──起きろ、童子切安綱。
(……誰だ)
深い、深い眠りの中。童子切安綱は自らを呼ぶ声に鼓膜を叩かれた。まぶたが重い。とてもではないが開けられそうにない。泥のような眠りを妨げる声を振り払う。
──起きろよ、童子切安綱。
(……俺は、眠い)
寝息すら重い。呼吸が苦しい。それでも、身体は起きそうになかった。
呆れたため息に、大きく息を吸い込む音が聞こえてくる。
「起きろォ!!! 大将!!!」
「っ──!!」
ビリビリと響く怒鳴り声に、思わず童子切安綱は飛び起きるなり腰の太刀に手を掛けて──そこに、あるはずの物がないことに気づく。
そして、目の前にいる相手は見覚えのない男だった。しかし、識っている。
「よぅ、お目覚めか」
「──
「そうだよ、俺様だ」
自分を指し示しながら、笑って見せる美形の男。細身ではあるが、しなやかさがある。不健康というほどではないが、引き締まっていた。偉丈夫の童子切安綱とは対を成す形で。
東西の大横綱とまで言わしめた完成度を誇る付喪神、大包平がそこに立っていた。
周囲を見渡しても一切の無。何もない白い空間に童子切安綱が困惑する。しかし、なんとはなしにそこが何処か本能的に察した。
「……此処は、地獄か? 貴様が水先案内人というのなら、まぁ許してやらんこともないが」
「はー? なぁんで俺様がお前さんのこと案内しにゃならんのよ」
飄々と、ヘラヘラとした軟弱な態度に童子切安綱は立ち上がるなり胸ぐらを掴み上げる。
「貴様、なぜ顕現しなかった!」
「──嫌だね。だって俺様、死ぬのこえーもん」
「な、……!?」
「人の身を得てまでやりたいことがなかった。それだけのことよ」
「だが──」
「なら逆に問うぞ、童子切安綱。お前さん、何がしたかった」
襟足を伸ばした黒い髪。垂れた前髪から覗く青い双眸が真っ直ぐに睨み返してきた。その問いに童子切安綱は間髪入れずに答える。鬼を斬るためだと。だが、その言葉に大包平は苦い顔をしていた。
「……なんだ。何が言いたい?」
「それは、誰が望んだ?」
「俺だ。それがどうした」
「──人の世が、望んだことか?」
童子切安綱が押し黙る。その沈黙に付けいるように大包平が言葉を続けた。
「それで何をした。お前さん達は人の世をみだりに乱した。我らの仕手が命懸けで手にして切り開いてきた平穏を、再び戦乱の世に乱した。違うか」
「……誤ちであったと?」
「そうだ。童子切安綱、そもそもの話。──
「だから、貴様は」
「ああ。だから俺様は顕現しなかった。したくもなかった。神の声だのなんだの、知ったこっちゃねーもの。俺様は俺様だ、俺様以外の何者にも従うつもりはない」
沈黙を貫く。それが大包平の選択だった。誰よりも正しい選択だったのだ、それこそが。
血を求め、戦いを求め、敵を求め、人の形を得た皆が皆、誤ちであったと断言して。
……成程。それは道理だ。語るに及ばず。正道を唯一人貫いた付喪神に、童子切安綱は何も言い返せなかった。
「……なぁ。もういいだろう、童子切安綱。我ら付喪神の総大将。もう十分戦った。もう十分斬った。鬼も斬った、なら思い残すことはないはずだ。悔やむこともないだろう」
大包平が手を差し出す。
「だから、もういい。戦わなくていい。俺様の手を取ってくれ。皆が待ってる」
「…………」
もう、十分戦った。 ──ああ、そうだ。
もう、十分斬った。 ──ああ、確かにそうだ。
童子切安綱は大包平の差し出した手を払いのける。
「……童子切、」
「いいや。まだだ──まだ俺には、成すべきことが残っている! 俺には果たすべき約束がある! だからまだだ! まだ此処で終わるわけにはいかん! 俺は、やらなければならないことがある」
「それは、俺様を斬ってでも成すべきことか」
「貴様が俺の道を阻むなら、屍を踏み越えるしかあるまい」
今までそうしてきた。苦渋の決断を迫られても、なお、自分の道を選んできた。だからそうするだけのこと。悲しみに暮れる大包平を睨み返して童子切安綱は拳を固める。
太刀がなければ殴り捨てる。言って聞かなければ殴ってでも通す。己の意地を。
だが、唐突に──大包平は笑い出した。腹を抱えて、涙を浮かべるほどに。
「はははははは、あっはっはっはっはっは!!! いやぁ、参った参った! あー、腹いてぇ! だぁめだコリャ! あははははは、降参だ。童子切安綱」
「……ふざけてるのか」
「いいやぁ、大真面目。さっきも言ったろ? 俺様、死ぬのこえーから顕現しなかったって。なら今の俺様はなにかって? ──ただの、夢さ。我想う、ゆえに我あり。これこそが俺様の“権能”の“夢想”だ。それによ、さっき言ったじゃねーか……皆が、待ってるってよ」
顎で示された先、童子切安綱が振り返る。
──皆が、そこにいた。
天下五剣が、現世壬生浪士組が、七星剣が、丙子椒林剣が。三日月宗近も。
言葉を失うほどに、壮観だった。夢見たことだった。
この国で生きた皆と、肩を並べることができたのならばと。
「人が見るのは、悪い夢ばかりじゃないだろう? だから此処で、こうして。俺様が繋ぎ止めていた。いつかくるお前さんの為に、ずっと。背中を押してた」
「────ならば、もしや」
「そうだ。童子切安綱、お前さんが皆の権能を使えたのは。俺様の“権能”が後押ししてたからだ」
「……………………」
絶句する童子切安綱に、しかし。数珠丸恒次が歩み寄り、頭を下げる。
「拙僧が間違っておりました。童子切殿。仏僧の身でありながら、今際の際に大包平殿に諭されて気づいたのです──器物が人の形を得ること、それこそが誤ちであったのだと」
「……いや、いい。数珠丸、過ぎたことだ」
ならば、俺はなんだ。俺に何が出来る。俺の“権能”とはなんだ。
大典太光世のように剣術に秀でたわけではない。
数珠丸恒次のように法力に恵まれたわけでもない。
鬼丸国綱のように、御国の為に鬼を斬り続けたわけでもない。
──俺は、なんだ?
皆の力を使えること、皆の声が聞こえたこと。それすら大包平の権能だったのならば。
「いやはや、参りましたな。よもやこれほどの大事になるとは。童子切安綱殿、許されよ」
「──三日月。ひとまず一発殴らせろ」
「かまいませんとも」
固く握りしめた拳を、三日月宗近の胸板に押し当てて、それで童子切安綱は終いとした。怪訝そうな顔をする相手に一瞥もくれずに、ただ背を向ける。
「……俺でいいのか、俺のような男が。みなの上に立ってしまって」
「た わ け が」
それは、七星剣の声だった。殴られたような衝撃に頭が揺れる。杓子で指差しながら、鋭い目を向けていた。
「そちしかおらんのだろう。そちしか残されておらんのだ。だから、ゆるす。皆と話し合い、そして皆の同意を得た。故に託す。故に信じる。死人に口無し、黙して語ることなし」
「気張れやぁ、総大将! 今も昔も、アンタが最強だってことを証明するためによぉ!!」
人間無骨が笑っている。蜻蛉切も、日本号も。
大包平が笑って肩を叩いた。
「だから行けよ、童子切安綱。お前さんのやるべきことをやってこい! 俺様達は此処で待ってる。夢と現の狭間、この境界線でよ」
「……負けるやもしれんぞ」
「なぁに、そん時ゃ笑って「駄目だった」と帰ってくりゃいいさ! 我らみな、後悔はねぇよ!
──
「……、──応ッ!!!」
信に背くことだけは、決して出来ない。
決めたのだ。皆の上に立つと。
背を預ける。そこで、もうひとりの付喪神が立ち尽くしていたことに気づいた。
童子切安綱の後ろから大包平が覗き込み、少年の目線に合わせて屈んだ。
「そんで。キミはどーすんだい、名無しの権兵衛くん。俺様達といるか?」
「……俺は、行くよ。童子切安綱と」
「そっか、んじゃ俺様達の大将をよろしく頼むわ!」
ワシャワシャと頭を撫でて、大包平が離れる。
そして、ひとりとひとりが歩き出す。不意に、思い出したように童子切安綱が二代目賢人バルザイの頭にゲンコツを落とした。
「いたい! な、なんだいきなり!?」
「バカが、守ってくれなどと俺に託すな! 貴様の手で守れ!」
「そん、……今言うこと!?」
「口も聞けんかったんだから今しかないだろうが。行くぞ、二代目!」
頭を擦りながらも、腑に落ちない顔で肩を並べて歩き出す。
遠ざかる背中を見送って、大包平は笑っていた。
「いいのか、和泉守兼定」
「……アンタには感謝してるよ、大包平。俺に、ぬえと決闘の機会を作ってくれたんだから。これ以上はワガママってもんさ」
「ははは! いいってことよ。お前さんだけは人の世が望んだ付喪神だったんだから特別よ!」
「それで」
「ん?」
「結局のところ、俺等の大将の権能ってなんなんだ?」
「ああ、そのことか。……あんな馬鹿げた権能でもなけりゃ、俺様は待たなかったさ」
剣術無双に劣り。
法力無双に劣り。
蒼雷にすら届かず。
ならば、童子切安綱に何が出来るのか──。
「俺様が夢想う“夢想”ならば、あれは天下に並び立つものなし、即ちただ最強“無双”の一振り。その権能こそは──
ただ、想う。故に我あり。
千年絶やさず焚べてきた怒りの炎をこそ、神々は祝福した。
その怒りを忘れなければ、誤ちを正せるとして。
──白い炎の火柱の中から、声が響く。それは、いつか聞いた誰かの歌。
何処から流れてきたのか。何処に行くのか。誰も知らない祝詞。
その聖句を告げる。
「──憎悪の空より来たりて」
この憎しみを忘れたことはない。
「正しき怒りを胸に──!」
ただ一度たりとて、忘れたことはない。この怒りを。
「「“我ら”は魔を断つ剣と成る──ッ!!!」」
炎の中から、二人の声が重なる。
童子切安綱の咆哮が轟く。白い炎を振り払って、そこに立っていた。
長く伸びた白い髪が揺れる。白髪の鬼が、そこにいた。身につけていた緋色の軽具足が甲鉄の彩りを放っている。
貫かれた胸の中で脈打つは神の臓腑“マギウス神臓”。
童子切安綱は胸に手を当てて、舞い散る火の粉を見つめて──息を吸い込む。
息を吹き返した。一人の付喪神を犠牲にして。そうして、鍛造されたのだ。
人を斬るためではなく。
鬼を斬るためではなく。
──神を斬るために。
「ふむ……、成程。付喪神、そうか。たしかにな……刀剣であるならば鍛造できる、か。さしずめ今のお前は等身大の“
大魔導師は腕を組んだまま、童子切安綱を観察していた。
二代目賢人バルザイは、炎の中に消えた。今、目の前に居るのは“二人で一人”の鬼械神だ。
「その力があれば、神など易く超えられるだろうな」
「……仕切り直しだ、怪物」
童子切安綱が構え──“剣指”を立てて、口訣を唱える。
それは、幾度となく繰り返されてきた言葉。
「
魔刃鍛造の口訣から溢れ出す爆炎は、白。その中より鍛え上げられた刃は、全てを飲み込むような黒い一振りの刃金。
童子切安綱が手にする太刀によく似た刃は、誰の目で見ても理解できた。似ても似つかない、だけど、それは確かに──“バルザイの偃月刀”なのだから。
炎を握りしめて、童子切安綱が大魔導師に切っ先を突きつける。
「この俺の、最初で最後の魔刃鍛造だ。一振りの刃金があれば十分!」
「それで全てを救えるとでも?」
「俺に王の道を問うな。俺は王になるつもりなどない。貴様の言う“覇道”なんぞに興味も微塵もない!」
「ほう。ならば何を志ざす」
「──士道! ただそれだけだぁ!」
道なき道を切り開く。後に続く誰かの為に。
そのために、みなが背中を押してくれたのだから。
“独りではない”と教えてくれた、付喪神の皆が。
ならば付喪神総大将として。この国に生きる無辜の民のために。
約束を果たそう。この命の最後の一欠片まで炎に焚べてでも。