黒い亀裂の走った月の明かりに照らされて、エヌラスと童子切安綱は弦巻家のライブステージの客席に腰掛けて酒を広げていた。二人が酒を飲む、というのでこころは一足先に就寝している。
そして、睨み合う男同士。言いたいことはまず第一に――。
「おい、童子切。テメェなんだその量」
「そういう貴様こそなんだその……なんだそれ」
「タル」
「酒樽一つ丸々用意するやつがいるか」
「そういうテメェも似たようなもんじゃねぇか!」
馬鹿げた量だった。
エヌラスの脇には、酒樽が一つまるごと置かれている。急遽取り寄せてまで用意させた中身は全部ビール。かたや、童子切安綱の手には一升瓶。手元には赤い盃。ついでに升。だが、その背後には似たように酒樽が一個まるごと君臨していた。
酒の肴になにか作るかと聞かれたが、二人は口を揃えて遠慮している。
「言っておくが注ぐ気はねぇからな。呑みたきゃテメェで注いでろ」
「言われずともそうしている」
「……っていうかお前、呑む時くらい刀置いとけよ」
「どうしようが俺の勝手だ。それに……今宵の話は、コイツ等にも聞かせておきたい」
童子切安綱は鬼丸国綱の柄頭に手を置いて呟き、盃になみなみと日本酒を注いでいた。エヌラスもそれを見てから、自分もジョッキにビールを注ぐ。
互いに、何も言わずただ手にした器を掲げて――軽く合わせてから、一気に飲み干した。
「俺はてっきりお前が酒嫌いなもんだと思ってた」
「貴様がバカだの何だのと言っていたカッパだがな。あれは鬼の首魁、酒吞童子だった。俺の宿敵だったが――あいつも酒が好きだった。そんな奴を斬った俺が、酒が嫌いなわけがあるか」
言っている間に、すでに二杯目に手を付けている。エヌラスもジョッキにビールを注いで喉を鳴らした。
「そんで?」
「なんだ」
「――まさか、本気で酒呑むのに付き合えってだけじゃねーだろ」
「…………まぁ、な」
「珍しく歯切れが悪いな」
ぐいっと、二杯目の盃も一息に飲み干して水のように注いでいる。恐ろしいハイペースにエヌラスは付き合うか考えたが、酒を飲むときはマイペース。
「……」
「…………」
「いや、なんか言えよ。気まずいだろうが」
「――大妖怪どもを相手した時は世話になった。礼を言う」
「…………おう」
「が、それとこれは話が別だ。俺が考えているのは、場所をどうするかということだ」
「……お前話すの下手くそって言われねぇか?」
「うるせぇ黙れやかましいわっ! こっちもどっから話すかまとまっていねぇんだ!」
「順番考えろやテメェもよぉ!」
ジョッキを空にして、それから立て続けに飲み干す。童子切安綱は口をへの字に曲げたままへそも曲げていた。
「とりあえず、場所ってなんだ。何の場所だ」
「貴様と俺の一騎打ち。どこかいい場所を知らんか」
「海」
「沈め」
「テメェ喧嘩売ってんのか」
「錆びるわ阿呆か」
「二代目の時に普通にいたじゃねぇか」
「あの後手入れしたわい。他、どっかないか」
「今すぐこの場でしばき回してやろうかコイツ……」
一升瓶を傾けて盃に注いでいる童子切安綱を睨みながら、エヌラスは考える。だが、やがて思い当たる節があったのか小さく声を出した。
「ああ、いや。ちょうどいい場所があったな」
「なんだ。俺がぶち開けた大穴か?」
「でかい墓だな」
「テメェが埋まる可能性ってのは考えねぇのか?」
「無い」
「この野郎はよぉ……で、どこだ」
「貴様が死にかけた場所があるだろう」
――……エヌラスがしばし考える。
「悪い、心当たり多すぎて思い当たらねぇわ」
「いっぺん死んだほうがいいぞ貴様」
隔週で瀕死になっていた男に言っても仕方のないことなのだが、素知らぬ童子切安綱には酷というものだ。ため息一つ、盃の酒を傾けながら指をさす。
「大典太と戦った場所のことだ」
「あー…………あそこか」
「よもや貴様、覚えてないとか言わんよな?」
「……似通った場所で死にかけたからちょっと自信ねぇな」
「閻魔に土下座してこい」
「笑えねぇ冗談だ。むしろテメェから来いって感じ」
酒を呷り、エヌラスが記憶を辿る。
確か駅の西口だったかにあったような気がした。何せ寝泊まりしていた森林公園も似たような景観だった上に、そちらでは和泉守兼定との決闘に用いられている。そう考えてみると割と近場で二度も死にかけているどころか、羽丘女子学園でいっぺん死に目に遭っている。う~ん、我ながら不死身の肉体だ。等と酔いが回り始めた頭でエヌラスは考えていた。
しかし、童子切安綱の表情は険しい。
「数珠丸の力で結界を用意しておく。他に被害が出ないようにな」
「そりゃ助かる。俺としても望まない」
「……ひとつ気にかかることがある」
「なんだよ」
「俺との一騎打ちを望んでいないというのに、なぜ貴様は俺のわがままに付き合う」
「…………お前が付喪神総大将だって言うなら、俺は七星剣を手に掛けた。和泉守兼定をこの手で殺した。顔も名前も見ず知らずかもしれんが、それでも預かり知らぬところで仲間を殺した男が目の前にいるんだ。お前だって面白くないだろ」
何気なく館の方に目を向ければ、執事達が律儀に様子を見守っていた。
「――俺だったら、そんな奴はぶっ飛ばすけどな。お前もそうだろ、童子切」
「……さて、どうだかな。貴様と違って俺は割り切っている方だと思うが?」
「なら、この話はここまでだ。これっきりだ。あとのお楽しみにとっておこうぜ」
「そうだな」
盃を空にして、一升瓶から注ごうとしたがあっという間に中身がなくなっている。渋々といった様子で童子切安綱は酒樽の蛇口を捻って升になみなみと注いでいた。
「……酒の肴にしては、取るに足らんつまらん話をするぞ」
「そんな前置きの仕方があるかよ。勝手に喋ってろ」
「そうさせてもらう。俺の――、俺が“童子切安綱”となる前の話だ」
エヌラスがビールを飲もうとして、手を止める。
「俺が生まれ持った銘は、忌まわしくも妖刀の如き名だった。呪いを持って生まれ落ちたようなものだ――俺の本当の
だからこそ、鬼退治に用いられた。そのような刀で人を斬るべきではないとして。
血を啜るように、刃に血糊一つ残さないほどの切れ味を見せた。肉を溶かすように断ち切って。
手掛けた刀工その人ですら、薄ら寒さを覚えた。故に献上されたのだ。鬼神・大嶽丸を討伐する任を負った武神に。
「酒吞童子より以前に鬼を斬った。その役目を終えた俺を、仕手はお告げを聞いたとして奉納したのだ――神々に返し、奉ると。だが本当はそうではない。その不浄を清め祓おうとした。それを誤ちと責めることなど俺にはできんが……願わくは、共に墓で眠りたかった」
今となってはそれも叶わぬ夢。
後世に名を残すことなく朽ちていきたかった。
――なぜ俺を置いていかれた、田村麻呂。なぜ俺を置いていった。
己が鬼を斬ったことで、鬼切の宿命を背負ってしまったことを天照大神より告げられて尚も血吸は納得がいかなかった。
俺は器物だ。俺は刃だ。俺は、斬るための道具だ。だから俺は斬って、斬って。斬って斬って斬って、斬り続けて役目を終えたい。
この身朽ち果てるその時、俺は合戦場で仕手と共にありたかった。
「だが、そんな俺の言葉を聞いた神がいた。名を天照大神という。まぁ、ようは太陽の神様だと思ってくれればそれでいい」
「……そんで?」
「俺にしてみれば母親のような存在だ」
「だからお前、やたらめったら炎使うのか」
「やかましっ」
だがエヌラスはこれで納得した。童子切安綱の能力の根底にあるのは、神通力だ。それがクトゥグアと同様に神格の炎熱というだけのこと。しかし、それでもまだ不可解な点はある。
なぜ他の付喪神の権能が扱えるのかという点だけは、いまだ謎に包まれていた。
童子切安綱の口から語られるのは、酒吞童子の鬼退治。
その時に己の在り方を見つめ直したのだという。
――曰く、鬼に横道はない。
「酒吞童子との因縁に二度の決着をつけた今。俺の居場所はない。俺は
「……あるだろうよ」
「――――なに?」
てっきり、否定の言葉で断言してくれるものだと思っていた童子切安綱はその予想を裏切られた。
ジョッキを突きつけて、エヌラスは真っ直ぐな眼光で射抜く。
「お前はこの国で生まれた。この国のために戦った。そして――この国で、最後まで生き残った付喪神だ。だから……いいじゃねぇか。平和な世の中を謳歌したって。それはお前がいた時代から続いてきて、ようやく手にした時代なんだから」
「…………」
「お前にはその資格がある。そんでもって……、そんな時代を乱すような馬鹿な悪鬼がいたのならお前が叩き斬るべきだ。お前にしか出来ないことだ」
同じだ。自分と。
その考えが、思考が似通っている。
エヌラスは合点がいった。どうしてこれほどまでに童子切安綱と自分が相容れないのか。
この男は、まるで自分を見ているようで腹立たしくて仕方ないのだ。
だから改めて思う、こうして客観的に見つめていると――嗚呼、なんて救いようがない馬鹿なんだろうと。見ているだけで腹立たしい、ぶん殴ってやりたくなる。
――だが、ひとつだけ決定的な違いがあった。
この付喪神は破壊するためではなく、守護するために生まれ落ちたこと。
たった、それだけの違いだ。たったそれだけの、些細な生まれの違いなのだ。
だからこそ――。
童子切安綱には、せめて。
自分が手にすることを後回しにし続けた“ハッピーエンド”を迎えてほしいと、切に願う。
「……童子切。だからお前は――手折れるなよ。何があっても」
あの日、あの時『Roselia』と共に足を運んだ国立博物館での一日を思い出していた。
「どうせ斬るなら、あいつ等の明日でも斬り拓いてやってくれ。お前の手で」
「…………――ふんっ」
鼻を鳴らして、童子切安綱はそっぽを向く。升を呷り、夜空を見上げる。
「酒の勢いで、俺もつまらねぇ話をしてやるよ。聞き流してろ」
「ほう? さぞつまらん話だろうな」
「――吸血鬼、ってのが俺の知り合いにいてだな。こいつがまた金にがめつい女でよ」
――酒を呷り、月明かりの下で二人の男が言葉を交わす。
そこに笑顔の花は咲かずとも、傾けた盃に注いだ酒の勢いだけは冷めやらぬまま話題に華を添えていた。
ただ、話し。ただ、酒を呑み。ただ、語らうだけの一夜。
宴のような華やかさはそこに在らず、だがしかし。
夜の恐怖を忘れるほどに、一人の魔術師と一人の付喪神は夢中になって酒を飲み干していた。
話し合いをしよう。言葉を交わし、何一つ悔いを残さないように。
そうして、その後に――己の成すべきことを成そう。
目指した場所が同じでも、譲れない道がある。