――どうしてリサがこの場に居合わせてしまったのかは後回しにして、エヌラスは立ち上がる童子切安綱に拳を構える。これほどまでに大掛かりな結界は久しぶりに術式を編んだ。だがそれでも心を許した相手にはこんなにも容易に侵入を許してしまっている。
つくづく、本当に詰めが甘い。こればかりは治せそうになかった。いつまで経っても魔術師として半人前もいいとこだ。
目を丸くして驚いているリサは、そのことを今の今まで忘れていたのか唖然としている。
「そ、そんなの今思い出す!?」
「お前の顔見たら思い出した! ぶっちゃけ役得だったから水に流しておこうかとも迷ったが思い出したら腹立ってしょうがねぇ!」
自分のための戦いなんて、どんな価値があるのだろう。エヌラスにはそれがわからなかった。
邪神達を討ち滅ぼすたびに考える。その戦禍を見るたびに思う。こんな戦いに、何の意味があるのだろうか、と。
自分が救われたくて。友達を助けたくて。もう二度と繰り返したくない悲劇の舞台を壊すために始めた戦いに、無関係な人たちを大勢巻き込んで。
――邪神にすら言われる始末。
そんなのは理解している、他の誰よりも自分が理解している。
「テメェと違って、自分の大切なもんも全部ぶっ壊しちまうような馬鹿は抱えきれねぇ荷物に押し潰されるくらいでちょうどいいんだよ! 覚悟はいいか童子切安綱ぁ!!」
生まれるべきではなかった。生まれるはずがなかった魔人として。
“絶望の魔人”として生を受けた自分が、やるべきことは神様の舞台をぶち壊しにすること。そのためならば、世界の総てを敵にしたって構わない。
自分が目指すハッピーエンドに、俺は似つかわしくないのだから。
童子切安綱の腕が炎に包まれる。赤く、紅く、緋色に燃えていく。その顔は、やはり笑っていたのだ。楽しくて楽しくて、たまらない。腹の底から笑いが止まらない。
その肌が、赤く熱されていた。空気すら焼き焦がす熱量に生ぬるい風が吹いている。
エヌラスは思う。――嗚呼、アイツの本性はやはり鬼なんだなと。
鬼を斬ってしまったが故に、そう成ってしまった。在ってしまった。
笑っている童子切安綱は、果たして本当に――楽しくて笑っているのだろうか。己の運命を嘆いているのではないかと同情しようとして、エヌラスはそんな考えを投げ捨てた。
そんなことはどうでもいい! そんなくだらないことを考えていられるほど暇じゃない。
今はただ、お互いが満足いくまで殴り合うだけだ。
赤熱化した童子切安綱の拳と、クトゥグアの炎熱を纏った拳が交差する。肌の焼ける音と、爆炎に呑まれて再び二人が弾けるように吹き飛んだ。
エヌラスは深く息を吸い込み、今度は左腕にイタクァの風を纏わせて――絶句する。
童子切安綱の腕を、紫電が駆け巡っていた。
「なにを驚く。俺の仕手を忘れたか――“雷光”なる武将、それ即ち“神鳴らし”。稲妻を扱えることがそれほどまでに不思議か」
「いいやぁ別に! ただまぁなんつーか、やっぱムカつくなテメェ!!!」
銀鍵守護器官を基点に、全身の魔術回路が淡く起動する。エヌラスの肢体を駆け巡る紫電を見て童子切安綱が鼻で笑った。
石畳をたわませて、踏み込む。残光と共に二人が肉薄し、殴打を繰り返す。拳の応酬に、蹴撃を挟んで、飛び散る汗とおびただしい出血を物ともせずに殴り合っている様は――リサも目を逸らそうとした。
ボロボロなのに、それなのになんであんなにも楽しそうに殴り合えるのか。
どちらを応援したらいいのか、わからなくなる。あんなにも必死になって、こんなにも傷ついて戦っている二人のどちらもが自分たちのために必要なのに。
エヌラスの電磁加速蹴撃が童子切安綱の顔を蹴りつける。さすがの天下五剣もその衝撃は効いたのか、身体がぐらついた。だが、大きく足を振り上げて四股を踏むと身を屈める――八卦用意。
次の瞬間に、踏み込んだ。身構えるエヌラスの目と鼻の先で、童子切安綱が手を叩く。よもや、まさかと高をくくっていただけにその猫騙しにまんまと引っかかってしまう。このような騙し討ちの一手を使うような男とは評価していなかった。
一瞬の隙。そこに付け込む形で童子切安綱は僅かに手を引き、発剄。顔面に張り手をかますとそのまま腕力に任せて押し退けた。踏みとどまろうとするエヌラスに対して今度は逆の手で突っ張りをかます。
「ってぇな、この……!」
腕を捉えて聴剄から次の動きを読み取り、先んじて手を打つ。
相手の動きに合わせて胸に手をあてがって寸勁、それを童子切安綱が歯を食い縛って耐える。骨まで響く衝撃と、確かな手応えに、だがしかし。今度は鉄拳が頬に返礼された。
負けじと、エヌラスが殴り返す。
お互いに一歩、二歩と後退り……転びそうになる足を堪える。まだ立っていた。それでも、互いに限界が近いことは自ずと察することができる。推し量る力量さえ見誤っていなければ、だが。
童子切安綱の炎が、右腕に集中する。拳を包む炎熱に照らされて、煌々と輝きながら、轟轟と音を立てて鬼火が逆巻く。
それを見て、エヌラスは――ああ、なんて綺麗な火を灯すんだろうと感心した。千年絶やすことのなかった鬼火がそこにはあった。だがそれは決して薄暗い感情だけではなく、信念を焚べてなおも燃え続ける。
あれに、勝てるだろうかと考えて……鼻で笑い飛ばした。馬鹿を言え、負けるはずがないと。
たかが千年だ。そう、たかが千年程度だ。この先、いつ消え入るとも分からない灯火だ。
それがなんだ。それがどうした。たったそれぽっちの炎だ。
「――エヌラス。次の一撃、俺の限界となるだろう。受けて立つか」
「……馬鹿言いやがれ。誰が逃げるか」
エヌラスの右腕に、魔力が集中する。自分の身体から流れ出た血液を魔力で分解させて。
あの夜、酒の肴に話していた言葉を思い出す――血こそ我が魔術の源泉。血液こそが自分の魔力の源であると。ならば、今目の前に起きている光景こそはエヌラスの死力を賭した一撃に他ならないのだろう。
それを見て、童子切安綱は――嗚呼、なんておぞましいのだろうと絶句した。その腕を包む逆巻く血液が凝固していく。そうして形作られていくのは、赤い武者鎧だった。甲虫類の如く光沢に、しかし淀んだ不吉な紅色をしている。それはエヌラスという男の在り方の本性に他ならない。
地獄に落ちた。正しいと選んだ道を信じて歩き続けてきた。その冥き宿業を背負ってきた。エヌラスが語った言葉だ。
ならば、と思う。その先に、
いつか必ず――手にしてほしいと願う。
「童子切安綱。コイツは……俺の信じる“最強”を降した一撃だ。受け取れ」
「嗚呼、いつなりとも――参れ」
――対軍事国家攻略呪術兵装“天雷”は喪われた。だが、この術式だけは残っている。手放せるはずがなかった。これは、最強の
エヌラスが腕を引き絞る。身にまとう紫電を赤く染め上げて。左手で照星を定めながら。
「“
断鎖術式一号“ティマイオス”・二号“クリティアス”解放。エヌラスの足元に空間が僅かに歪む。帯電したアスファルトが刹那、重力を失って浮かび上がり、停滞する。そうして、自らを縛る重力の鎖を引きちぎりながら、光速となって駆け抜けた。
狙うは一点。ただ大将首一つ。
だが真に恐るべきは童子切安綱。あろうことか、玉砕敢行。エヌラスの決死の一撃に、己の拳を
地に足で根を張り、光速を越えた魔拳を己の身体で受け止めていながらにしてクロスカウンターで打ち返している。肉を切らせて骨を断つ一撃に、エヌラスも童子切安綱も拳の骨が砕ける音を聞いた。
嫌な音を立てる拳が突き刺さったまま静寂が一寸流れ、鮮血が吹き出す。身体を揺らしたのは――エヌラスの方だった。
歯を食いしばり、血を垂らしながら耐えた童子切安綱が勝利を確信して――とん、と。自分の胸板を叩く指先に総毛立つ。
絶招・崩し連牙――!
超常の絶技を持ってして打ち込まれたのは、純粋な魔力の爆発。ただ指向性と瞬間的な威力にのみ特化させた、文字通りの超電磁特攻術。
リサが垣間見たのは、地に咲く徒花。無数に枝分かれして広がる赤き稲光は、まるで華を散らすように咲いて、消えていった。
エヌラス自身、その破壊力に押し負けて自分が逆にぶっ飛んでいる。受け身を取る暇もなく地面を転がり、ぴくりとも動かない。
童子切安綱もまた、凄まじい衝撃に襲われて吹き飛び、木々を薙ぎ払っていく。
「――――…………っ、エヌラスさん」
耳鳴りがする。それが治まってから、リサが一瞬迷ってから駆け寄った。
右腕が黒く焦げている。裂傷が広がっており、それは肩口まで皮膚が焼けていた。背筋をぞわりとした感触が駆け上がるが、当人は左腕一本で身体を押し上げている。
「い、……ってぇぇぇ……!!!」
「痛いで済む怪我!? あ、ちょ、これどうしよ……!?」
「ほっときゃ、治る……!」
言うが早いか、リサの見ている目の前でエヌラスの腕から、身体から、まるで体内から骨を接ぎ直しているような。身体を作り直しているような、生理的嫌悪感を湧き上がらせる不快な音が聞こえてくる。血の気が引いて青い顔をしながらも、それでも立ち上がるのを手伝おうとするがエヌラスに首を横に振られた。
「まだ、終わってねぇ……あいつの、顔見てねぇからな……!」
なんとか立ち上がると、右腕を押さえながら。足を引きずるようにして童子切安綱が消えた方角へ向けて歩き出す。
――姿を見つけた時には、森の中で大の字になっていた。口をへの字に曲げて、不満そうにしている。だが、エヌラスの顔を見るなり鼻で笑った。
身体を受け止めていた木々は折れ、一歩も歩くことが出来ないのか軽く手を振っている。
「…………、きさまか」
「よぉ、馬鹿大将。アホ面見に来てやったぞ」
「……よく、いう。鏡を見てみろ」
「うるせぇばーか」
ちょっと信じられないものを見る顔でリサはエヌラスと童子切安綱を見比べていた。左目こそ閉じられているが、こうして見つけるまでには普通に歩けるようになっている。それに比べて童子切安綱は満身創痍、ボロボロの身体で起き上がることすらままならなそうにしていた。
深く、深く息を吐き出して童子切安綱は――ただただ、今は敗北の実感だけを噛み締めていた。
「……俺の知ってる最強には、いくつか種類があるんだけどな。あいつは、最強の軍神だった。お前みたいに国を愛し、国に愛されて。一国一城の主として真っ当に務めてて。どこに出しても恥ずかしくねぇ王様でさ。そいつは“護国の鬼神”なんて呼ばれたりもしててよ……お前見てると思い出しちまうんだ」
「――鬼神か……鬼の、神か……そうだなぁ……」
目を閉じる。
――もしも俺が、鬼の首魁であったなら。酒吞童子と肩を並べて笑っていただろうか?
或いは、そんな生き方が出来ていたのなら――そんな出会いだったなら、無二の親友と呼べたのだろうか。
「叶わん願いほど、どうしてこうも――綺羅びやかに思えて、輝いて見えるのだろうな」
「……手を伸ばしても届かねぇからだよ。知らねぇのか」