暴風の魔弾。劫火の魔弾。その双方による異常気象を引き起こしながらも、凶星の双子には一発たりとて当たらなかった。
速すぎる──光速の領域に達した電磁加速を加えて放っても難なく
光の速度では足りない。まだ足りない。ならば何が足りていないのか。純粋な速度か。それともまた別な要因か。いずれにせよ、ティオとティアの加速は文字通り“次元が違う”速度だ。
音速の壁を突破して暴風を引き連れながらエヌラスの真横を通過する。殺人的な向かい風を魔術で防御するが、一点突破の銀槍が正面から破砕して顔に突き刺さった。校庭から体育館まで吹き飛び、結界の壁に激突して崩れ落ちる──膝をついて、割れた額の血を拭うこと無く立ち上がる。
ボタボタと垂れる赤い滴を見下ろして、前を向いた。身体を保護していたサイバネコートは紗夜と日菜に預けている。羽丘女子学園の灯りがついた一室、天文部の部室に二人はいるのだろう。
手を後ろに組んで、二人がステップを踏みながら軽やかに銀の脚を鳴らして近づいてくる。
「のろまのおにーちゃんはそんなにあの二人が気になる?」
「だいじょーぶだよ、のろまのおにーさん。あの二人には手を出さないから」
「つい、うっかり、たまたま、もしかすると。足が出ちゃうかもしんないけどね?」
「「あっはははははは!!!」」
なにがおかしいのか、二人は笑う。子供の姿をした、子供のように無邪気な笑みで、底抜けに明るい笑い声で。
額から流れる血液が顎を伝い、地面に滴り落ちる。銀鍵守護器官による再生が鈍い。殺気と闘気は微塵も衰えることなく、エヌラスは二人を睨んでいた。二挺拳銃を魔力に変換し、首を鳴らす。
骨折している箇所だけでも軽く十箇所はあった。全身が鈍い痛みに襲われている。呼吸が苦しい、折れたあばらが肺に刺さっているかもしれない。喉元から熱くせり上がっているものを吐き出すと血の塊が口端から溢れた。腕の感覚も、足の感覚も、平衡感覚すら危うい。
「……ゲ、ラゲラ笑いやがって。言ってろ、クソガキ共が」
「んー? ねー、ティオー。なんか言ってるけど聞こえる?」
「もうちょっと大きな声で言ってくれなきゃ聞こえないよー、おにーさーん♪」
「まったく、おにーちゃんに遅れを取ってきた連中は何をしていたんだろうね」
「本当だよ。ただの邪神、御柱依代触媒御神体。ざまぁないね。たかが、と侮ってきたのが運の尽き。でもウチらは違う」
「知ってたからね。だから色々と工夫したの」
「嫌われ者だけど、そこはそれ。本当は嫌だったんだよ? 大嫌いな風を取り込むの」
「……“黄衣の王”に“風の後ろを歩むもの”と、それだけじゃねぇな」
「“彼方からのもの”に」
「“角度からあらわれるもの”と」
「「“隠れ棲むもの”の、全部で五匹かな」」
「虫唾が走る。そこまでして、何がしてぇんだお前らは」
細くしなやかな腕。細身の肉体に、幼さの残る肢体に、自慢の足に潜む邪神の欠片は無数に蠢いていた。身体を構成するものが全て、総て、凡てにおいて邪神の供物にして御神体。
正攻法では決して倒せない。殺し切るには少なからずとも五回は必要になる。
エヌラスの問いに、ふと二人から表情が消える。
手を繋いだまま、右手を差し出す。左手を差し出す。
琥珀色の双眸が金色の神気を灯していた。
「「我らは銀の門を越えるために。“鍵”を打ち砕くために」」
「──やってみろ……!」
左胸を握りしめながら、心底憎悪と憤怒に塗れた殺意を叩きつける。陽炎の揺らめく、黒い感情の念は魔力を伴って“瘴気”となり、ティオとティアに吹きつけられていた。銀の髪をなびかせて二人が手を離す。
まるで大事な、生涯唯一の宝物であるかのようにエヌラスは全身の痛みも怒りでねじ伏せて歩み出した。コレは壊させない。コレだけは絶対に手放すわけにはいかない。いつだって無くてはならなかった、ちっぽけで、しかし、無くてはならない勝利の鍵だったのだから。
──あの人が託してくれた、最初で最期の
「例え、御身が神であろうとも──!」
絶望に屈した人がいる。神の創り上げた箱庭の世界に、繰り返される永劫輪廻に、全てを奪われた人を知っている。生きる意味の全てを奪われた。
あらゆる魔道に通じ、地上最強とまで称された怪物を知っている。
何もかもを諦めた。全てを投げ出した。人生の余韻、一分一秒余さず全てが退屈と暇に塗り潰された人を覚えている。忘れもしない。忘れるものか、嗚呼、忘れるものか──!
俺は、そんな人に戦う術を教えられたのだから。
──師匠を。友達を。退屈と絶望から必ず救うと決めた。
「我“等”の運命は砕けない! やれるもんならやってみやがれ、クソガキ共がぁ! テメェ等の全速力で超えてみろ!」
「ボク達は“窮極の門”を超える」
「ウチ等は“銀の鍵の門”のその先へ、まだ先へ、例え神であろうと辿り着けなかった“門”の先へ、可能性へ──」
「「我が運命は辿れない、例え御身が神であろうとも──イア!」」
銀脚が澱んだ輝きを放つ。
ティオの右脚が。ティアの左脚が地面を打ち鳴らす。風を踏み越えて。大嫌いな風を置き去りにして二人が光弾と化した。もはや、別次元の速度の領域。音速が遅れてくる、光であっても、もはやそれは、空間跳躍に等しく時間という概念を蹴飛ばして跳ねていた。鋭角に、多角に跳ね回りながら“時間の角度”を蹴りつけて無数の光線を描いてティオとティアがエヌラスを蹴り飛ばす。
右から左へ、左から右へ、上から下へ、下から上へ。防御陣の展開が追いつかない、一手、二手三手──千日手の遅れとなって初撃を防ぐ頃には数千数万の蹴撃と魔術によって打ちのめされている。
銀の軌跡が描くのは黒く汚れた旧神の紋章。
同時にかざした剣指によって呪文が発動される。それは、加速のための航路。果てなき地へ向けた通過点。
辿り着くことない可能性へ向けた一点突破。まだ足りない。まだ追いつけない。まだ追いつかない。まだ辿り着けない。まだ、答えは出ない。
散開させていた軌跡を収束させる。尽きることない流星となって、光速を超えた全速力の蹴撃は羽丘女子学園を崩落させながらも止まなかった。
口訣を結ぶ。
「我は忌むべきもの」
「我は憎むべきもの」
「我が銀の脚は傲慢なる神を憎むもの」
「我が銀の脚は不遜なる神を忌むもの」
「「ディストラクト──!」」
星天を眼下に仰ぎ、双星が駆ける。
空間が砕けて迫る、だがそれでも追いつかない。次元を越えて、角度を粉砕し、風を踏み抜きながら一条の光輝が駆け抜ける。
「「アラオザル・パニッシャァァァッ!」」
解放された邪神の呪術がエヌラスの身体へ打ち込まれ、刻み込まれ、それはようやく物理的な速度を伴って現実が追いついてきた。
羽丘女子学園を襲う嵐、木々をなぎ払い、木の葉の如く舞い上がらせて校舎を風で削り取りながら砂塵が散弾銃のようにガラスに叩きつけられて一枚残らず薄氷のように砕け落ちた。
蹴り飛ばされた身体が学園を崩壊させながら屋上から一階まで貫く。地面がエヌラスを受け止めたが、自重に耐えかねて瓦礫が降り注ぐ。立ち上がる暇も起き上がる間もなく生き埋めとなった。生きているかどうかも定かではないが、どちらにせよ戦闘不能なことに間違いはない。
ティオが鬱陶しそうに脚に纏わりつく紫電を手で埃のように払う。ティアも同様に。
「──ちゃおっ☆ のろまのおにーちゃんっ」
「ま、ウチらに追いつこうなんて無理な話だよ」
「あはははは、ホントにねー。そんなことできっこないって」
「さて、どうしよっかティオ。学園、結構壊れちゃったけど」
「大丈夫かなー、ヒナおねーさん……ちょっと気になるかなー」
二人が見上げる羽丘女子学園は、もはや廃墟に近い。結界のおかげで崩壊しているのは敷地内だけで済んでいるが、本来ならば大陸一つ沈んでおかしくなかった衝撃だ。
塀は崩れ、ガラスは砕け、校舎も壊れ、灯りも消えている。それでも人の気配があった。
一人は氷川紗夜。あまりの異常事態に、エヌラスのサイバネコートを頭からかぶっている。
一人は氷川日菜。紗夜と一緒にコートを頭からかぶっていた。二人が校舎から出てくると、息を呑む。
ティオとティアが天文部を避けるように駆け回ったおかげで幸いにも大事には至らなかったようだが、崩落した学園にめくりあげられた地面、横薙ぎの木々。大災害、天変地異でも起きたのかと見紛う大惨事に言葉を失っていた。
「あ、よかったー。ヒナおねーちゃん無事だったみたい」
「ホントだ。あのコートのおかげで怪我もしてないし、うんうん。よかったー」
「あれ、遺品になったりして」
「あはははは、それじゃあ大事にしないとね」
──この二人の無邪気さは邪悪そのものだ。恐怖でしかない。
「……エヌラスさんは、どうしたのですか?」
「あそこだよ、つまらないおねーちゃん」
ティアが指し示したのは、瓦礫の山。そこにいると言っていた。とてもではないが、生きていられるとは考えられない。自分の中で希望が砕ける気がした。堪えてきた恐怖に涙がこみ上げてくる……だが、握り返してくれた手がほんの少しだけ勇気を分けてくれた。同じように怖かったはずなのに、自分よりも悪い神様を目の当たりにしていた日菜の目が自分を見据えている。
そして、力強く頷いた。──だいじょーぶ、と。根拠のない自信に満ち溢れている。
「多分死んだんじゃない? 例え仮に生きてても動けないだろうけども」
「さて、それじゃヒナおねーさんっ♪ ウチらと一緒に来てくれるかな。嫌って言ってもいいけども、神様の気まぐれでおねーさんのおねーさんがどうなっちゃうかわかんないよ」
「絶対にダメ! おねーちゃんは関係ないんでしょ、だったら」
「だったら? いなくてもいいよね」
「そうそう。消してもいいよね? 違うの? 関係ないって言うのは、そういうこと」
「いてもいなくても変わらないって言うのは、顔も名前も血も縁もなにもない人のことを言うんだよヒナおねーさん」
「そんなはずないよね、そんなわけないよね。だってヒナおねーちゃんと同じ血が流れてる“つまんない”おねーちゃんなんだから」
「「あははははははははははは──!!」」
「…………っ」
今度は、日菜が泣きそうな顔をしていた。その涙を見せまいと紗夜が自分の背中で隠す。痛いほど手を握っているのは、恐怖を堪えているから。砕けそうな心を、その手で繋ぎ止めていた。
「確かに──私は、日菜とは違います。昔からこの子には置いていかれてばかり。最初に始めたはずなのに、すぐこの子に追い抜かれて。何をやっても、昔からそうだった。何をやっても、つまんないって。あなた達の言う通り、私はつまんないおねーちゃんなんでしょう」
「…………」
「この子の顔を見ることもできない時期もありました。なんて疎ましいんだろう、なんて考えた日も。なんで私がこの子の姉なんだろう、どうして双子に生まれてしまったのかとも。ですが、それはあくまでも昔の話です。日菜はずっと、待っててくれた。私が追いかけてきてくれるのを。私が向き合うようになってくれるまで、ずっと。あなた達みたいに駆け抜けるばかりではなく、走り続けるだけじゃない。ちゃんと待っててくれた、たった一人の妹を誰があなた達のような馬の骨に渡すと? 神様の供え物にする気など、欠片もありません」
怖くて、怖くて。恐ろしくて堪らない──自分達よりも幼くて、小さくて、自分達よりも仲が良い双子の神様をまっすぐ睨み返して氷川紗夜は断言する。
お前達に、妹は渡さないと。
何もできないけれど、何もしてやれないけれど──手を握ってと、頼まれた。
神様の言うつまんないおねーちゃんにできる、たったひとつのちっぽけな願い事。
どんな天才にだって埋められない孤独を満たす、小さな温もりがここにある。
「……ねぇ、二人とも。あたしもおねーちゃんも二人には何にもできないんだから、聞きたいことがあるんだけどいい?」
「いいよ、ヒナおねーちゃんは特別だから」
「うんうん。どうせこの宇宙を壊すのなんて後でいいし」
「えっとさ。この『演算』なんだけど、あたしでも全然わかんなくって。それでティオちゃんとティアちゃんなら解るかなって思ったんだけど。答え、教えてもらえないかな?」
「それくらいならいいよ、きっと“向こう”に行けば沢山知ることができるけど」
「どんな演算なの?」
「はい、これ」
日菜が差し出した『演算ノート』を受け取り、ティオとティアがページを開いた。
そして、顔が凍りつく。目を見開いて、驚愕に息を呑んでいた。
「──こ、れ……ヒナ、おねーちゃんが…………?」
「ううん。あたしは途中まで。途中からかな? よくわかんない計算式だけど“虚数解”の公式に似てたから、こう……るんっ♪ってくる式で埋めてたんだけど」
「……」
双子の顔が歪む。それは怒りにも似たむき出しの感情、だがその矛先は日菜ではない。
憎悪。憎悪。嫌悪。嫌悪。恐怖。気が狂っている、こんなものは狂気の沙汰だ。
「「貴様は、こんなものを計算していたのか──“
──瓦礫が爆ぜる。粉塵すら残さず、這い出すようにして。自らの身体を持ち上げる。
左胸の魔術刻印が輝いていた。そこから全身に走る魔術回路が励起して稼働している。自己再生に集中させた魔力は壊れた体組織を修復していく。激痛が伴う。神経が焼き切れる。脳が反応を拒絶するほどの激痛に次ぐ激痛が走馬灯を呼び起こす。
……それは、遠い記憶。過去の記憶。いつか見た、光景。郷愁の情景には、師と仰ぐ人がいた。傍らに立って魔術を披露してくれた。
山を穿つ、黄金の一矢。師が得意としていた魔術にあの頃は感動していた。後にそれが雨のように自分に向けられることになるとは露知らず……。
『なぁ、師匠。俺にもそれが撃てるようになるのか?』
『──無理だな。お前、魔術の構築が基本的に杜撰で適当だからな』
『いや、そりゃ師匠が俺に構築式を教えてくれないのが原因で……』
『お前はバカか、いやバカだったな。すまんなバカ弟子、よく聞けバカ。何度でも言ってやるからなバカ。このタコ。魔術は基本的には一世一代だ。それを語り継ぐのが通常の派閥だが、生憎と私は弟子を取らん主義だ。聞いているかバカ。というか聞いても覚えられんだろうこのハゲ。タコ』
『どんだけ人のこと罵倒すれば気が済むんですかアンタは……というか一番弟子目の前にして言う台詞じゃねぇんですけど?』
『だが──嗚呼、そうだな。もしもお前が、ここまで辿り着けたのならその時は……』
──その時は、お前を二度とバカとは呼ばんよ。
「……、──ヅ、ぉ……ああぁぁぁいってぇええええクソがぁぁぁぁっ!!! ふざっけんじゃねぇぞ畜生がぁああ!!」
血反吐にまみれて立ち上がる。
砕けた骨子を繋ぎながら、千切れた筋肉を戻しながら、魔力の回転率を上げる。合わせて心臓が破裂しそうなほど鼓動を繰り返した。
立ち上がれる傷ではない、動けるはずがない。全身を打ちのめされて、邪神の暴威に飲み込まれて、神気と瘴気を叩きつけられて、刻み込まれた身体が原型を留めているだけでもあり得ない。
──だからこそ、恐ろしかった。氷川紗夜も氷川日菜も、ティオもティアも。
その、怪物が、なによりも恐ろしい獣に見えて仕方なかった。
「耐え、たぞ……テメェらぁ! えぇ、おい! 覚悟しろよクソガキ共が!!
──
血糊で髪をかき上げながら、怪物が笑う。狂ったように、血迷ったかのように。
最初から解は出ていた。それは、ティオとティアがエヌラスを前にした瞬間から、既に。
「邪神は、皆殺しだ! 一匹残らず! この世から、俺の目の前から! 死ぬまで殺し続けてやる! 俺が死ぬのは、その後だ! 死ぬより楽なことなんかこの世にねぇんだからよ──生きて、苦しめ! 地獄は此処だ、引きずり落としてやるから逃げんじゃねぇぞ自慢の銀脚で!!」
狂っている。気が狂っている。血迷っている。アレは血を求めて彷徨う怪物だ。
自ら流した血を、邪神の血ですすぐ鮮血の怪物──“ブラッド”がそこにはいた。