夜の帳が下りる。月夜の晩にはミカヅキもまたより一層、化生の類へ近づく。黒髪が白く変色して月明かりで照らされた。
「うーむ、こういった体質とはいえ、やはりあまり慣れんな……」
目頭を押さえ、唸る。
「どういった感覚なんですか?」
「そうだな。急に視界が開け、増えた情報量が雪崩れ込んでくるような。嫌というほど見えてしまうのは、やはり慣れない」
「だが、そのおかげで此処までは順調だった」
「ほとんどの場所で動いている同類は知覚できるからな」
腰を落ち着かせていた千聖を気遣い、ミカヅキはふと、自らの顎に手を添えた。
「どうした、ミカヅキ」
「我々はまだ良い。飲み食いせずに眠らぬまま活動できる。だが、彼女はそうではない。いやこれはしくじった。寝食をどうすべきか」
山中では流石にそれも満足にいかない。カゲミツはそれに静かに頷く。
「多少なりとも食事は摂るべきだろう。彼女もまだ年端もいかない少女だ。夜分まで無理に動かすことはない」
「それもそうさな。先を急ぐ旅路ではあるが、今日明日で片付けられる話でもない」
「それで、ミカヅキ。今のお前にはどこまで見えている?」
「水辺であればより鮮明なのだがな……少し空けるぞ、彼女を任せた」
「任されよ」
千聖は腰を下ろしたまま遠くに見える町の灯りを眺めていた。気が滅入っているのか、疲労をにじませた表情をしている。
「お疲れな様子。今のうちに休まれてはどうか」
「お気遣いありがとうございます」
「此度は貴方も災難ですね」
「……ええ。本当に」
目と鼻の先にある関ヶ原。そこに居座る番人は、果たしてどんな相手なのか。関ヶ原と言えば、千聖の持っている知識も平均的なものでしかない。天下分け目の大戦。
カゲミツも後生の時代のことはよく知らない。生前の持ち主のことも最早、記憶が曖昧だ。それを申し訳なく思いながらも、今はただ目の前の少女を護ることに全力を費やす。他に生きる理由もない。ならば、慣れた生き方をしようと決めていた。
「今の時代は生きやすいですか?」
「え……? ええ、まぁ」
「そうですか。それは良いことです」
「……どうして、カゲミツさんは私を気遣ってくれるんですか?」
「さて。なぜかと聞かれれば、元の主がそうしていたからとしか。他の生き方も知りませんし」
カゲミツが人差し指と中指を立てて、剣指を作る。そのまま指を一度振るうと、呪符が挟まれていた。付喪神の権能として呪符を生成できることから、応用力が高い。半ば陰陽師のようでもあるが、参謀役として落ち着いている。
「ミカヅキさんとは、あまり仲が良くないみたいですけれど」
「……以前はシシオウが進んで絡んでいましたからね」
頭を悩ませていたものだが、居なくなった今となっては口惜しい。戦力的にも、個人的にも。
権能の理解力も段違いだった。あそこまで能力を引き出せるとなれば、この先の関門を越えられたかもしれない。カゲミツは呪符を投てきし、そこから野鳥に変化させる。山間の索敵と警戒を行い、同時にミカヅキの後を追わせた。
「…………」
夜間によく映えるなびく白髪。川辺を目指して歩いている姿を見つけたが、刀を閃かせて式神が切り落とされた。それにカゲミツは静かに舌打ちする。
「ふむ……今のところ周辺に敵影は無し。追っ手もないですね」
「…………」
「ああ、そのように気を落とさないでください。あちらは負傷していますし、まだ多少時間を必要としてるでしょう。それに周辺の地理はあちらの方が見識がありますからね。私の見立てでは、明朝までにこちらに追いつくかと」
山中を隠れるように移動すれば時間稼ぎも出来るが、それは千聖の精神に良くないと思ったのかカゲミツは何か考えがあるようだ。
「……ミカヅキは敢えてこちらを追わせているようだが、ならばいっそ派手に暴れるのも有りか」
「ですが」
「ええ、わかってます。ご安心を。民草に被害は出さないように配慮します。あくまでこの争いは極力我々の間で片付けます」
静かに頷いて千聖を安心させようとカゲミツが頭を下げる。――だが、あのミカヅキを相手に自分の策がどこまで通用するか。
くぅ、と。小さく腹の虫が鳴った。はてと首を傾げるとお腹を押さえて千聖が顔を逸らす。
「お疲れでしょうし、腹を空かすのも無理はない。何か採ってきましょう。苦手なものはありますか、白鷺嬢」
「おかまいなく」
「そういうわけにもいきません。貴方は大事な客人ですし、私達の御旗です」
「……御旗?」
「まぁ、そうですね……我らは人を殺める道具でしか在りません。ただ、人を斬るため。だからこそ――かつて、前の主がそうしたように御旗が必要なのです。真似事でしかありませんが……刀である以上は、斬るために守りたいのです」
「理由がなければ、戦えませんか?」
その言葉にカゲミツは少しだけ考えていた。理由もなく戦うのかと問われて、間髪いれずに答えることができなかったのは自分の在り方に迷いがあるからだ。
「……理由もなく力を振るえば、それこそ罰当たりというもの」
あくまでも付喪神。刀に憑いた怪異。だからこそ、それに負けぬ在り方が欲しい。
「真面目なんですね」
「さて…………俺よりも生真面目だった奴がいなくなってしまったからな」
それがシシオウを指している事は千聖にもわかる。それほどまでに信頼を寄せていた。だが、そこに怒りや悲しみは宿っていない。どこか寂しげにしていたカゲミツが、不意に月を見上げる。
青い月。満天の星空。しかし、不気味な影が伸びていた。それを祓うようにカゲミツは合掌する。亡骸を見ることもなかったシシオウに黙祷を捧げて、森の闇に視線を向ける。千聖もまた、同じ方向を見つめると白髪のミカヅキが戻ってきていた。
どこか思い詰めたような顔をしている。
「戻ったのか、ミカヅキ」
「ああ、今しがたな。さて、まずい事になった」
「なにか?」
「どうも、番人は一人では無いらしい。大和国を守護するように関門が設けられている。我らがこれより向かう関ヶ原跡地。そこにいるのは一人だ」
「たった一人だと? なら、あの淀みはなんだ」
「全て、そいつがやったようだ」
「――――つまり、なにか? ミカヅキ。関ヶ原に立つ番人は、東の地より大和を目指すものことごとくをたった一人で全て返り討ちにしたと?」
「うむ、そうなるな」
「道を変えることは」
「可能ではある、が。どちらにせよ関門は避けて通れんよ。どこから目指そうと同じ事だ」
どこか諦めたように顔を横に振って、ミカヅキは自嘲した笑みを浮かべていた。
「我らどちらか一方は、折れるだろうなぁ。これは……」
「それほどの相手か。何者なんだ?」
「槍だ。刀ではなく、槍の付喪神。無理からぬことだが、最悪の場合二人まとめて手折れるかもしれんぞ?」
「茶化してくれるな、ミカヅキ。お前一人で十分だとも」
「はっはっは。そうだな。その時は貴様も道連れにしよう」
「笑えませんよ、その冗談」
果たして本気で言っているのか、それとも冗談なのか。だが、二人の言葉にはどこか剣呑な空気が漂っていた。意識を外せば今すぐにでも互いに刀を抜き放ちかねない。
この二人の衝突を治めていたシシオウがどれほどの役割を果たしていたのか。カゲミツの性格とミカヅキの反りが合わないことを知っていた。だから先んじて自らが絡んでいたのだ。
「それで? 何者なんだ、その番人は」
「蜻蛉切だ」
――日が沈み、ホテルで夕食を済ませたエヌラスと兼定は地図を前に睨み合う。
「テメェ結局飯時まで戻ってこなかったじゃねぇかバーカ!」
「うるせぇ、こっちだって色々と考え事してたんだよ! 大体どんだけ食えば気が済むんだよ、半分くれぇ消えてたぞあの、なんだっけ? “ばいきんぐ”とか言うの! 他のみんな青ざめてたじゃねぇか!」
「食い放題って言うから!」
「加減しろ馬鹿!」
テーブルを叩きながら兼定は感情任せに指を突きつける。
彩の話では、ミカヅキ達の最終目的地は大和国――奈良を目指しているようだ。こちらは幸いにも足に恵まれている。車なり新幹線なり移動手段は豊富だが、相手は徒歩だ。しかしそうなると道が限られる。先回りは難しいだろう。だが、兼定は一点を指していた。
「問題は、此処だ。ここ、関ヶ原だけは避けて通りたい」
「どうしてだ?」
「なん、つうかな……やべぇ気配がするんだ……こんな離れてても、鈍い俺が気配を悟れるんだ。相当な手練だろうよ」
「俺は何も感じないが」
「多分、付喪神同士の共鳴みたいなもんだ。ミカヅキは追えないがそいつははっきりわかる。関ヶ原に陣取ってるみてぇだ」
エヌラスの顔色を窺い、一度だけ兼定はため息を吐く。
「……あの子達はどうするんだ?」
「置いていく。俺たちだけで行くぞ」
「おとなしく待っていてくれるかね。ついてくると思うぜ?」
「だから俺も頭悩ませてんだよ……どうにかして置いていけないもんか」
「俺の予想を言って良いか、ぬえ」
「言ってみろ」
「最終目的地で先回りされているのに酒一杯」
「人が思っていても言わなかったことを言いやがって……!」
それだけは絶対に考えたくなかった。そうなるとこちらとしてはスピード勝負だ。
ハンティングホラーで二人乗り、関ヶ原上空を飛び越えて兼定がミカヅキ達の気配を追う。それなら道路も関係ない。圧倒的にこちらが有利だ。
「だったらもう、夜の内に行くぞ。お前の怪我はこの際後回しだ。戦闘は俺に任せろ」
「いや、そうは言われてもな……アンタの怪我の治り方おかしいんだよ。どうなってんだ」
「…………それは言えねぇよ」
「なんでだ、いいじゃねぇか」
「悩み事抱えた相手に腹割って話せるかよ」
「おいおい、なんだそりゃ? いいだろうが、それくらい」
鼻先に指を突きつけて、エヌラスが兼定を睨む。
「兼定。なら聞くが、お前の悩み事はなんだ」
「――――」
「いつから悩んでた。村正と戦っていた時からだな? その前にお前はミカヅキを相手にしていたはずだ。お前、あいつに何を吹き込まれた」
「俺を疑ってるってのか!?」
「だったら悩み事言ってみろ、テメェから。裏切るかもしれんような奴に身体の秘密話せるかよ」
「裏切る、だと……俺がか!」
「裏切ろうが、そうでなかろうが。兼定、俺はお前に背中は預ける。だが命まで預けるつもりはねぇからな」
「――おいッ!!!」
胸ぐらを掴み上げ、怒鳴りつけてくる兼定にエヌラスが既に銃を抜いていた。顎に突きつけ、撃鉄を起こしている。
自分の顎に触れる血の通わない冷たさは、指先一つで命を奪うだけの軽さがあった。それほどまでに、今の兼定のことを信頼していない。
「背中預けて、命預けねぇとはどういう了見だ! それほど俺が、信頼できねぇってか!?」
「今のお前をどう信用しろってんだ、足手まといだろうが。刀の付喪神だってんなら、迷わず叩っ切れ! それができねぇなら厨房に立ってろ!」
「…………お、れを…………! 台所の包丁扱いしやがってぇ!!」
エヌラスの頬を力強く殴りつけて、兼定が傷の痛みも忘れて再度殴りかかる。すぐに迎え撃ち、殴り返した。左腕がうまく動かないことに腹を立てながらも、それ以上に相手に対する怒りが勝っている。
「ふざけんじゃねぇぞ、ぬえ! てっめ、いい加減にしろよ!」
「こっちの台詞だ! テメェがそんな調子じゃこっちだって気が気じゃねぇんだよ、ぐっだぐだ悩んでんじゃねぇぞハゲェ!!!」
「だぁれがハゲだおらぁ!」
「やんのかボケコラァ!!」
互いの拳が、顔を捉えていた。
食堂を後にした彩達は、これからどうするかを話し合う。
「うーん、やっぱりさー。あたし的にはついていった方がいいと思うんだよねー……」
「私も千聖ちゃんに早く再会したいなぁ……」
「ジブンとしてはあの二人に任せた方がいいと思いますけど……」
「私もそう思います。ついて行ってもお二人のブシドーを邪魔してしまいます」
「……? 何の音?」
ドタバタと、上の階が騒がしい。時折、下の階まで響いてくる。
「あー……の、ですね……嫌な予感がしてきました」
「う、うん……私も」
足音、打撃音、そして飛び交う怒号。まるで全力投球のデッドボールをノーガードで投げ合うような凄まじい応酬。様子が気になって階段から覗き見ると、折れ曲がったドアが廊下に転がっていた。分厚い扉。それも電子ロック付き。それが内側から無理矢理力任せに壊されていた。
等間隔に並べられた廊下の灯り、その下で殴り合い、蹴り合い、肌着の胸ぐらを掴み合って強烈に頬を殴りつける。尋常では無い威力なのだろう、唇を斬って出血していた。
エヌラスと兼定が、怪我も満足に治らないままに大喧嘩している。流石に真剣は部屋に置き去りにしているが、それでも鈍い打撃音が廊下に響いていた。耳にしているだけでも身をすくめてしまう。
「な、なんで喧嘩してるんですか二人とも!? やめてください!」
慌てて頼みの綱である二人の喧嘩を止めようとした彩だったが――。
「「女子供は、引っ込んでろッ!!!」」
「ぴゃいぃぃっ!?」
二人の酷い剣幕によって、涙目になっていた。日菜は腰に手を当てて眉をよせている。
「彩ちゃん、やらせておいたら?」
「えぇ!? でもぉ……」
「いーの。本人達が言ってるんだから」
「何か考えが?」
「ないよ。でも今のエヌラスさんも兼定さんも頭に血が上ってて話聞いてくれないもん。だったらいっそ思う存分二人で“ばきーんっ”てやってもらった方が良いよ」
「でもぉ……」
「あたし達じゃ止められないし、それに大人達でも無理だよ。あれ、誰が止められるの?」
エヌラスと兼定の喧嘩はとてもではないが、素人には止められそうになかった。拳と蹴りだけでなく、投げ技に関節技と何でもありの肉弾戦。着替えたシャツもすっかり傷口が開いて赤くなっている。だというのに、意に介さず全力で喧嘩をしていた。
胸ぐらを掴み、頭を引いて打ちつける。割れた額から出血しているにも関わらず、一度だけでなく二度。衝撃に目眩を起こしたのか二人がたたらを踏む、しかし先に踏ん張ったのは兼定の方だ。
「アンタに! 何が! わかるってんだぁ!」
頬を殴りつけて、だがエヌラスは右腕だけで兼定の身体を持ち上げて壁に叩きつける。左腕が上手く動かないからか、右手で頭を鷲掴みにして再度叩きつけた。咳き込む兼定の腹部に脚を押しつけて二段蹴りから更に身体をねじり側頭部を蹴りつける。その反動のまま、下段。足払いに転じて蹴り上げていた。顎を下からさらうような踵を受けて兼定がバランスを崩す。脇腹に掌底、肋骨の隙間に貫手を刺されて激痛に顔をしかめていた。
「知るかハゲ! ナス! タコ! タコ、タコォォォッ!!」
「三回も言ってんじゃねぇよ!?」
「ちなみにタコは俺の中で最上級の罵倒だタコ定ぁぁぁぁっ!」
「こ・ん・にゃ・ろ・がぁぁぁぁっ!!」
拳を受け流し、エヌラスの腹を叩き、兼定が右腕を押さえ込んでみぞおちに膝を入れる。しかし左腕で軸足を払って廊下に倒した。紫電を纏った蹴りを防ぎ、兼定が廊下を転がって体勢を整える――が、顔を上げた時には既に足裏が眼前に迫っていた。
ドロップキック、からの二段蹴り。空中で体幹制御から踵落とし、人間技ではない空中四段蹴りに日菜達が目を丸くしていた。