一通り全身の魔術回路の調整が終わったことで、エヌラスは丹田に氣を込める。そこから剄道を通じて魔力を循環させていくことで全身の魔術回路の回復を促す。
精神統一。集中させた氣を魔力と融合させて精錬、内氣功による回復で魔術回路を整理していく。
力まず、あくまで自然体。
目蓋を閉じて指先を合わせる。胡座をかいた姿勢のまま、息を吸い込み、緩やかに吐き出す。
意識を己の内側に向けていく――ここまでやるのも久々だ。
銀鍵守護器官の不調そのものは仕方ないが、不思議とその痛みも引いていく。
エヌラスがベッドの上で精神統一をしていたが、窓から聞こえてくるカリカリと引っかく音に中断させられた。また童子切が用でもあるのかと右目だけで視線を向けると、そこにはまん丸肉球が見える。それと猫の鳴き声も。
なおーん、なおーん。開けてくれと鳴いている声の主に仕方なくエヌラスが窓の内鍵を外した。
そして、室内に入り込んできたのは見事な毛並みのメインクーン。だが、片目を怪我しているのか隻眼の老猫はベッドに着地してからもしばらく恐る恐るといった様子で身を伏せていた。
「…………?」
エヌラスは、何故かその猫に見覚えがあった。はて、俺の愚痴を聞いてくれるような野良猫にこんな立派な毛並みのにゃんこはいなかったはずだが?
室内を見渡し、伏せていた耳を立てて身体を起こすとベッドの縁から飛び降りて広い室内を小走りで進む。
老猫まっしぐら、メインクーンは何故か、湊友希那の前で座った。みゃおん。
「…………」
「わ、おっきいネコー。友希那に懐いてるみたいだけど」
「弦巻さんのお家の猫ちゃんなのでは?」
紗夜がこころに尋ねてみるが、首を傾げている。
「わたしのネコちゃんじゃないわ? でも首輪もしていないみたいだし、きっとお庭が広いからお散歩に来てくれたのね!」
「では……迷い猫、ということでしょうか」
「うーん。どうなのかしら? でもこの子、友希那の前から動かないわね」
「……湊さん?」
顎に指を当てて、友希那は眉を寄せていた。もしや、と思って声をかける。
「あなた、まさか…………将軍?」
しきりに左右を見渡していた。その動きはまるで友希那以外の人間がいることに少し困っているようにも見える。
「ねぇ、エヌラス。あのネコちゃんはお知り合いなのかしら?」
「なんでそれを俺に聞きに来るんだ、こころ」
「だってエヌラスはネコちゃんのお友達がたっくさんいるんでしょ」
「名もなき野良猫くらいしか知り合いはいねぇ」
みゃふーん。
仕方ない、といった感じで隻眼のメインクーンがため息をつく仕草をしている。なんとも人間臭い態度だが友希那の顔をジッと見上げて口を開いた。
「ドリームランド以外でこうして顔を合わせるのは初めてですな、ゆきな様。本日はお日柄もよく……」
「…………そうね」
平然と会話をしている友希那を取り除いて、わなわなと震えているリサ達。
エヌラスは枕で頭を覆ってベッドに寝転んだ。対ショック態勢。
『喋ったぁぁぁぁああああああっ!!!!!!!!』
大絶叫、鼓膜破裂待ったなし、肺活量がスゴイぞガールズバンド。窓がビリビリと震えている。
流石にそんなに驚かれると思っていなかったのか、将軍の尻尾がハンディモップもかくや、という程に膨らんでいた。
「ほっほっほ。皆様を驚かせて大変申し訳ありません、改めましてご紹介を。私は猫の街ウルタールの管理人の将軍猫で御座います。気軽に将軍とお呼びください。さて、ゆきな様。少々お膝をお借りさせていただいても?」
「え? ええ……かまわないけれど……」
「では失礼して……」
友希那の膝に飛び乗ると前足で太ももを整えてから身体をぐるぐると回し、良いポジションを見つけると膝の上で寝転ぶなり前足を閉じる。喉も鳴らしながら。
「いやぁ歳を重ねると身体を動かすのも一苦労でしてなぁ。にゃふぅ……」
「そ、そう……」
「わぁー、友希那さんにすっごい懐いてますねこの猫ちゃん! 将軍さん、撫でてもいいですか?」
「このような老体でよろしければ。あぁ、でもこの時期ですと少々抜け毛が気になりまして」
あこはすっかり猫の魅力に取り憑かれてしまったのか、喋るネコちゃんなんのその。早速そのモフモフを堪能している。
こういった時、真っ先に突っ走りそうな日菜が珍しく自重していた。友希那の近くだからか、というわけではない。その猫の街の管理人が一体何の用事で来ているのかということに首を傾げていた。
「あの、将軍さんは……どうしてここに?」
「ゴロゴロゴロ……はっ。思わずくつろぐところでした。にゃふん、実は私が此処に来たのはゆきにゃ様……失礼。ゆきな様より皆様に伝えていただきたいことがあったからなのです」
(ゆきにゃって言った。ゆきにゃって言ったぁ! かわいい~~……!)
「リサ? 話を真面目に聞いているの?」
「き、聞いてる聞いてる! うん、バッチリ!」
頬を緩ませているリサを注意する友希那だが、その手はしっかりと将軍の身体に添えられている。
エヌラスだけはベッドに腰を下ろしたまま魔道内勁で魔力を循環させていた。自分なりに静養に努めているのだが、如何せん集中力を使う。更に調整して間もない回路の不安定さが難易度を上げていた。とはいえこれを後に回すと更に時間を食うので、安定を待っている暇などない。
「はて、どこから話したらいいものか……魔術師の方もそちらにいるようですし、現在の地球がどれほどの脅威に晒されているかは聞いていると思います」
「ええ。最後の邪神がこの地球に迫っているということだけは」
「なるほどなるほど。では、その規模については?」
「……天体規模、とだけは」
「はい。その通りでございます」
将軍が目を細める。一見すると友希那の膝でくつろいでいるだけのように見えるが、やや間を置いてから話を続けた。
「そのサイズにして、おおよそ月と同等。その規模にまで膨れ上がった最後の邪神。“黒月の母”シュブ=ニグラスではありますが、最大の脅威となるのはその侵略速度です」
「侵略速度……?」
「そうですなぁ……例えるならば、病気のようなものです。身体に入り込んだ細菌が増殖するように、眷属を撒き散らしながら、星の生命を食い荒らしていくのです」
「既に地球にも数匹落下してきているみたいよ」
「にゃんと……!?」
驚きのあまり、言葉遣いに舌が回っていない。
「…………――大変に、申し上げにくい話ではありますが」
「?」
「ウルタールから観測したところ、その邪神はまだこの宇宙にすら辿り着いていないのです。着実に侵攻してきてはいますが……」
将軍猫が耳を畳んでいる。
「――冗談ですよね?」
「残念ながら、事実です。この宇宙の“ズレ”があまりに狭いことから、難儀しているようですが……」
「日菜。次の満月まであと何日かわかる?」
「んー、とね。十日くらい!」
それだけ時間があるならば、と胸を撫で下ろしたのも束の間。またもや将軍は言い出しにくそうにしていた。
「それは、この宇宙が滅ぶまでの猶予とお考えください」
「――――え?」
「人間一人分の隙間からあぶれた眷属が地球に飛来したというだけで、既に何十という犠牲者が出ました。その眷属によって形成される天体こそが、シュブ=ニグラスの恐ろしさです」
自然界に存在する蟻が塊となっていることがある。あの落とし子達は全て兵隊アリであると同時に働きアリだ。それが一つのコロニーを形成して行動を共にする。
尤も、この場合に指すコロニーとは居住地のことであり、その規模が桁違いであることだが。
昼食前に弦巻家の執事がエヌラスに持ってきた眷属の資料。そこに映っていたのは、その幼体。それが天体を形成するほどの総量で迫ってくる。ドキュメンタリー番組で撮影される昆虫の生態にさらされるのが人類ということだ。
ゾッとする。背筋が凍る思いだ。パニック映画さながらの地獄が想像に容易い。
「その邪神の本体は?」
「定かではありませんが……おそらくは、人間程度かと。それともう一つ、気の重くなる話ではありますが、報告しないわけにはいきません」
「ええ、かまわないわ。話してくれる? 将軍」
「ゆきな様……。はい、ではもうひとつ。これは私の古い知人、マヨヒガの猫又達から聞いたものであるのですが」
「マヨヒガ?」
「簡潔に言ってしまえば、ウルタール日本支部ですな」
「えっと……遠野物語の……?」
「博識なお嬢さんですな。ええ、そのマヨヒガで隠れ住む猫又達から聞いた話によりますと、すでにこの日本でも邪神の瘴気による影響が色濃く出てきている、とのことです」
そして、それらは既にエヌラス達の前にも出てきていた。
――付喪神の再臨。天下五剣の顕現だ。そうなってくると、いよいよもって童子切の言う鬼の復活が危惧される。
一転して、場の空気がどこか重くなった。現状、日本でそうしたオカルトが話題になっていないのは童子切達の顕現が強い証拠だ。
「……エヌラスさん。先程の眷属を、知っていると言いましたね? それならば、将軍さんの話してくれた内容も貴方は既に把握していたのでは?」
「そんなわけあるか」
「なら、貴方は何を知っているんですか」
「あの眷属。焼いて食うと美味いんだ」
………………焼いて。
食うと……………………美味い???
「俺が知ってるのは、そういうこと。その本体の邪神とか今回初めて相手する」
将軍も空いた口が塞がらない様子。こんな時に冗談を言っている場合ではない、と言いたいのだが果たして今の言葉が冗談なのか真実なのか定かではない。確かめる勇気を持っている人間もそうそういなかった。
「こ、こほん……とにかくですな! そうした状況を、重く見た我らの王が幾つか手助けをしてくれるそうです!」
「強引に話題逸らしやがったな、猫のくせに」
「黙らっしゃい。ふしゃーっ」
どうどう、と友希那がなだめるように将軍の毛並みを撫でる。長毛というだけあって実際の肉付は多くない。なんとなく指を沈めてみると、根本まですっぽりと毛に覆われてしまった。そして保温性能の高さにまるで湯たんぽのような温もり。冬の炬燵にも似た中毒性に驚く。
「ゆきな様、私の倅を覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。近頃はとんと見かけなくなったけれど、ロシアンブルーキャットの」
「左様でございます。あの者が、どういう縁か賢人バルザイの弟子にして息子の二代目と行動を共にしておりましてな……」
そこで将軍は一度だけエヌラスを盗み見た。まだ魔力の精錬中なのか、集中している。
「邪神の末席に名を連ねておりましたが、彼の願いは人類の守護。我らが王の慈悲によって、もう一度だけ戦う力を取り戻しました。時が来れば、彼をこちらへ連れてきます」
「……だ、そうよ。オカルトハンターさん」
「聞いてる」
死んでいなかったのか、と胸中で呟く。今度はこちらの味方をしてくれるようで心強い。
巴が難しい顔をしていた。いきなり難しい話ばかりがポンポンと出てきて、それを当然のように聞いている状況だが、まだちょっと理解が追いついていない。
「そのー、将軍猫さん? アタシから質問いい?」
「かまいません。どうぞどうぞ」
「えっと、その賢人バルザイ……? って人のー……息子さんって。どんな人?」
「おや? ご存知ありませんでしたか。はて……私の記憶違いでしたかのぅ」
ゆらゆらとゆっくり尻尾を揺らし、一度身体を起こして大きく伸びをすると再び友希那の膝の上で身体を回してからポジションチェンジ、再び座り込む。
「髪の長い、銀髪で……おお、ちょうどそちらのお嬢さんくらいの背丈の」
「……あこくらいの? 長い銀髪? ……、あーーーーーっ!!!!」
記憶を辿れば、該当者一名。巴が大声を出した。それには流石に蘭達もビックリしたのか身体を跳ねさせていた。エヌラスもちょっと精錬ミスった。
「あこ! るーだよ! るーのことだよ! その息子さんって!」
「えっ!?」
「そっか。そっかぁ……! はは、よかったぁ……! ホントに、心配してたんだ……! 何も言わないでフラッと、居なくなっててさぁ……!」
心底喜んだ巴の目尻に涙が浮かぶ。
生きていた。そして、帰ってくる。今度は、ちゃんと自分達の味方として。
オカルトハンターの先生みたいに、自分達を守るために帰ってきてくれる。
「賢人バルザイの息子でありますから、二代目賢人バルザイ、というのが彼の名前です。より正確に言ってしまえば、その偃月刀の付喪神ということになりますが」
「そんなのどうだっていいさ。おかしなの見慣れちゃったし!」
それには俺もカウントされてるんだろうな、とエヌラスは聞き耳を立てながら思った。
巴はそんなことよりも、思いのほかるーが早く帰ってくるかもしれないということの方が嬉しいようだ。
「我らの王が望むのは、共同戦線。頼めますかな、オカルトハンターさん」
「頼まれてやるよ。正直俺もそのことで頭を悩ませてたんだ」
思いがけない戦力の加入に、エヌラスも少しだけ肩の力を抜いた。
ただ問題は……あの付喪神が果たしてすんなりとその事実を受け入れてくれるかどうかだ。そこはあまり期待しない方がいいかもしれない。
「……で、香澄。おまえ具体的に思い出作りってなにかプランはあんのか?」
「はい! 全然考えてません!」
「素直でよろしい。減点」
「なんのですか!?」
というよりも――そんな一大事を前にして遊ぶことを考えていいのだろうか? テスト前の課題を投げて遊ぶのとはワケが違う。人類滅亡の危機が迫っているというのに。
なにかを言いたげにしている全員に、エヌラスは深く息を吐き出して魔力の精錬作業を中断した。ここまでやればあとは自己再生でどうにかなる。
「いいんだよ、そんな小難しいことお前たちは考えなくて。俺だって遊びてぇの! ちょっとくらい息抜きしてぇんだよ。残り十日しかねぇんだぞ。真面目に仕事なんかやってられっか。だからなんかキラキラドキドキ幸せバンド旅行プランでも考えてくれ。得意だろ香澄そういうの」
「エヌラスさんは行ってみたいところとかありませんか。日本の名所とか」
「知るわけないだろうが。大体俺にそういうデートプランとか任せないほうがいい」
「で、デート……そういうのもいいかなぁ、なんて……」
「馬鹿言ってねぇでさっさと考えてくれ。外にいる馬鹿の相手もしなきゃならないんだぞ俺は」
そういえばすっかり忘れていた。一人だけ蚊帳の外にしていたが、午後からは大人しく鍛錬に励んでいる童子切安綱のことを。
――正直なところ、エヌラスは将軍猫の持ってきてくれた情報に気が滅入っていた。自分が予想していたよりも早い段階で
おそらく、数日もしないうちに世界中でより凶悪なオカルトが息を吹き返すだろう。
(……本当。やってらんねーな、この仕事)
ベッドの上に身体を投げ出して、深く息を吐き出した。