第二九幕 取り返した平和
「聞いてくれるか道行く子猫ちゃんよ。ここ最近、俺の扱いが変なんだ、どう思う?」
にゃー。
「そうかそうか聞いてくれるか。嫌われていないだけマシっていうか、むしろ構われすぎている節がある。だがそれにしたって俺は異性として見られていないみたいなんだが、どう思うよ」
ふにゃー。ごろごろごろ……。
「そうかー、野良も大変なんだなー。だけどいいよなぁ野良は。全部が全部自己責任だし。人間社会なんて規則や規律にまみれてもぉ息苦しいのなんの」
にゃおーん。
「え? 野良にも野良のルールがあってつらい? 結局無いものねだりするもんなんだよなー、生き物って……はーつれぇ」
「…………」
朝。商店街から出て、学園へ向かおうとしていた沙綾が足を止める。
道端で野良猫と戯れている不審者が一名。指先で顎を撫でて、頭を掻いている。それが心地よいのか、猫は喉を鳴らしていた。仰向けに寝転がり、リラックスした様子で甘く噛みつく。
「え~っと、おはようございます……エヌラスさん」
「へ? ああ、おはよう沙綾。どうした?」
「いやぁ……どうしたはこっちの台詞なんですけど……」
なんで野良猫と会話しているんだろうこの人。というか話が通じているのだろうか?
「なにしてるんですか……」
聞かずにはいられなかった。朝の商店街、道端に屈み込んだ不審者のおにーさんが、野良猫と戯れているという光景。その疑問が理解できていない様子で、エヌラスは目を白黒させている。
「なにって……見ての通り。ちょっと野良猫に愚痴ってる」
「それ、話通じてます?」
「ネコってのは霊感が強い生き物だからな。コツを掴めば案外話が通じる。俺の師匠は猫の国とか行くぞ。一緒に行ったことあるけど本当に猫しかいなかったな」
「最近オカルトの話、隠さなくなりましたよね」
「なんかもー、吹っ切れてきた。どうせ誰も信じないだろうし。その手の話は尽きないからな」
わしゃわしゃと野良猫のお腹を撫でると、最後に毛並みを一通り整えていた。起き上がって掌に頭を押しつけて、一鳴きして走り去る野良猫を見送ると立ち上がる。
「親御さんによろしくなー」
(知り合いなのかな……)
ツッコミきれない。朝からなんてものに遭遇してしまったのか。沙綾はまだ自分が寝ぼけているのかと思った。朝の日差しも心なしか穏やかな気がする。
オカルトハンター、もとい、ライブハウスの新米スタッフとして見慣れてきたと思っていたがまだまだ知らないことは多い。
最近、学園では「オカルトハンター観察日記」というものが流行っている。人気の裏返しなのだが、それは半ばストーカーではないだろうか? そんな疑問は女子高生達の好奇心の前で無力にも儚く散った。
花咲川女子学園に登校した沙綾は早速香澄達に報告する。
本日のオカルトハンター、野良猫と会話する。その話は案の定、大盛り上がりとなった。
──邪神、ティマイオスとクリティアスの陰謀から三日。
日本は平和そのもの。ただしオカルトハンターは除く。
つい先日の出来事。パチンコ屋で一悶着、なんでもイカサマがどうのこうの。ブチ切れたオカルトハンターが事務所まで乗り込んで全員病院送りの半殺しにした。関係者各位は完全に口を閉ざして事の真相を黙秘している状態。中には錯乱した患者もいるとか。
世間に報道された内容としては組織同士の抗争があったと見解されていたが、真実は闇の中。
「……日本って平和だなー」
なおーう。
そして現在、エヌラスは公園で猫の集会に混じって休憩中。
足元に群がる野良猫達は思い思いにくつろいでいる。
「まったくよー、紙幣増やしただけだっつーのに変な言いがかりつけてきやがって。千円を十万にしただけじゃねぇか。俺は悪くねぇ。なんか思い出したら腹立ってきたな。一人くらい地獄送りにしときゃよかったか」
にゃおーう。足元の猫たちから賛同の鳴き声と反対の鳴き声が半々。
「パチンコもスロットも結局あの店全部遠隔じゃねぇか。人が台を移動したら設定変えやがって。ふざけんじゃねぇまったく。ムカついたから“
にゃーん。猫たちからは同情の声。
エヌラスが傍らに置いていた買い物袋からお得用煮干しを取り出すと、野良猫達が一斉に座りだした。
「ほーれ、俺の愚痴を聞いてくれ集会の参加者にはご褒美だ。一人一尾なー」
にゃうにゃう~ん。早くよこせとねだる野良猫達。エヌラスは全員に煮干しが行き渡った事を確認すると、自分もかじり始めた。
平和な平和な昼下がり。特になにかするでもなく、休日は本当にやることがない。驚くほど時間を持て余している。職業魔術師、自称オカルトハンターと言えど、事件が無ければ無職と変わらない。かといって、部屋にこもっていても仕方なかった。
なのでこうして出掛けているのだが、トラブルが絶えない。その愚痴を聞いてくれるのも野良猫くらいのものだ。決して餌付けしているわけではない。報酬を与えるので俺の話を聞いてくれ、という話をシマに広めた猫ちゃん達の善意による集会だ。その結果、街に住んでいる十数匹の野良猫が集まってくれた。ありがとう猫ちゃん、サンキューニャーエヴァー。
「それにしても……平和だ」
野良猫に混じって煮干しをかじる危険な雰囲気の成人男性が一人。公園を通り過ぎていく道行く人々から何かヒソヒソと話し声が聞こえてくるが気のせいにしておこう。
エヌラスは青空を仰ぐ。煮干しをかじりながら、猫にまみれて。
──この世界は、戦闘レベルが低すぎる。次元が低すぎる。現代兵器の性能は確かに悪くない。品質は良いかもしれない。だが、それは人間相手の話だ。人間同士、人類社会に対する抑止力としての機能は評価するがそれまでだ。そこまでの話。
人類以上。質量に依らない存在に対してはあまりに無力が過ぎる。
もはや神秘の秘匿は剥がされたも同然だ。あの二人がやったのはそういうこと。人間の時代から人間以外の存在を呼び覚ました。それは本来あってはならない事だ。有り得てはならない現象だ。
だから自分が今、こうしてここにいるわけなのだが──。
にゃーん。
「……猫の国、ねぇ」
もう一尾寄越せと欲張りな野良猫が寄ってくる。エヌラスはそれを手で払い除けながらぼんやりと考えていた。
これから、ここでどう過ごすべきか。
自分にはあまりにも相応しくない、穏やかで平和な日々の優しい地獄で。
静けさが、のどかさが息苦しい。自分がいるべき場所は苛烈で熾烈で、行き着く暇もない戦場のはずで。
何をどう間違って道を踏み外したらこんな場所に行き着いてしまったのだろう。
ぼんやりとした目でベンチに背中を預けて青空を眺めていると、声を掛けられた。
「あの~、すいません……野良猫に餌をあげないでください」
「整列」
エヌラスが手を叩くと、足元でじゃれていた野良猫達が一斉に起き上がる。
「解散!」
ぱぁん! 短く、だが甲高い音を立てて一拍鳴らすと蜘蛛の子を散らすように野良猫達がその場から走り去っていった。煮干しをかじりながら立ち上がり、声を掛けてきた婦人に頭を下げる。
「んじゃ、失礼しました」
ポカンと間の抜けた顔をしている相手に会釈して、エヌラスは買い物袋を手にして公園を後にした。
些か、この国は平和が過ぎる。
──ただし。エヌラスの身の回りを除いて、だが。
「あ、エヌラスさん」
「げっ、日菜……」
「…………」
「…………」
適当に街をぶらぶら歩き、ショッピングモールにも寄った帰り。ちょうど学校が終わった日菜と遭遇した。
言葉もなく身構える二人。じりじりと距離を詰めてくる日菜に対し、エヌラスは呼吸を整える。相手の挙動を見逃さないように集中し、飛びかかってきた相手の腕を捌き、背後に回った。そのまま背を向けて走り去ろうとするエヌラスの足に向けて、日菜はカバンを投げる。
肩紐が絡みつき、あわや転倒──するかに思われたが、それを器用に足で持ち上げると今度は低めのタックルで突撃してきていた日菜の顔に押しつけた。
「むぎゅっ!?」
「お前は! 本当に! いい加減懲りろ!?」
あれからというもの、日菜からのアプローチは増す一方。
確かにエヌラスは日菜に感謝している。あの最速の足を持つ二柱を学園に拘束していなければ対処しようがなかった。何から何まで、氷川姉妹がいなければどうにもならなかった。その点においては感謝しきれない。ただし、それとこれとは話が別である。
「これからどこ行くの?」
「別に。特に予定はない」
「……タバコは?」
「お前の前ではぜってぇ吸わねぇ」
「えー。あたしもう一回、あのキラキラした感じの流れ見てみたいんだけどなー」
「絶対に。吸わねぇ」
「じゃあ嗅がせて?」
「俺の話を聞いていらっしゃらない? ははは、困ったなー。もっぺんだけ言うからよーく聞いてくれるか日菜ちゃん。絶対に吸わねぇし嗅がせねぇ」
あの日。ドラッグシガーの紫煙を吸い込んだことによって日菜は
羽丘女子学園の生徒達からの視線が「今井リサ(先輩)と氷川日菜(先輩)の二股」という噂が新たに流れつつあるからか、むしろそれがますます好奇心を刺激されているのか変な盛り上がり方をしていた。なお、一部では「氷川紗夜も含めて三股なのでは?」という不名誉極まりない話が挙がっている。事実無根の完全なる冤罪であるがスキャンダルは女の子の話のタネ。
「あんまりあたしのことをイジメると大変なことになるよ?」
「どう大変なことになるんだ、これ以上」
「言いふらしてもいいの?」
「……心当たりしかないんだがどれを?」
「────」
「なんだそのニヤケ面、何だよ何を思いついたんだよこえーよ!」
「……ねぇ、いいの?」
「俺の話に欠片も耳をお貸しになられてはおられませんね氷川日菜さん!?」
この始末である。堪らず逃げ出そうとするエヌラスの前に立ち塞がるのは氷川紗夜。一連の出来事を見ていたのか、腕を組んで呆れ果てていた。
「……なにをしているの、日菜」
「あれ、おねーちゃん? 寄り道?」
「ええ。ちょっとね。それと貴方も。なにをしているんですか、フラフラしていないでください」
「なんで俺のプライベートで怒られなきゃならないのか……」
「貴方のせいで色々と迷惑しているんです。周囲の被害を考えてください」
「俺まだ今日なんもしてない……」
「“まだ”?」
「すいません訂正します。今日なにもしてません……」
「何かしてください。恥ずかしくないんですか」
「生きててすいませんでした……」
エヌラスも形無し。紗夜の言及にはひたすらに平伏して謝罪するしかない。人が気にしているスネの傷をコレでもかと抉りこんでくる。
顔を覆って泣き出したい一心のエヌラスに、紗夜は腰に手を当てて訝しむ視線を向けていた。
「……暇なんですか?」
「バイトが休みだと百割暇です……」
「限度があります。貴方はもう少し日本文化について……いえ、この世界の常識に慣れるべきだと思いますけれど」
「あー……」
変な衝突を起こさないようにするにはそれが最適解。真理であり、正論だ。それを言われては何も言い返せない。
「……、週末。空いてますか?」
「え? いや、そりゃ休みだから暇だが……」
「どこか行きたいところはありませんか? ──か、勘違いしないでください。あくまでも貴方の見聞を広めるのが目的です! 他意はありません」
「……行きたいところか……そうだな……」
顎に手を当てて、エヌラスはしばし考え込む。
「図書館、美術館、博物館。この三つ」
「…………」
「…………」
「……おい、なんだその顔は。人のことを信じられないものを見るような目で見るんじゃねぇ」