【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二二二幕 居場所

 

 ――夜。日没後、エヌラスは弦巻家の夕飯をやんわりと断った。理由としては、回復に努めたいからだ。昼食でちょっと人外の胃袋を見せつけてしまったというのもある。弦巻家がいかに大富豪と言っても節制(セーブ)しなければならない。料理は無料かもしれないが無料ではない。それが例え無償のオカルトハンターの賃金だとしてもだ。

 ……いや、まぁ、たしかにちょっと昼食は食いすぎたかもしれないが。執事がドン引きしてたし黒服もドン引きしてた上にメイドは「化け物だ……」とか呟いてた。聞こえてましたからねその一言。泣くぞ、ぐすん。

 

 病み上がりどころか、寝起きの一発目にまさか勢揃いで来るとは思ってなかっただけにどっと疲れてしまった。しかも魔術回路の調整も込みで。あまりに濃度が高すぎる一日が終わろうとしている、というのに。

 エヌラスの身体は、近づいてくる決戦の気配を感じているのか高揚感に包まれていた。

 日が沈んでから、童子切は宣言通りに弦巻邸を離れている。送迎の車を出すと言われていたが、自らの足で向かうと言って聞かなかった。童子切なりの気遣いだろう。

 

 夜空を見上げる。

 満天の星空の下、裏庭の青々しい芝生の上に寝転がってエヌラスは月を睨んでいた。

 

 “黒月の母”シュブ=ニグラス――その眷属は“黒山羊”として名を知られている。もっともそれは故郷の話。大体、焼いて食うと美味いという話も養殖の話だ。天然の眷属が美味いかどうかは知らないが多分美味いと思う。試す気にはならないが。というかどっから連れてきた師匠。

 

 ため息ばかりが口から出てくる。

 毎度毎度のことながら、“お別れ”というのは慣れない。それだけ未練がましいということだが。

 いっそ当人たちの口から「さっさと出ていってくれ」とでも言ってくれたらこちらとしても気兼ねなく戦いに赴けるのだが、どうしてか。

 どういうわけだか、みんながみんな。自分を引き留めようとばかりする。

 戦ってばかりで、人様に迷惑をかけてばかりで。心配ばかりさせているような男を。

 

(うーん、わからん。母性本能ってやつ? 俺ってそんな子供っぽいか?)

 そういえば日菜にも言われた。おっきい子供みたいだと。

 なるほどそれでリサのようなタイプが寄ってくるのか……、などと考えていたが、それはつまるところダメ人間である裏返し。いっそ開き直ることにした。

 バカは死んでも治らないが、生憎と死ぬ予定がないので一生バカをやるしかない。

 

 右目だけで見上げる月には、相変わらず亀裂が走っていた。そこから漏れ出した“落とし子”が地球に降り立っただけでも数十名。それが蟻のように地上を埋め尽くしたらあっという間だ。

 さぞ、この星は甘美な餌場に見えるだろう。

 ――ハロハピとポピパの海外旅行で起きた、あの酸鼻極まる地獄絵図が今度は世界中で起きようとしているのだ。それだけは、絶対に阻止しなければならない。

 

 飛行機の手配などは弦巻家に一任して、こちらは英気を養い、童子切と決着をつけて、そして将軍が連れてくるという二代目賢人バルザイに人類を託して、お別れだ。

 長いようで、短かった地球での生活も終わりを告げようとしている。

 

(恐ろしく居心地の良い場所なんだよな……あー離れたくねぇ)

 そんなことを思ってしまうから俺はダメ人間なんだな、納得。知らんがな。

 

「見つけたわ、エヌラス」

「んぉ? こころ……なにしてんだ、こんな時間まで」

 大の字で寝転がっていたエヌラスの顔を覗き込むのは、パジャマ姿のこころ。部屋を覗いても姿が見えなくなったので、探していたらしい。

 

「もしや今夜も俺のオフトゥンに潜り込むおつもりで?」

「ダメかしら? エヌラスと一緒だと、とってもぐっすり眠れるのよ。それに胸のあたりが温かくなって、とっても楽しい夢が見られるわ」

「俺に安眠効果があるとか初めて聞いたぞ……」

 そして俺の安眠を返してくれ。

 

「何をしていたの?」

「あー……まぁちょっと。夜風に当たりたくなってな」

「わたしも一緒にいいかしら?」

「あ、おい」

 止める前に、こころは既に動いていた。寝転がっていたエヌラスの左側に腰を下ろして、そのまま許可も取らずに腕を枕にして一緒に夜空を見上げる。どうせ止めても聞かない、知ってる。美咲の苦労が身に沁みてわかる。

 

「んー♪」

「はー……まぁいいか……」

 傍らの少女から伝わってくる温もりが、とても心地よい。人の気も知らずによくもまぁ無防備を晒してくれるものだ。それだけ信頼されていると思うことにして、エヌラスは月を見つめる。その様子が気になったのか、こころが身体を起こして顔を覗き込む。

 夜空に浮かぶ、黒い亀裂の走った月は見ているとこちらの神経をすり減らしてくる。だが、今。エヌラスの顔を覗き込んでくる月明かりのような金色の双眸は、とても心を和ませてくれた。

 顔に垂れてくる金色の髪も、左目の刀傷を撫でる指先も。鼻腔をくすぐってくる青臭さに混じって香るシャンプーも。

 

「エヌラスったら、また難しい顔してるわ」

「悩み事が多いんだ。お前と違って」

「あら、意外ね。わたしだってたくさん考えることあるわよ」

「例えば?」

「そうねぇ。う~ん……」

 唇に指を当てて、こころが考え始める。今考えるのか、等とエヌラスは思ったがそれだけ普段から悩み事があると思うことにする。いや絶対違うだろうけども。多分今考えているんだろうけれども――、不意に、こころの指が自分の唇に添えられてエヌラスは目を白黒させた。

 

「エヌラスのことをどうしたら笑顔にさせられるのかしら? だって、わたし達一回もエヌラスが楽しそうに笑うところ、見たことがないもの。とっても難しいわ」

「……そうか? そうだっけな……」

「ハロハピの七人目なんだもの。ちゃんと笑顔を届けなきゃダメよ、エヌラス」

「だから俺を巻き込むなっての……でも、まぁ。そうだな」

 この日本には。この世界には、この星には――自分の代わりに、世界を笑顔にしてくれるお前がいるから大丈夫だ。

 

「こころ」

「?」

「……ハロー、ハッピーワールドは、いい名前だな。俺は大好きだ。こんなこと言うと、ちょっと照れ臭いんだけどな。多分、ガールズバンドの中で俺が一番気に入ってる名前だ」

 キョトンとした顔を見せてから、はちきれんばかりの笑顔を見せてこころがしがみついてくる。エヌラスは気が気でなかったし、物陰から見守っていた黒服達も危うく駆け出すところだった。

 

「本当!?」

「ああ、ホントだよ。そんな世界になると良いな。みんなが笑顔になれるような、そんな楽しくてやさしい世界に」

 キラキラと、それこそ本当に目を輝かせてこころはますます強く抱きついてくる。エヌラスは抱きつかれたまま身体を起こして、足の間に座らせていた。

 

「だから、地球でみんなを笑顔にするのはお前に任せたぞ。こころ」

「もちろんよ!」

「俺は……、――俺は、ちょっと遠くまで行ってこないといけないからな」

 戻ってこれる保証はない。だが、行かねばならない。そんなエヌラスに向けて、やはりこころは笑顔でとんでもないことを言った。

 

「ええ、いってらっしゃい。大丈夫よ、寂しくないわ。今度はわたし達の方からエヌラスに会いに行ってあげるもの!」

「……お前とんでもねぇこと言ってんな」

「だって、そうじゃない。エヌラスが地球に来れたんだもの、きっとこっちから会いに行くことだってできるでしょ?」

 そう信じて止まないこころの目は、まるで星空のように輝いている。大きくて、まんまるで、きらきら星が散りばめられていた。見ているこっちの方が笑顔になってしまいそうなほど、底抜けに明るくて――その光から、エヌラスは目を背けてしまう。

 どうしようもなく自分が惹かれてしまうから。

 夜空の月を見上げて、ため息をこぼした。

 

「そうだな。その時は、俺の友達をみんな紹介してあげないとな」

「ええ、楽しみにしてるわね! ――そうだ、エヌラス。月にはうさぎさんがいるかしら?」

「今度行ってみた時にでも探してくるよ。会いたがってる人間がいるって紹介しとく」

 こころもエヌラスと同じように夜空に浮かぶ月を見上げる。

 すっかり身体を預けてリラックスしているこころだったが、まだ夜風が肌寒い季節だ。薄手のパジャマを着ているからか、くしゃみをひとつ。

 エヌラスは後ろから抱きしめて見下ろす。すっぽりと収まっている相手は、やはり笑顔のままだった。

 

「ほら、風邪引くぞ」

「エヌラスは寒くないの?」

「んー? こころがいるからあったかくてちょうどいいくらいだ」

「…………」

「……こころ?」

 じっと、エヌラスの顔を見つめていたこころが黙る。何を思ったのか、顔を近づけてきた。

 右眼に焼きついて離れそうにない、赤らんだ頬と慈愛に満ちた微笑みは止まることなく唇を奪っていく。

 ――エヌラスはその感触を認識した瞬間、一気に顔が熱くなった。

 慌てて引き離すと、こころの顔が真っ赤になっている。そして自分の唇に手を当てて驚いていた。

 

「な、なにすんだ……!?」

「――――」

 自分でもどうしてそんなことをしたのかわからない、といった様子で目を何度もまばたきさせている。だが、やがて小さく吐息をもらしたこころが笑顔を見せた。

 

「エヌラスの眼をもっと覗き込もうとしただけよ?」

「それは、別にいいんだけどよ……」

「いけなかったかしら?」

「……嫌とは言えねぇ俺の弱さが憎い。ほら」

 エヌラスは何度か呼吸を整えてから、こころに顔を近づける。

 自分の眼を見て、何がおもしろいのか――そう思いながらも見つめ合う。

 こころは体勢を変えて向かい合う形で座り込むと顔をぐっと近づけてくるが、鼻先が触れ合っていた。エヌラスとしては気が気でない距離で、息を止める。しかし、こころはそんなことはお構いなしに右眼を覗き込んでいた。

 自分の顔が赤くなっているのが手にとるようにわかる。夜風の涼しさでも冷めそうにない熱は、目の前にいるこころにも伝わっているのか耳まで赤くなっている。

 大きな金色の瞳に、自分の仏頂面が映っているのが見えた。

 

「――――――」

「…………♪」

 息を止めていられるのにも限度というものがある。だというのに、こころは一向に離れる気配がなかった。息を止めていることに気づいたのか、小首を傾げている。

 

「エヌラス? なんだか苦しそうよ、どうしたの?」

「……ぷはー、はぁ……息止めてたからな……」

「?」

「まぁその、なんだ……こころはいい匂いするから、嫌いじゃないんだ。ただ、あー……なんていうかな。本当はこういうことしちゃいけないんだからな、こころ」

「どうして?」

「どうしてってそりゃあ――」

 それは、好きな人にするべきことだからだ。と、言おうと思ったがどうせ好きだと言ってくるに違いない。エヌラスは自分の中で言葉を選び、口にした。

 

「そういうことを、男の人にはしちゃいけないんだ」

「好きな人でもしちゃいけないことなのかしら?」

「……おーっと、先手を打たれて困ったぞ俺。まいったな……好きな相手にはしてもいいんだ」

「? エヌラスのことは大好きよ?」

「だから俺はよぉ……なんで学習しねぇんだ……」

 そうだけどそうじゃなくて。物陰から見ていないで助けてくれ黒服。

 

「俺もこころのことは大好きだよ、眩しくて見ていられないくらいに。だけどこんなに身体をくっつけられると俺の心臓に悪いんだ」

「そうだったのね。ごめんなさい、気づかなくって。わたし、エヌラスと一緒にいるととってもドキドキして、この気持ちが大好きで、とーっても気持ちいいの! 他の人達からは感じたことのないこのドキドキをもっと感じていたいわ!」

「お前にそう思ってもらえるだけ、俺は幸せだよ。もう十分すぎるくらいに、良い夢を見させてもらった。もう少しだけ弦巻家にお世話になるが……」

「全然かまわないわ。エヌラスが居たいなら、ずっと居てくれてもいいのよ?」

「そうしたいけどなぁ。いや、流石に居候はちょっと……」

 んー、と。こころが何かを考える素振りを見せる。だが、すぐに何かを思いついたのかポン、と手を叩いた。

 

「そうね。エヌラスも自分のお家がないと困るわよね。でも、困ったことがあったらいつでもわたし達に言ってちょうだい。お手伝いしてあげるわ」

「……その時は、遠慮なく頼らせてもらう。さて、あんまり外で長話をしてると風邪を引いちまう。部屋に戻るぞ、こころ」

 エヌラスはこころの身体をお姫様抱っこで持ち上げると、すぐに首に手を回される。そのまま頭をぐりぐりと押しつけられてきた。

 

「ねぇ、エヌラス。今夜も一緒に寝てもいいかしら?」

「今夜も? まさかこころ、お前俺が出ていくまでずっと一緒に寝るつもりか?」

「ダメかしら? 絵本を読んでもらいたいのだけれど……」

「世話になっている手前、断るわけにもいかねぇしな……いいよ、わかった。絵本読むだけだからな?」

 笑顔の花束を抱いている心地になりながら、エヌラスはこころを抱きかかえたまま屋敷に戻る。一部始終を見守っていた黒服達も少々動揺しながらも、顔にだけは出さなかった。

 抱きしめて、自分が今、どんな顔をしているのかだけ。エヌラスは悟られないようにする。

 

 黒服は――、泣きそうな顔で、笑っていたオカルトハンターの横顔を見てしまった。

 こころからの優しさが、何よりも残酷な拷問であるかのように。

 

 

 

 ――月夜の下、街を駆ける鬼武者がひとり。

 天下五剣筆頭格、童子切安綱は毎夜悪霊達を切り捨てていた。エヌラスが空けたという大穴、その周囲は工事の重機などが停車させられており、その復旧に全力を挙げている。粉骨砕身の体で昼間は急ピッチで進められていた甲斐もあってか既に人が通れるほどに穴は塞がっていた。ならばなぜ、童子切はそこを“大穴”と呼ぶのか。

 

 地球には。日本には、地脈というものが存在する。そしてそれとはまた別に“龍脈”というものも存在した。

 大地に流れる気、それが流れる脈。その向かう先は“龍穴(りゅうけつ)”と呼ばれ、繁栄するとされる土地である。俗な言い方をしてしまえば「パワースポット」に近い。

 ならばなぜ、そのような場所へ悪霊がなだれ込むのか。

 本来であれば、繋がっているはずの“龍脈”が途絶えてしまっているからだ。それが自然回復によって繋がるまでの間、童子切安綱はこうして夜な夜な集まってくる烏合の衆である悪霊を祓い、清めている。陰陽道には多少なりとも覚えがある。それもまた、生前の武将から学んだものだ。

 

 だが、違和感を覚える。これまで多くの悪霊を斬ってきたが、今宵はやけにその数が少ない。

 これはどうしたことかと頭を悩ませていると、見覚えのある影法師がひとり。

 手には呪符。大柄な体躯に袈裟を着た仏僧が立って、なにやら呪文を唱えている。童子切はますます眉を寄せた。あれは間違いなく天下五剣がひとり、数珠丸恒次に他ならない。

 戻ってきたのなら、一声掛けてくれればいいものを――そう思ったが、何処に集合するかまでは伝えていなかったことを失念していた。とはいえ高名な仏僧の佩刀、与えられた神仏の加護は桁外れに多いはずだ。それならばすぐにでも察知することはできたであろうに。

 

「数珠丸、戻ったか」

「――――おお、童子切殿。お久しゅう御座いますな! いや、帰りが遅くなって大変申し訳ありませぬ。道草がてら現代の日本というものが如何様な物か見聞を広めておりました故に」

「物好きな仏僧め」

「ははは! こればかりは謝罪の一手に尽きますなぁ! して、そちらは?」

「ああ。なんのことはない。夜な夜な悪霊共を切り捨てるくらいよ。助太刀願えるか」

「無論、お任せあれ。相手が取るに足らぬ悪霊であれば、この程度一刻もかかりませぬ」

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