【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二三六幕 最後の夢物語

 ――夢幻境・ドリームランド。猫の街、ウルタールを湊友希那が再び訪れていた。気を紛らわせたかったというのもあるが、それ以上に身近に迫った危機に猫将軍から助言を仰ぎたかった。正直なところ、猫の手も借りたい状況。

 しかし、いつもの噴水広場に猫将軍の姿はなかった。チラホラと見かけていた猫たちの姿も少ない気がすることに、友希那は首を傾げる。なにかあったのだろうか、と。

 そして不意に振り返れば、影絵の街に人の姿。嫌でも目を引く黄金の怪物が、これまた気だるげに歩いていた。珍しくカソックに身を包んでおり、一見すれば聖職者に思われるかもしれないが当人のどこか嫌そうにしている雰囲気から好ましく思っていないことは感じ取れる。

 手には経典らしき分厚い書物。よく見れば、数冊の書籍をまとめて持ち歩いているようだった。

 

「ん? なんだ、湊友希那か。貴様も大概暇なやつだな。こんな猫しかいないような街に」

「そういう貴方も、暇な人みたいね」

「人生は余暇を満喫するものだ。労働に勤しむだけの人生など無価値同然」

 あなたどっかの国王だったのでは? 友希那は訝しんだが、大魔導師はそのままテラスに向かうと椅子を引いて腰を降ろす。

 どうするか悩み、同じテーブル席に座ることにした。

 

「…………」

「…………」

 ぺら、ぺら――大魔導師は会話を切り出す風でもなく、なにか注文をするわけでもなく、ただ持ち込んだ書籍を開いて目を通している。何気なく積み上げられた書籍の表題を覗き込む。

 

『珍妙奇天烈奇々怪々! ドキッ★未確認生物の生態百選!』

『重力と時間』

『こんな上司は嫌われる!? あなたのモラル、大丈夫?』

『夢恋ファンタジー ー龍と恋する騎士物語編ー』

『虚無』

 

「………………」

 見なきゃよかった。そう後悔した。まるで意味がわからない書籍のチョイスに、目の前の相手に対する不信感が積もる。本当に暇なことだけがわかった。

 

「……おもしろいのかしら、それ」

「くだらん」

 一蹴された。作者に聞かせたら卒倒ものだろう。――なお、今読んでいるのは『蒟蒻物語~揺れる身体と乱れる心~』である。詳細を尋ねたら官能小説と答えられた。

 

「…………」

「どうした、頭を抱えて」

「理解が及ばないわ」

「しなくていい」

 うら若い少女の前で官能小説を広げる神経もそうだが、なぜそれを読もうと思ったのか。いつもと違う服装を尋ねると、仕事帰りらしい。

 

「今日はなんだか猫ちゃんが少ないわね」

「集会でもしているんだろう」

 なるほど、と友希那は納得する。

 

「将軍からそちらの事情は聞いている。だいぶ愉快な事になっているらしいな」

「……なにも面白くないわ」

「非日常など、アイデアの味付けのようなものだろう。インスピレーションのひとつくらい湧かないのか?」

「命の危険に迫られてそんな余裕があると思うのかしら」

「ならその程度の危機ということだ。お前の音楽に対する情熱は自分の命の危機に勝るらしい」

 目を丸くして驚く友希那に、大魔導師は一瞥してすぐに本に視線を戻した。それから間もなくして、将軍が街の猫達を引き連れて戻ってくる。猫ちゃん大行進、大通りが埋まるほどの猫の群れに息を呑む。

 二人を見つけるなり「おお」と猫将軍が早足でテーブルに駆け寄ってくると軽々とジャンプして座り込んだ。

 

「これはこれは、ゆきな様。来られるとわかっておりましたらなにかおもてなしをしていたところでしたが、なにぶん我々も多忙でして」

「隠居の王様のせいでな」

「黙らっしゃいぐぅたら王様、ふしゃあ。これ誰か、お茶と菓子を用意しろ」

 にゃおみゃおふみゃおーん。猫ちゃん大合唱。散り散りに走り去っていく後ろ姿のなんと素早く可憐なことか。友希那はそれだけで大魔導師に対する不満をぐっと呑み込めた。

 

「さて。ではそこの暇人は置いておくとしまして。此度の集会でまとまった我々の意見をお伝えしておきましょう」

「お願いできるかしら」

「まず、シュブ=ニグラスの侵攻ですが――これは我々の同胞である“裏側”の猫同盟による観測で動きを逐一監視しております。今のところはまだ出現に至ってはいないようです」

 ひとまずそこは安心していいようだ。

 

「次に、地球の方ですが。こちらの怪異も、世界中の猫達の協力を仰いでおります。特にイスタンブールでは張り切っておりますな。ほっほっほ、若いのはいいことです。これは怪異を我々の“抜け道”に誘導することで人類に危害を加える前に、我々で対処するというもの」

「……なんだそれは面白そうだな?」

「そこ、興味を惹かれない」

 大魔導師が上げた顔を本に落とす。

 

「まぁ、日本の方はマヨヒガの連中が平和ボケしていたようで対処が遅れましたが……申し訳ありません」

 ごめん寝、と言わんばかりに頭を伏せる将軍に友希那は全面的に許すことにした。

 

「それから……ゆきな様には、少々残念な報せとなるかもしれません」

「? なにかあったのかしら」

「はい。今回の邪神災害を機に、我らの王は覚醒世界……つまり、地球と、このドリームランドを完全隔離する方針を決めました」

「……ということは」

「誠に残念ながら、ウルタールへ足を運ぶことができる機会は次が最後になると思われます」

 湊友希那にとって、それは地球の存亡に勝る衝撃。目に見えて落ち込む様に、将軍が申し訳無さそうに耳を伏せる。慰めようと猫ちゃん大氾濫。膝の上も下も猫まみれになってなんとか持ち直していた。

 

「そ、そう……なのね……」

「というか元々、普通の人間が来るような場所じゃないことを忘れたわけではあるまい」

「そういう貴方はどうなの」

「普通に見えるか?」

「……ちょっと無理ね」

 アンタは例外、という猫たちの同意の声が挙がる。

 

「このまま邪神災害による汚染が続けば、暗黒神話の幕開けとなります。そうなることを恐れて我らの王は覚醒世界より魔術そのものを放棄したはずでしたが、それがまさかこのような裏目に出るとは……外宇宙の脅威が二度と人類の叡智を脅かすようなことがないよう、苦渋の決断となりました。どうかそこは、ご理解いただきたいのです。ゆきな様」

「……、ええ」

「そう落ち込まないでください。あなた達覚醒世界の人類の繁栄が我らの望みなのですから」

 ニッコリと穏やかな笑みを浮かべる将軍が喉を鳴らす。その頭を撫でて、友希那は頷いた。それでなにかを思い出したのか、頭を上げる。

 

「そういえばうちの倅ですが。二代目と共に危機に馳せ参じたようで」

「感謝しているわ。ありがとう」

「いえいえいえ、あのようなドラ息子ではありますがお役に立てたのなら何よりです。抜け出したのは叱っておきましたが。誰かうちのバカタレを呼んできておくれ」

 みゃおみゃおーん、と手持ち無沙汰だった猫が数匹走り去っていく。

 それから少ししてすぐにロシアンブルーキャットが二代目賢人バルザイを引き連れてカフェテラスにやってきた。

 大魔導師はその一人と一匹に目もくれず、読み終えた『蒟蒻物語』を置くと無造作に手を伸ばして次の書籍に目を落とそうとして、着信音が鳴る。

 

「ちっ……私だ。なんだ? ……そうか。その程度どうにかしろ、区画ごと蹴り飛ばすぞ」

 何やら電話の主は大変焦っているようだが、大魔導師は涼しい顔をしていた。

 

「……くそ面倒だな。わかった、すぐ戻る。そこにいる馬鹿どもにはそう伝えておけ。急用ができた。また近いうちにな、将軍」

「お気をつけて。といっても余計なお世話ですかな?」

 むしろ細心の注意を払うべきは大魔導師が戻る先にいる人々だろう。

 すれ違いざま、二代目賢人バルザイと一瞬だけ視線を交わした――だが、互いに無言でそれきり別れる。

 

 二代目賢人バルザイが椅子に座ると、その膝にロシアンブルーキャットが居座った。なぜかちょっと誇らしげに。すると、ちょうど猫たちがお茶の用意を終えて戻ってくる。

 

「今日は助けてくれてありがとう」

「…………」

 友希那の素直なお礼に、二代目賢人バルザイは無言だった。が、しかし。その頬をロシアンブルーキャットに叩かれている。

 

「やいこら。お嬢さんがお礼言ってるんだからなんか言えっての」

「…………別に」

「別にじゃないでしょうがおみゃーはよー!! くの、この!」

 ぺちぺちてふてふ、猫パンチマシンガン。だが二代目賢人バルザイから言葉が続くことはなかった。だが流石に顔を何度も叩かれて嫌そうにしている。

 首根っこを掴んで自分の膝の上から退かすと、宙吊りのまま放置していた。

 

「ぶみゃーっ! はなせー!」

「これ、お客様の前だぞ! 恥ずかしい真似はよさんか!」

「ぶぅ~~……だってぇ……」

「フシャーッ!」

「みゃうぅぅ……」

 踏んだり蹴ったりはしゃいだりしょげたりと忙しい猫の姿に、友希那の頬がつい緩む。

 今日あった出来事が、まるで本当に夢であればよかった。だけど、二代目賢人バルザイの頬に貼られたガーゼは戦いの傷を癒やすためのものだ。

 

「あなたも今日は大変だったでしょ?」

「……別に」

「校舎も直してくれて、ありがとう」

「もう一個の方も、直しておいたから大丈夫」

「もう一個……ああ、ハナジョのことね。紗夜から聞いてるわ」

 羽丘の騒動の後、花咲川女子学園に連絡をしたところそちらでも騒動があったとのこと。だがそれも日が暮れる頃には元通りになっていたからか、大人たちは揃って首を傾げていた。一応表向きでは、学園に刃物を持った不審者が現れたということになっている(あながち間違いではない)。

 『Roselia』では、互いに連絡を取り合って情報共有。全員の無事を確認済みだ。けが人が誰一人出ていないことが奇跡と言ってもいい。校舎の損害も魔術で元通り、と。

 目下、それで懸念事項といえば人の口に戸は立てられないことだけだ――今日の出来事を皮切りにして騒動の中心となる人物がこの街に滞在していることが公になってしまった。

 

 むしろこれまでずっと騒ぎになってこなかったことが不思議でならない。それだけ当人の立ち回りが上手かったのだ。だが、それも今日までだ。これから先、あの人の居場所は地球にはなくなってしまった。

 それでいい。これでいいはずだ。あの人は、地球の人間ではないのだから。きっとどこか別な星の人間で、出会うはずがなかったのだ。

 

「…………」

 しかし、と友希那は考える。目の前で借りてきた猫のように大人しくお茶を飲んでいる二代目賢人バルザイ、るーを見つめていた。

 此処は夢幻境。ドリームランド。夢と幻の境界。

 

「あなたも。私達とお別れになるのかしら?」

 不意に、二代目賢人バルザイに問いかける。

 

「……わからない」

「将軍の話では、ここと地球を行き来することは出来なくなるそうよ」

「…………」

「貴方は此処に残るのかしら」

「…………」

 友希那の問いかけに、押し黙ってしまった二代目賢人バルザイは上の空。ぼんやりと空を見上げていた。どこか薄暗い茜色の空を見上げて物思いに耽る。

 悪い子ではない。あのオカルトハンターと違って騒ぎを自分から起こすようなタイプでもない。それに、近くにいてくれるならあこもきっと喜ぶ。

 

「……わからない」

「そう。貴方が決めれば、それでいいと思うわ」

 私達に残された時間は少ないかもしれないけれど。

 

「……エヌラス」

「え?」

「あの魔術師はこの世界の住人じゃない。それに、さっきの……怪物も」

「それが、どうかした?」

「……俺はともかく、そっちは心配しなくていいと思う」

「してないわよ。その二人に関しては」

 むしろなんで影響ないのかが疑問だ。

 二代目賢人バルザイは自分の胸に手を当てる。

 

「……ゆきな」

「……――、なにかしら?」

「俺があこの……みんなのために戦えるのは、次が限界だと思う。だから、心配いらない」

「なら、戦わなければいいじゃない」

 剣を収めて、宇田川家の一員としてこれからも地球にいればいい。それで円満解決する。だが二代目賢人バルザイは首を横に振った。

 

「俺の師は、俺の親は、邪神になってしまった。俺も、その末席に名を連ねてる。だから……」

「…………」

「だから――俺は、地球に居られない。俺が邪神と戦うのは、師の悲願成就のため」

「貴方の師匠は、何を願っていたの?」

「“鍵”の完成。人類を守護するために」

 真っ直ぐ、瞳を見つめて語る二代目賢人バルザイを見れば分かる。そこに宿る覚悟の重さは。

 それを手放して、安穏とした日々に安らぐことを許さない。その誇りに泥を塗るような言葉を自分が投げてしまったことを友希那は謝罪した。

 きっと、立場が違うだけで高みを目指しているのは自分たちと同じだ。

 

「ゆきな様。そろそろお時間かと」

「ありがとう将軍。そろそろ私も行くわ」

「ええ、お帰りもお気をつけて」

 将軍に催促されて、席を立ち上がる。自分の足元にはすっかり猫だまり。それに埋もれたいという誘惑を、かなりギリギリのところで踏みとどまって堪えた。

 

 

 

 ――湊友希那の姿が消えたあとに残された二代目賢人バルザイは、ティーカップで揺れる水面に映る自分の顔と睨み合う。

 もう出会うことはない。それでいいと思う。これ以上交わす言葉もなにも、自分にはない。

 自分は、きっと“正しい選択”をしたのだと思うことにして、胸に引っかかる思いを飲み干した。

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