玉藻御前が吠える。妖気と瘴気、そして神気の混じった咆哮に、しかし。二人は怯むことなく踏み出した。臆するなど以ての外。
肩を並べるはずがなかった。少なくとも、今でもそうだ。互いに肩を並べて、共闘しているつもりなど微塵もなかった。
ただ、討つべき敵が其処に居て。
ただ、守るべき人々が此処に居る。
たったそれだけのことだ。
「数珠丸。みなを守れ」
――承知。
童子切安綱の左手首に巻かれた数珠が淡く光を放つ。それは弾けるように飛び交い、花咲川女子学園の生徒達を覆う形で陣を描いた。
「その陣の中であれば安全だろう。下手に出るなよ」
「うーし、遠慮なく暴れるか」
「ちったぁ気遣え馬鹿か」
「馬鹿は聞く耳もたねぇんだ知らねぇのか馬鹿がよ」
「馬耳東風という言葉を知らんのか?」
「罵詈雑言となんか違うのか」
「あ?」
「お?」
やんのかコラ、という雰囲気が見て取れる。だが、千聖と紗夜に睨まれて居心地が悪そうに舌打ちをひとつ挟んで休戦協定。許すまじ玉藻御前。
すっかり自分のことなど気にした様子もない二人に、堪忍袋の尾が切れた。九尾の先端に、狐火が灯る。
『死ィ、ねぇぇぇぇいッ!!!』
その数にして十八。人の背丈を優に越えた激情の塊が焼き尽くさんと迫った。
童子切安綱が、太刀を握り直す。刀身を覆う紅蓮の鬼火を振り上げて、全身で打ち下ろした。炎の波が狐火と衝突し、壁のように視界を塞ぐ。その隣。
エヌラスは自分の身体を覆っていた包帯がすっかり解けていた。引きちぎりながら、右肩に固定した野太刀『
ドラッグシガーによる強制励起も、黄金の蜂蜜酒による五感の鋭敏化も、薬物に対する耐性が高すぎるが故に高純度の物質でなければ身体に作用しなくなってしまった――それは、一見ただのデメリットでしかない。事実、服用していなければ左眼も右腕も機能不全を起こす。
しかし、魔術を扱うともなれば話は別だ。過剰供給されていた魔力の放出は、瞬間火力だけは目を見張る物がある。
野太刀の柄を両手で握る。鯉口を切れば、鞘が展開した。刀身を紫電が奔る。
武者上段より振り下ろされる、長大な太刀の抜刀速度は光速に届いた。炎の壁を切り裂いて、その先で佇む玉藻御前の額を衝撃波が叩く。
「馬鹿がよ、こちとら周囲に手加減無用となりゃ天下無敵の破壊神様だ! 見てろよテメェさっき人の腹ぶち抜いた仕返しだどぉりゃああああぁぁぁ!!!」
「おい、こいつから斬っていいか?」
「気持ちはわかりますが此処は抑えてください、童子切さん」
凄まじい衝撃に、地面が揺れた。
紗夜の言葉に童子切は口をへの字に曲げている。
あまりにも豪快な暴れっぷりに、香澄が声を張り上げた。
「エヌラスさーん! 学校壊すのだけはやめてくださーい!」
「知 っ た こ と かぁ!!!」
「おい、やっぱアイツ斬っていいか?」
「…………一回くらいならいいかと」
「ひ、氷川さん……?」
冗談です、と一言だけ付け加えた。半分くらいは本気だが、エヌラスも本気でやるはずが――そう思っていた矢先に、学園の壁を蹴って三角跳びしたかと思えば。玉藻御前の顎を引っ掴んで地面に叩きつけている。
足場にされた壁がヒビ割れていた。
「童子切さん。あの人が学園を壊す前に早くなんとかしてください、急いで!」
「あいわかった。ようはあの馬鹿が暴れる余裕をなくしてやればいいんだな?」
信じられないほどの蛮族的思考。これが自分たちの先祖なのかと目眩すら覚える。
童子切安綱が太刀を構えて駆け出した。
玉藻御前が巨躯を活かした体当たりでエヌラスを薙ぎ払う。野太刀を上手く使って地面を転がる前に空中で体勢を整えていた。
大きく口を開けて噛み砕こうとする相手に、左手で野太刀を保持したまま右手を突き出す。その手の甲、赤い魔術刻印が輝いた。
「イア・クトゥグア」
炎の中から顕現する、深紅の自動式拳銃。マズルフラッシュと共に、重苦しい発砲音が轟く。放たれた魔術刻印の刻まれた弾丸は、真っ直ぐ玉藻御前の口の中へ飛び込み、炸裂した。
爆炎から弾かれたように仰け反る玉藻御前の後ろ脚を掴んだ童子切安綱が、地を割るほど踏ん張る。あろうことか、片腕で持ち上げて校庭に叩きつけてしまった。
着地したエヌラスが、もののついでと言わんばかりに顔を電磁加速蹴撃で強烈に蹴り飛ばすと地面を転がり、素早く受け身を取って身体を震わせる。
「こーの馬鹿力が」
「ただの馬鹿に言われたくない」
懲りずに睨み合うが、起き上がる玉藻御前の気配を察知して一瞥もくれずに童子切安綱は太刀から鬼火を放った。エヌラスは野太刀を上空に放り投げて左手に白銀の回転式拳銃を顕現させると即座に発砲する。
六発の弾丸は、鬼火の波間を縫うように不規則な弾道を描いて命中した。
二人が鼻を鳴らし、身体を屈める。そして、同時に駆け出した。
こんなところで足踏みなどしていられないのは同じこと。
この妖狐の屍を越えた先に待つのは、隣に立つ鬼なのだから――。
『おォ、のれ……!』
自らの身体を
ぎょろりと血走った大きな目玉。生え揃った牙の一つだけでも風穴が空きそうなほど鋭い犬歯。拳を固く握りしめて、篭手が鬼火に包まれる。更に蒼雷を纏った鬼の拳は、玉藻御前の歯を砕いて殴り飛ばした。
地面に横たわり、悶える姿に炎の波をかきわけたエヌラスが野太刀を振るう。間一髪のところで避けた妖狐の足に返し刃が走った。絶剣無式・“
「思ったより毛深ぇな」
相手の細さもそうだが、自分の身体の不調も限界が近い。まだ魔力を過剰放出する形で抑え込んでいるが、誤魔化しているだけだ。戻ってきたハンティングホラーがそれとなくポケットに忍び込ませたアンプル剤を口に咥えると躊躇なく小瓶ごと噛み砕いて中身を咀嚼する。
頭が割れるような痛みを訴え、すぐに治まった。それからすぐに、自分の五感が研ぎ澄まされる感覚。黄金の蜂蜜酒の改良版だ。劇薬に劇毒を一手間加えた、瞬間火力にのみ特化させた逸品の服用がもたらす高揚感と、銀鍵守護器官が暴走したような感覚に自嘲する。
「――たまんねぇな、クソッタレ」
開いた古傷から滲む血液を魔力変換。紫電として放出しながら、爆音と共に駆ける。
童子切安綱は玉藻御前の爪と牙、狐火を避けて太刀を跳ね上げた。振り下ろされようとしていた前脚から爪が根本より断たれている。追い打ちをかけるようにエヌラスの電磁抜刀が片目を切り裂いて絶叫と共に悶絶していた。
「なんかいい作戦ねぇか童子切!」
「ぶった斬れるまでたたっ斬る!」
「採用ぉッ!」
深紅の自動式拳銃と白銀の回転式拳銃を手にして、エヌラスが至近距離から玉藻御前に向けて撃ち込む。
彩達の目で見ても、目に追えない速度で排莢と装填を終えると立て続けに撃ち続けた。流石にたまったものではないのか、射線より逸れようと逃げ出す玉藻御前を童子切安綱が尻尾を掴んで地面に叩きつける。
窮鼠猫を噛むように、玉藻御前は自分の不利を悟った。だが、このまま敗走するのだけは我慢ならなかった。それだけは、過去の行いと振る舞いが。生前の屈辱に塗れた敗北に自らを奮い立たせて童子切安綱諸共に狐火の中に放り込む。
やぶれかぶれと言ってもいい、炎の嵐の中で童子切安綱を弾き飛ばすと、標的をエヌラスではなく――その背後。法力に護られている人間の女の子に向けた。
怯え、竦み。涙ながらに身を寄せ合う集団のなんとか弱いことか。身を守ることすら敵わない。
――
それが、最も触れてはいけないものであると玉藻御前は気が付かなかった。
振り上げた前脚が、何か硬いものに受け止められる。方陣に届く前に、何かが邪魔をしていた。
爪の間からわずかに覗くのは、野太刀の柄。
――野太刀を背負う形で庇ったエヌラスの額から血が滴り落ちる。全身の筋肉を総動員して玉藻御前の自重を支えているからか、地面にわずかに沈んでいた。
なのに、何故か。エヌラスはバツが悪そうな顔を紗夜達に向ける。
「……悪ぃなぁ、本当に。巻き込んじまって」
何を今更、と。口にしたくてもできなかった。
なぜなら今までずっと自分たちの知らないところで、こんな戦いばかりをしていたのだから。
「エヌラスさん、血が……」
「なぁにいつものこった。へーきへーき、馬鹿は頑丈なんだ」
燐子の気遣いに、エヌラスがヘラヘラと笑いながら力を入れる。自分を潰しかけていた玉藻御前の前脚を押し上げていく。
すぅ。と、呼気を整える。空気が変わる音がした。
ずっと閉ざされたままの左目が開かれる。それは、童子切と再会してすぐに切り開かれていた。
何度か瞬きを繰り返して、震脚。玉藻御前の前脚が弾かれる。
「俺の大事な生徒に――手ぇ、出してんじゃねぇぞクソッタレがぁぁあああっ!!!」
怒号が轟く。数珠丸の法術によって護られていたはずの紗夜達ですら震えるほどの怒りの咆哮だった。自分の身体のことなど意に介さない超電磁抜刀が玉藻御前の身体を袈裟斬りにする。遅れて紫電の斬撃が一閃した。
野太刀を担ぎ上げて、踏み出そうとしたエヌラスの身体が“ぐらり”と揺れる。
膝をつき、込み上げてくる嘔吐感にたまらず吐き出せば真っ赤な血がとめどなく溢れ出した。水っぽいサラついた血液を見て、これまた危機感の欠如したエヌラスが「あー……」と声をこぼす。
「っべぇな、呑みすぎたわ……」
生徒達の青い悲鳴に、だがもう一度膝に力を入れて立ち上がった。
何度、血反吐に塗れたかも忘れてしまった。それでもこの道が“正しい”と信じて選び、歩き始めたのは自分なのだから。
「こんな馬鹿にも貫き通す意地のひとつはあるんだぜ、玉藻御前。テメェはそいつに手ぇ出そうとしたんだ。覚悟はいいか」
もがき、苦しむ妖狐が敗走に甘んじて逃げ出そうとする。だが、その眼前に舞う呪符が道を阻んだ。再び地に落下した大妖怪に迫るは、童子切安綱。
「逃すつもりなど毛頭ない。腹をくくれ、玉藻御前」
二人に挟まれる形で、玉藻御前が唸る。
エヌラスは野太刀を収めて、足を開き腰を落とした。『
童子切安綱もまた、その気配が大典太光世を討ち取った術理であることは本能的に察した。
武に身を置くもの同士による、無言の意思疎通。
「
野太刀の鞘が、殺意の華を開く。
光速に勝る外法の抜刀術が疾走った。
「――
学園を背にした童子切安綱は、切っ先を下げていた太刀を跳ね起こす。
玉藻御前の身体を両断する紫電の一太刀を十文字で受け止め、膂力を持って威力を捌き切る。霧散する紫電を、蒼雷が束ねていく。
「返すぞ、
剣術無双・大典太光世の誇る術理に。鬼丸国綱の蒼雷を上乗せで撃ち返された抜刀術は、二の太刀で玉藻御前の首を刎ね飛ばした。
遅れて、剣圧による突風が花咲川女子学園に吹き荒れる。
宙を舞う玉藻御前の生首が、恨めしそうにエヌラスを睨み、そして童子切安綱。
『が、か――カカ、カッ……! 貴様も、いずれこうなる……
「…………」
黒い霧となって、消滅していく玉藻御前の身体を童子切安綱はただ無言で睨んでいた。正確にはその骸を挟んで立っていた悪鬼を。
過去の因縁を断ち切った。ならば、己の思い残すことはない。今を生きる人々のために、己の成すべきことを成さねばならない。
野太刀により掛かるように、エヌラスは立っているのがやっとの思いだった。気を抜けば気絶することは誰よりも本人が理解している。だからこそ、童子切安綱を前に一瞬たりとも気を緩めなかった。
どれほどの相手かは、嫌というほどわかっている。だが、逃げるわけにはいかない。互いに。
それがどんなに馬鹿げた理由であったとしても。
「エヌラス。わかっているだろうな。俺はお前を斬らねばならない」
「そんなこたぁ、こっちも理解してるつもりだ。何回確認するつもりだテメェ、現場猫か」
堂々たる宣言に、生徒たちがざわめく。
――嗚呼、やはりあの人は己の在り方を曲げないのか。と、千聖は胸を握りしめる。
できることならば、このまま見逃してあげてほしい。この人はこんなにも命を張り続けてきたのだから。
童子切安綱の足が、エヌラスを間合いに納めて立ち止まった。一拍の間を置いて、肩をすくめて鼻を鳴らす。
「……だが、今日ではない。お前がそんな調子では、斬る意味がないからな。さっさと治せ」
「はは、そりゃどうも……んじゃ、あと丸一日休ませろ。学園のことは」
「羽丘の方なら二代目が片付けた。こちらもアイツに任せればよかろう」
「連絡つくのか?」
「猫又でもとっ捕まえれば問題ない」
「そうかよ。そんじゃあ――」
野太刀を影に落とし、太刀を収めた両者。だが、エヌラスが童子切安綱の首根っこを掴んだかと思うとハンティングホラーが足元から現れた。
「黒服! その他諸々のあれやこれやは全部弦巻家に任した! 明日の俺に請求しとけ! 俺たちは今から逃げる! 質疑応答その他全部却下! じゃあな!」
「――――は、ぁぁぁぁあああああアアアアッッッ!?!?!?」
爆音、獣の咆哮じみたエンジン音と共にエヌラスは童子切安綱を掴んだまま全力でアクセルを踏み込む。
そのまま空を駆けていく姿を見送ってから、紗夜が深くため息をついた。
「…………どう収拾をつけましょうね、これ」