――みんなで囲んだ食卓。賑やかで、華やかで、話題に事欠かない盛り上がりを見せる一幕。
そのはずだった。だというのに、全員が驚きに満ちて声を失っている。
総量にして見れば、この場に集まった全員が手掛けて作った量は数十人分にもなるはず。それぞれで主食副食惣菜に分担して料理をして、その結果として出来上がったのはカレーと肉じゃがと、なんか山のようなコロッケとメンチ。スープも作った。
それが何故か今、半分も残っていない。普通の女子高生の胃には少々重たいくらいだ。とてもじゃないが食べ切れるような量ではない。だというのに、それが凄まじい勢いで消えていく。
エヌラスの胃袋に。三十分程度しか経過していないというのに。
愕然とした。驚愕の一言。
白金燐子と宇田川あこの二人が監視を兼ねて派遣された結果、右腕の回路調整は済んだのかまだ少しぎこちないものの、スプーンを持つくらいはできる程度に回復している。
「ふんっ」
グサリと哀れなコロッケがスプーンに腹を貫かれた。爆弾のようなまんまるコロッケ、誰が作ったかは定かではないそれをエヌラスは遠慮なく頬張る。
左眼の治療はまだ終わっていないのか、閉じられたままだ。
確かにモカも他に比べれば食べる方だが、エヌラスの食欲は度が過ぎる。新調した包帯を巻いてはいるが半裸も同然の状態でまだ食べていた。
まかり間違っても病み上がりの胃に入る量じゃない。そもそも人間の胃袋の許容量を超えている。質量保存の法則もへったくれもあったもんじゃない。
エヌラスの左右に挟み込む形で配置された日菜とこころによる天文部ブロックも効果なし。目の前の皿を空にすることしか頭にない。
よほどお腹が減っていたのはわかる。理解できる、なにせ三日も寝たきりだったのだ。
「……エヌラスさん、食い過ぎじゃない?」
「食わなきゃやってられっかあんな無茶。はいおかわり」
食品廃棄ロスを無くそう。そんなスローガンをリサとモカは思い出す。この人に食わせたら全部解決する気がした。
「太らないんですか?」
「どんな量食ってもそれを上回る致命傷食らってたら太らないんだ。ありがとうございます、さー食うぞー」
彩は頭を抱えた。多分深く考えたら負けだ。
普通は致命傷を負わない。そして生きてない。ましてやこんな量食わない。何もかも矛盾しているどころかツッコミどころしかない。席の後ろで控えているメイドさんが底を尽きそうになっている白米にちょっと焦っている。
「百人前とか食いそう……」
「食うぞ、俺は。食わされたし。もぐふご……」
経験談が聞きたかったわけじゃない。しかも強制。
「えっと……なんで?」
「とある軍事国家のお姫様が馬鹿みたいな量の料理を作りました。そんな馬鹿げた量の飯を食えるやつが俺しかいなかったから拉致られた。拉致られた挙げ句置いてけぼり食らったので全部食った。それ以来ニッコニコで俺に招待状とか送りつけてくる。果たし状の名目で、ずずず……」
現在全戦全勝。いや勝ち負けどうこうではないのだが。
「失礼します。追加の料理をお持ちしました」
弦巻家の厨房では今頃コックが大忙しだ。パーティーを開催しているというわけではないのに。
執事が並べていく追加の料理は彩り鮮やかで、香澄達もエヌラスの食欲に尻込みしている場合ではなかった。
「エヌラス、とってもお腹が減ってたのね」
「ああ。そのおかげで飯が美味いったらねぇや。無限に食えるわこんなん、あーうめー」
美味しいと言ってもらえるのは素直に嬉しい。が、しかし。食い過ぎである。
その時不意に思い出したのか、エヌラスの左側に陣取っていた日菜がさりげなく取皿のコロッケを奪いつつ尋ねる。
「そういえばエヌラスさん、さっき部屋からすごい悲鳴出してたけど。あれって何だったの?」
「ああ。アレか。ちょっと燐子にいじめられた」
視線が殺到する燐子が顔を赤くしていた。
「い、いじめてません……」
「白金さん、何をしていたんですか?」
「エヌラスさんの……その、魔術回路の調整を……」
「キラキラしてて綺麗でした!」
元気よく答えるあこに、燐子も小さく頷いている。だが、それを聞いていた日菜が当然のことながら頬を膨らませていた。
「えーっ、いいなぁ! ね、エヌラスさん。アタシにもやらせて!」
「ダメ。ほとんど終わってるし」
「じゃあタバコ」
「それもダメに決まってんだろうが! むしろそっちのがダメだわ! っていうか日菜、さっき人のコロッケ盗らなかったか?」
「うん、美味しかったよ」
「悪びれもしやがりませんねこの日菜ちゃんは」
「じゃー。はいっ、アタシの分食べていいよ。あーん」
ちょっとからかうつもりで差し出したスプーンには半身のフライドエッグ。
「あぐっ」
エヌラスはそれを遠慮なく即座に口にした。
一瞬、食堂が静まり返るがエヌラスは何事もなく咀嚼すると飲み込む。
「ごちそうさん」
「…………」
それには流石に日菜も目を丸くして固まっていた。しかし、右側に座っていたこころはそうではないらしい。
「エヌラス、こっちのタコさんウインナーも美味しいわよ。あーん」
「もぐっ……」
「どうかしら?」
「ん、美味いな。それとこころ、ご飯粒ついてるぞ」
手を伸ばし、こころの口の端についていた白米を一粒取る。そのまま流れるように、当然といった動きで自分の口元に運んで食べた。
それを見ていた紗夜が顔を赤くしている。リサもスプーンを落としそうになった。それだけでなく当惑の輪が広がっている。
「……なんだよ」
「エヌラスさんって、その……結構大胆だよね」
「そういうこと、平気でしちゃうもんね~……」
「俺は腹が減ってんの! まだ食い足りねーの! そんだけ美味いの! わかったか! そしてさりげなく人のメンチカツ盗るんじゃねぇ日菜ぁ!」
「はいあーん!」
「おまえそれがしてぇだけだろうが! 俺は子供か!」
「おっきい子供みたいなものじゃない?」
悔しいが自覚がある。何も言い返せないまま、エヌラスは日菜の差し出すスプーンを咥えた。
「……あいつらは静かに食事もできんのか」
そんな賑やかな昼食の会話を一人、外で聞いていた童子切は御膳を平らげている。
ただしこれで五皿目だ。――現代の精米技術には驚かされるばかりである。
結果として、エヌラスがほぼ八割がた平らげたことで昼食終了。華の女の子の料理も形無しである。食うだけ食って、怪我の治療に専念して寝たいのが本音だが折角の休日を使ってまで集められたメンバー達にそれは申し訳がない。
そんなわけで、エヌラスは自分の治療の片手間に和気あいあいとした空気の片隅で引き続き回路の調整をしていた。
腕の感覚を確かめる。燐子に任せた部位は、特に問題なく稼働していた。身体に馴染むまでおおよそ一日程度必要であることはこれまでの経験で予測できる。と、なれば問題は左眼。
いまだに開くことの出来ない目蓋は銀鍵守護器官の自己再生がいきすぎたのか、癒着してしまっていた。
神経接続して間もない、時折痙攣する右手で医療箱から電極を取り出して今度は左手に接続する。こちらは回路に不調はあるものの、問題なく動く。
「………………」
「――――♪」
ただ、問題は別にあった。
団らんの輪の中から少し離れて、日菜がこれまた目を輝かせて見たことのない道具に興味津々。励起反応により浮かび上がる魔術回路に“るんっ”っとした視線を突き刺している。気恥ずかしさとやりにくさがあった。作業の邪魔をしないようにと黙っているのだろうが、逆効果だ。
仮にも、怪我人かつ病み上がりだというのになんで人の部屋でみんな勝手に盛り上がっているのか。病室ではお静かにってお医者さんに怒られたことないのか? それとも医者に言われたことがないほど健康的な生活をしているというのか、納得した。脱走常習犯としては肩身が狭い。なんなら担当した医者が匙をぶん投げている。
左手の魔術刻印、イタクァとの契約の証が明滅しているのを見てからエヌラスは深くため息をついた。魔術回路からの魔力供給がうまく手先まで伝達されていない。こうなると今度は左手側の回路調整が必要になる。しかし、生憎と右腕は調整したばかりで手元が狂う可能性があった。
「日菜。本当に、渋々、仕方なく、現状を鑑みた上で、お前に頼むんだが……回路調整、やってみるか?」
「いいの!」
「ぜってぇ変なことすんなよ、絶対だからな。フリでもなんでもねぇからな。俺の生死に関わることなんだからな。今からやり方教えるぞ」
「えー、あたしってそんなに信頼ないの?」
「してる上で任せるって言ってんの。俺だって他人に調整任せることなんて滅多にねぇよ」
エヌラスは燐子にしたように、同じように日菜に説明する。こちらは一発で覚えた上に乗り気で道具に手を伸ばしていた。肩口から始まり、徐々に指先に向けて魔術回路の調整をしていくがその手つきは熟練工を彷彿とさせる。ちょちょいのちょい、という言葉が似合う。
「はい、こんな感じ?」
調子を確かめる。まだ少し指先の調整が残っているが、それでも日菜の手がけた箇所は問題なく魔術回路が起動する。
「どう?」
「天才ってのはどうしてこう……」
ちょっと凹む。下手したら自分より上手いんじゃないかとさえ思ってしまった。
「残ってる場所もやっちゃうね。――ここはこんな感じ?」
「そういう感じでるんっとやってくれ」
「うん、任せて!」
――まさか任せてから三十分足らずで終わらせてしまうとは思わなかったエヌラスは割りと凹んだ。悔しいが、天才には敵わない。
エヌラスが大きく肩を回す。魔術回路の不調が整えられたことにより、左手の魔術刻印は問題なく反応していた。となると、残された問題の場所は左眼。だが、日菜は包帯をキツく巻いた胴体に視線を向けている。
「お腹の方とかは大丈夫なの?」
「ん? ああ、こっちはどうにでもなる。魔術と内勁で」
「ないけー?」
「氣功術の一種。クンフー。外気功と内気功って大きく二種類あってだな……」
「合気道みたいなもの?」
「……まぁなんか面倒だからそんな感じ。興味あったら自分で調べてくれ」
丹田に氣を込める。両手の指先を合わせて、手のひらの間に空間を作り意識を集中。それを日菜の目にも見える形で発剄。クトゥグアとイタクァ、そして魔道発剄による紫電が迸り、掌中に収まるのは視認できるほどのエネルギーの塊。
大きさは野球ボールほどになろう、魔力と氣力の塊を見て日菜がはしゃぐ。
「今見せてるこいつは、あくまでも俺の魔力貯蔵庫から両手を通して発現させてる。これをうまいこと丹田から全身に回して、身体の内部から治癒能力を高めるってのが俺の魔道発剄」
「これ、触ってみてもいい?」
「怪我するからダメ。女の子なんだからお手々大事にしなさい、はいおしまい」
「えーっ、もっと見たかったのにー」
霧散する魔道発剄の光球。それに日菜が腰に手を当てて頬を膨らませていた。
「でもエヌラスさんって本当に色々できるよね」
「戦うことしかできねぇよ。こんだけ色々やれても」
「それだけできても、お師匠様には勝てないの?」
「――ああ。勝てた試しがねぇな」
「じゃあ、本当にすごい人なんだ」
日菜の無邪気な言葉に、エヌラスは少しだけ口を閉ざす。
「……本当に。あの人はすげぇよ。性格は腐れド外道だが。師匠だったら、こんな怪我なんかしねーで邪神共蹴り飛ばせんだろうが、俺は不出来な弟子だからこんだけ地べた這いつくばって勝つのがやっとなんだよ」
だが、それでも。勝ちは勝ちだ。這いつくばって、足に縋って、引きずり落とせるというのなら――這い上がって、蹴落として、勝機が見出だせる。だから今日までなんとか生きてきた。
エヌラスが日菜の頭に手を置いてそのままゆっくりと撫で始める。
「――本当に。勝つのが俺の精一杯だよ。あのクソガキ共の時から」
「……うん、知ってる」
あの夜の惨劇を忘れるはずがない。
そして、人知れず。自分勝手な理由で戦って、傷ついて、倒れるほど追い込まれながらも邪神に勝った人のことも。
最初は本当に、好奇心だった。未確認生物が目の前にいるという絶好の機会。だが、真実はちょっと違った。
魔術師で、オカルトハンターで、ライブハウスのアルバイトだったり、霊能学の非常勤講師だったり、天文部顧問だったりしたけれども――そんな肩書なんかじゃなくて。
大好きなおねーちゃんに、よく似た人だった。
陽の光に翳された影のように、輝くことはないかもしれないけれど。
この人のそばにいると心が温かくなってしまう。
「あーあ。エヌラスさんのこと、なんとか引き止められないかなー」
「……、そう思ってもらえるだけで俺は十分幸せだよ」
「やっぱり行っちゃうんだ」
「当たり前だろ。まだやること残ってんだから。ほれ、左眼の治療するからみんなのとこ戻れ」
「見てちゃダメ?」
「恥ずかしいから戻れって言ってんの、ほれ行け」
「はーい。あ、じゃあエヌラスさん、耳貸して」
「なんだ?」
エヌラスが日菜に耳を寄せる。変にキスとかされるのではないかと勘ぐるが、そんなことはなかった。
(――あたし、エヌラスさんのこと大好き♪)
「…………」
「それだけっ」
そそくさと逃げるように日菜が遠ざかる。答えは求めていない、というように。
きっと日菜はわかっていた。
この恋は実らないことを。だから答えられるのが怖くて逃げた。
それを聞いてしまえば終わってしまうから。“解答”を得てしまえば、止まるから。
(……頭いいくせに、馬鹿なやつめ。俺だって大好きだっつーの)
それを断らなくてはならないこっちの気の重さも知らないくせに。
エヌラスはなるべく平静を保ちながら自分の左眼に左手を押し当てる。銀鍵守護器官の出力を引き上げて、左手と左眼の回路を接続。眼球に針を刺した痛みが走るが、それを維持。激しい血流の幻聴を聞きながら、押し寄せる魔力の奔流を手繰り寄せていく。
外部から直結させて回路調整を済ませると、左手を離す。あとは左眼の回路が馴染むまで置いておくだけだ。
――ただし、身体の調子が万全になるという言葉の意味を履き違えてはならない。
それは十全な戦闘能力を取り戻すことであると同時に、童子切安綱と雌雄を決するということなのだから。