「エヌラスさん、話があるんだけどいいかな?」
「ダメです日菜ちゃん」
「えー、なんでー!? あたしまだ何も言ってないんだけど!」
「俺の第六感が嫌な予感告げてるので絶対に嫌です」
──『Circle』でのバイト中、氷川日菜が来店。何かと思えば藪から棒に嫌な予感がした。だって学校帰りでにやけ面なんだもの。そりゃあ嫌な予感がする、エヌラスは内容を聞くこと無く即座に拒否した。だが残念なことに要件のクーリングオフ制度は導入されていないらしく、何も聞かなかったことにして日菜は顔を覗き込む。
「昨日、ハナジョの方でまた騒ぎ起こしたって聞いたんだけど、本当の話? おねーちゃんが言ってたから間違いないと思うんだけど」
「片方は紗夜と燐子のせいだ。俺にだけ責任なすりつけるな」
「じゃあもう一件は全部エヌラスさんのせいなんだ、へー」
「おっかしいなぁ俺も被害者なんだよなぁ……」
「それでね、話は変わるんだけど今度千聖ちゃんのロケにパスパレのメンバーが全員出演することになったんだー。あたし達のボディーガードとして、エヌラスさんに同伴してもらいたいんだけどいいよね? 暇だもんねー」
「俺バイトあるんだけど!?」
「ちょっと借りていきまーす」
「話を聞いてくださらないね日菜ちゃんさん、いい加減にしろー?」
中に入ってまりなに許可を貰いに行こうとする日菜を引き止めて、エヌラスはトレイで頭を軽く叩いた。ぺこん、と間の抜けた軽い音を立てて頬を膨らませながら日菜が見上げてくる。
「えー、いいじゃん。ハナジョの天文部顧問にもなったって聞いたし、あたしにも何かあってもいいと思うんだけど……」
「俺にどんだけ迷惑かけりゃ気が済むんですかね日菜ちゃんは……」
「でも迷惑って言う割には嬉しそうだよね?」
「ははは、あんま本当のこと言うとマジで怒るぞ」
「あ、嬉しいのは本当なんだ。やった♪」
顔を手で覆う。さて、この子はどうしたら止めることができるだろうか。
昨夜は兼定に風呂の使い方を説明したりずぶ濡れでてんやわんやとしたせいでまだ少し疲労感が残っている。だがバイトはバイト。それに、今朝のニュースでも全国各地で刀剣の盗難が相次いでいるだけでなく通り魔事件が増えているようだ。中にはけが人も出ている。
不思議なことに、遠く離れた場所で盗難被害に遭った刀剣が見つかっているようだ。それに心当たりがないわけではないが……。しかも話を聞いてしまった以上は協力しなければならない。なぜなら企業秘密を平然と日菜が打ち明けてしまったから。
げんなりとしながらエヌラスが視線を彷徨わせていると、街路樹や曲がり角から彩と千聖とイヴと麻弥が覗き込んでいた。どうやら日菜だけではなくパスパレ全員の意見でそうなったらしい。
「──念の為聞きたいんだが、独断か?」
「あたしの提案だったんだけど、みんなも納得してくれたよ。頑張って説得したんだから」
「事務所に話は通したのか?」
「うん。どんな人なのかちゃんとマネージャーにも話したから」
「どっからどこまで?」
「え~っと、確か。オカルトハンターで職業魔術師でやたら人相悪くて喧嘩がめっぽう強いんだけど生活能力皆無ってところまで」
「よーしほとんどまるっと全部話しやがったな日菜テメェこのやろういい加減にしろー?」
「一番肝心なところは誰にも喋ってないからセーフでしょ?」
「ほぼ致命傷だって言ってんだよ」
そもそも魔術師、と話したところで誰も信じてくれない。マネージャーからも第一印象は「え、その人本当にカタギな人? 裏社会から追われてたりしない日菜さん?」という不安な一言。それに対して日菜の返答──「そこらの裏社会の人なんか目じゃないくらい頼りになる人です!」……いやアカンやろ、きみ。なんでそれでいいと思った? しかし何故かそれがまかり通ってしまったので今こうしてエヌラスに交渉するべく日菜が直接訪ねてきた。という状況にエヌラスは青空を仰いだ。
「……今日もいい天気だわー」
「もー、あたしの話ちゃんと聞いてるの?」
「鏡を見てもっぺん言ってみろ」
「鏡に言ってどうするの?」
「お前に言った俺がバカだったよ……」
助けておねーちゃん、氷川さんちのおねーさんはおりませんか。居ない、いませんね。はい、救いなどない。
エヌラスは腕を組み、考え込む。顔の絆創膏が気になるのか、日菜が手を伸ばしてエヌラスの頬に触れてくる。
「ん、なんだ?」
「顔の怪我。どうしたのかなーって」
「昨日の事件にちょっと巻き込まれたってだけだ」
「もしかして、また邪神関連?」
「いや、それとは別。大した問題じゃないと思うが……いや大問題か、この国にとっては」
なにせ国宝級の刀剣がこぞって自分の意思を持って勝手に動き出しているのだから。
はてさて困り果てた。どうしたものか。
「…………じーっ」
「……なんだよ、人の顔ジロジロ見て」
「あと、おねーちゃんからもう一つ。興味深い話を聞いたんだけど」
「他になんかあったか?」
「あたしのせいで調子出ないんでしょ? 魔力使いすぎたから」
「別に、日菜のせいってわけじゃない。俺が未熟者だったってだけだ」
「その回復方法も、ちょっと特別だって。おねーちゃんはその方法だけ教えてくれなかったんだけど……どうしたら治るの?」
「放っておきゃ治るから日菜は気にしなくていいの。あんま見るな」
「もー。そこまで言うなら仕方ない……手を出してくれない?」
「手? こうか」
「両手」
「……?」
日菜に言われた通り、トレイを小脇に挟んで両手を差し出す。学生鞄の中を探り、ニコッと笑顔を向けられた。それに目を奪われた隙を突いて取り出したのはガムテープ。あっという間に両手首を拘束したかと思えば、テープを留める。
「よーし、捕獲成功! みんなー、エヌラスさん捕まえたよー」
「待てやおい。捕獲ってお前……大体、こんなテープで人の事を捕まえることができたと思ったら大間違い……」
ぐっ、と力を入れて引き剥がそうとするが、幅広のガムテープはびくともしなかった。手首を合わせる形で拘束されているのもあるが、それにしたって頑丈すぎる。エヌラスがしばらくガムテープと格闘している間に、彩達が物陰から出てきた。
「ふんぬぎぎぎぎ……! いやかってぇなコレ! なにで出来てんだこのテープ!」
「あー、もしかして日菜さん。昨日ネットで買ったのって……」
「うん。ダクトテープ。これならあたしでも簡単に使えそうだったから。縄とか縛るの大変そうだし、すぐ抜け出されそうかなーって」
「市販のガムテープじゃダメだったんですかね?」
「なんかすぐびりーってやられそうだし」
「ふぅんぬぉぉぉぉ……!!!」
手首を捻ってなんとか拘束から抜け出そうとするが、エヌラスはその粘着性の高さと頑強さに苦戦している。満足そうに胸を張っている日菜が指を突きつけた。
「全国で発生している刀剣盗難事件に、通り魔事件も気になるんじゃない? いいの? あたし達が通り魔に襲われたりしても」
「そう簡単に襲われるかよ。大体、事件の関連記事に目を通したが女子供は襲われてない。いずれも声を掛けた警官だって話だろうが。そもそも、この近辺で紛失した刀剣は現場付近で放置されていたって捜査で判明してるんじゃないのか?」
「…………」
「おい。なんだその面食らった顔は」
「エヌラスさん、ニュースとか見るんだ。意外……」
「テメェら大概に失礼だからな!? っていうかマジで取れねぇ、くそがぁぁぁ……! 兼定。おい、カネさん! 中で談笑してねぇでちょっとこっち来て手伝えテメェ!」
エヌラスが『Circle』のフロントでスタッフと談笑している兼定に声を掛けると、その異変にようやく気づいたのか片手を挙げてその場を離れてやってきた。
マンションで留守番をさせておくわけにもいかず、先日のバイトを途中抜けした証人として連れてきたのだが、人当たりの良さと顔と快活さであっという間に打ち解けている。
「おう。どうした、ぬえ? こりゃまた華やかなことで。両手に花束ってところだな、ははは!」
「笑ってねぇでちょっとこれ取ってくれ。思いのほか固いんだよ」
「どれ、ちょいと失礼? ……ふっ、ぬっ! いやなんだこれ。たまげたわ」
「いでででっででで! おまえもうちょっとやり方あるだろうが!」
「いっそ手首ごと切り落とすのはどうだ? 刀持ってくるわ」
「その前にテメェの首もいでやるから別な方法考えろ!」
二人で何とか外せないかと四苦八苦。テープの留め口から剥がそうとするが、粘着性が極めて高い補修テープだけに兼定も匙を投げた。
「いやこりゃ無理だわ、
「あ?」
エヌラスが目の色を変えて、その場で静かに重心を落とす。気息を整えて、震脚──からの魔導発勁で強引にダクトテープを瞬時に焼き切った。まるで地雷でも踏んだかのような衝撃と震動に一時騒然となるが、気のせいだったかと人々が視線を外す。手首を振って指先まで血を巡らせると、袖に張り付いていたテープを引き剥がして捨てる。
「お見事。っていうか最初からそれやればよかったんじゃねぇのか?」
「発勁も楽じゃねぇんだ。あーしんど……」
「あ、抜け出された。用心棒ぐらいしてくれないの?」
「用心棒? そちらのお嬢さんは初見か。はじめまして、九十九兼定だ」
日菜と麻弥が自己紹介をすると、なぜかイヴが自慢げにしていた。
「なんと、こちらのカネさん! 新選組の方です! ひかえおろー!」
「いやいや、ひかえなくて結構。まー俺もその新選組ってのよく覚えてないんだけどよ、ひとつそういうことで頼むわ。それで、結局なんの話だったんだ? 用心棒がどうのって」
日菜の話をかいつまんでエヌラスが兼定に説明すると、顎に手を当てて考え込む。それならいっそ好都合なのかもしれない、と。
「此処を離れる理由付けとしちゃ願ったり叶ったりだ。アイツ等、西に向かっただろう? 追いかけるにしてもじっとしてたところで始まらない。こっちも動くべきだと思うが、どうだい」
「んなこと言われてもなぁ……? そもそも、その千聖の収録も何の番組だ?」
「お城の紹介です。ただ、スポンサーの都合で少々予定が変わってしまって」
「なにかあったのか?」
「番組内で紹介予定だった刀剣の紛失、としか聞いていません」
そこで急遽、ガールズバンドとして活動もしているパスパレのミニライブをセッティングしたらしい。エヌラスは兼定と顔を見合わせて、頷いた。
「ちなみに、場所は? こっからどれくらい遠いんだ?」
「西の方です。新幹線で片道二時間程度ですけれど……」
「……西か。ならちょうどいいんじゃないか、ぬえ。俺は話を受けるべきだと思う」
「言うからにはお前も来るんだろうな、兼定?」
「当然だ。お供させていただきますとも。士道不覚悟は切腹物だからな!」
歯を覗かせて笑みを向ける兼定の肩を叩き、提案を受けることにした。
「言っておくが、タダ働きは御免だからな」
「もちろん。ちゃんと報酬は用意してあるよ」
「えっ、そんなの聞いてなかったけれど……大丈夫なの、日菜ちゃん?」
「あたしに任せて千聖ちゃん。じゃーん、焼き肉食べ放題割引チケット! ──あとはあたしとデート、どっちがいい?」
「焼き肉」
エヌラスは真顔で即答した。それに日菜ががっくりと肩を落としていた。
「即答しなくても……」
「俺は肉食系だ」
「いやアンタ、昨日めっちゃ野菜食ってただろう。雑食だ雑食」
「食えりゃいいんだよ」
「都合の良いこって……花より団子とはこのことかね?」
「花は咲いても枯れても見れるが、団子は腐るから食うに限る」
「枯れた花を見てどうすんだい?」
「無情な時の流れと世を儚む。そういうのが“風情”ってんだろ?」
「ほう、そういう考え方もあるか。座布団一枚」
「いらねぇ」
焼き肉に負けたのが納得いかないのか、エヌラスを睨みあげる日菜はおもむろにダクトテープを取り出すと再び縛る。さっきよりも多めに巻きつけてカバンの中にしまいこんだ。
「じゃあ、迎えに来るからその時はよろしくね! ばいばーい!」
「ちょっと待てなんで縛った日菜ぁぁぁぁ!?」
縛る意味がわからず走り去る背中に声をかけるものの、振り返ることなく日菜の背中は遠ざかっていく。また発勁をやるにも流石に何度もやっていたらまりなにお叱りを受けるのは目に見えていた。助けを求めて彩達になにか刃物はないかと尋ねるが、持ち歩くような物騒な子はいない。お兄さん安心したわ。とか言っている場合ではなく。
「たすけてまりなさぁぁぁんっ!」
「情けない時はほんっとうになっさけねぇなぁ……」
──とりあえず兼定は尻を蹴っ飛ばしといた。