大切な歌だった。大事な大事な、思い出の曲。
こんな自分でも生きていいのだと、そう言われた気がしてエヌラスはその曲が一番のお気に入りだった。
同じように、“死を想う”という歌がある。大魔導師はそちらの方が気に入っていたが、エヌラスはその言葉が嫌いだった。逆張りとかではなく、ただ純粋に気に食わなかった。
マリーが、聴き惚れているかのように呆然としている。その横顔は、紛れもなく初恋の彼女その人だ。少し驚いた顔をしているのは、その楽曲を知っているからだろう。
溢れる想いが堪えきれずに、雫を垂らしながらも香澄は歌うのを辞めなかった。ギターをかき鳴らして、ありったけの想いを込めて声を張り上げる。目尻に涙を溜めて、溢れる涙をこぼして。それを拭うこともせずに。
「……──いい歌だな」
「──うん」
「ほんとうに……、いい歌だ。俺が一番好きな曲だ」
「うん、知ってる。最後の言葉、大好きだもんね」
「……“希望の歌を届けよう”って締めくくられるの、すげー好きなんだ」
マリーの手を握って。
香澄達の歌を聞き届けて。
エヌラスは、その歌声に耳を傾けていた。
「後味悪いの、嫌いだからよ。やっぱ、ハッピーエンドがいいよな」
やがて、壇上で演奏を終えると肩で息を整えながら、会場の熱気を一身に受けて涙を拭う。だが、香澄達の身体の輪郭が徐々に薄れていった。
慌ててスタンドマイクをつかみ取り、ハウリングの間を置いてから叫ぶ。
「エヌラスさん──!」
「……香澄」
「ごめんなさい、私達──ごめんなさい! こんなことしかできなくって、これくらいしか思い浮かばなくって!」
「──いいんだ。ありがとな、香澄。お前たちの精一杯のキラキラもドキドキも、届いてるよ。だから香澄、俺からもお別れのプレゼントだ」
どうしてきたのか。どうやって来たのかは、今はどうだっていい。
いつか聞いた、あの日の答えを返す。
「──“星の鼓動”を聞かせてやるよ。俺はもう、大丈夫だ」
ステージの上から、香澄達の姿が消える。届かないはずの手を伸ばして、同じようにエヌラスも差し出して銃に見立てた指を向ける。
夢も、歌も、全部この胸に届けられた。
香澄達の消えた無人の壇上を見つめていたマリーが、不思議そうに首を傾げる。
「ねぇ、エヌラス。あの子達──」
そして、次の瞬間。自分の額に押し当てられる冷たい鉄の感触に目を丸くしていた。恐れるでもなく、ただ不思議そうな顔をして。
「──マリー。お願いがあるんだ」
「……うん。なぁに?」
「嘘でもいい。ただ、一言だけでいい。俺に、お前の本心からの言葉を聞かせてくれないか」
エヌラスの声が震えていた。見向きもせずに、ただ銃口だけを突きつけている。
「それだけでいいの?」
ただ、頷く。
マリーは、大きく深呼吸を繰り返すと自分の胸に手を当ててから、いつも以上に柔らかく、慈愛に満ちた声でゆっくりと。だが確かにはっきりと口にした。
「エヌラス──私ね、貴方のことを愛してる。だからね、これからもずっと──私を
「──────、ありがとな。マリー。ありがとうな……俺も、お前を愛してるよ」
撃鉄を起こす。重苦しい金属音とともに、弾倉が回る。装填された弾丸は、人間に向けたものじゃない。怪物を殺すために用意した弾丸だ。その口径も拳銃というよりもはや小口径の大砲じみている。
引き金にかけた指を引く。
重い銃声が響いた。肉の砕ける音、骨の散る音。命の消える音、下顎から上のなくなった初恋の人が、ごとりと人形のように倒れる。
あの日の夢の続きが見れて、本当によかった。この世界が全部、幻だったとしても。もう一度会えて、本当によかった。
だが──それでも、夢は終わらない。エヌラスが周囲を見渡しても人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うばかりで喧騒の中心に立っていた。
てっきり彼女が中枢を担っているとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
エヌラスは、鼻で笑った。
「そうかよ。これで俺の目が覚めないっていうなら、しょうがねぇ。──全部ぶっ壊すか。遠慮なんかしねぇ。手加減もしねぇ。そもそも、散々ぶっ壊し続けてきた勝手知ったる俺の国だ。俺の故郷だ。塵一つ残さねぇぞ」
悲観に暮れるよりも先に、エヌラスの胸から湧き上がってきたのは“怒り”だった。
左胸の“銀鍵守護器官”のギアを上げる。熱暴走を引き起こしかねない臨界領域を維持しながら、地面を足で叩く。
「ハンティングホラー」
愛犬が影の中から応える。覚えている。当然だ、そのはずだ。
この地獄は、一人と一匹でずっと駆け抜けてきた。フルカウルのヘッドを撫でて、エヌラスは倭刀を取り出す。
「──地獄は此処からだ、始めるぞ」
“黒月の母”シュブ=ニグラスは、焦っていた。
こんな物を望んでいない。こんなはずではなかった。こうなるはずではなかった──白痴の夢に捕えてしまえば、成すすべもなく陥落するはずだった。それなのに、どうして。
何故、あの魔術師は──自分が望み、願った全てを壊しているのだろう。
気が狂っているとしか思えない。あり得ない──最愛の人も、戦友も、恩師も、何もかも全部。
跡形もなく破壊の限りを尽くすなど──!!
星の裏側。星の内側に築きあげた“
「──何をしているの? どうして受け入れてくれないの? どうして?」
壊れていく。壊していく。血反吐にまみれながらも、何度でも立ち上がって。
それは、貴方が望んだ理想の世界。貴方が願った理想郷。それなのに、そのはずなのに──最強の
「やめて──どうして。そこに、いたいのも、つらいのも、くるしいのも、全部ないのよ?」
護国の鬼神を降し、最強の女神を殺し、それでもまだ破壊の手は止まらない。
──
「うるせぇクソババァァァアアアッ!!!! そォこかああああッ!!!」
あらん限りの声で吼えるエヌラスが飛び立つ。だが、無駄なことだ。
そこは星の中心。星の裏側に作り上げた、貴方だけの理想郷。他の全ては落とし子で形成されている異界だ。その垣根を越えることなど不可能だ──シュブ=ニグラスの口元が嘲笑で彩られる。
──しかし。
「──
あろうことか真正面から、星の壁をぶち抜いて脱出してきた。
天蓋を砕いて、空の破片を更に粉微塵にしながら怒りに燃える破壊神が宇宙空間に身を投げ出す。
振り返り、そこには黒い月と一体化していた巨大な邪神、シュブ=ニグラスを睨む。怒りに呼応するかのように“機神の右腕”が赤く燃えていた。
長く垂れた黒い髪は、まるで影法師のように身体を覆っている。その下は一糸まとわぬ全裸だった。
「よぉ、初めましてだなクソババァ。一身上の都合でぶっ殺す」
「──どうしてあのまま眠らなかったの? 貴方の大切なものは、全部あったのに」
「あー、そのことだけどよ。ひとつだけ礼が言いてぇんだ。ありがとよ。おかげでテメェ等をぶち殺す理由を思い出せた」
シュブ=ニグラスの下半身は、黒い月そのものだった。そしてそれを全て形成しているのは落とし子達に他ならない。しかし、敵対するエヌラスに襲いかかろうにも赤熱化した機神の右腕の熱波と熱量を前に燃え尽きていた。
「痛いのも、辛いのも、苦しいのも、悲しいのも! あいつ等の分も全部、俺が背負い込むって決めたんだよ! 俺の地獄の始発点はあそこだ、俺の終着点もあの地獄だ! 全部ぶっ壊してきたんだ! その俺が今さら自分の幸福なんか望めるはずがねぇだろうがぁ!!! 寝言ほざいてんじゃねぇぞクソババァ!!!」
「っ──おろかな。救いようがない、おろかな人」
「ああそうだよ、知らなかったのか?
なにも手に入らないことを知っている。壊すばかりで、手に入れたものがことごとく壊れていくばかりなのを。わかっている。こんな手で、こんな力を生まれ持ってしまった。
必要とされたから。奇跡の果てに生まれてしまった命だ。生まれるべきではなかった命だ。
それでも──たった独り。この力を必要としてくれた人がいた。
その人が教えてくれた。“諦めるな”と。そうすればお前は、世界の誰よりも強いのだから。
諦めたことなど、今までただの一度だってない。
俺自身の
ただそれを、一番後回しにしているだけで。
だがどうするというのか。戦力差は歴然、質量差も歴然。圧倒的な物量を前にして、小さな身体ひとつでどうするつもりなのか。
「そんな、“鬼械神”の右腕一本で……私に、勝てるとでも?」
「あ? 勝ち負けじゃねぇんだよ、勘違いすんなクソババァ。──テメェだけは、絶対に許さねぇ。テメェだけは絶対に許せねぇ。俺の一番大事な人を、俺に殺させたんだ。だから、ぶっ壊してやる」
「壊す? どうやって? 貴方のことは、よく知っているわ。その“無限熱量”のことだって」
そう、限界が存在する。“無限熱量”といえど、その呪法もまた摂理に囚われている。無限に膨張し続ける熱量を抑え込むために、結界が必要になるのだ。当たれば必滅、だが諸刃の剣。ハイリスク・ハイリターンの魔術をシュブ=ニグラスは恐れなかった。
「……なに言ってんだ、お前? これだけバカでけぇ的なら外しようがねぇだろうが」
「貴方こそ、何を言っているの? できるはずがないでしょう?」
「そうか。──
高く掲げた右腕と同じく、機神の右腕が唸る。怒りに震える機神の腕が展開していく。
螺子の一本、歯車の一つに至るまで。その全てが超質量の魔術で構築されている。
紛い物の神。造り物の神様。いかにその威容が巨大と言えど、星を一つ飲み込む魔術などできるはずがない。制御を誤って自滅するのが良いところだ。
白い闇。“無限熱量”を秘めた結界が機神の掌に生み出される。それは、徐々に膨れ上がっていき──シュブ=ニグラスが絶句した。
「そんな……そんなはず──」
「じゃあな、クソババァ。“向こう側”ごと消し飛びやがれ」
まるで、黒い太陽のように。
地球を背負ったエヌラスが、黒月の母に臨む。
「“無限熱量”は、可能性の焼却! 自身の運命を切除して放つ“異界からの熱量”のはず!」
「ああそうだよ! 俺は最初から
人ではない。魔術師でもない。厳密に言えば──、絶望の魔人として生を受けた。
その命は、あらゆる可能性を“否定”している。
何故なら最初から“存在してはいけない”のだから。
「俺の限界を、俺自身の権能でぶっ壊して越えてんだ! そりゃあ死にたくても死ねねぇよなぁ! 覚悟しろよクソババァが!!! テメェだけは──ゴミクズひとつ残さねぇッ!」
エヌラスが、口訣を結ぶ。
──この技は、最強の好敵手の名を冠する。
あまりに眩しくて。あまりに強くて。
欲しくてたまらなかった“輝望”を名乗ることを許された鋼の軍神。
「光差す世界に──汝ら闇黒、棲まう場所なし! 渇かず、飢えず、無に還れ!」
膨大な熱量の光球が圧縮され、機神の掌ほどにようやく収まった。だが、そこに込められた熱量は無限と等しい怒りと殺意の劫火に満たされている。
黒い月と一体化していたシュブ=ニグラスは、その巨体が裏目に出ていた。避けようにも避けられない。ましてや受け止めることなどできるはずがない。
天文学的数字の落とし子達をどれほど差し向けたとしても、その熱量の前には無意味だ。
ならばせめて、あの青い星だけでも──差し向けようとして、目を見開く。
“天体規模の超魔術”によって覆われた地球に、落とし子達が辿り着くことは決して無かった。恐ろしいほどの射撃精度で自動迎撃されている。
守られている。護られていた。何者かの手によって。
「やめて──私は、ただ……可哀想な
「テメェなんぞに救われなきゃならねぇほど、世界は弱くねぇ! アイツらは自分の足で歩いていけるんだよ!」
──そうだろ、童子切安綱。
黒い月を飲み込む、“無限熱量”の白い闇。逃げ惑い、這い回る無数の落とし子達は成すすべもなく呑みこまれていった。
「シャイニング──インパクトォ!!!」
シュブ=ニグラスは自身を焼き尽くす劫火に身を包まれながら、疑問を感じていた。
あの魔術はなんだったのか。天体規模の超魔術など──かの“旧き神”に比肩する魔術師しかいない。
だが、覚醒世界に存在するはずがない。ならば誰が?
その眼が、朧気に見たのは黄金の影。無限熱量の炎に“焼滅”させられながら、終わらない悪夢を見た。視てしまった。
闇よりも暗い、黄金の瞳を──。そして、もうひとり。
──
「──昇華ァッ!!!」
その日。黒い月は消滅した。世界を揺るがす轟音と共に跡形もなく。
……、香澄は薄く目を開ける。涙を零しながら夜空を見つめていると、あの日聞いた星の鼓動が聞こえた気がした。
「────きれい」
キラキラと舞い散る、黄金の雪。
大樹から散る木の葉のように、夜風に舞う光に包まれて戸山香澄は、再び眠りに落ちた。
それがあまりにも綺麗な景色すぎて──まるで自分が夢でも見たのだと思って。
あの人は最後まで、“さよなら”は言わなかった。
だから。きっといつか。また、会う日まで。
──私たちはこれからも、たくさんの希望の歌を届けます。