最後にライブがしたい。音楽を聞いて欲しい。そう言われたエヌラスは、当日までに自分が出来うる限り、時間が許す限り贈り物の制作に打ち込んだ。童子切安綱もまた、その時間を邪魔しないように努める。それでも近場に現れた“黒月の母”の眷属はウルタールの猫の手を借りることなく単騎で蹴散らしていた。
世界中の猫によるネットワークによって飛来した眷属をウルタールで撃退していたが、それも日を追うごとに数を増やしていき――遂には、その邪神本体すら人間に観測され始めていることに将軍猫は頭を悩ませる。だが、信じるしかない。
シュブ=ニグラス本体の次元侵略は徐々に宇宙の傷を押し広げている。太陽の黒点のように、月面にぽっかりと空いた黒い穴が人類に観測されてちょっとしたニュースになっていた。そこから飛来してくる眷属は不思議なことに誰にも知られず。
ウルタールの猫達が、それこそ猫の手も借りたいと泣き言を言い始め、それと同時にイレク=ヴァド王もまた邪神本体の目的にようやく察しがついた。
これまでの邪神達はいずれも他の異なる邪神達の力を取り入れて侵略してきた。そのことからシュブ=ニグラスもまた異なる力を取り入れていると見ている。それを“検死”した結果、考えうる限り最悪の組み合わせであることが判明する。
――それこそは、イレク=ヴァド王の天敵。怨敵、不倶戴天の敵。ナイアルラトホテップの残滓が感じられた。
正体不明。恐怖の産物。それが天文学的数字の総量を持つシュブ=ニグラスの眷属全てに与えられていると考えるとなると、人類の勝算など皆無だ。
深く、深く頭を悩ませる。
“こんなはずではなかった”と、深く。覚醒世界より魔術を秘匿し、放棄し、平穏を選択した自分が間違えていたのかと恥じる。だが、隠居した身分。今一度自分の存在が宇宙に観測されてしまえば……邪神の呼び水となることは明白。イレク=ヴァド王は、ただ信じた。
王は、ただ座して待つのみ――魔術師の勝利を。
月の引力を用いて、まさか……“あの”ナイアルラトホテップがルルイエの浮上を目論むとは。
もはや猶予はない。躊躇している場合でもない。イレク=ヴァド王は決意した。
それこそは、断腸の思いであり、英断であったことは歴史が証明する。
――エヌラスは、出発の時間ギリギリまで制作物に打ち込んだ。夜が明け、日が昇り、執事に扉をノックされるまでの間。
全員分の贈り物の用意をする、とは言ったもののその後のスケジュールから各バンド分しか用意できなかった。自己管理能力の甘さを痛感しつつも我ながら無茶をしたものだ、等と反省する。
身体を慣らせば、全身の筋肉と関節からえらい音が鳴った。
弦巻家を後にする前に、エヌラスは最後に一度だけシャワーを浴びたいと言った。それに快く応え、同時に朝食も用意しておくと気を利かせた執事はどこか寂しげに笑う。
広い浴場に足を踏み入れれば、そこには先客が居た。邪神の眷属退治に朝方まで駆け回っていた童子切安綱がシャワーを浴びている。相変わらずなんとも言えない気分になりながらも、エヌラスは片手を挙げて気さくに労う。
「よぉ。おつかれさん」
「貴様もな。終わったのか?」
「いやぁ、流石にちょっと時間足りねぇわ。材料は腐らすほどあるんだけどな……」
筋骨逞しい童子切安綱の身体に視線を向けると、手傷を負ったのか左肩と右腕に爪のような傷跡が残っていた。それに気づいたのか、見せるように腕を上げる。
「これか? 気にするな、もう治っている」
「今度はどんなのが出たんだか」
「はて。一応名前だけは聞いてやったが、異界の神を崇めたとあれば問答無用でぶった斬ったからな……」
「お前本当にとんでもねぇな……で、そいつの名前はなんだったんだ?」
「さぁな――忘れたよ、あんな馬鹿の名前など。先にあがるぞ」
言い終わる前に汗を流し終えた童子切安綱が浴場を後にした。どこか不機嫌そうだったのと、まるで相手を知っていたかのような口ぶりから、おそらくは過去に因縁でもあったのだろう。エヌラスは深く追求せずに身体を洗う。
最後、ということで用意された朝食は豪勢なもので。テーブル所狭しと並べられた料理を見て、指差し確認。
「これ食べていいわけ? パーティーみてぇな量なんだけど」
「物足りませんでしたか?」
「物量の話じゃねぇんだわ」
「食わんなら先にもらうぞ。いただきます」
「あ、おいテメェ童子切! ふざけんなこの野郎! いただきます!」
「いただきまーす」
起床したこころも一緒となって三人、仲睦まじく朝食に手を伸ばす。内二名が小皿の取り合いを開始して凄まじい速度でテーブルの料理が消えていった。
「……化け物だ」
壁際で待機していたメイドのひとりが呟く。貴方この前も同じこと言いませんでした?
黒服の運転する車に乗せられて、エヌラスと童子切安綱。こころの三人が休日の街に向かう。だが、思い出したように「向かう前に、寄る場所があります」とだけ告げられた。
そして、向かった先はエヌラスが宿泊していたマンション。思えば、だいぶ無茶な取引で部屋を借りていたものだ。それもひどく懐かしく思えてしまう。
童子切安綱に、これは何の建物かと聞かれたので借家とだけ答えた。
「また懐かしい場所に連れてこられたもんだ。ここがどうかしたのか?」
「はい。お納めください」
「……なに? なんて? なんだって? ちょっと言ってる日本語の意味がわからない」
「今のは「テメェに解説しろとは頼んでねぇんだわ」…………ふん」
「ちょっと待ってくれ? まさかとは思うんだが、それは、その、なんだ。コレを? 俺に? 譲りますって意味か?」
「はい」
はいじゃないが。
「な ん で よ!?」
「貴様、はたから見てると本当に面白い奴だな」
「ぶっ飛ばすぞテメェ!!」
「い、いえ……こころ様からのお願いでしたので……あの、苦しいです。放していただけると幸いなのですが……!」
片腕で黒服の胸ぐらを掴み上げていたが、エヌラスは我に返り手を放す。
「俺は理由を話していただきたい」
「いえ、ですからこころ様からの……」
「もういい。こころ、なんで俺にマンションなんて買った?」
「? だってエヌラス、住む場所がないって言ってたじゃない」
「っスーーーーー…………」
無邪気なだけに、言葉の暴力の自覚がない分破壊力が増している。空を仰げば、おお青い。ぶっ飛ばすぞ太陽。いやこれからぶっ飛ばすのは月だけれども。
「なんでよ!?」
「その言葉二回目だぞ、痛いわ馬鹿が!!!」
童子切安綱のケツをしばいといた。
「エヌラスが使ってたマンションじゃなかったかしら?」
「合ってるよ」
「それならよかったわ♪」
「よくないが!? なんでそんなことをしたのかって聞いてるんだけども?」
「エヌラスがまた来た時に、帰ってくるお家が無かったらとっても困るじゃない。だからこれで安心して遠くまでお出かけできるわね。いつでも帰ってこれるわ」
「……、――――あ~。もー、ほんとうにお前には参るよ、こころ」
こころの頭に手を置いて、髪を梳くように撫でる。
やり方はちょっと、少しばかり破天荒なやり方だが。
「そうだな。帰ってくる家が、どっかにあるってのは嬉しいもんだな」
「エヌラス様。こちらを。マンションの鍵です」
「いやいーよ、俺が持ってたって仕方ねぇからそっちで管理しててくれ。となるとそーだなー。ちょっと気になってた部分とかもやっぱ補修工事しといて欲しいな。それに管理人変わったってなると住人も色々大変じゃないのか? そうだ自治体に連絡も」
「はよせぇたわけ」
「いってぇなバカ野郎が! ケツが爆ぜる!」
エヌラスが童子切安綱にケツを蹴られていた。だが懸念事項も流石は弦巻家、手を回しているので抜かりなし。だがそれはそれとして補修工事の件だけは伝えておいた。
マンションから立ち去ろうとして、エヌラスが不意に立ち止まって振り向く。
自分の家。帰ってくる場所。――その言葉を一度だけ噛み締めて、前を向く。
またいつの日か、此処に帰ってくる理由が増えたことに、苦笑する。
――ライブハウス『Circle』に到着したエヌラスと童子切安綱、そしてこころ。正直な話、童子切安綱は乗り気ではなかった。だがエヌラスに「四の五の言うなボケナスビ」とまで言われたので仕方なくついてきている。
先に到着していた香澄達ポピパはやる気満々といった様子だ。
日菜の話ではパスパレの参加が厳しい、と言っていたからか姿が見えない。
『Afterglow』は全員揃っている。蘭が顔を見るなり会釈した。
そして『Roselia』もまた、意外にも全員来ている。てっきり友希那のことだ、今回は不参加かと思っていた。
そんなエヌラスの表情から何かを汲み取ったのか、友希那が不思議そうな顔をしている。
「何かしら。私達がいるのが不思議そうな顔ね」
「いや、なんつーか……ちょっと意外で」
「……別に貴方のためじゃないわ」
「そっすか……」
「――それでも。リサの為に頑張ってくれていたのは、感謝してるわ。ありがとう」
「…………おう」
心配するまでもなく、ハロハピは全員揃っていた。
ロビーで話し込むのも店の迷惑だろうと、奥のラウンジに案内される。童子切安綱は我先にと既に入っていた。
「今日はみんなの貸し切りだから、思う存分楽しんでね」
「はい、ありがとうございます!」
「やー、なんかすいませんねぇまりなさん」
「その他人行儀なのは、演技なんですか?」
「……演技っつーかなんつーか」
「私としては、素のエヌラスさんも好みなんですけど」
「…………マジで言ってる?」
「まぁそれなりに。今日は皆のために時間使ってあげてくださいね」
「そりゃどーも。こんな訳アリなやつ雇ってくれたオーナーには頭上がらねぇわ。こんなんの何がいいんだか」
「トラブルメーカー、と言ってしまえばそれだけですけれど――なんて言えばいいんでしょうね。エヌラスさん、女の子からしたらちょっと放っておけないタイプの人なので」
本人は首を傾げているが、当然の話だ。近寄りがたい雰囲気と裏腹に中身はまるでダメ人間、それでいて意外とフレンドリー。女の子はそういうギャップに弱いのだ。
「まりな」
「……、はい。なんですか?」
「最後だから言うけど。割と俺好みだったよ――そんじゃ」
後ろ手に振って、集合していたメンバー達に遅れてラウンジへと入っていくエヌラスを見送って――まりなは、まるで自分がこれまで弄ばれていたような気持ちになった。
あの人、本当にズルいと思う。