【完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第四三幕 鵺

 天守閣に響き渡る風切り音。時折、雷鳴が聞こえてくる。シシオウの気迫を込めた一撃に、嵐の様相だ。話し合いを始めると言っておきながら、ミカヅキは言葉を発さなかった。ただ、兼定を見据えている。

 青い瞳を睨み返しながら、兼定もまた言葉を発さない。静かに時間だけが過ぎていく。やがてミカヅキが一度だけ唸ると、ようやく口を開いた。

 

「怒りを飲み込むにはまだ時間が必要か、兼定?」

「……用向きは」

「はは、まだ心中で燻らせているか。まぁ良しとしよう。では単刀直入に――兼定。こちら側へ与する気はないか? 姫君の護衛は多いに越したことはないのだから」

「なに?」

「白鷺千聖嬢は、我らの旅路に同行していただく。これは彼女自身の意思でもある」

 兼定が真偽のほどを千聖に視線だけで問い詰める。――それは真か? と。

 それに対しての返答は、肯定の頷きだった。

 

「テメェ……! 何を吹き込んだ!」

「あらぬことを吹き込んだわけではない。これには訳がある。今の俗世に我らは不便しているだろう? そのつまらぬ些細な諍いを治めるべく、現世の住人の協力が必要不可欠。その旨を話したところ彼女は同意したのだ。そうでしょう、白鷺の姫君よ」

「はい。ミカヅキさんの言葉通りです。幸いにも、撮影という形で此処まで来ました。彼の目的地である場所も、ここからそう遠くないみたいです」

「当然。彼女の身辺は私とカゲミツが守らせてもらう。安心したまえ、兼定」

「その旅路に同行するってこと事態が安心ならねぇんだよ」

「そうは言われても、私とて神託に背くわけにはいかなくてな? 西へ向かう。ただ今はそれだけよ」

「……その、後は」

「神のみぞ知るといったところか。だが、天変地異が起きようと彼女だけは無事に返そう」

 ミカヅキの言葉に嘘は無い。

 

「考えてもみろ、兼定。お前はあの日、あの時。多勢に無勢という理由ひとつで彼に加勢した。私に刃を向けてでも、だ。それはなぜだ?」

「……俺の中にあるもんが、お前等を斬ろうと思ったからだ」

「今も変わらずか」

「ああ。今も」

「頑として変える気は無い、か。お前の士道にもほとほと困る。だがな、よく考えろ。兼定、今この状況において、もっとも最善となる形はどうなのか。我ら二人と刃を交えるか。それとも交渉を飲み込むか」

「……ぬえを、裏切れと?」

「手段はお前に一任しよう。そちらで策を練るも良し、闇討ちするも良し。どちらを守るべきかは言わずとも明白ではないか」

 自衛の術をもつエヌラスと、白鷺千聖。どちらを守るべきか。ミカヅキの言葉は、確かにそうなのだろう。

 

「なに、今すぐとは言わん。考えがまとまるまではお前に任せるさ、兼定。だが、今は彼女の身柄を我々が預からせてもらう。彼女も聡い子だ、ただ闇雲に私達に同行するつもりはないようだ」

「……」

 千聖の考えを見透かした上で、見て見ぬ振りをしている。それは余裕なのか、それとも本当に誠意からくるものなのか。

 

「ミカヅキ。ひとつ聞かせろ。アンタさっき、白鷺の姫さんを自分とカゲミツの二人で守ると言ったな? シシオウは頭数に入れてないのはどうしてだ。数え忘れってわけでもないだろう」

「ああ。そのことか。なに、大した理由ではないのだがな――アレはここで切り捨てる腹づもりでな? 確かに、強い。おそらく今は我々の中で一番、自分の力……そうさな、権能と呼称しようか? 私であれば月夜の間、化生に近くなるように。村正殿であれば呪いを操るように。シシオウは雷獣、つまりは“鵺”の力を振るう。我々がどれほどの力を持ち、どれほど引き出せるかを見定めるために。アレは、ここで、切り捨てる」

「仲間だろうが!」

「確かに、旅の同行者。呉越同舟の仲だ。あれと過ごした月夜の晩はいやぁ、肝が冷えたものだ。後ろから斬られるのではないかと眠ることも許されん」

「アンタは、その仲間を切り捨てるってのか!?」

「何も私が直接手を下すわけでもない。現に、お前の戦友が相手をしているようだしな」

「…………」

 ミカヅキの心ない言葉に、兼定は怒りを露わにして太刀を掴んでいた。しかし、ミカヅキはそれより早い。すでに抜刀して切っ先を突きつけている。

 

「私が今、誰よりも警戒しているのはお前だ。兼定」

「……」

「お前だけは、どうにも読めん。九十九兼定と名乗った以上、理由があるだろう? なぜだ?」

「真っ当な時勢に、真っ当じゃ無い俺たちが顕現したなら。それに合わせて名乗るべきと思ったからだ。だから俺は“付喪神”兼定として名乗った。それだけのことだ。アンタみてぇな外道と一緒にするんじゃねぇ!」

 手で切っ先を払いのけながら兼定がその場から飛び退きながら抜刀する。それにミカヅキは笑みを浮かべて静かに腰を上げた。

 

「よろしい。話し合いはここまでだ。後は刃にて語るとしよう」

「おい、あまり派手に暴れてわしを斬ってくれるなよ?」

「最善を尽くします」

「良し――なら、始めぃ!」

 村正の声を合図にしてミカヅキと兼定が太刀を振るう。青天の霹靂が鳴り止まぬ中、二人が再度刃を交えていた。

 御前試合を眺めるように、緊迫した真剣勝負を見つめながら村正は千聖に視線を向ける。

 

「おい、姫さんよ。お前さんどちらに賭ける」

「どちらかと言えば、兼定さんに」

「そうか。なら、わしはミカヅキの奴に賭けるとするか……ま、寄り道もほどほどにしなされよ」

「お気遣い痛み入ります、千子村正さん」

「道中、風邪を引かんようにな」

「はい」

 まるで孫娘にでも語るように優しい声色で旅の安全を祈る村正は、ミカヅキから視線を外さなかった。その表情は険しい。流麗華美な太刀筋に、しかしどこか奇怪な動きを見せていた。舞うような刃に兼定も攻めあぐねているのか、防戦一方で転がりこむように避ける。

 落とし下段から跳ね上がる切っ先の鋭さに、太刀の起こりを見切るのは至難の業だった。辛うじて捌いて迫るが、身を翻して背後へ回るとそのまま下段へ刃を滑りこませている。気配で察したのか兼定が飛び上がりながら振り返り様、太刀を横薙ぎに振るった。しかしそれを手首を返した太刀で防ぎながら立ち上がる。

 

(太刀筋がまるで読めねぇ……!)

「どうした、兼定? あまり加減が過ぎると首が落ちるぞ? それとも、手を抜いてほしいか」

「ほざけ!」

「おぉ、その気迫で参れ。この俺手ずから相手をしているのだからな」

 涼しい笑みを崩さず、ミカヅキの刃が音も無く迫る。兼定が刀を捌き、いなしながら反撃を試みるがそれも霞のように届かない。

 湖面の月影を相手にしているような錯覚に、頬を冷や汗が伝う。

 

 

 

 ――シシオウは帯電した身体でエヌラスへ大太刀を渾身の力を込めて叩きつける。大振りの上段からによる打ち下ろしだが、空振っていた。しかし、風圧が身動きを捕らえる。手首を返し、引くようにして突きを打ち込むがこれをエヌラスは片手で弾いた。触れた瞬間、かすかに手に痛みを覚える。

 帯電しているのはシシオウの全身だけではない。大太刀もまた、余さず稲妻を纏っている。担ぎ上げるほどの長大な太刀を、まるで手足のように振るう度に黒雲と共に雷撃が周囲に迸っていた。その煽りを食らって骸骨武者たちが木の葉のように舞っては落ちて砕けている。

 

「はっはっは! はっはっはっはっは! そうかそうか、こいつが俺の全力か! 面白ぇ!」

「ち、くしょ――!」

 シシオウの益荒男ぶりにエヌラスも苦戦する一方だった。

 それを見ていた麻弥達も冷や冷やしていたが、日菜だけは腰に手を当てている。

 

「日菜さん? どうしたんですか、眉をつり上げたりなんかして」

「うーん。なんか今のエヌラスさん。見てても“るんっ♪”て来ないんだもん。やっぱり絶対に何か隠してるよ」

「なんだか調子も悪そうですし、どうしたんでしょう? このままじゃ負けちゃいますよ」

「おねーちゃんに聞いてみよっと」

 スマホを取り出して日菜は早速紗夜に電話を掛けた。

 

《……もしもし? どうしたの、日菜。貴方今収録中じゃないの? なにか忘れ物でもした?》

「もしもし、おねーちゃん? エヌラスさんがやられそうなんだけど、魔力の回復方法教えてくれない?」

《はい? なんでまた急に……》

「ロケ先で襲撃されてるんだけど、彩ちゃんと千聖ちゃんが捕まっちゃって。エヌラスさんとカネさんが取り返そうとしてるんだけど苦戦中なの」

《………………それで?》

「だから、あたしがなんとかしてあげようかなって」

《…………》

「おねがい、おねーちゃん! このとーりっ!」

「いえ、頭を下げても紗夜さんには見えてないと思いますよ……」

 今頃電話の向こうでは紗夜が眉間にしわを寄せて頭を抱えているだろう。その様子が目に浮かぶようだ。しかし、重いため息を吐いたあとに静かに口を開く。

 

《……粘膜接触、だそうよ? 環境に合わせた魔力を使用するために私達の粘膜を摂取して、それを魔力分解することで効率化が図れるって言ってたわ》

「それだけ?」

《それだけ……って、日菜。もしかして貴方――》

「わかった! ありがと、おねーちゃん」

 すぐに通話を終了すると、日菜は改めて戦況を確認していた。本丸御殿から外の様子が気になって彩が顔を覗かせている。しかし、シシオウの振るう大太刀から放たれる雷撃に驚いてすぐ隠れていた。

 

「あそこに彩ちゃんがいるみたい」

「でもあれじゃ助けにもいけませんよ?」

「……よし。麻弥ちゃん、あたしのスマホ持ってて。カミナリで壊れたら弁償してもらえそうにないし」

「えぇ!? もしかして日菜さん、あそこに行くつもりですか!?」

「ヒナさん、危険過ぎます!」

「大丈夫。エヌラスさんが“るんっ♪”て守ってくれるから!」

「でも何をするつもりなんですか?」

「オカルトハンターの本領発揮してもらうために、キスしてくるね」

「……はい?」

「んー、でもおねーちゃんの話だと粘膜接触って言ってたから、ちゃんと舌も入れないと駄目なのかな……? したことないからわかんないけど」

「ちょ、ちょっと待ってくださいね日菜さん。それとこれとじゃ話が違うような気がするんですけれど……」

 しかも今はカメラも回っている。そんなのを撮影された日には大変なことになる。しかし日菜はそんなことお構いなしに軽いストレッチを始めていた。

 

「カメラさん、ちょっと! ちょっとの間だけでいいので止めててもらっていいですかね!?」

「わ、ちょっと! 大和さん、なんですか!? どうかしましたか!?」

 麻弥が駆け出した日菜の背中を見るなり、カメラマンの手を引いて撮影を中断させる。

 本丸御殿前で切り結んでいたエヌラスとシシオウだったが、大太刀を一気呵成に振り下ろして切っ先を止めると眼前で刺突に切り替える。それで片目を潰すつもりだったが、反射的に避けたものの額が浅く切りつけられた。浅手を負うが、すぐに汗混じりの血が垂れてくる。

 血液が目に入りそうになると、隙を突いてシシオウが大太刀を引き込みながらエヌラスの胴体を思い切り蹴り飛ばした。大太刀の柄に噛みついて落とさないようにすると、大弓を肩から外して五指で引き絞る。

 指一本で鳴らせば雷矢が奔る。ならば五指を揃えて放てば如何ほどか。シシオウの目に入ったのは、駆け寄ってくる一人の少女。咳き込みながらも立ち上がる“ぬえ”に向かっていた。

 

(戦場は非情なもんよな。まぁ許せや)

 斬った張ったの命懸け、情など二の次だ。シシオウは無情にもさらに大弓を引き絞る。

 

 背後から駆け寄ってくる足音に、エヌラスが一気に冷や汗を流した。生きた心地すらしない、正気を疑う。何を考えているのか、怒号のひとつ飛ばしたくもなる。

 

「エヌラスさん!」

「ばっ、――!? おまえ、何考えて……!」

 しかし。自分の頬に添えられる両手にまた別な嫌な汗がどっと吹き出してきた。

 目を見据えて、少しだけ不安そうにしている。きっと怖いのだろう。当然だ。こんな状況にひとり、飛び出してきたのだから。

 意を決したように、自分の顔に引き寄せる。咄嗟にエヌラスが頭を引いて逃げようとするが、日菜はむりやり唇を重ねてきた。

 ――頬に添えられた手が、微かに震えている。

 唇の隙間に押し込まれてくる温かい感触に、舌先が触れた。

 

「……、」

 日菜の頬が一気に火照る。すぐに離すと目が潤んでいた。その頬に血がしたたり落ちる。

 きっと、初めてだったのだろう。ぎこちなくも、咄嗟のことで。こんな形で――奪ってしまった事にひどく罪悪感が押し寄せてくる。きっと自分なんかよりもずっと良い相手と出会えたはずで。もっと、ちゃんとした形で捧げることができるはずの、普通の女の子に。ただの人間に。どこにでもいる少女に――ここまでさせてしまった。

 

 シシオウが雷光弓の弦から手を離す。大筒ばりの雷矢が放たれて、エヌラスと日菜の二人を飲み込まんと迫り、しかし。届くことはなかった。

 この時既に。接触した僅かな唾液から環境に適応した魔力の構築は完了している。

 エヌラスが倭刀に纏わせた紫電を全身を使って振り抜く。日菜の腰に手を回して、庇うようにしながら雷光の軌跡を逸らしていた。

 口内で反芻するように舌を転がす。僅かに、甘い。その感覚に、思わず顔が熱くなった。

 

「…………日菜、ノーカンな」

「えっ!?」

「その、今の。数に入れんな。あー、えー……もっと、ちゃんとした形でしてやるから……だから今のは無しな」

「……じゃあ、負けちゃ嫌だからね」

「任せろ、速攻で片付ける」

 頬に付いた血を親指の腹で拭うと、エヌラスは日菜から顔を逸らす。シシオウを睨みつけながら静かに歩を進めた。

 

「女子を誑かすとは、時代に合わせて手前も変わったもんだな、ぬえ」

「……ああ、そうだよ。自分一人で全部抱え込むつもりが、結局女の手を借りなきゃなんもできねぇ人でなしだ」

 憤怒の矛先は、シシオウのみならず自分に向けられている。魔術回路が稼働し、燃焼効率が大幅に引き上げられて励起していた。

 

「ただの人間に。普通の少女に、助けられなきゃ何もできねぇんだから笑えよシシオウ」

 倭刀に紫電が奔る。それは大太刀に負けんばかりの光量を放ちながら。

 

「――ただしテメェは此処で必ず殺す」

「はっはっは! ようやく手前も本気か、えぇ!? 俺もその腹積もりだ! 何度生まれ変わろうが手前は俺が素っ首落としてやらぁよ、ぬえ!」

 シシオウは笑う。自分に向けられている殺気が先程までとは比べものにならない。明らかな死の予感に、しかし笑い飛ばすしかなかった。

 時を越えて、時代が変わっても尚、自分の宿敵と巡り会えるとは。これもまた運命か。


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