで童子切さんはみんなのリーダーになったんですか?」
「たわけ。今も昔も、俺が一番強い。だから皆を率いる責任と義務がある。その俺がみだりに動くわけにはいかんだろう。将は腰を据えて待つものだ」
こうして腰を落ち着かせていることは本意ではない。鬼丸と共に西へ馳せ参じ、戦うべきだったのではないかと日を追うごとに迷いが生じていた。朝令暮改は将の器に非ず、上に立つ己が降した決定を一身上の都合で改めるわけにはいかない。童子切の焦りとは、それだ。
「……わかりました。では最後にひとつだけ聞きたいことがあります」
「許す」
「――“夜行童子”という妖怪に聞き覚えはありませんか」
「……なに?」
童子切がそこで初めて刀に手を伸ばしかける。だが、そこで手を止めて気息を整えていた。
「お知り合いですか?」
「……百鬼夜行の筆頭格。どこでその名を?」
「京の都で一夜を明かす際に、私達の前に姿を現しました。それきりです……」
「変化大明神の眷属だ、付喪神の生みの親とも言うべきやつだが――――いや、待て」
「童子切さん?」
「…………月、か。なるほど、そういう事か――ミカヅキの奴が俺たちに刃を向けた理由がようやくわかった」
首を傾げている三人に童子切が話し始める。
「ミカヅキの奴、最初からおかしかったと言っていたな」
「はい」
「そのせいか……アイツはよく耐えていたものだ。ミカヅキは顕現したその時から、邪神の瘴気に侵されていた。自分が狂うとわかっていて、七星剣と丙子椒林剣を降ろそうとした。そして俺たち天下五剣を残したのも“
「でもそれなら、どうして童子切さん達は正気のまま……」
「数珠丸恒次は付喪神の中でも極めて神仏の加護が多い。生半可な法力では太刀打ちできん。鬼丸国綱もまた、同様にな」
「大典太さんはどうなんですか?」
「…………あいつはそもそも神仏の加護を断ち切っている。剣が鈍る、と言っていた」
ゆえに、剣術無双――。無念無想の境地に踏み入った唯一無二の付喪神。
『拙者に与えられる加護は人の身、この命ひとつで十分。他一切無用に御座います』
「そして三日月宗近。自分達がいずれ狂気に呑まれることに気づいていた。そこらの付喪神では同じ道を辿ると察したからだ。俺たちが二度目の顕現する時期を今にしたのは、邪神の脅威がひとつやふたつではないと知ったからだろう」
それが自らを蝕む狂気を侵攻させると知りながら。
「でもそれなら、みんなで協力してれば……」
「いいえ、彩ちゃん。今の童子切さんの話ではそれも難しかったわ。最古の二振りを除いて、天下五剣のみんなが狂気に呑まれた付喪神のみんなと戦うことになっていたかもしれないのよ」
「じゃ、じゃあミカヅキさん……」
「自分が討たれることも想定の範囲内だったのだろう。大馬鹿者め、俺が遅れを取るとでも思っていたのか」
「でも後ろから斬られ……ぴぇっ!? ごめんなさい!」
「彩ちゃん……」
なんでそういう余計なことを口にしちゃうのだろう。千聖が肩をすくめた。
「付喪神の皆さんの事情については、私が一番詳しいと思います。何か聞きたいことがあれば、答えられる範囲で答えようかと」
「……貴様、名は?」
「白鷺千聖です。――白鷺に、千の望みと書きます」
「そうか、良い名だ」
童子切は素直に称賛の声を述べると、千聖に視線を向ける。
思慮深く、頭の切れる女性として。その気品ある立ち振舞いに敬意を払う。
「アイツは人の腹を立てる天才だが。女を見る目もまた天才的だ。時代が時代なら武勇で名を轟かせる良き武士になっていただろうに! それがますます腹立たしいわ! あんな馬鹿でなければ! あんな阿呆でもなければ! あれほどの怪我を負ってなければ! 今すぐにでも斬り伏せてやりたいぐらいだ!」
「ど、童子切さん……?」
「ええい、もうやめだ! 禅問答なんぞしたところで煮えくり返った腸なんぞ静まらん! むしろますます腹立たしくなってきたわ! なんで俺がアイツなんぞに気を遣ってこんなことをしてなければならんのだ! ええい畜生め! や っ て ら れ る かぁッ!!!」
先程までの静けさとは打って変わって、今にも暴れだしそうなほど童子切安綱が声を張り上げた。その様子がどうしても自称オカルトハンターを彷彿とさせる。
「あ、あははは……エヌラスさんそっくり……」
「なんとなく二人の反りが合わない理由がわかってきたわね……」
「そうでしょうか? そっくりさんで、兄弟みたいだと思います」
「誰があんな大馬鹿野郎なんぞと! 死んでも御免だ! 絶対にな!!」
――絶対エヌラスさんも同じこと言うだろうな、と彩達は予想していた。
「座禅なんぞやるくらいなら、身体を動かしていた方がまだ気が晴れるわ! まずは素振り千本からだ!」
「木刀も竹刀も無いのにどうやるんですか?」
「真剣一本あれば十分! どぉりゃあああ!!!!」
言うや否や、童子切はすかさず抜刀して青眼で構える。気迫とともに上段より打ち下ろし、真剣による風圧が裏庭の木々を揺らした。
「不精ながら、この若宮イヴ! 応援させていただきます!」
「応、助かる! 百人力だ!」
――山羊の蹄を持ち、樹木状の身体を持つ。“落とし子”と呼ばれる眷属。
それこそは“黒月の母”にして、地球に迫る最後の邪神『シュブ=ニグラス』が産み出す眷属だ。
地球に落ちてきたガス状の肉体を持つ眷属は、身体が定着していなかった。生まれて間もない幼体は、この宇宙に侵攻する際に母星からはぐれたのだろう。
「これが……幼体であると?」
「ああ。眷属の成体は本来、樹木状の肉体を持っている。ただ厄介なのは、幼体の方が食欲旺盛ってことだ」
「で、ではもし成体が地球に飛来した場合は……」
「かなり手厳しいだろうな」
「なにか弱点のようなものは」
「こいつ等は共通して口が弱点だ。口内に手榴弾でも投げ込んでやれば一撃だろう」
「では……」
「ただ問題は、コイツらの数だ――総量なんて、考えたくもねぇ」
エヌラスが参った表情をしているのは、眷属を含めた母星の戦力差だ。
地球の総人口など軽く上回る。それどころか、星の生命を食い尽くしかねない。まさに異界からの
だが、エヌラスには妙な胸騒ぎがあった。
これまでの邪神――凶星の双子、ティマイオス。クリティアス。海神、ダゴン。窮極の腐敗の神、クァチル・ウタウス。
末席とはいえ、二代目賢人バルザイもカウントして……エヌラスはそこで背筋が凍りついた。
月の満ち欠け。新月の夜にだけ来訪する邪神達がいずれも“等身大の人間”の姿をしていたのは、ズレこんだ次元の隙間がそのサイズだったからだ。だがしかし、次に来る邪神は“母星”ごと、この宇宙に来訪してくる。
人間程度の大きさだった次元の隙間など押し広げ、宇宙を壊しながら総てを食らい尽くす――その規模の次元崩壊を治す術をエヌラスは持たない。
そうなってしまっては、仮に最後の邪神を倒したところで残された香澄達は――。
「…………」
神妙な面持ちで黙り込み、思い悩むエヌラスの顔に焦りの色が見れた。顔を左手で覆い、歯噛みしている。
「エヌラスさん……」
「……こればかりは、まいったな…………」
――てりゃあぁぁっ!
「月ぶっ壊すぶんにはどうにでもなるが――」
――どぉりゃあああっ!!
「…………、」
――ちぇえりゃあああぁぁぁっ!!!
エヌラスは裏庭から響いてくる声に、窓の内鍵を開けると息を吸い込んだ。
「うるっせぇぞバカ野郎がぁぁぁっ!!! こっちは怪我人だぞ、鍛錬すんなら他所でやりやがれぇっ!!!!」
室内にいた友希那達ですら耳を塞ごうとする勢いで怒鳴る。さすが声量お化け。肺活量モンスターの怒鳴り声は窓を震わせていた。しかし、その返答は裏庭のライブ会場に備え付けられていたベンチ。
それはエヌラスも予想していなかったのか、完全なる不意打ちに対応が遅れた。それどころか直撃する。室内に木霊する香澄達の悲鳴。
「ごっぶぇ!?」
ベッドから吹っ飛ばされて、床に倒れ込んだエヌラスに向けて童子切が窓枠から身を乗り出して吠えた。
「やかましいわ馬鹿野郎がぁっ!!! そんな怒鳴り声出せる怪我人がいるかぁ!!」
「いってぇだろうがバカがよ! こっちはマジで死にかけてたんだぞ! 普通ベンチ投げるか!? っていうか傷口まだ治ってねぇって言ってんだろうが、ボケがぁっ!!」
サッカーボールのリフティングさながら、エヌラスは片足でベンチの足に引っ掛けて蹴り上げるとそのまま全身を捻ったオーバーヘッドキックで童子切に向けて蹴り返した。
「は?」
呆気にとられている間に、その顔面をベンチが直撃してフェードアウトしていく。今度は外から彩の悲鳴が聞こえてきた。
「ざまぁみやがれバァァァカッ!!!」
「怪我人……」
「……ほんとに治ってないんだよね?」
勝ち誇った顔だが、包帯の下から浮かび上がっている魔術回路はやはり本調子ではないのか途切れ途切れに淡く輝いている。
「エヌラスさんってすごいね。ワールドカップも優勝できちゃうんじゃないかな?」
「顔で出場停止くらいそうだけどな……」
「ちょっとそこ。聞こえてるし心にダメージ負ったからな有咲」
「あ。よそ見してると危ないですよ」
たえの言葉に聞き返すよりも先に、窓枠に足をかけた童子切がドロップキックでエヌラスのことを蹴り飛ばした。
そこから先は、もうひどいもので。怪我人相手に容赦なく殴る蹴る、だがやられてばかりではなく片腕と片目が使えない状態でエヌラスもやり返していた。
「…………似た者同士」
「ですね。おふたりとも、とっても仲良しです!」
慌てて様子を見に来た千聖とイヴの声が聞こえていたのか、二人が睨み返す。
「「どこがだ!!! 死んでも御免だこんな奴と!!!」」
「そういうとこですよ、二人とも」