【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二三十幕 鬼斬の因縁

 

 童子切安綱の体躯より、熱が奔る。それは春風に乗って、道路を駆け抜けていく。

 陽炎に揺られながら鬼丸国綱の柄頭に置いていた手を離した。拳を形作り、ただ天へ向けて全霊の咆哮を捧ぐ。一度限りの鬼哭啾啾――悲しみに暮れる己の弱音を吐き出した。

 大気を震わせ、ショーウインドウを振動させる。

 獅子吼の如く、目蓋が涙に黄昏るよりも先に目を覆う。

 もはや、迷うまい。何も恐れることなどない。他ならぬ本人の口から、心の底から信頼を置かれたのだ。不義理を果たしては面目ない。

 

 涙の跡を鬼火で乾燥させて、前髪をかき上げて童子切安綱は真紅の髪を怒りで逆立たせて酒吞童子を睨みつける。

 

「――往くぞ、者共」

 太刀を振り払う。空気に触れるだけで火の粉が舞うほどに熱を帯びている。それは、童子切安綱の怒りだ。不倶戴天の怨敵を目の前にした怨嗟の炎。重ねて、“兄弟”の肉体を器にした酒吞童子へ対する尽きることのない憤怒の炎だ。しかし、その色に一切の暗さはない。

 酒吞童子は、その顔を笑みに歪ませていた。対敵が日本最強の付喪神であるというのなら、己は日本最強の大妖怪として君臨したという自負がある。それは、間違いようがない。自分がどのような形であれ復活を遂げたのだから。

 千年前のような不覚をとるまいと、人間も酒も断った。己を突き動かすのは、ただ憎悪だけだ。

 

「“者共”? ああそうか、童子切安綱。貴様はその腰に下げた太刀を仲間と呼ぶのか! 残るは貴様ひとりだけだというのに、片腹痛いわ!」

「ひとりで嗤っていろ、酒吞童子。これより先、貴様の戯言に耳を傾けるつもりなど微塵もないのでな」

 童子切安綱が太刀を担ぐ。武者上段の構えに酒吞童子は嗤っていた。

 

「ああかまわぬ! オレは構わぬ! 源氏は滅び、平家もおらん今の世に復活を遂げたところで行く宛もない! あるのはただ貴様に対する憎しみだけだ。恨みだけだ、このオレを突き動かすのは素っ首を断ち切った貴様を手折るくらいのものだ! そのためならば異国の神であろうが、異界の神であろうが、異形の神であろうが、なんであろうが知ったことではない! “黒月の母”? 邪神? それがなんだ、神も仏も恐れて鬼を名乗れるものかよ――」

 太刀が揺れた、次の瞬間。

 彼我の距離を詰める炎の斬撃が酒吞童子を間一髪、掠めて地を舐めた。一瞬、反応が遅れていれば頭蓋より断ち割られていたであろうことは明白。

 アスファルトを黒く焦がし、それどころか溶解させるほどの熱量を込められていた一閃に肝を冷やしたのも束の間、音もなく間合いを詰めてきた童子切安綱に向けて酒吞童子が鉄剣を振るう。

 

 あろうことか。

 童子切安綱は、その刃を篭手で受け止めていた。粗末な鉄剣では断ち切れぬと判断したのか、見向きもせずに。

 鬼火で切断力を増しているはずの鉄剣は事実、篭手に浅手を負わせてびくりともしなかった。目を凝らせば、そこには一枚の札を噛ませている。数珠丸恒次より譲り受ける形となった左手首の略式数珠が淡く輝いていた。

 

 刀を振るうにはあまりに近い、酒吞童子が距離を離そうとする目と鼻の先で童子切安綱は――太刀を放り捨てた。

 

「――は、?」

 正気を疑う酒吞童子に、しかし、鉄剣を打ち払った篭手が胸ぐらを掴みあげる。

 固く握りしめられた拳の指の隙間から溢れる熱が炎となって拳を覆う。

 酒吞童子の顔面に、強烈に打ち込まれた拳を振り抜く。爆炎と共に道路を鞠のように転がった身体は車道に乗り捨てられた自動車に受け止められて止まった。

 首がへし折れる程の威力に、しかし酒吞童子は絶命せずに済んでいる。首の骨を鳴らして戻すと、揺れる視界に童子切安綱を収めた。

 

 地を踏み鳴らして打ち上げた太刀をつかみ取り、走るでもなくただ歩いて間合いを詰めようとしている相手に、鼻を鳴らす。

 馬鹿めが、と胸中で煽りながら自らの身体を受け止めた自動車を掴み上げて酒吞童子が投げ放つ。横殴りに向かってくる車両の影に姿が消えたのを見計らって、酒吞童子は鉄剣を振り上げた。

 

 意趣返しと言わんばかりに、暗く青い鬼火に稲光を載せて大きく振り上げた凶刃を打ち下ろす。それは車両もろともに童子切安綱を爆炎の中に呑み込んだ――はずだった。

 だが、足音が止まることはなく。それどころかその力強く、迷いのない足取りは確実に自分に向かってきている。

 黒煙と爆炎の中から童子切安綱が姿を表す。一切の無傷。憤怒に染めた表情のままに、太刀に炎を纏わせて歩み寄ってくる。

 

 全身が総毛立つ。悪寒が背筋を駆け上がった。――恐れる? 大妖怪たる、鬼の首魁たるこのオレが? 付喪神を?

 酒吞童子が、顔を怒りに歪ませる。童子切安綱に対してではない、一瞬でも恐れを抱きそうになった自らの弱さにだ。

 

「――巫山戯るな、なんだ貴様はぁ!!!」

 驕りなどではない。侮ったつもりもない。だが、明確に身をもって叩き込まれた実力差に酒吞童子が不可解さを込めて吠える。

 鉄剣を青い鬼火で包みながら、歩み寄ってきた童子切安綱へ振り抜く。その刃へ合わせて太刀を振るい、軽く甲高い金属音を鳴らした。

 鉄を折ったような音に酒吞童子が軽くなった手応えを感じ、鉄剣へ視線を向ければ半ばより断ち切られている。空虚な音をたてて、破片が道路に落ちた。

 

 返し刃が閃けば、酒吞童子の身体を袈裟斬りにする。遅れて、距離を引き離そうとする姿へ向けて八丁念仏。童子切安綱が左手首の数珠を鳴らして投げれば、それは蛇のように酒吞童子に飛びかかった。

 互いの左手首を捕らえて、数珠が鳴る。締め上げるような痛みに顔を苦痛で歪ませて、童子切安綱を睨みつけていた。

 

「どういうことだ、何が起きている。貴様とオレは、対等のはずだ! 違うかぁ! ただの付喪神のはずだ、貴様は!」

「ああそうだ。俺はただの付喪神だ。俺の命も誇りも存在価値も、全てこの太刀一振りに他ならない」

 鬼火に包まれた太刀、それこそが童子切安綱“張本人”であり、本体だ。人の身体、人の器、人の形を得ているのは付喪神としての顕現に他ならない。だが、酒吞童子にはそれが解せなかった。だからこそ、この実力差に納得がいかない。

 

「貴様の眼に、俺が独りで戦っているように見えているのなら勘違いだ」

「勘違いだと――!?」

 

「貴様一人で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――」

 酒吞童子はそこで、己の勘違いにようやく気がついた。

 童子切安綱は一人だが、孤独ではない。腰に帯びた太刀、いずれもが日本に名を知らしめる天下の名刀。故に、その総てを束ねられるだけの器量が求められる。

 天下五剣筆頭――それ即ち、付喪神総大将を意味していた。

 自らの手首を戒める、忌々しい数珠を見れば自ずとその力が数珠丸恒次にあることは察しがつく。その力を童子切安綱が扱えるということに、気づくべきだった。

 今、自分が相手にしているのは天下五剣四振りに相当する化け物なのだから。

 

「おォ、のれぇぇぇええええっ!!」

 酒吞童子が自分の左手首を手刀で切り落とす、数珠の呪縛から逃れて、周囲を見渡すと店の中から様子を窺っていた人間を見つけた。

 もはやなりふり構っている暇など無い。人間を喰らってでも――! 行動を起こした酒吞童子に対して、童子切安綱の対処は更に早かった。

 

 ひらり、と舞い踊った一枚の札。薄っすらと輝くその表面に描かれていたのは、晴明紋。五行を示す星の印による障壁に身体をぶつけて酒吞童子が道路へ転がり込んだ。

 

「っ――!? 今のは……」

「……貴様の間抜け面を見ていてな。ひとつ思い出したことがある。そういえば、俺の仕手と交流のあった陰陽師がひとりおったな。名前をなんと言ったか……?」

 はて、と。わざとらしく考え込む素振りを見せる童子切安綱に対して、言いしれぬ怒りを覚えた酒吞童子が立ち上がり、左手を再生させながら爪を伸ばして駆け込む。

 怒りに身を任せた連撃に「おおっ」とこれまたわざとらしく童子切安綱が思い出した。そして酒吞童子の顔面に裏拳を叩き込んで吹き飛ばす。

 

「思い出したわ――確か、()()()()だったか。俺はいけ好かぬ奴だったがな」

 童子切安綱は身体をよろめかせて再三立ち上がり、この場から逃げ出そうとする酒吞童子に向けて大股で歩み寄っていく。

 

「酒吞童子。貴様、千年前に己が口にした言葉を憶えているか? 俺は憶えている」

「なに、を……そんなもの憶えているはずがあるか! このオレにあるのは貴様に対する憎悪だけだ!」

「そうか」

 恐ろしく、冷たい声だった。感情を欠いた声と共に、童子切安綱は酒吞童子を間合いに捉える。

 無構え――太刀を下げたまま、童子切安綱は鬼火を絶やすことはなかった。

 

「貴様に、日本の大妖怪としての誇りは無いのか?」

 まるで哀れむような問いに、酒吞童子は眉を引きつらせる。

 

「あると思うか――? 貴様を討つためならば、そんなもの酒の肴にでもして飲み下してやるわ」

「…………、そうか」

 童子切安綱の太刀より、鬼火が消え失せた。蝋燭の炎のように、ふっとかき消えたのだ。

 

「――俺の信じていた酒吞童子は、やはり千年前に死んだのか」

 天を仰ぐ。青空に視線が逸れた矢先に、酒吞童子が貫手で童子切安綱の心の臓をえぐり取ろうと動く。

 

 ――だが、童子切安綱の太刀は速かった。風切り音すら残さず、太刀が閃く。

 突き出された腕を下から断ち切り、上段に担ぎ直して力任せに叩き落とす。踏み込んだ足がアスファルトを蜘蛛の巣状に割る程の勢いで打ち込まれた太刀は酒吞童子の頑強な鬼の肉体を斬り捨てた。

 袈裟懸けに断ち割られた身体を前蹴りで転がすと胸板を踏みつけて鋒を眼前に突きつける。

 

「……俺はな、酒吞童子。貴様の在り方が羨ましかったよ。千年前のあの夜、頼光公を激しく罵ったではないか」

 “神便鬼毒酒”によって身動きを封じられた鬼達が、頼光四天王の手で討ち取られる様を目の当たりにしながらも、血涙を流して酒吞童子は口にしたのだ。

 

「“鬼に横道はない”と。他ならぬ貴様の口が言っていたのを俺は憶えている」

「――だ、が。あの時の貴様は、ただの太刀だったはずだ! 憶えているだと? 付喪神になる前から貴様は“記憶”していたのか!?」

「ああそうだ。あの頃は語る口を持たなかったがな。俺の声を聴いてくれたのは、“母”と呼べるあの御方だけだったのだ――」

 

 “童子切安綱”という銘を与えられるよりも以前、鬼を斬った。時に刀剣というものは、名を変える時がある。膝丸や髭切がその例だ。

 かつての天下五剣筆頭は、名を改めるより以前は妖刀の如き銘を与えられていた。だからこそ表舞台に名を挙げられることはなかったのだ。そのような刀は、陽の光の下に出るべきではないとされて――だが、それこそを気にかけた神が告げたのだ。

 天照大御神。鬼神・大嶽丸を討ち取った坂上田村麻呂より幼き童子切安綱を引き離した張本人。

 識っていたのだ。鬼を斬ったその時から、鬼狩りの使命を帯びた太刀であることを。

 

「千年来の因縁、その決着をつけるのを心待ちにしていたのは俺も同じことだ。だが許せ、酒吞童子。俺は、おまえなんぞよりも斬り甲斐のある鬼を見つけた」

「っ……童子切、安綱ぁ!!!!」

 その眼に、その黒き目に憎悪と憤怒と怨念を込めて酒吞童子が振り上げられた太刀を睨む。

 

 ――陽の光に照らされた太刀が、鬼の首を刎ねる。道路へ転がる生首に、童子切安綱は一瞥もやることなく残された身体が崩れ落ちていくのを見届けた。

 

 血振りを行うが、その太刀には鬼の血など一滴も残されていない。悔恨の涙など、一滴一滴も流すことはなかった。

 背負うと決めた。気負うと決めたのだ。みなのために。

 付喪神総大将として。

 

 童子切安綱が太刀を収めて、鬼一法眼の気配が消えた羽丘女子学園の様子を見ようと背を向けた直後――酒吞童子の生首が断面より黒煙を吹き出して飛頭蛮のように空を飛び、牙の生え揃った口を耳まで裂きながら童子切安綱に迫った。

 

「馬鹿が――」

 静かに侮辱の言葉を吐き捨てて、太刀を抜く。

 起死回生の一手も虚しく、酒吞童子の生首はその額を鬼丸国綱によって貫かれて止まっていた。

 

「頭の中身は千年前より衰えたな、酒吞童子」

「ゲ、ガ……ギ……ィ……!!」

「言ったろう。俺はお前を憶えていると。千年前も頼光公にそうして食らいついたのを、俺が忘れたとでも思っていたか? ……今度こそ終いだ。二度と出るなよ、鬼畜生」

 鬼丸国綱の刀身を、蒼く清浄なる雷光が奔る。

 両手で柄を握り、更に赤く熱い鬼火が奔った。

 童子切安綱自らの体ごと飲み込む火柱に呑まれて、酒吞童子は灰すら残さず塵となって消え失せた。その熱量たるや凄まじく、アスファルトがガラス状となっている。

 太刀を収めて、一度だけ童子切安綱は花咲川女子学園へ視線を向けた。まだ健在の玉藻御前の気配に、しかし鼻で笑い飛ばすなり足を羽丘女子学園へ伸ばす。

 

「あんな馬鹿、心配するだけ無駄だ。してやる義理もない」

 ――誰に向けたわけでもなく、そう呟いて。

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