童子切安綱は、手に残る痺れを振り払っていた。盗み見れば、二代目賢人バルザイは腕の傷口を押さえている。身体的ダメージよりも精神的ダメージの方が大きいのか、魔力制御に乱れが出ていた。傷口が治癒するまでの間、童子切安綱が大魔導師の注意をそらす。
太刀を振るう。それを無手で弾かれる度に火花が瞬く。──数珠丸が言うには、魔力による障壁でこちらの攻撃を防いでいるのだと。
それだけわかれば十分、童子切安綱は更に烈火の如く鬼火を散らす。火の粉が舞う。それを目眩ましにして視界から逃れて太刀を振るう。
今度こそはと振るわれた刃は、しかし。やはりと言うべきか。大魔導師の指先一つで阻まれていた。即座に太刀を戻して距離を取る。
こちらへ向けた足を見て咄嗟に太刀の背に腕を押し当てて防御態勢。直後、重力の衝撃波が迫りくる壁のように叩きつけられた。後退りながら、地面に手を当ててようやく身体が止まる。
「ほう……? よく防いだな」
「こう何度も蹴り飛ばされれば嫌でも覚えるわ!」
「いや、そうでなくては。面白くない」
童子切安綱が跳ねた。獣のように。大魔導師は飛びかかる鬼火と太刀を、必殺の一太刀のことごとくを片腕だけで切り抜けてみせている。
彼我の実力差がわからないはずがない。アレは怪物だ。超常の理を超越した化け物だ。人の姿をした災害だ、天災に他ならない。それがわからない童子切安綱ではないはず。
それなのに──どうして挑むのか。
人の形に押し込まれた魔術の桁も規模も知識も量が違う。どれほどの知識欲があの獣を駆り立てたのだろう。何を思ってそれほどの魔術を修めたのか。
大魔導師の手に、黄金の十字架が握られる。それは純粋な魔力で押し固められた“杖”であり、同時に“剣”としての役割を果たしていた。振るえば刀身は伸縮自在。だが威力は必殺に等しく、童子切安綱の膂力を持ってしても捌くのが限度。それでも、まだ。
童子切安綱は大典太光世の歩法によって互角に打ち合っていた。
──二代目賢人バルザイには、それが理解できない光景だった。
魔術とは、己の身体に宿るモノ。この身に宿した術式は全て鍵の成就の為に。だが、鍵は完成しなかった。最後の
戦った。死に瀕しながらも、生き延びた。人と触れて、それでもまだ足りなかった。
──“心”とは、なんだろう? それが鍵の完成に必要なモノならば。
膝をついて立ち止まって、折れたままで終わりたくはない。自分の身体の損傷を確認して、右腕の傷を癒やしてから二代目賢人バルザイは再び偃月刀を鍛造する。
だが、歩みだそうとする袖が引き止められた。振り返れば、宇田川あこが涙を堪えながら掴んでいる。
みんなが理解していることだった──『あの怪物には敵わない』のだと。
猫又も、付いてきていたロシアンブルーキャットも。
「るーくん、行かないでよ! 行ったら、だって……!」
「────」
きっと、死ぬだろう。それでも行かなければ、きっと童子切安綱が死ぬ。そうなれば、きっと、みんな。全部いなくなる。
──嫌だな、と思った。そんな救いのない終わりは、この場にいる誰も求めていないのだから。
だから、行かなきゃならない。もう残されたのは、俺と童子切安綱の二人だけだ。
ふと、足元に違和感を覚える。見れば、ズボンの裾にロシアンブルーキャットが噛み付いていた。
「やいコラ! 相変わらずだんまりこくっちまって何も言わねぇんだから! ちゃんと口にしとけよ、自分の気持ちくらいは! そんでもってどうにかしろあの化け物!」
結局、最後の最後まで付いてきてしまった若殿に、二代目賢人バルザイは何も言えなかった。
どう言葉にしたらいいのかわからない。
大魔導師の振るう黄金の十字架が童子切安綱の防御を打ち崩した。手首を返して振り落とした刃が額をかち割り、たたらを踏む姿に向けて回し蹴りを打ち込む。
嫌な音を立てながら吹き飛んだ童子切安綱が地面を転がり、それでも即座に体勢を持ち直した。そこへ今度は逆袈裟の一閃が走り、鮮血が吹き出す。
香澄達が口を押さえた。しかし──童子切安綱は、震脚と共に仁王立ちしている。
「まだだぁッ!」
割れた額からはとめどなく血が流れ出していた。斬られた胴体も決して浅くないはずだ。血が滲み、芝生に血を垂らしながらも童子切安綱が鬼火を宿す。
「この程度で、誰がくたばるか!」
「────」
二代目賢人バルザイの目には、心底それが理解できなかった。きっとこの場の誰も理解できなかっただろう。明らかな致命傷、数珠丸恒次の法力で傷を癒せると言えども限度がある。それなのに──どうしてそんなにも楽しそうに笑っているのか。
「なんで、ですか……? どうして、私達のためにそこまで。貴方が命を捨てるほど、私達に価値があるんですか?」
「なら聞くぞ。死にたいのか」
「…………」
「重ねて聞くぞ。なぜ生きる」
あまりに真っ直ぐな眼で問われて、紗夜は押し黙った。
血に濡れた顔で童子切安綱が指を突きつける。
「胸に手を当ててみろ。答えなど、生きるしかないからだろうが! 死を選ぶことなど俺が許さん! わかったら黙って見ていろ!」
胸に手を当てれば、確かに此処にある。この
薄く笑っていた大魔導師の顔から表情が消えていた。その目には、絶対零度の敵意があった。
「あぁ腹が立つ奴だな貴様という男は。実に不愉快だ。どうしてそう“あの女”と同じことを口走る」
「はっ、俺と同じことを言う奴が他にいるのか。それは結構なことだ、是非手合わせ願いたい!」
「総てを救う、そんな“王道”を私は認めん。何故ならば、それは私の“覇道”の否定に他ならないからだ」
「ならば問おう、貴様のその“覇道”が目指す頂は何処にある」
「知れたこと──神を越えた先、
童子切安綱は、そこで初めて目の前の獣に畏怖の念を抱く。黄金色の瞳の内に、どれほどの狂気が潜んでいるのか。一体そこに至るのにどれほどの執念を費やしたのか。
太刀と黄金の十字架が火花を散らす。魔力と、法力と、鬼火と蒼雷が拮抗していた。
「万物の救済? ならば貴様の命は、貴様が救おうとする全てに等しい価値が正しくあるか? 童子切安綱、貴様一人の命でどれだけのものが救える。どれだけの命が救える。どれほどの価値がある。貴様が日本最強の付喪神であるならば──!」
弾かれ、捌き、互いに打ち合いながらも一歩も引かない。
大魔導師の口から語られる言葉は、覚悟の是非。命の価値。
「死霊秘術の主たる私を、その武力を持ってして説き伏せてみせろ!」
その火花の中に、童子切安綱は見た。黄金の燐光、その瞬く間に消え入るか細い灯火に──。
“名も知らぬ誰かの魂”が使われているのを。
男の声だっただろうか。女の声だっただろうか。老人だったか、子供だったか。人ですらなかったのか。だが、だが、だが──そのいずれであったとしても、許されるはずがない!
「──おおおぉぉぉッ!!!」
童子切安綱が、吼えた。大気を震わせる怒り、怒髪天の如き、燎原の火。
太刀筋が更に加速する。速く、そして鋭く。だが重い一撃に、僅かに大魔導師が後退る。
鬼面の形相をますます憤怒に染め上げて、太刀を灼き尽くさんばかりに鬼火を滾らせていた。
(……だめだ)
二代目賢人バルザイは背筋が凍る。アレでは、駄目だ。まだ足りない。まだ届かない。
あの天の頂に、手が届かない。──
何が足りないのだろう、あの男の怒りに。
何が足りないのだろう、童子切安綱に。あの最強の付喪神に。
(──だめだ)
あの死霊秘術に勝る魔術が思いつかない。
あの馬鹿げた魂の総量に打ち勝つ術がない。
あの怪物に、自分が勝てる見込みがない。
どう足掻いても足りない。何も届かない。
──悔しくて握りしめた手には、師から受け継いだ。ただ一振りの刃金。
「あ…………」
そこに、あった。ずっと握っていた。
“鍵”ならずっと此処に。ただ、気が付かなかっただけで。
──嗚呼そうか。俺に、何かが出来たわけじゃない。
俺はただ、このちっぽけで、小さな“鍵”を打ち続けてきただけの、つまらないやつだ。
「……────あこ」
「っ……るーくん?」
二代目賢人バルザイは、ルーズサイドテールを留めていた青いシュシュを解く。
風になびく銀色の髪に目を奪われていたあこの右手を取り、細い手首に通す。──あの子は、なんて言っていたっけ。
「ありがとう……たのしかった」
「────」
なんにもしてあげられなかったけれど。それでも、きっと。
この胸にある温かさは、“楽しかった”。
あこの右手を頬に添えて。二代目賢人バルザイが少しだけ、笑った。
「ドラム、がんばって──」
胸の内側からこみあげてくる感情に、あこの目から大粒の涙が溢れ出す。
離れていく二代目賢人バルザイの背中を、思わず呼び止める。
「あこ達と一緒にいてよ! もっと、楽しいことたくさんしたいもん!」
──ああ、きっとそれは。毎日がかけがえのない日々になるのだろう。
それでも二代目賢人バルザイは、歩き始めた。
「いってきます──」
ちゃんと、言い残すことがないように。
後を追って引き留めようとするあこを巴が押さえる。
大魔導師の黄金の十字架を捌き、切り結びながら童子切安綱が炎の中に飛び込む。下段で構えた太刀を、更に身を屈めて地につくほど這いつくばる。その頭上を掠める蹴撃に童子切安綱は太刀を跳ね上げた。
狙うは大将首ひとつ──獲った、という確信めいたものがあった。だが。
“ガキン!”と、見えない壁に阻まれた。目を凝らせば、肌に触れてすらいない。切っ先が拒絶されているかのようにどれほど力を込めても進まなかった。
「ああ、言い忘れていたな。重力障壁を三層重ねた防御陣だ。これを越えるのは容易ではないぞ」
「……ちっ、」
化け物め。
太刀を振り払う黄金の十字架が、触れた瞬間に爆ぜた。純粋に膨大な魔力を固めただけの爆発力は、童子切安綱の隙を作るのは十分すぎる。
大魔導師の貫手が心臓を貫く。胸の中に感じる異物感と、逆流していくる血液と胃液の混じった血を吐きながら童子切安綱が蹴り飛ばされた。
絶命して然るべき致命傷。だが、その膝は折れなかった。
「“無理だ”、“諦めろ”童子切安綱。その傷で歩けるのはせいぜいが三歩までだ」
一歩──膝が笑い始める。薄ら寒さを覚えた。
大魔導師は手についた血を払いながら、胸に穴の空いた姿を見る。
二歩──視界が朦朧とする。酷く、眠くなってきた。
生物学上、絶対に無理なのだ。その傷を負って生きることなど。
三歩──、童子切安綱が膝から崩れ落ちて……。
「……!」
「だ、れが……! 誰が、諦めるか! どうだ、四歩だ! ゴフッ、はっはっは、どうしたその間抜け面ぁ! ──俺の道理を、貴様が決めるなぁ!!!」
心臓は抉られ、蹴り砕かれた胸骨は肺を貫いている。
呼吸すらままならないはずの付喪神が“五歩目”に差し掛かり、太刀を杖代わりにして膝を折らまいと足掻いていた。
まだ立ち上がろうと力を込めて、童子切安綱の身体はそのまま地に伏せる。しかしその目だけは、大魔導師に向けられていた。
足も、膝も、腕も動かないというのなら、肩で這ってでも。身体を押し上げようと力をいれるだけでも開いた胸の穴から血が止まらない。
歯を食いしばり、こみ上げる血を飲み込みながら童子切安綱が上半身を起こした。
それでも、立ち上がれそうにない。
ぐらりと揺れた頭は、空を見上げていた。──遥か遠くに、黒い月が見える。
(……俺は、此処までか)
童子切安綱の視界を遮る、銀の月。焦点の定まらなくなってきた目を凝らせば、二代目賢人バルザイが神妙な面持ちで見下ろしていた。
「……すまんな、後は──」
「──童子切安綱。あとは、まかせた」
……なにを、言っている。俺はもう、動けん身体だ。凍りついたように手足が動かんのだ。
眉を寄せる童子切安綱に向けて、二代目賢人バルザイは逆手に構えたバルザイの偃月刀を振りかざす。
そして。
力の限り、童子切安綱の心臓に突き立てた。
「──ヴーアの無敵の印においてっ!」
それは、幾度となく繰り返した口訣。
「力を──与えよ!!!」
それは、幾度となく繰り返してきた鍛造。
“鍵”の成就のために、無限に繰り返してきた術式。
バルザイの偃月刀が込められた熱量によって炎に溶けていく。そして、魔力となって解けながらも光を放った。
「────立て、童子切安綱っ!!!」
二代目賢人バルザイの身体に、炎が灯る。それは自らの命すら魔力に変換した“マギウス神臓”の過剰熱量だった。
「立ってくれ──、立って、戦ってくれ!!!」
頬に当たる、熱い雫に童子切安綱は息を呑む。
「俺がお前を鍛えるから──だから!!」
どれだけ悔しい思いをしているのか。
どれだけ辛い思いを抱えているのか。
師の悲願、その成就を誰かに託さねばならなかったことに。
「だから──俺の代わりに、みんなを守ってくれ!!!」
炎に身を焦がされながらも二代目賢人バルザイは手を離さなかった。
鍛冶師とは炎と共にある。此処に、あった。
千年絶やさず焚べてきた怒りと、恨みと、憎しみの炎が。
“鍵”はこの手の中にあったのだ。ただそれは、賢者には叶わぬ願いだっただけ。
「“魔刃鍛造”……なるほど? そうくるか、ならば見届けさせてもらおう」
白い火柱の中から、二代目賢人バルザイが大魔導師を真っ直ぐに睨み返す。
「──負けない。俺“達”は、お前になんか! お前に、人類の明日は奪わせないッ!」