エヌラスがこれみよがしに大きくため息をつく。身体を起こすなり、首を慣らしていた。
「とりあえず、俺は風呂入ってくる。身体の魔術回路の調整も上半身は終わったしな、残りは風呂で片付けてくる」
両足の辺りがまだ不調を訴えている。ここまでくると流石に万全を期しておきたかった。どうせあと一日はまともに戦えそうにないのだから。それを考慮しても、残すところ八日。
つまり、一週間しか残されていない。長いようで、短い日数。
ベッドから立ち上がって部屋を出ていこうとする後ろ姿に、日菜は首を傾げていた。
「魔術回路の調整なら、あたしが手伝ってあげるよ?」
「上半身の調整は、って言っただろうが。全裸になれってのかお前」
「…………」
「魔力精錬で汗かいたから、ついでにサッパリしてくる。ちょっとお風呂借りるぞ、こころ」
エヌラスは包帯姿のまま廊下に出て、すぐに執事に声を掛けている。その足音が遠ざかっていくのを聞いてから、日菜は少しだけ考え込む素振りを見せた。
「別にあたしは困らないんだけどなぁ……」
「や、流石にそれはダメっしょ」
素早いリサのツッコミ。だが、日菜はそれに何か不満なのか頬を膨らませる。
「えー、一緒にお風呂入るくらいいいと思うんだけど」
「あー……背中流すくらいならそりゃアタシも――」
しまった口を滑らせた。そう思っても既に遅い。時は動き出している。女の子の話題で大一番、これだけは絶対外せない定番――そう、恋バナの香り。ずいっと詰められ、るんっと目を輝かせて迫る日菜にリサは愛想笑い。
「も? も、って言ったリサちー! エヌラスさんと一緒にお風呂入ったの!?」
「いや、違くって!」
「えー、でもリサさん。あの日確かエヌラスさんにお持ち帰りされてたじゃないですかー」
「ちょっと黙ってモカぁ!!」
燃料投下。爆弾発言に湧き上がる室内。
友希那はそれとなく耳を傾けつつ、将軍の手入れされた毛並みをモフることに熱中していた。
とん、とん。
盛り上がる一室の窓を叩く音。それに気づいたのはたえだった。すぐに開け放つと、顔を覗かせたのは童子切安綱。昼食を終えてから今までずっと鍛錬に勤しんでいたのか玉のような汗をびっしりと流している。
「どうかしましたか?」
「いやなに、この屋敷の娘に一声かけておこうと思ってな」
「童子切、どうかしたの?」
本当に怖いもの知らずだな、と思いながらも有咲はそれとなーく聞き耳を立てていた。
「ああ、ちと風呂場を借りるぞ。汗を流しておきたい」
「すごい汗ですね。ずっと鍛錬を?」
「大したことなどしておらん。落ちてくる木の葉を切り捨てていただけだ、ではな」
童子切が窓を閉めて立ち去ったあとに「ん?」と、首を傾げる。
「どうしたの、有咲」
「……いや、さっきエヌラスさん風呂に行ってくるって言ってなかったっけ?」
「そういえばそうかも。でもいいんじゃない? 男の人同士だし」
「そりゃそうかもしんないけど……喧嘩にならないといいな」
「有咲もエヌラスさんのこと心配してるんだ」
「正直、人類がどうとか、宇宙が滅ぶとか言われても実感湧かないけど……」
ポピパの視線が集中するのは、喋る猫の将軍。友希那の膝の上でくつろぎ、すっかり野生を失ってお腹まで見せていた。それを一心不乱に撫でている『Roselia』のボーカルときたら、表情が真剣そのもの。
「……喋る猫まで出てきたら、いよいよもってって感じだしな」
「でも海外旅行の時だってエヌラスさん、すごかったよねぇ……」
「あ~……りみに言われて思い出しちまった。そういやあったなぁそんなこと」
あまりに衝撃的過ぎて、脳の処理が追いつかなくて忘れかけていた。だが、思い返せばあの時の出来事からずっとこの地球の危機だったのだろう。ハロハピの小旅行に巻き込まれた形で、さらに超常災害に巻き込まれて、邪神災害にまで巻き込まれて……、なぜ自分達が今でもこうして生きていられるのか、日常生活を送れているのか。
「……思い出作りねぇ」
「ねーぇーあ~り~さ~! 一緒に考えてー!」
「あ~……」
香澄はこうなると手強い。そしてなんだかんだ折れるしかない。
仕方なく思いながらも有咲は一緒に頭を悩ませる。
「――おお、そうでした。ひとつ伝えることを忘れていました」
喉を鳴らし、すっかりリラックスしていた将軍が思い出したように口を開いた。
「我らの王より、もう一人。万が一に備えてですが――凄腕の魔術師を控えさせている、ということです」
「それなら大丈夫そうね」
「そう信じて、我らの王も送り出す決意をしたのですが……扱いの難しい切り札と思っていただければ幸いです」
――弦巻邸・大浴場。
脱衣場で汚れた包帯を解いてからエヌラスはシャワーで汗を流す。それから、不意に自分の腕を嗅いだ。
そういえば、寝たきりだったので自分は汗臭くなかっただろうか。
(燐子とあこはともかく、日菜のやつは鼻が良いからな……)
今更だが、臭ってなかったよなとエヌラスは気にする。女の子相手に肌を許すのは別に減るものではないから気にしていないのだが。別に臭いを嗅いでいた様子もなかったから大丈夫だとは思うものの、不安になる。
なにせ日菜は魔術師でもないのに数式の暗号術式を解読しかけた。
残り少ない時間。自分にとって、彼女たちにとって。あまりに残された時間は少ないかもしれないが――その思い出作りに付き合ってあげよう。
自分の手を見つめて、拳を作る。壊すばかりの手かもしれないけれど、この手で何か形に残る思い出を残していこうとエヌラスは考えていた。
この地球に来てからというもの、本当に毎日が退屈しない。振り回されてばかりだが、賑やかで騒がしくて、本当に――平和で。
自分が求めて、手にしたかった日々が此処にある。
だからこそ、それを壊したくないと思ってしまった。
(……ぶっ壊すのは俺の専売特許だ)
遠い故郷のように、壊すわけにはいかない。神様の玩具になどさせてたまるものか。
脱衣場の戸を開けて入ってくる気配に、エヌラスが振り返る。今度は誰だ、日菜か、こころか、それともリサか? はたまた全員か、かかってこいこんちきしょう――などとちょっと身構えていたエヌラスだがその予想を遥かに裏切って、童子切が肩にタオルをかけていた。
「ん? 部屋に居ないと思ったら貴様も風呂か。そういえば寝たきりであったな」
「…………付喪神って風呂入って大丈夫なのかよ」
「俺の本体は刀の方だ。向こうが無事なら問題なかろう」
「……なぁ童子切。俺が寝てる間って、こころの奴がくっついてたんだよな?」
「なんだいきなり。そうだと言っているだろうが」
「俺、汗臭くなかったか?」
「そんなもん本人に聞け。貴様の血生臭さなど俺は知らん」
あーそうかよこの野郎。エヌラスが喧嘩を売ろうとしたが、慣れた手つきで隣のシャワーの蛇口をひねる。頭から熱湯を浴びて身体を流し始める姿に喉で止まった。
「なんだ人の体をジロジロと」
「……いや、お前シャワーの使い方わかんの?」
「頭から冷水を浴びせられるよりかは遥かに心地よい。俺は気に入っている」
「馴染んでんなー現代文明の利器に……」
使い方に関しては執事さん達に教えてもらったとのこと。最初こそ戸惑ったが、すぐに慣れたらしい。意外にも清潔感は大事にしていた。
「……正直なところ、俺は貴様を羨ましく思っている」
「は? なんだいきなり……」
「貴様の身体を見ればわかるわ。どこに行っても戦に事欠かさんのだろう?」
傷痕だらけの身体を見て、童子切はそう呟く。
傷一つ無い己の身体に、エヌラスはため息をつく。そんな頃があったのが酷く遠い昔に思えてならない。懐かしさどころか羨ましいのはこちらも同じことだ。
「戦ってばっかだよ。そんなもん、羨むもんでもないだろうが」
「貴様はそうでも、俺はそうではない」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。こんな生き方選んだのは他でもない俺だけどよ――」
深く息を吐き出してから、シャワーを止めて髪をかきあげる。
「――生きにくいったら、ありゃしねぇ。何処に行ってもな」
「…………」
――嗚呼、いっそ。俺と貴様が逆であったなら。
それはどれだけお互いのことが救われただろうか。
「はっ。見ればわかるわ、それくらい。おなごに囲まれなければまともに生活できそうにない奴が言えた義理か。満更でもなさそうなくせに、よく言う」
「なんだてめぇ喧嘩売りに来たのか、今日は特売日かちきしょう。無一文でも買うもんは買うぞ」
「……素寒貧め」
「言葉の意味は知らねぇが俺を罵倒する言葉ってのだけは理解した!」
「止めんか馬鹿者。風呂場で暴れるな」
なにやらぶつくさと文句を言いながらもエヌラスはバスチェアに腰を下ろしてタオルで身体を洗い始めていた。
「貴様は片腕が不自由してるのだろう? 背中を流してやろうか」
「親切にどうも、大きなお世話だ。お気遣いなく」
「なら遠慮なく流してやる。化けの皮剥がしてくれるわ」
「言葉の意味ちがくねぇ!? ちげぇよな!? 寄るんじゃねぇ!!!」
犬を追い払うような仕草でエヌラスは童子切を遠ざける。それから、残っていた部分の魔術回路の調整に集中した。それを邪魔しないように気を遣って童子切も自らの身体を清める。
「……おい、エヌラス。俺は今夜、少しばかり此処を離れるぞ」
「どこ行くんだよ」
「貴様が空けた大穴」
「正直マジですまんと思ってるわ……まだ悪霊とか寄ってきてるのか?」
「数は減ってきているがな。今で人っ子一人立ち寄らん始末だ」
そりゃ夜中に刀振り回してる不審者が出てる場所に普通の神経を持つ人間だったら近づかない。今でも弦巻家の財産を投げ売って復旧作業が進められている。
――烈光の邪神によって“行方不明”となった人数は、数十名。怪我人は数百名。ガス爆発事故で到底片付けられるようなものではない。被害総額だって相当のはずだ。
弦巻家には頭が上がらない。これだから金持ちは。
まだまだ問題は山積みで、片付けなければならないことは残っていて。
それでも、タイムリミットは無情にも迫ってきている。
――その後、風呂上がりに部屋へ戻るとすでに将軍は猫の街へ戻ったのかいなくなっていた。心なしか友希那がちょっと名残惜しそうにしていた気もする。
エヌラスは、あこにせがまれてマジックアイテムを見せて紹介したりもした。流石に実践的なアイテムを渡すわけにもいかなかったので、後日別なものを用意するとだけ伝えておく。
日が沈む前にその日はお開きとなった。しかし、香澄達ポピパだけはずっと頭を悩ませていた。最後の思い出作りのプランがまとまらない原因は時間的な都合によるものだ。当然それはポピパだけでなく、『Afterglow』も『Roselia』も。みんなが同じことを考えていたから。
その間も、エヌラスはなにか小難しい話を執事達に相談していた。それは、最後の邪神に挑むための下準備のことだった。
宇宙に行くために必要な乗り物といえば、シャトル。しかし既に現代ではスペースシャトルの開発も運用も終了している。ならもう少し手軽なものはないか、という提案に対しての解答は――無重力体験ツアーの活用だった。だが、エヌラスは最悪撃墜される可能性も考慮。乗組員、もとい操縦者の安全の確保を最優先とした。
最後の邪神、黒い月封神計画としては――小型飛行機による無重力飛行領域まで突入後、エヌラスがハンティングホラーで“黒い月”に向かう。飛行機の操舵はパイロットの安全面を考慮して自分で行うと言って聞かなかったが、無免許&弦巻家の札束というコンボで完封された。渋々といった様子でエヌラスは了承するしかない。おのれ、これだから金持ちってのは。
それとなしに、その予算が幾らほどになるのか尋ねてみる――交渉次第だが、ざっと見積もっても二百万程度らしい。なんだその程度か、とエヌラスは肩透かしを食らった。いや大金だが?