【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二一八幕 湿っぽいお別れの、その前に

 ――エヌラスの絶叫を聞き流しながら、童子切安綱は後ろ腰に下げた大典太光世を抜き放って上段より振り下ろす。ただの素振りと言えど一切の手心を加えず無心で振るう。

 

 ――……童子切殿。

 

「……」

 脳内に響く声は、大典太その人であった。

 付喪神として与えられた権能、その存在に気づいたのは己の手に大典太を握ってからのこと。てっきり自分の持つ力は忌まわしき鬼火と、かつての将にあやかった稲光だけであると思っていた。だがその実態は、未だ果てなき権能。底の見えない自らの力が、どれ程の物なのか把握しきれていない。故に、こうして大典太を振るうことで精神統一も兼ねて素振りを重ねる。

 

(俺自身、驚いている。よもや、こうして振るえば声を聞くことができるとはな)

 ――拙者も驚くばかり。まさしく天下五剣筆頭に相応しき権能。

(して。貴様の生きた時代、貴様の仕手が得たという剣術。その無双の境地は如何ほどか)

 ――はて……、拙者の仕手であった御仁。無念無想を志しておりました。

 

 剣禅一如――それ即ち、剣の道は、禅の道であるという教え。あながち三日三晩に及ぶ禅問答は間違っていなかったと言える。

 だが、童子切は己がその境地に辿り着くことはないと本能的に理解していた。胸中に焚べられたこの炎を絶やすわけにはいかない。千年前より続く悔恨。千年前より続く鬼火――狂気に勝る信念は剣を鈍らせるどころか一層鋭くさせる。

 切っ先を持ち上げ、天に掲げて一寸。呼気を整えてから振り下ろす。風切り音も置き去りにして正眼にて止める。微塵の揺れも存在しない、堂に入った完璧なまでの打ち下ろし。しかしその手応えに童子切の顔は晴れることはなかった。

 

 ――迷いは剣を鈍らせますぞ。

(そんなことは百も承知)

 ――闇雲に振るったところで、我らに意味は成しませぬ。

(それもまた承知の上。……大典太、俺は間違っているか?)

 ――と、申されますと。その言葉の真偽を、拙者は知りませぬ。

 

「……、すぅ」

 短く息を吸い込み、過分なく吐き出しながら再度、大典太を打ち下ろす。ひらと舞い踊る木の葉が宙にて断ち切られて散っていく。

 

(俺は鬼を斬る。そのことに一寸の迷いもない。しかし、あの男は鬼か?)

 ――悪鬼であることに、間違いはありませぬ。

(で、あろうな。今の世の天下泰平を乱す輩であることに相違なし)

 ――ならば、斬るべきでしょう。他ならぬ貴方が。

(それも先刻承知の上で、だ。ならばお前に是非を問おう――俺は、鬼丸を斬るべきか?)

 ――なんと……。

 

 胸中の言葉に、大典太からの言葉がとんと途切れる。

 無言、無心のままに太刀を振るう。

 数度それを繰り返した頃に、大典太からの声が戻ってきた。

 

 ――貴方様が掲げる理念に基づくのであれば、斬るべきでしょう。

(……で、あろうな。あやつは俺よりも鬼を斬り続けてきた。それは皇族のため、夢の守人としての本懐。故に鬼丸の奴は俺以上に鬼に近くなってしまっている)

 ――あの男を斬るべきか迷っているのは、鬼丸殿のことで?

(…………そうかもしれんな)

 

 重苦しく告げられた言葉は、やはり自分の考えと一致していた。

 斬るべきは鬼丸国綱。あの菩薩のように慈悲深き仁愛の精神を持つ無二の戦友。

 あの悪鬼を斬るのであれば、同様に。鬼面菩薩の鬼丸国綱を、己の手で討たねばならぬ。

 天下泰平の世を乱す輩として。だがそれが果たして本当に正しいことか、童子切は僅かに逡巡してしまった。だからこそ、足どり重く、この場に留まっている。

 

 両足を深く開き、腰を落とす。切っ先を地面に向けて、太刀を下げる。

 ――落とし下段。

 童子切安綱、そして大典太光世の生まれた平安の世には既に剣術、という物が存在した。だが、剣術無双の名に恥じぬ大典太の扱う技は後世、仕手に恵まれたからこその冴えである。

 怪異退治で名を馳せた童子切安綱の仕手、源氏の武将が知る術は無い。だが、童子切の見せる構えは大典太光世があの夜、エヌラスの首を刎ね損ねた構えそのもの。

 

「……――――柳生新陰流か」

 ポツリと呟き、刃が跳ね起きる。自然と身体が動いた。それは己の意思とは別に。

 鋒には再び木の葉が貫かれていた。

 

 ――御見事に御座います。

(世辞はよせ。所詮は貴様の真似事に過ぎん)

 緩やかに刃を振るえば、半ばより断たれた木の葉が涼しい顔で揺れ落ちる。無軌道に落下していく木の葉目掛けて更に一閃。天下五剣随一の切れ味を誇る大典太に触れることなく四割に断ち切られて地面へ落ちた。

 

 鬼を斬る、その一念を覆すことは出来ない。

 鬼丸は言った――オレは、己の銘に恥じぬ行いと振る舞いをする、と。ならば、皆を率いる己もまた、そうあるべきだ。しかしそれは暗に、鬼丸を斬ると言っているようなもの。

 半身が鬼と同化するほどに、この安寧の世に身をやつした同胞を斬らねばならぬ。果たしてそれは、天に誇れる行いか否か。

 

 己はただ一振りの刃金。ならば、為すべき一念は只一つであればいい。

 何よりも己の勘が告げている。この日の本を照らす天上の陽の光、その下に蔓延る不倶戴天の怨敵の気配を。

 

 童子切安綱は素振りを止めて、構えを解いた。深く息を吸い込み、青空を眺める。

 

(……天照大御神よ。俺とあの武人を引き合わせてくれたこと、感謝に尽きぬ。あの者と出会うことがなければ、俺は此処にはおらなんだ)

 己は、仕手に恵まれすぎた。まさに神がかり的と言って差し支えない。

 一度は毘沙門の化身と。まさに良縁であった。しかし、天照大御神のお告げによって今生の別れを告げることとなる。もし、奉納されていなければ共に墓にて眠っていたであろう。

 二度は、鬼退治を成した源氏の武将と。だからこそ、この銘を賜った。

 名に恥じぬ行いと振る舞いをする。かの仕手の武勇に泥を塗るような真似だけはしたくない。

 己は鬼切の一振り。

 己は、人に仇なす魔を断つ剣。

 己は、この国の敵を斬る。ゆえに鬼を斬らねばならぬ。

 

 しばし、立ち尽くす。良い日和だ。

 この静かな時を守るために、かの先人達が命を燃やした。だからこそ。

 だからこそ――斬らねばならぬ。戦友も、悪鬼も、己の心の迷いも。

 斬って、捨てねばならない。天下泰平の世に不要なものなのだから。

 

「……まだ、戻らぬのか。鬼丸、数珠丸」

 大典太を鞘に収めて、呟く。それは、将の器にあるまじき弱音にも似ていた。

 

 人の気配に童子切が振り向けば、弦巻家の執事が立っている。敵ではないことは、この数日世話になって理解した。そして身の回りの事を気にかけてくることから己を客人として受け入れていることも。この屋敷の者たちには敵意も殺気も感じられず、そのような者たちを相手に童子切は面倒を起こす気も起きなかった。

 

「何用だ」

「童子切安綱様。昼餉のご用意が出来ました。エヌラス様達も同様に。如何されますか?」

「……ふん。あの馬鹿と同じ席で飯など食えるか。腹ごなしどころではなくなるわ」

「では」

「俺は一人で食う。そう伝えておけ」

「わかりました。それでは食事の方をこちらへお持ちいたします」

「頼んだ」

 会釈して立ち去ろうとする執事に、童子切は一声掛けた。

 

「おい」

「はい。他に何か?」

「……此処の食事は、俺も気に入っている。世話になるな」

「お気になさらず。今や、貴方様もエヌラス様と同じく、この国で起きる不可思議な現象へ立ち向かうことができる御方です。どうか、ご自愛くださいませ」

「……そうさな。ところで、今日の昼餉はなんだ?」

「はい。以前、お気に召されたということでしたので御膳の方を」

「ほう。それは楽しみだ。「四種器(ししゅのもの)」は」

「勿論ご用意させていただいております」

「そうか。ならひとつ、追加してはもらえぬか」

「勿論でございます。それでは、何なりと」

 

「削り氷を、食後に持ってきてくれ。……おい、なんだ貴様その顔は?」

 

「あ、いえ……その。削り氷と申されますと……かき氷、ということですか?」

「ああそうだ。なんだ、何か言いたげだな」

「少々意外でしたので。それでしたら、すぐにご用意させていただきます」

「頼む」

「シロップ……いえ、何か味付けの方は」

「甘葛。不意に思い出したわ、詩人がそれを気に召していたのを。人の身を得た今、折角の機会だ。一度くらいは口にしてみたくなった」

 弦巻家の執事が深く頭を下げて童子切のもとを去る。

 

「……俺が甘味を食うのは、それほどまでに意外か?」

 なんというか、自分が付喪神であることよりも驚かれた気がした。

 

 

 

 香澄達が弦巻家の厨房を借りて、大いに、思う存分、好きなだけ。少々作りすぎてしまったかもしれない、と反省する程度には腕を振るった昼食の時間。

 

「……いやー、これやりすぎちゃった気がするね」

「ん、ん~……まぁ、ほら。アタシ達前もこんな感じだったし」

 沙綾の前には寸胴鍋一杯のカレー。給食かと思われても仕方ない量。

 そしてリサの目の前にもこれまた似たような材料で鍋一杯の肉じゃが。芋煮会か?

 だが、これを平らげるのはあのオカルトハンターだ。なんせ以前自宅にお邪魔して作った際は鍋一杯のカレーが一食で消えた前科持ち。

 はぐみ達ハロハピがこれでもかとコロッケだのメンチだのと揚げ物を担当していただけに胸焼け待ったなし。どうして誰も止めなかったんですか、という美咲の諦めの混じった恨めしげな視線からリサと沙綾は顔を逸らした。

 

「でもなんか、こうしてとんでもない量のご飯作ってると最初に出会った時のこと思い出すねー」

「あはは、そうですね」

 リサが昨日の出来事のように思い出す。大食いチャレンジをまさか十五分で完食した挙げ句賞金倍額にするとは思わなかった。

 

「なんだか懐かしいなぁ――」

 思えば、あの日。あの夜、あの森林公園で出会ったのがすべての始まりで切っ掛けだ。

 リサが自分の右手に視線を落とす。冗談だとばかり思っていた。夜の恐怖を紛らわせる子供だましだと思った。

 “魔除けのおまじない”は、ちゃんと効果があった。

 自分が怖い目に遭った時は、駆けつけてきてくれた。

 

 バイト帰りの夜道が怖かった時。

 狼男に出会った時。

 童子切安綱の命令で、鬼丸国綱に連れ去られた時。

 いつだって、怖いもの知らずのあの人が来てくれた。だけど、お別れが近づいてきていることだけは感じ取れる。

 

「寂しくなるね」

 ぽつりと、思わず口から出てきた言葉は紛れもない本心で。きっとみんなが思っている。

 その寂しさを紛らわせるうちに、きっと忘れちゃうんだろう。忙しいこの毎日で。夢を追いかける日々の中で。大切だった人のことまでも。

 ――あの人は、あんなにも傷だらけで、必死になって守ってくれたのに。

 それでも、それを望んでいる。笑って日々を過ごしてくれることを。

 ……そんなことができるはずがないのに。

 

「リサ?」

「……あー、はは。吹っ切りたいのに、やっぱ……アタシ……」

 目頭の熱さから、自然と雫がこぼれ落ちる。隣の友希那が少しだけ目を伏せていた。

 

「やだなぁ……! お別れ、したくないって……思っちゃうよ……!」

 あんなに優しく自分の気持ちを受け入れてくれて、その上で断られたのに。

 それなのに、そのはずなのに――それでもいいから、ずっとここにいてくれたらいいのにと、わがままばかり考えてしまう。

 

「……リサは優しすぎるわ。だからそんなに辛いのよ」

「わかってる、わかってるんだけどさ……! 止まん、なくって……!」

 湿っぽいのは嫌いだって言ってたのに。

 笑っていてくれって、言われたばかりなのに。

 友希那が、涙の止まらないリサの背中を優しく擦る。

 

「……うん。私もやっぱ、寂しいって思うかも」

「おたえ?」

「朝のジョギングしてる時に、野良猫まみれのエヌラスさん見るの結構好きだったから」

「……もしかして、ねこあつめの噂広めたのって」

「私だけど?」

 たえがあっけらかんと答えた。案外、犯人は身近にいるものだ。

 

「リサ先輩! やっぱり、エヌラスさんと最後にキラキラドキドキする思い出作りませんか!」

「えっ……でも」

「私たちだって、このままお別れなんて嫌です。でしょ、有咲!」

「そこで振るなよ……。でも、まぁ……何も恩返し出来てない気もするし、最後くらい……って、あ~……最後じゃないかもしんないけども」

 もしかしたら。

 本当に、もしかしたら――また、会えるかもしれない。

 そんな淡い期待をして、迷惑じゃないだろうか。

 あの人の足を、止めたりしないだろうか。

 あの人の決意を鈍らせたりしないだろうか。

 どこか遠くに行ってしまうあの人を、無理に引き止めることにならないだろうか。

 そんなことばかり考えてしまうリサに対し、こころだけは何が問題なのか、といった具合に首を傾げていた。

 

「そうだわ! その時は、みんなでエヌラスに会いに行けばいいのよ!」

「あー、また始まった。こころの無茶振りが……」

「あら、どうして? だって、エヌラスがわたし達に会いに来れたなら、きっとこっちから会いに行くことだってできるはずよ! その時が来たら、今度は向こうの人達にも笑顔を届けに行かないと! そのためのハロー、ハッピーワールド!だもの!」

「ハロハピも宇宙進出かぁー……」

「美咲ちゃん、完全に諦めてるね……」

「うん、なんかいつかそうなるんじゃないかと思ってましたからね……はは、宇宙飛行士の資格とかどうしよ……」

「ふぇ……でも、エヌラスさんだって無免許だし……」

「…………――そういえばそうでした」

 こころの一言には、流石に全員が面食らっている。そんな発想が、普通は出てこない。

 だけど。

 だからこそ、そんな突飛な発想が羨ましい。そしてそれが現実に起きている出来事なら尚更に。

 

 ――存外、おかしくなった世界も悪くないのかもしれない。

 そんなことを、泣いて、笑いながらリサは思ってしまった。

 あの人がそばにいてくれたら、怖いものなんてなにもないのに、と。

 だから、今度はこっちから会いに行こう。そんなことができるかはわからない。だけど、あの人と出会ってしまったのだから、きっと、いつか。

 わたし達の道標にして――笑顔を届けに行こう。

 湿っぽいお別れの、そのあとにでも。

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