【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二二四幕 鬼の目に

 童子切安綱が立ち上がる。切った口の端の血を拭い、数珠丸恒次を睨みつけて。鬼火は鎮まり、あるのはただ静寂。胸中をよぎる虚しさに、しかし童子切安綱は己が太刀を構えた。

 武者上段──打ち下ろしによって対敵を断ち切り、討ち取る構えを見て、やはり数珠丸恒次は落胆した様子でため息をこぼす。

 

「……それほどまでに、人のためにだけ刃を振るうと申されますか。童子切殿」

「それの何が悪い」

「否。拙僧は、嬉しく思います。やはり貴方こそが、我ら付喪神の総大将たる器に相応しい御仁であると。しかしながら、その道……拙僧の屍を越えた先、全ての妖怪を敵にする覚悟がおありか」

「口にした手前、飲み込むわけにはいかんのでな」

「はっはっは! 武士に二言はない、と! やはり! ……しかし、この先の道はさらなる覚悟を要されますぞ」

「どの口でほざくか」

「……貴方も気づいておられるはず。西の都より漂う瘴気が、些かおかしなことに」

 数珠丸恒次は、玉藻御前を引き連れて戻る道中に言葉を交わした。意気投合、とまではいかなかったが、それでも互いに思うところがあった。

 日本妖怪としての己の在り方に、疑問をもったのだ。妖怪とは人の恐怖。姿形を与えられた怖れの在り方。それらは絵巻物として残されている。だが、なにかが“おかしい”と自ら悟っていた。

 

「玉藻殿もまた口にしておりました――自らの身体に何か違和感を覚えている、と」

「だから見逃したとでも?」

「拙僧も口八丁で人を喰わぬように説き伏せたことばかりは、褒めていただきたいものですな」

 童子切は構えを崩さずにすり足で数珠丸に迫る。

 

「玉藻殿は、西へ向かいました」

「なに?」

「なんでも鬼たちのことが気がかりとのこと。故に、拙僧だけがこちらへ先んじて」

「……貴様、それでもし玉藻御前と鬼たちが徒党を組んで人に害を成したらどう責任を取る」

「あいや、心配めされるな。日ノ本最強の付喪神総大将、童子切安綱殿であれば取るに足らぬ相手でしょう」

「それは……」

「おや。言葉を濁されますな? 例の悪鬼も、また世のため人のために尽力しておられる。ならば肩を並べて鬼退治をなされば宜しい」

「…………貴様、何を企んでいる」

「いいえ、なにも。拙僧はただ、世のため人のため尽くす限りで御座います。ゆえに、拙僧は正しいと思う行いと振る舞いを、ただ自らが信じる道を往くのみ」

 ゆら、と鋒が揺れた刹那、太刀が振り下ろされた。それを一瞥することなく、数珠を巻いた裏拳で弾くと開いた五指を腹に当てて打ち込む。背中まで突き抜ける衝撃に、童子切が後ずさった。法力を乗せた徒手空拳――それこそ、エヌラスの“魔道発剄”に通ずる技。

 

「ならぬならぬと、童のように駄々をこねなさるな童子切殿。良しとしたものだけを残せば良いのです。拙僧のような仏僧をひとり斬れぬようでは鬼退治など到底成せぬこと! 鬼の首魁、酒吞童子も我ら同様に人ならざるもの! 日ノ本最強の付喪神であると自身を誇るのであれば、不倶戴天の敵もまた日ノ本最強の妖怪と成り果てていてもなんらおかしくはない! 何故それに気づかなんだ!」

 ならば、と口にしようとした童子切が口をつぐむ。――ならば、なぜ共に立ち向かってはくれぬのかと問おうとして、その答えは数珠丸本人の口から聞いたばかりであることに気づいた。

 仏僧であるがゆえに、無益な殺生は好まない。それは人であれ、あやかしであれ。同じ国に生きるものとして平等に扱うからこそ。

 

「童子切殿。大典太殿が討たれたあの夜を覚えてるかと」

「……ああ」

「拙僧もあの日、貴方の招集に応えようと迷いました。ですが、静観に留めていたことは謝罪いたします。しかしながら、拙僧がいても結果は変わらなかったはず。なぜに、という疑問には、見極めるためとしか答えを持ち合わせておりませぬ」

 真に斬るべき敵が誰か。それを見極めるために、あえて身を隠した。そして事実、あの悪鬼は大典太光世を見事討ち破り、その後に人の身を案じていた。

 どうしても、数珠丸にはエヌラスが真に討つべき敵には思えなかったのだ。

 

「世を乱した輩が、かの悪鬼にあるとすれば当人がけじめをつけるべく動いている。それを一身上の都合で阻むなど出来ませぬ。貴方はこの国を守るために刃を振るえばよろしい。それでなお、同じ土を踏むことを許さざると言うのであれば、斬ればよいだけのこと! 拙僧一人斬れぬような御仁であれば、ここで手折れる他になし! 存分に、休まれよ」

 踏み込み、突き出される鋒を袈裟の袖で阻むと横から打ち出して軌跡を逸らす。蹴りが童子切安綱の顎を強烈に打ち上げ、身体が宙に浮いた。それを逃さず、肩口よりの体当てをぶちかまして地に転がす。

 激しく咳き込み、口の端より垂れる血を拭い、数珠丸を睨みながら童子切が立ち上がった。

 怒りに歪み、鬼のような形相で拳を作っている。血が滲み、滴るほどに力を込めて震えていた。

 

「それもならぬ、と仰るのであれば。やはり拙僧の屍を越えていただく他になし。何を良しとし、残すかは童子切殿の采配にお任せします」

「っ…………、数珠丸。貴様は、己が身を持って道を示すつもりか……」

「仏門とはそうしたもの。そして拙僧はそれ以外の生き方を知りませぬ。いやはや、我が身を振り返ってみても、これでは生前の仕手と何も変わりませぬなぁ! はっはっは!」

 数珠丸もわかっている。それは今の世にそぐわぬ教えであることを。だが、それを良しとした。

 なぜならば、自らもまた、この世にそぐわぬ存在であるからだ。何を迷うことがあろうか。

 教えを説き、生き方に迷うものの煩悩を拭い去り、道を示すというその在り方は――ただしく仏門の僧侶。

 

 童子切安綱は太刀を払い、鞘に収めた。そうして、やはり拳を作る。どうしたことか、と数珠丸が眉をひそめる。しかし、目を見開いた。全身が総毛立つ。

 どうしたことか、その拳が陽炎のように日を纏う。千年絶やすことのなかった鬼火を封じられてなおもまだ燻る炎があった。

 無造作に、童子切安綱が一歩。踏み出す。力強く、迷いのない足取りであった。

 

「なら俺は、俺の往く道を示そう。斬って捨てることなど出来ん……」

 怒りに燃えていた男とは思えぬほどの、静かな声。低く、だが透き通るように耳に届く。

 

「――数珠丸。俺は、お前の生き方を良しとする。ゆえに背負う。そして、俺は俺の道を往く。許せよ」

「然らば、拙僧。全力を持ってその道を阻ませていただく」

 一撃。ただそれだけだ。

 乾坤一擲――童子切安綱が拳を引き絞る。それが、凍りつくほどに恐ろしく感じた。

 鬼火を封じられ。緋色の髪は黒く染まり。力を失ったと言っても過言ではない、だというのにどうしたことかと、再三数珠丸は驚愕に満ちていた。

 己の法力に絶対の自負がある。それは、この地に生きる神仏からの(たまもの)。それを凌駕した“なにか”を童子切は有している。本人でさえ自覚していないであろう、それをただ一撃に込めた拳を防ぎきれるか否か。

 

「歯を食いしばれ」

 見誤った。その実力を、力量を。

 鬼を斬り、鬼に魅了され、鬼の在り方であろうとする御仁であるとばかり。だが違う、それは大きな誤りであったのだ。

 この付喪神は鬼を斬るより以前に、寵愛を受けている。

 あらゆる不浄を祓い清める陽の光。万物に分け隔てなく与えられる母なる太陽の慈愛――天照大神の加護。それは、神仏の加護の数などものともしない。

 

 数珠丸恒次は印を結ぶ。

 宙に浮かび上がるは梵字。仏の原典を辿ればサンスクリット語に至るは必然。だが、それを大和国で記した人物は誰か――かの聖徳王である。その佩刀であった七星剣、丙子椒林剣の二振りに勝るとも劣らぬ神通力、法力に全霊を込めた防御陣。

 妙法蓮華。白い蓮の華が開く。

 それを、拳一つで打ち抜く腹積もりか。童子切安綱は足を開き、大きく腰を落としながら全霊の一撃を放った。

 愚直なまでに一直線。己の正道を示す、正拳突き。だが陽を纏う拳を一度は防ぎ得た『妙法蓮華』がひび割れる。

 

(、――! これほどのものとは、拙僧の見立てが甘かったか!)

 後退り、だがそこで踏みとどまった。数珠丸恒次は、仏の教えを打破するに至らぬと見た。

 

「――お、ぉぉっ、ああああああッ!!!」

「なんと――!?」

 童子切の拳が、妙法蓮華の白い花弁を散らしていく。

 

「南無!」

 法力を込める。仏の加護ぞあれ、と。これを凌がねば、妖怪達に未来はない。今の世にあって、なぜ許されぬか。御仏の慈悲は分け隔てなく与えられるものではなかったのか。

 

 数珠丸恒次が童子切安綱の拳を押し返そうとした、その瞬間――光を見た。

 朧気ながら、浮かび上がる人影に刹那、意識を奪われた。

 その口が、言葉を告げる。自らの銘を名乗り――。

 

「……貴方様は」

 そして、その好機を見逃す武芸者はいない。童子切は全霊を持って、妙法蓮華の白い華を真正面から拳ひとつで打ち砕いた。

 赤い篭手から血が滴り落ちる。痺れる痛みも、骨にまで達しているだろう。だが構わぬ。その程度の痛みでこの足を止めるわけにはいかない。

 俺の道を、俺が行かねば誰が行く。

 残心より今一度、拳を構えて童子切安綱が数珠丸恒次へ向けて全力で殴りつけた。

 

 砲声にも似た衝突音が夜の街に響く。胸板に叩き込まれた衝撃は背面から突き抜け、重機を震わせた。あまりに低く、静かな慟哭に見送られて数珠丸の口より血が吐き出される。

 

「――――――…………、は。はっはっ……いやぁ……まいり、ましたなぁ」

 打ち込まれた拳は深く胴体に沈み込み、袈裟を打抜き、法衣を破り生身を打ち抜いていた。致命傷に、しかし数珠丸恒次は恐怖はない。

 

「よもや、拳一つで拙僧の法力を上回るとは……まっこと……困った、御方だ」

 笑うしかなかった。ずるりと自分の身体から引き抜かれる異物感に数珠丸の口腔より、さらに血が吐き出された。だが、それでも膝をつくことなく、立っている。合掌の手を止めずに。

 ついぞ、一太刀も抜くことなく数珠丸恒次は付喪神としての生を終えようとしていた。他ならぬ天下五剣筆頭格、童子切安綱の手によって。

 

「……悔いはあるか、数珠丸恒次」

「いいえ、なにも。有るはずが御座いません。良き縁に恵まれた。今の世を、この眼で見ることが叶いました――……感謝、致します」

 深く頭を垂れる仏僧に、しかし鬼武者は涙一つ流すことはなかった。

 数珠丸は下げ緒をほどき、腰に下げた太刀を差し出す。童子切はそれを言葉なく受け取り、空いている右の腰に佩いた。

 それを見て、数珠丸恒次は破顔する。逃れられぬ死を前にして、薄れゆく身体の感覚に寒気を覚えながら。

 

「童子切安綱殿……後のことは、任せましたぞ……」

「……俺が妖怪の尽くを誅殺するとしてもか」

「それが人の世のためならば」

「先刻までの言葉はどうした」

「……いやぁ、はっはっは、拙僧もまだ未熟ですなぁ。今際の際に、己の過ちに気づくとは」

 最期に、数珠丸恒次は法力を用いて童子切の左手首に巻いた数珠の効力を打ち消した。

 

「――笑う門には、福来たる。拙僧、気に入った言葉があります」

「言ってみろ」

「春の嵐のような、あの娘達が言っていた合言葉。はっぴー、らっきー、すまいる……実に、良き心地でした」

 言葉の意味を問い、その答えに。やはり今の世も捨てたものではないと数珠丸は思ったのだ。

 妖怪は、人の恐怖。付喪神もまた妖怪であるならば、人の恐怖を良しとする己の考えこそは世にそぐわぬ考えであったのだ。だがそれでも、妖怪に救いの手を差し伸べるのは他ならぬ己の“顕現した”意味であると、数珠丸は信じて疑わない。

 

 童子切安綱は、言葉もなく数珠丸恒次の横を通る。崩れ落ちる音もなく、人の気配が途絶えた後になって、立ち止まって空を見上げた。

 鬼が泣くわけにはいかない。俺が涙を流すわけにはいかない。背負うと決めたのだ。

 皆の上に立つ己が、この程度で揺らぐわけにはいかない。

 

「…………」

 夜空に浮かぶ月が、笑っている気がした。視線を外して、童子切安綱は歩み始める。

 空模様を見れば快晴の兆し。雲ひとつない空であっても胸中が晴れることはなかった。

 不意に、夜風が吹いた。肌を撫でる薄ら寒い風に混じって何かよからぬ気配が近づいていることだけは確信している。

 

 

 

 ――翌朝。

 

「う、お……!?」

「…………」

 いつも通り短縮授業の学校へ登校しようとしていた市ヶ谷有咲だったが、石段に腰を下ろしていた仏頂面の童子切安綱を見つけてしまった。思わず声が出てしまったものの相手は億劫そうに一瞥してそのまま視線を外す。

 初めて見かけた時もそうだった。こうして陣取り、仲間に言われて道を譲っていたものだが――今はひとりしかいない。その背中がどこか物悲しげで、寂しそうだったから、つい声を掛けてしまった。

 

「……な、なにしてるんですか……?」

「別に、何も。ただここからの見晴らしが良いというだけのこと」

「そ、そっすか……っていうか、刀持ち歩いてて通報されたりとか……」

 周囲を見渡してみても誰もいない。こんなところを見られたらご近所さんから何を言われるかわからない。変に悪目立ちなんかしたくないし、昨夜は香澄の長電話に付き合わされてまだ眠気が残っていた。

 ふと、有咲は童子切の腰に下げている刀が増えていることに気づく。

 

「……刀増えてる?」

「昨晩、数珠丸恒次を討ち取った。ちょっとした食い違いでな」

「……それだけで仲間討ち取るとか洒落にならねぇ」

「俺もそこまでする気はなかったが、他に道はなかった」

「…………だから落ち込んでるとか?」

「気落ちするな、という方が無理な話だ」

 意外だった。ちゃんと落ち込んだりするのか、と。

 

(なんつうか、思ったより怖い感じじゃないのか……?)

「なんだ」

「あ、いや……なんか、ちょっと警戒して損したっていうか……」

「ふんっ。別に貴様を取って食おう等と露ほども考えておらんわ。ただまぁ、今日は少しばかり嫌な予感がしている」

「い、嫌な予感って?」

 童子切が立ち上がり、空を睨んでいた。

 

「?」

 有咲が見ても、そこには晴れ渡る青空があるばかり。少しばかり雲があるし、風も出ている。だが太陽の日差しのお陰で暖かい。過ごしやすい時期ではあるが――。

 

「用心するに越したことはない」

「はぁ……」

 生返事を返して、有咲がそそくさとその隣を通り過ぎようとした。面倒が向こうからやってくる前にさっさと学校に行ってしまおうという魂胆である。

 

「あーりーさー! おーっはよー!」

 だというのに、面倒が向こうからやってきた。

 空を仰ぐ。

 

「……あー、めっちゃいい天気」

 こう空が青いと走り出したくなる気持ちもわかる気がした。

 どっかのオカルトハンターのように。

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