【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二八幕 凶星、堕つ

 ──羽丘女子学園は、もはや廃墟と化していた。それを咎める人はいなかったし、咎められる状況でもなかった。仕方のない犠牲だったと片付けられるものでもない。しかし、邪神を相手にこの被害で済んだのはそれだけでも多大な戦果だった。

 地面を見下ろしていたエヌラスが、顔を上げる。学園の敷地をすっぽりと覆っていた位相差結界が、徐々に解除されていく。術者であるティマイオスとクリティアスが消滅したことにより、その効力を失いつつあった。

 世界が元の形に戻りつつある。学園の外もいつもの景観を取り戻し、モヤが晴れていった。空を見上げれば、満天の星空と月明かり。

 ぼんやりとエヌラスは夜空を見ながら、全身を襲う疲労感と倦怠感と眠気と空腹と激痛に気絶しそうになった。だが、駆け寄ってくる人の気配に振り向くと紗夜と日菜が心配そうにしている。

 

「エヌラスさ──」

 その額に、ピタリと銃口を据えた。日菜が立ち止まり、息を呑む。

 

「邪神は皆殺しだ、例外はない。その眷属も含めて」

「…………」

「日菜、ひとつだけ確認させてくれ。お前は、アイツ等から何か貰ったか? もしそうなら、それを捨てるなり何なりしろ。もし、そうでなけりゃ俺はお前を殺さなきゃならん」

 日菜は涙ぐみながらも首を横に振る。あの二人は何もしなかった、何も渡さなかった。ほんの、短い間だけ一緒にいた。たったそれだけだ。

 目を伏せて、エヌラスは銃口を逸らす。深く息を吐き出して、その場にへたり込んだ。

 

「だろうな~、お前から邪神の気配しねーもん。あーよかった。あー疲れたあー腹減ったあーねみぃ、あー全身超いてぇ! もう何っっっにもしたくねぇ!!」

「…………」

「…………」

 銃を魔力分解すると大の字に寝転ぶ。目だけで周囲を見渡し、学園が元通りになっていることを確認する。

 位相差結界による、位置のズレた領域へ固定されていた敷地が元に戻ったのはいいが、それでもやはり破壊の跡が残っていた。放置しておくわけにもいかない。朝までに直しておかなければ大騒ぎになるだろう。

 

 ……この人、本当にさっきまでのと同一人物なのだろうか? 素朴な疑問が紗夜の頭に浮かぶ。

 双子の邪神を相手にして、終わった途端にこの始末。だが、全身の怪我は紛れもなく致命傷に等しい。

 黒く焦げ、重度の火傷を負った右腕に、凍傷でひび割れている左腕。全身打撲に、出血多量。しかし、口元にタバコをもう一本加えると指を鳴らして火を点ける。惨状に似つかわしくない爽快感のある柑橘の香り、それに日菜が鼻を鳴らして気がついた。

 

「エヌラスさんのその香り、タバコのだったんだ?」

「タバコっつーか、薬。劇物。あんま嗅ぐな」

「なら吸わないでください」

「さっき禁煙とかは気にするなって言ってなかったっけ紗夜さんよ……」

「それとこれとは話が別です。大体、身体の怪我も早く治療しないと命に関わりますよ、病院に……」

「保険証もなけりゃ身分証明書もない不法滞在外国人の俺に治療費支払えるだけの能力があると思ったら大間違いだ。あと怪我なら今現在進行系で治してる」

「どうやって?」

「体組織修復。身体を最善の状態に維持する機能を魔力で促進してる」

 焼け焦げた肌を振って見せて、それから埃でも払うように腕を叩くと皮膚がボロボロと剥がれ落ちる。その下に真新しい肌が覗いていた。表面からではなく、骨格、筋繊維、内部から修復していくためにどうしても表皮は傷が残りやすい。

 魔力を全身に流すための神経、魔術回路を全身に後付で施術されたのも起因している。起動させていると魔力光が浮き出す。それをまじまじと日菜が見つめ、顔を近づけていたがエヌラスがすぐに顔を押し返した。

 

「だから、タバコ吸ってんだから近づくなって言ったろうが日菜ちゃんよ。聞いてたか俺の話」

「むぎゅー、だって気になるんだも~ん~」

「いいか、コイツは普通の魔術師でも吸ったら廃人レベルになる劇毒だ。そんなん多感な時期の女の子に嗅がせたらどうなるかなんて俺も考えたくねぇよ。つーわけで離れろ、嗅ぐな。近づくな」

「え~……?」

 不満たらたら、といった様子で日菜が頬を膨らませている。

 

 ──その脳裏に、直接誰かの声が響いた。それは聞き覚えがある声で。消えていなくなったばかりのはずだった。

 

『……ヒナおねーちゃん、聞こえてる?』

(……もしかして、ティアちゃん?)

『うん。ウチもいるよ。依代は潰されて肉体維持できなくなったけど、まだウチらの本体は残ってるからね』

 日菜が視線を外して盗み見たのは、地面に落ちている銀の脚。それだけは泥のように消えていなかった。身体の回復に意識を集中させているからか、エヌラスはまだ気づいていないのだろう。

 

(あたしに、何か用?)

『うん、まぁね。ボクらは負けちゃったけど』

『ウチらはやられちゃったけど。ヒナおねーさんだけは助けてあげようかなって思ったの』

『まだ人類滅亡のカウントダウンは回避されてないからね。規模は小さくなるけど、星を落とすのは諦めてないよボクら』

『そうそ、だからね。軌道修正したの。日本に落ちるように』

(……そんな)

『だから、ヒナおねーちゃん』

『だからね、ヒナおねーさん』

『もうちょっとだけ、その怪物の注意を逸らしてて』

『そうしたら、あなただけは助けてあげる』

 ドラッグシガーの紫煙を吸い込んだからか、日菜にはハッキリとそれが視えた。

 ズレた世界の、この世ならざる常理。世界はこんなにも色鮮やかで摩訶不思議な彩りに溢れている。日菜が見たのは霊子(エーテル)の流れだった。魔力と密接に関わりのある霊媒に一瞬だが魂を奪われかける。だが、目を閉じて、すぐに紗夜の横顔を見つめた。

 呆れて、エヌラスを説教している。それに平謝りしながら適当に聞き流しているオカルトハンターに日菜が口を開いた。

 

「エヌラスさん」

「んー? なんだ」

「あの二人、まだ生きてるみたいだよ。ほら、あの脚。あれが本体だって言ってたもん」

 躊躇なく、ティマイオスとクリティアスの誘惑を振り切って指を差した。二人の声にならない悲鳴が聞こえた気がする。だけど、もう、いまとなっては“るんっ”とは来ない。

 大好きなおねーちゃんを、つまんないと言った。そんなことはないと胸を張って言える。

 落ちている脚が起動する──だが、エヌラスは座り込んだまま気だるそうに左手に白銀の回転式拳銃を召喚すると、魔力を込めた。紫電が奔る。

 電磁加速式の魔弾が、二足が逃げ出した直後に撃ち抜いた。今度こそ完全に砕け散り、汚泥を撒き散らしながら消滅する。

 

「あと、星辰操作で規模を縮小させた星を日本に落とすって言ってた」

「あのクソガキ共は地獄でもっぺんしばき殺す。日菜、どの辺かわかるか?」

「くんくん……」

「だから嗅ぐなや!?」

「──んー、と。なんかキラキラした感じの流れがあっちに向かってるから……此処からだと、おとめ座とからす座の辺り! あの辺!」

「……あー、わかった。お説教はまたの機会だ。んじゃ最後の仕事してくるか……」

 頭を掻きながら立ち上がり、軽い準備体操を始める。身体が軋んだ音を立てているのを紗夜は聞いていた。きぃ、きしっと全身がうめき声を挙げている。その度に苦い顔をするエヌラスに、なんだか申し訳ない気分になった。

 

「……その体で、何をするつもりですか?」

「隕石蹴り飛ばしてくる」

「あなたがすることで今後、いちいち驚いていたら心臓がいくつあっても足りませんね……」

「普通の人間はひとつしかねーんだから後生大事にしろよ」

 エヌラスが自分の両脚に紫電を集中させる。そのまま夜空に向かって飛び上がる。

 空間を蹴って遠ざかる背中を見送って、紗夜と日菜は小さく手を繋いだ。

 

「……ねぇ、おねーちゃん」

「……なに?」

「えっと……今日は……一緒に寝てもいい?」

「……」

 怒っているのだろうか。視線を逸らして、小さく肩をすくめていた。

 呆れられている、と日菜は思った。子供みたいなことを言い出して、困らせてしまった。また怒られるかもしれない。

 

「だめ、かな……?」

「…………い」

「え?」

「……だから、いいわよ。ただし、今夜だけよ。私もこんな非現実的なことを目の当たりにして、一人で眠れる気がしないもの」

「────うんっ!」

「……ねぇ、日菜?」

「なに? おねーちゃん」

「──、今日は……星が、綺麗ね……」

 夜空に浮かぶ月が綺麗で、つい口走りそうになった。だけど、余計なことを考えて言葉を濁らせてしまう。

 月が綺麗だ、とはとても言えなかった。自分の妹に向けて。

 そして、夜空を流れる時期外れの流星群。

 どこかに流れて、燃え尽きる屑星の命の灯火を二人で眺めながら紗夜と日菜は目に焼き付ける。

 澄んだ夜の冷えた空気が、静かに火照る身体の熱と早鐘を打つ鼓動を落ち着かせていた。

 

 流星群が消えてから、しばらくして──羽丘女子学園へ向かって落ちてくる黒い人影。

 エヌラスは魔術で落下速度を制御すると、二人の前に静かに着地した。そして、手を差し出す。

 

「……コート。寒い」

「そんな半裸じみた格好で空を飛べば当然です。お返しします」

「二人も今日はさっさと家に帰って寝ろ、こっちはなんとかしておくから」

 サイバネコートを返してもらい、袖を通して前を閉じる。

 帰宅しろ、と言われても夜は遅い。

 あんなことがあった日に、夜道を二人で帰らせるのも酷な話だ。特に今夜は尚更。エヌラスはハンティングホラーを喚び出すと、紗夜の影に潜ませる。

 

「あ、あの? 今のは……」

「頼りになる番犬だ。帰宅するまで護衛につけておくから、はよ帰れ。いいな?」

 有無を言わさず追い払うような仕草をすると、紗夜が眉をつり上げた。日菜も頬を膨らませている。

 

「お断りします」

「えー、やだ」

「なんでや!? あのな、俺も割と結構ガチでギリギリなんだから、これ以上面倒増やすな!」

「なんと言われようと、大怪我をしている人を放っておくわけにはいきません。日菜の命の恩人というなら尚更です。仮にその傷が勝手に治るとしても、消毒くらいはしておくべきでしょう。わかったら保健室までいきますよ」

「身体を休めたら間違いなく気絶する! いいか、今の俺は予想外に魔力を消耗した上にバカみてーな演算のバカみてーな計算のバカみてーな魔術を構築するバカみてーなことをやらかしたせいで頭もいてーしな、こんなもんいつもやってんだからふざけんじゃねぇぞクソ師匠が!!!

 二 度 と や ら ねぇ!」

「エヌラスさんの師匠って、どんな人なの?」

「一言で言うなら暇人──その度合いが人類の範疇越えてるけどな。色々な異名付けられてるが、わかりやすいのは“歩く超常災害”だ」

「超常災害?」

「ん」

 これ、とでも言わんばかりにエヌラスは一階の窓ガラスが全て割れ、一部が損壊している校舎を指差した。魔術による超自然的災害を引っくるめて、超常災害と呼ぶ。それが、歩いている。人間の姿で。

 

邪神災害(ヘルハザード)に片脚突っ込んでるっつーかむしろ向こう側のレベル」

 話をしているうちに、気が緩んだのか不意に視界がぐらつく。立ちくらみに踏みとどまるエヌラスだったが、酩酊感にも似た感覚はドラッグシガーの悪酔いだ。酷い、とても酷い平衡感覚の喪失に意識を繋ぎ止めるのが限界だった。

 

「──紗夜、日菜」

「どうかしましたか?」

「どうしたの?」

「今から五分だけ気絶する。へんなことすんなよ」

 言い終えるなり、その場に電源が切れたように崩れ落ちる。慌てて身体を揺するが、静かな寝息に胸を撫で下ろした。

 念のため脈を確認すると、異様に早い以外は特に問題が見られない。

 驚かせないでほしい。心底紗夜は心臓に悪い思いをしていた。だが、横顔を日菜に見つめられていることに気づき、眉を寄せる。

 

「なに?」

「なんかおねーちゃんがエヌラスさん心配してるのを見てると、変な感じ」

「……と、当然の事をしてるだけ。変なこと言わないで」

 とりあえず、運び出そう──手を貸そうとした瞬間、自分の影からバイクが“ずるり”と出てきた。まるで主人に触れるのを妨げるように分厚いフロントタイヤで紗夜の手を押しのける。傷をつけまいとひどく緩慢な動きで。それを見て日菜が遠慮なくカウルに触れていた。小さく唸り声を上げて大型自動二輪……の、形をした無機物魔導生命体、ハンティングホラーは威嚇している。

 

「触るな、って言いたいみたいよ」

「わーなにこれ! ひとりでに動いてたけどどんな人工知能積んでるんだろ! やっぱりこれも魔術で動いてるのかな。このバイクのこともエヌラスさんに聞いておかなきゃ」

「ちょっと日菜、聞いてる?」

「うん、聞いてるよ。じゃあ、エヌラスさんを置いてあたし達は帰らないといけないよね」

「そうね。こんな遅くまで出歩くなんて……」

 壊れた羽丘女子学園を後にして、氷川紗夜と氷川日菜は自宅へ向けて歩き出した。

 時刻は0時過ぎ──邪神の策略は打ち砕かれた。それが自分達の気まぐれによるものが敗因であったなどとは、もはや誰も知る由はない。

 

 

 

 ──五分後。きっかり目を覚ましたエヌラスが跳ね起きる。周囲の安全を確認し、紗夜と日菜がいないことに安堵していた。今頃はハンティングホラーが送り届けているだろう。

 身体のあちこちが再生したばかりで馴染まない。軽い体操をしてから校舎の修繕工事をすべく中に足を踏み入れた。

 廊下に倒れている宿直の教師を発見し、起きないことを願っていたが、タイミングは最悪だったらしく小さくうめき声をもらして頭を擦りながら身体を起こしている。ガラス片がパラパラと身体から落ちていた。

 

「う、う~ん……。頭が痛い……身体も少し痛い……なにか、悪い夢を見ていたような気が」

「…………」

 まだ背後に立っているエヌラスに気がついた様子はなく、ぼんやりとした頭で周囲を見渡して窓ガラスが一枚残らず割れていることを見て驚き、校庭がとんでもないことになっていることに気がついて開いた口が塞がらない様子だ。

 

「な、な、な──何が起きたんだ!?」

「……おい」

「はうあっ!? だ、誰だねキミは!?」

「ほあたぁっ!!」

「あふんっ」

 顎をさらうような華麗な手刀でエヌラスは教師を問答無用で気絶させた。

 

 

 

 ──翌朝。

 

 羽丘女子学園の生徒達にとって、花咲川女子学園にとって、人類にとってそれはいつもの朝。

 いつもの日常。朝日を迎える日々の平穏。ごく一部を除いて。

 欠伸をもらしながら、今井リサは湊友希那と共に登校していた。二人が前を歩く見慣れた後ろ姿に声をかける。何のことはない、いつものように。ただ今朝は珍しい光景だった。

 

「珍しいわね、紗夜がこっちに来ているなんて」

「おはようございます。今井さん、湊さん。まぁ、その……少し気になることがありまして」

「ハナジョもそう遠くないしたまにはいいんじゃない? それで気になることって?」

「大したことではないのですが」

 学園を見たらすぐ花咲川女子学園へ向かう、という紗夜にリサと友希那は不思議がる。だが日菜は姉妹揃って学園に登校できるのが嬉しいのかそんなことは全く気にしていないようだ。

 四人で羽丘女子学園へ向かっていると、校門の辺りで人だかりが出来ている。

 はて、何かあったのだろうか? ──ますます疑問符を浮かべるリサと友希那。心当たりしかない紗夜と日菜が静かに目を逸らす。

 生徒達の何名かが、近づいてくる姿に手を振っていた。

 

「あ、今井センパーイ! おはようございまーす」

「リサ先輩、おはようございます」

「おはよーっ。どうしたの、この人だかり?」

「みんな退いて退いて。ほら、リサ先輩来たから」

「???」

 朝からテンションの高い生徒達に道を譲られて、何事かと首を傾げて、首を傾げて──目を凝らして、目蓋を擦り、深呼吸をしてから──何事かと首を傾げた。

 備え付けのベンチで眠りこけている不審者が一名。

 頭から靴まで全身黒尽くめの不審者が約一名。見覚えがないと言いたいけれど見覚えしかないし早々忘れられるような人でもない。どっから拾ってきたのか、新聞紙を顔にかぶせてベンチで仰向けになって寝ていた。

 なんで。羽丘女子学園の。ベンチで寝てるのか。理解不能が過ぎる。

 

「ねぇ、リサ。この人……」

「うん、待って友希那」

「……なんで此処にいるのかしら」

「うん、だからね友希那。ちょっと待って?」

 そして、なぜそれが自分に降り掛かっているのか。先生は何をしていたのだろう。

 リサが起こすべきかどうするか悩んでいる間に、紗夜が顔の新聞紙を取っ払う。突然の日差しに眉を寄せて寝返りを打って横になる。それを日菜がコートの端を掴んで引き寄せると、ベンチからずり落ちた。

 

「いでっ」

 短く呟いて、身体を襲った衝撃の正体を確かめるべく寝ぼけ眼で地面を叩いている。自分がベンチから落ちたのだと気づいて、すらりと伸びる足に気が付き、目線を上げようとして──それがスカートを覗く形になっていることに、まったく頭が追いついていなかった。エヌラスはすぐに視線を外し、身体を起こす。

 完全に、寝起き。無防備を晒していた。目頭を押さえている。

 

「おはようございます、エヌラスさん」

「……んー……あー……さよ、おはよう……」

「それで? どうして学園の敷地にあるベンチで寝ているのですか?」

「……少しだけ横になろうと思って」

「今、何時だかわかりますか?」

「…………わかんね」

(うわー、紗夜めっちゃくちゃ怒ってる。っていうかこの人、寝起きものすっごい無防備……)

 新聞紙を畳み、丸める。それを振り上げて頭を叩こうと勢いよく振り下ろすが、それが“スイッチ”を入れたのかエヌラスが座り込んだ体勢から器用にも身体を跳ね起こして回避した。

 

「あぶねぇな、何すんだ」

「目は覚めましたか?」

「え? ああ、おう。で、何か用か?」

「…………」

「……?」

 無言で腕を組み、睨んでくる紗夜に怪訝な表情を見せる。そして、それ以外の存在に気づき──自分が今置かれている状況を把握した。

 リサが引きつった笑顔を浮かべている。友希那はいつもの無表情。紗夜は怒り心頭。日菜はにこにこと満面の笑み。エヌラスは朝の爽快な青空を見上げて、腕を組む。

 

「……今日、めっちゃ天気いいな」

「ええ、そうですね?」

「こう、天気がいいと走り出したくなるな?」

「ジョギングは健康に良いそうですよ?」

「はっはっは、そうかー。そうなのかー、んじゃちょっと走り込んでくるかー。おはようリサ、友希那、日菜」

「……おはようございます」

「……今、挨拶するタイミングかしら」

「おはよー、エヌラスさん。校舎の方から先生来てるよ?」

「よっしゃ全力で走りたくなってきた! お・邪・魔、しましたぁぁぁぁぁあああっ!!!」

 教師達の制止の声も振り切って、学園の塀に向かって走り出すと壁を蹴り上げて縁に手を伸ばす。勢いを殺さずに身体を持ち上げて宙返りすると塀の上を走りだした。まるでネコのような身軽な動きに、教師達も驚いている。一部始終を見学していた生徒達からも驚きの声。

 腰に手を当てて紗夜が呆れていた。

 

「では、私はこれで失礼します」

「? え、もう行くの? っていうか紗夜の用事ってなんだったの?」

「別に、大した用事ではありませんよ。もう済みましたので──()()()()()()()()()()()()()が見たかっただけですし」

 あるのはただ、いつもの日常。変わらない光景。

 昨夜の出来事はまるで悪い夢であったかのように、ただ人々は知らずに過ごしている。

 それが本来あるべき姿。それが本来自分達がいるべき場所。それが、たった一人の犠牲の上に成り立っているとは知る由もなく。

 全てを知る空は、黙して本日も晴天なり──まばゆい光を放つ太陽の日差しだけがあった。

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