――弦巻家の廊下で、寝室の扉に背を預けたまま童子切安綱は腕を組んで立っていた。その目の前には、他でもない一人娘の弦巻こころが不思議そうな顔で見上げている。
今、寝室ではエヌラスが爆睡中だ。帰宅するなりベッド・インして五体投地、三秒後には意識がなかったことから相当量の負荷を掛けていたことが窺える。
丸一日絶対安静にさせてくれ、という遺言じみた言葉を信じたわけではないが、それでも童子切安綱はエヌラスの容態が快復することを願っていた。
これ以上先延ばしにするわけにもいかない。だというのに――弦巻こころは可愛らしく小首を傾げていた。
「ダメかしら?」
「今夜は駄目だ」
こころのそばに控えている黒服達の視線もなんのその。童子切安綱は断固たる意志をもってエヌラスの安眠を守っていた。事情を知っているはずだが、それでも少しだけ困った顔を見せる相手の心情を察して余りある。
あんな風に、ボロボロの身体を引きずって戦う姿を目の当たりにしたのは初めてのはずだ。少しでもそばにいてやりたい気持ちは同情の余地がある。だが、それでも駄目なものは駄目だ。
黒服だけでなく、執事達もケースを持ち寄って部屋の前に集まってくるが童子切安綱は決して臆することなく威風堂々たる仁王立ちで構えていた。
「俺が預かったのはアイツが目を覚ますまでだ。起きたらお前の好きにしろ。それまでは誰であろうと許さん。わかったら部屋に戻って早いところ床に就け」
「童子切がそこまで言うなら仕方ないわ。それじゃあ、おやすみなさい」
「……それで。貴様等は何の用事だ。こんな夜更けにそれほど大掛かりな物を持ち寄って」
こころがメイド達を引き連れて部屋の前から立ち去るが、それでも残っている執事達に鋭い眼光を投げかける。咳払いと、どこか居心地の悪さを見せながら差し出してきたのは、トランクの中に綺麗に収まっていた黒いロングコートだった。
「なんだそれは?」
「こちらは、エヌラス様が着用していたコートを再現したものです。とはいえ、地球の技術でどれほどの再現性があるかは計り兼ねますが……」
「……他には」
「はい。こちらは、えぇと……ハンティングホラー様からのメモで要求されていた品々でして……」
「…………」
あの化け犬、そんなことしていたのか。童子切安綱は驚きながらも、次々と弦巻家のコネで容易された品々を見定めていた。見てもわからないが。
何気なく、足元の影に視線を落とす。確か、いつもはエヌラスの影から音もなく姿を見せていたことを思い出した。
「……おい、ハンティングホラー。いるなら姿を見せろ」
一度、二度、自分の影を軽く踏んでみる。すると、やや間を置いてからハンティングホラーが猟犬形態で姿を現した。執事達が驚いて身を引いている。
「これらはお前の目に適う品か?」
《…………》
顔を近づけ、鼻を鳴らすとしきりに頷く。どうやら満足しているらしい。短い尻尾をしきりに振っている。
「見てもよくわからん品だったが、あの粉はなんだったんだ?」
「少々特殊な火薬ですね。不思議なことに配合成分まで詳細かつ丁寧に書かれていたので調達する分には問題ありませんでしたが」
前脚で執事の手に触れて、それからハンティングホラーは自分の影から石ころのようなものを鼻で押し付けた。どうやらそれが報酬代わりらしい。犬らしいといえば犬らしいが、石ころを手にして観察していた執事達の顔がみるみる驚きの色に変わっていく。
「今度はどうした」
「……ダイヤの原石ですね。それにこっちは純金……」
「物々交換というわけか」
飼い犬は飼い主に似るというが、似ても似つかない。こんなにも賢い忠犬がどうしてあんな馬鹿に付き添っているのか理解に苦しむ。
「何か珍しいものでもくれてやったらどうだ」
《…………》
童子切安綱の言葉に、しばし考えるような素振りを見せてから、影の中に頭を突っ込む。
それから引っ張り出したのは、ホルマリン漬けの鉱石だった。瓶詰めにされた鉱石は見たこともない虹彩を放って輝いている。見たこともない品に目を丸くしている執事達へハンティングホラーは前脚で瓶を差し出した。
「よ、よろしいのですか?」
わふっ。短く一声だけ投げて、それから扉の隙間の影に姿を消した。両手で抱えるほどの巨大な瓶の中に浮かぶ鉱石は浮き沈みを繰り返している。
「詳細はあやつが起きてから尋ねた方がよかろう。それまで刺激しないほうが良さそうだ」
「そうします。童子切様はお休みになられないのですか?」
「あの馬鹿が目を覚ましてからだ」
「そうでしたか。もしなにかご要望等があれば、すぐお呼びくださいませ」
「世話になる。そちらも身体を休めておけよ」
そうして、執事達が立ち去ってから一人廊下に残された童子切安綱は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
念願叶って因縁の決着をつけたというのに、胸は晴れない。どこか薄暗い雲がかかったような、すっきりとしない心地にずっと悩まされている。
エヌラスとの決着を先延ばしにされ続けてきた。それがようやく叶おうとしている。だというのに――この胸の中にあるわだかまりの正体が掴めない。不愉快極まりない。
(酒吞童子を討った今、俺に今の時代を生きる資格などない。だが……)
ならば、成すべきことは悪鬼征伐。他にないはずだ。だが。と、そこで躊躇する一歩が踏み出せずにいる。理由はわかっていた。邪神という存在だ。
黒い月から出現した“種”から芽吹いた妖怪、牛鬼を前にして感じたことがある。ただの妖怪であれば恐れることはない。しかし、問題は邪神本体に対して何の効果もないということだ。
何十、何百、何千何万、数多の妖怪を斬り伏せたところで根本を叩かなければ意味がない。それができるのは、正に自分が斬らねばならない悪鬼その人だ。ならば、自分が素っ首を刎ねてしまった場合――考えるまでもない。この日本共々、この星諸共に共倒れだ。意味がない。
そう、まるで意味がないのだ。
己の矜持としてきた鬼切の宿命が。
自らに宿した鬼の因果も何もかもが。
「……ままならんなぁ」
ぽつりと、独りごちる。静まり返る弦巻家の廊下に独り佇み、童子切安綱は天井の照明を見つめていた。
この館の内装も、今の日本も、何もかもが自分の知る時代からかけ離れている。
疎外感が無いかといえば嘘になる。しかし、それが自分たちの生きた時代から地続きの時代ならば、なるべくしてなったと受け入れる他にない。童子切安綱は、そんな今の時代が嫌いにはなれなかった。どのような形であれ命懸けで守るに値する。
だからこそ、平穏を脅かすモノの存在は許さない。――しかしそれを言ってしまえば、今の自分はどうか。
あれほどの大立ち回りを演じておきながら、世を乱していないと豪語できるか。答えは、否。
だがそれでも胸を張ろう。何故ならば、己を無くして他に誰が今を守るのか。
人が作る時代の流れというのは、一介の妖怪如きが乱したところでてこでも動かない。それほどまでに人は強いのだ。だから信じよう。
今の時代に一人生き残った、最後の付喪神。その総大将としての務めを果たすために。
「…………んご……………………ふが?」
寝苦しさを覚えて、エヌラスが目を覚ました。見覚えのある天井。身に覚えのある全身の激痛。もうすっかりと見慣れた寝室に、身体を伸ばそうとして――えらい音が鳴った。全身の骨という骨が骨格ごと素組されているんじゃないかと思うほどに。
筋肉も凝り固まっているのか、ミシミシと軋んだ吊り橋のような音を立てている。
一通り身体を慣らしてからエヌラスがそこでようやく自分の状態を再確認した。
いつの間にかベッドからずり落ちて床で寝ていたらしい。なるほど、全身が痛い理由と寝苦しさの原因把握。そうと決まれば、よっこらせ。エヌラスはふかふかのベッドに向かって全身を預けようとして――シーツの隙間から飛び出したハンティングホラーに背中を強打された。
「ほげぇあっ!? あっ、が……いっ、ってぇぇぇ……!!!」
丸みを帯びているとはいえ流線型デザインのフロントに背中を突かれれば誰しも痛い。当て逃げして消えていった愛犬に腹を立てつつも、背中を擦りながら立ち上がる。
そういえば俺は一人でできるようになるまでだいぶ時間要したな、等と思い出して凹みもしたが立ち直る。
「うし……、調子はまぁまぁか。あー腹減った」
肩を回していたエヌラスだったが、すぐに寝室の扉がノックされた。声の主は童子切安綱。
『起きたのか』
「童子切か。お前部屋の前で何してんだ?」
『貴様の容態が快復するまで見張っていたというのになんだその言いぐさは。今の音はなんだ』
「気にすんな、ちょっと愛犬に小突かれただけだ」
『調子はどうだ?』
「ま、万全に近いってところだな。強いて言えば腹減ったわ」
『奇遇だな、俺もだ。その様子であれば気遣いは無用か』
寝起きに斬り掛かってくるつもりかと身構える。しかし、扉の前の気配は動かなかった。
エヌラスが音を立てずに静かにドアノブに手を掛ける、次の瞬間勢いよく扉が開かれて角が顔面を強打した。
「でこぉ!!」
よりにもよって額。完全にノーガードだっただけに強烈な一撃となった。
童子切なにしやがんだテメェ、と喉まで出てきていた言葉が波のように揺れる金の髪によって飲み込む。
笑顔満開、元気ハツラツ、アクセル全開、ダッシュでゴー。
弦巻こころが全身で飛びかかってきたのをエヌラスはライフで受け止める。朝から体力がごっそり持っていかれた。みぞおちに押しつけられる頭に呼吸困難になる手前まで追い込まれつつも、倒れるのだけは阻止する。
童子切安綱は腕を組んで呆れた様子で見ていた。
「本当に丸一日寝る奴がいるか、馬鹿が」
「テメェ……童子切……テメェ……!!」
「俺は何もしていないだろうが」
「エヌラス、やっと起きたのね。よく寝れたかしら!」
「寝心地も抱き心地も最高ですねこころお嬢様はよぉ……」
「貴様その言葉は人として最低だぞ」
「うるせぇ黙りやがれ馬鹿妖怪!」
鼻で笑われた。ぶっとばしてやろうかこの野郎。
「ん~~~……♪」
「……こころ、おはよう」
「おはよう、エヌラス! すっかり元気みたいね」
「お前にゃ負けるよ……」
怒る気力すら失せたエヌラスは肩をすくめる。
「貴様の馬鹿面を見て思い出したことがある。別に汗臭くなかったらしいぞ」
「いきなり何の話で喧嘩売ってんだテメェは」
「自分で言っていた言葉くらい覚えておけ。纏わりつかれていた時に気にしていただろう」
「…………ああ、そういやそんなこと聞いたな。覚えてたのか、案外律儀な奴だなお前」
「ぶっとばすぞ貴様」