鞍馬山より下山する道中。菊一文字は今の自分達「現世壬生狼志組」について話し始めた。一度ムコツはその話を聞いたのか、大槍を弄んでいる。
京の都。大火事変を未然に防いだことから、彼らはそこでの活動が一番実力を発揮できる。創立したのは現局長の虎徹。菊一文字もまた、顕現してからはずっと此処で無銘旗本狩りに精を出している。毎晩毎夜、飽きずに懲りずに延々と出なくなる朝まで活動するものだから生活習慣が狂うと愚痴をこぼしていた。
大天狗と結んだ協定は「互いに刃を交える事を禁ずる」というもの。
今は虎徹と菊一文字の二人だけだが、少し前は此処にもう何名か居たが、旗本狩りの最中で命を落としている。
日本の昔話、妖怪の逸話を数多く残している京都だけに、現在は魔京と化していた。
元・現世壬生狼志組として名を連ねていた者は多かったが、その大半は既に死亡している。元の刀剣となった者は既に人間たちの手に返していた。
「どうにも、私達の顕現は一度限りみたいなんですよ。いやぁ、その点で言えば髭切と膝丸のお二人はとても手強かった。何度も名前を変えた逸話からか五回は殺さないといけなかったので、大勢犠牲も出ましたし」
妖怪退治の逸話が数多かったことからか、共闘しているうちに自ら怪物と化して襲いかかってきたらしい。
大和守安定、鬼神丸国重、加州清光──新選組に所縁ある刀剣がちょうど博物館で期間限定の展示をされている時に顕現したことから背中をずっと預けていたが、もう残っているのは自分と虎徹だけ。口癖のように「兼定がいれば」と何度も思い、口にしていたらしい。
下山してからもしばらく歩いて。
壬生狼志組は、とある剣道場を今は寝床にしているらしい。隊服と、日頃の行いから新選組と人々に今でこそ親しまれているが、最初は手酷い扱いを受けていた。それを払拭したのが虎徹を含めた最初の壬生狼志組。
地元民達も、毎晩現れる怪異に困り果てているらしいが、警察が機能するはずもなく。ならばと自警団を引き受けたのが最初の切っ掛けのようだ。
日が傾き始めた頃に、ようやく剣道場に辿り着く。人々も菊一文字の姿を見て、新たな隊士を引き連れてきたのだと思っているようだ。日頃の行いと、菊一文字の人柄のおかげだろう。大柄な太郎、次郎やムコツ、ゴウが人々の視線を遮っているおかげでパスパレに誰も気づいていない。
今は使われていない剣道場の戸を叩き、中へ入る。以前は門下生で溢れていたはずの道場も昨今では下火となっていた。その管理人がどうせ使わないのなら、という厚意から虎徹に貸しているのだという。
「菊一文字、ただいま戻りました。って、あれ? 虎徹さん何処行ったんだろう」
剣道場は無人だった。だが、ひとまずは屋根のある場所で腰を落ち着けられるということからかゴウを筆頭に早速くつろぎ始めている。
そこへ、道場主の奥方がやってきた。どうやら旦那と昼間から飲み始めて酔いつぶれているらしい。人に仕事を押し付けておきながらいい身分だ。しかし毎度のことらしい。
「いっそずっと飲んでいてくれたらまだいいんですけどね……」
ぼそりと、苦労をにじませる菊一文字の呟き。とはいえ、命令どおりに動いたのでその報告も兼ねて虎徹の元へ向かった。
道場の裏手にある屋敷が管理人夫婦の住まいらしく、兼定とエヌラスも菊一文字に同行する。
そこで見たものは、座敷で大の字になって酒瓶を散らかしたままだらしなく大口を開けていびきをかいている管理人旦那と虎徹と思わしき人物。
二人揃って甚平を着込み、酒の肴も手を付けている途中で飯台の上に置かれたまま。襖を開けた瞬間に酒の臭いが漂ってくるほど昼間から飲み食いしていたらしい。
おそらく、腹を掻いて刀傷が多く見受けられる方が虎徹だろう。よだれ垂らしているけど。
「局長ー、菊一文字ただいま戻りましたー。ご所望の兼定さんも連れてきましたよー、聞こえてますかー起きてますかー斬りますよー起きてくださーい」
「ふがー……すぴー……」
「斬りますか!」
「いい笑顔で何言ってんだアンタ……」
満面の笑みで刀を抜こうとする菊一文字を尻目に、エヌラスが寝返りを打つ虎徹めがけて腰の入ったローキックで背中を強烈に蹴りつけた。スパァン!と、とても小気味よい音を立てて。
「ほぉあっいってぇ!?」
「初対面の人の背中蹴りますか普通……」
「こいつ普通じゃねぇんだわ、菊……」
「昼間っから酒飲んだくれてんじゃねぇぞハゲェ! 客が来てんだから出迎えろやボケェ!」
「は!? いって、あ!? 誰だお前!?」
「じゃかぁしいわ顔洗ってこい酒くせぇんだよオラァァァァッ!!!」
「どぉわぁぁああああああっ!?!?」
甚平の胸ぐらを掴み、エヌラスがそのまま担ぎ上げると庭の池に向かって虎徹をぶん投げた。水柱と共に着水して、しばらく沈んでいたかと思うと顔を出す。縁石に掴まって池から出てきて肩を揺らしながら歩み寄ってくるが、まだ酔いが覚めていないのか足元がふらついていた。
「て、てっめいい度胸じゃね──」
「酒 く せ ぇ ん だ よ!!!」
「ごっぶぉぁあああああ!?」
二度目のドロップキック、から空中で姿勢制御しての回し蹴り。顔と後頭部を強烈に蹴りつけられて再び虎徹が池に落ちる。
──それから少しして。
「えー、はい。現世壬生狼志組局長の虎徹とは俺のことです。みなさんおはようございます」
「もうとっくに夕餉の時間ですけどねー。では改めまして自己紹介を。現世壬生狼志組一番隊の菊一文字則宗です。以後宜しくおねがいします」
何故かずぶ濡れで疲労困憊、顔の腫れた虎徹が手ぬぐいで顔を拭きながら一同に頭を下げた。エヌラスは腕を組んで悪びれようともしない。
面々が自己紹介を済ませると、お茶と菓子が差し出された。それを一口含んでから、虎徹が立ち上がる。
「てめぇさっきはよくもやってくれたな! 名前なんていったっけ、ぬえだったか!?」
「やかましい、昼間から酒飲んでいるやつが悪い」
「おっとぐぅの音も出ねぇぞ! だが普通蹴るか!?」
「文句あんのか?」
「文句どうこう以前の問題だっつうの!」
「あ? やんのか」
「おーいいだろうやったろうじゃねぇか! かかってこい!」
虎徹とエヌラスが早くも殴り合いを始めていた。壁際に正座してそれを眺めながら菊一文字が咳払いを挟む。
「コホン。と、まぁ。あちらが局長、虎徹さんです。悪い人じゃないですよ?」
「え、ええ……それはわかりますけれど……」
「ボッコボコにされてますけどいいんですか?」
「いやぁ、酔い醒ましにはちょうどいいかなと思いまして」
千聖と麻弥の心配を他所に、菊一文字は大天狗に視線を向ける。
「さて。ではどうしますか、これから」
「ミカヅキを討たねば始まらぬ」
「ですよね。とはいえこちらをあまり留守にも出来ませんし……」
「オレが思うによ。ミカヅキの野郎の手元に七星剣が渡ったんなら、まずそいつをどうにかしねぇといけねぇんじゃねぇか? それと、そっちの嬢ちゃん達の面倒もどうするかだ」
ムコツの意外にも冷静な意見に一同が面食らっていた。槍を握っていない時は割と落ち着いていられるらしい。
「もう一本は俺が持ってる。こいつの処分も考えようぜ」
「……そっちは丙子椒林剣か」
「面倒くせぇ、へし折っちまおうぜ。そうしたらそいつも顕現できねぇだろ」
「いえ、ムコツさんの方法ではとても厄介なことになると思います」
「あ? なんで」
「考えてもみてください。真打、業物、贋作問わずに今や刀剣が付喪神と化して人の姿をとる状態です。後世に写しが造られたものも数多い。心当たりはあるでしょう?」
ムコツとゴウの話では、自分の写しがある。あるいは自分こそが写しである。そして、京都異変のこと。無銘旗本は、もととなった刀剣があるわけではない。ただ土地に根付いた怨念が怪異となって跋扈しているだけに過ぎなかった。しかしそれでも人に害を為すものを放置しておくわけにもいかない。
「丙子椒林剣。この一振り以外にもあると考えて妥当でしょう」
「それに、それって国宝指定されてるから折ったりなんかしたらまずいと思うんだけど」
「日菜ちゃんの言う通りです。それは、本来あるべき場所に戻すべきだと私達は考えています」
「……他ならぬ現代人の嬢ちゃん達が言うならそうだわな」
「なら、それは兼定さんが持っていてください」
「わかった」
話し合いが続く一方で、エヌラスと虎徹の稽古(割とガチ)は続いている。殴って蹴って投げては距離を詰めて再び殴り合う。
「で、あれ止めなくてよろしいのですか。菊一文字様?」
「あー、別にいいでしょう。楽しそうですし。なんかすっかり意気投合してますし。それにしてもぬえさんでしたっけ? あの人、虎徹さんそっくりですね。だからですか? 兼定さん、あの人と一緒に行動していたのは」
「いや、別にそういうわけじゃねぇよ……」
虎徹が投げ飛ばされて、受け身を取っていた。そこでやっと一段落がついたのか二人が稽古をやめて戻ってくる。
「あー、いてぇいてぇ。でもまぁ良い準備運動になったわ! んで、おめーが兼定か! 今の今までどこで何してやがった」
「東京からこっちまで旅してきたんだよ、つい昨日おとといの話だけど」
「ってーことはあれか。おめーは向こうで顕現したってことか。にしても何か、腑抜けた面してんなぁ、兼定。“鬼の副長”とか主は呼ばれてたくせに」
「局長、この兼定さんは記憶がないそうです」
「殴ったら戻るだろ」
「逆に記憶飛びそうですけど」
口元の血を拭いながら、虎徹は兼定の前に腰を下ろしてあぐらをかく。短髪に、筋骨隆々ながっしりとした体格。偉丈夫な体躯には刀傷が多かった。その姿を見ても兼定はいまいちピンと来ないのか、難しい顔をしている。
「おい、ぬえ。こいつはうちで預かんぞ! 元はうちの隊士だったわけだしな、足抜けしたわけでもねぇし。別にいいだろ」
「兼定が良いって言うならな。記憶が戻る手がかりにもなるかもしれねぇし」
「なら決まりだ。兼定、ちっと手合わせすんぞ。立て」
言っている間に虎徹は壁に掛けられている木刀を二本、一本を兼定に投げ渡していた。面食らっていた兼定が腰を上げる前に、すでに打ち下ろしている。
咄嗟にその場から転がり避けて、構えた。
「いや、俺まだやるとは一言も……!?」
「知るかぁボケェ! いいからやんぞおめぇ!! 気組が足んねぇんだ気組が! 腑抜けてんじゃねぇぞ兼定ぁ!!」
「あーあー、局長のやる気入っちゃった……あーなるともう手がつけられないし止まんないんですよね」
獅子も逃げ出す虎の咆哮、道場に響く踏み込みと共に木刀を打ち下ろすと風圧で彩達の髪がなびいている。剛剣と呼ぶに相応しい剣撃に兼定もすっかり尻込みしていた。
「さぁて、と。今日の食事当番は私なので夕飯の支度をしてきます」
「俺も手伝おう。料理には自信がある」
「おや、それは助かります大倶利伽羅さん。みなさんはそのままくつろいでいただいて結構ですので──あ、もしも万が一局長が抜刀するようなことがあれば何が何でも止めてください」
「はい! わかりました!」
「いいお返事です、若宮さん」
菊一文字に褒められて、イヴが心底嬉しそうな笑顔を向けている。
「褒められちゃいました! とっても嬉しいです♪」
「よかったね、イヴちゃん」
「はい! 新選組の方々と出会うことができてとても光栄です!」
憧れの新選組ゆかりの付喪神達に粗相のないように背筋を伸ばして正座していた。
エヌラスも虎徹との稽古(喧嘩?)から戻ってきて腰を下ろすなり、手ぬぐいで顔を拭く。
「エヌラスさんもお疲れさまです。はい、お茶をどうぞ」
「ん、ありがとうな。麻弥」
「それにしても、なんかなし崩し的に京都旅行に来ちゃいましたけど……ジブン達、無事に帰れるんですかね? 今更ながら不安になってきました」
「何があっても。お前達だけはちゃんと送り返すから心配すんな」
「──、あー。はい……」
「どうした?」
「ふへへへ。いえ、男の人にそんなこと言われたの初めてなので。思いの外、嬉しくてですね。つい頬が緩んじゃいました」
「エヌラスさんの女たらし……」
「おい、なんか今聞き捨てならねぇ言葉が聞こえたぞ日菜」
ぷいっとそっぽを向く日菜に、珍しい顔が見れたと千聖も頬を綻ばせる。蜻蛉切は岩のように動かず、側から離れなかった。
「ミカヅキを止めに行かなくていいのか?」
「こっからどうやったって無理でしょうね。ならばいっそ、一夜をここで明かすのも手かと」
「……ですが、兄者。あちらも動かないとは限らないはず」
「いやいや、そうは言ってもよ? カゲミっちゃんの法術で此処まで一瞬で飛ばされた俺たちにそう簡単に追いつけるかよ」
「しかし、お言葉ですがゴウ様。あのミカヅキ、夜の帳が降りた際は一層力を増すもの。それに七星剣も奪われた今となっては、ここで一気に動かない可能性も考慮すべきかと」
「オレの予想ではな。あの野郎は縁の地で七星剣を顕現させた後に追ってくるだろうよ。カゲミツの法術がどれほどのもんかは知らねぇが、アイツは手の内を明かしてねぇと見た。なら同じ方法ですぐさま追ってくる。そうなれば、それこそこの世の地獄だぜ」
「京都大火事変ならぬ、京都妖魔事変、ということですか」
「妖魔事変。うわはは、そりゃあいい! 殺し甲斐と斬り甲斐がありそうだわな!」
戦闘狂に見えて、意外にもムコツはそういった策謀にも通じているようだ。そんな意外な一面に驚かされていると、菊一文字と大倶利伽羅が戻ってくる。
「おまたせしました皆さん。夕飯の支度が出来ましたよ」
「お、いいねぇ。菊ちゃんお手製の夕飯はなんだい」
「鍋ですけどゴウさんのは無いです」
「酷くない!? ねぇ、酷くない!? っていうかなんでおじさんのことみんな毛嫌いすんの!」
「冗談ですよ、ちゃんとありますからたらふく食べて肥え太ってください」
「わー、なんかちょっと遠回しに傷つくわぁ」
付喪神だから食事の必要もないはずだが、それでも食事の習慣はつけておいた方が人の社会に馴染む、と菊一文字は語った。それに腹が満たされていると気合も入る。とは虎徹の言葉。
その虎徹は、汗だくになって打ちのめされている兼定を見下ろしていた。
「おう、菊! おめーらは先に飯食ってろ! 俺はもう少しこの馬鹿叩き直す!」
「鍋がなくなる前に切り上げてくださいよ、局長。では皆さんはこちらにどうぞ」
「おら立て兼定! いまのおめーに足りねぇのは気組だ! 死んでも事を成し遂げるだけの覚悟が足りてねぇ、士道不覚悟は切腹もんだ! わかってんだろうな!」
「……、押忍! もっかいだ!」
「なんべんでも付き合ってやっから思う存分かかってこいやぁ!!」
エヌラス達が剣道場を後にする間も、木刀同士がぶつかり合う音が外まで響いてくる。
撃剣指南役は本来自分の役割なんですけどね、と菊一文字がはにかみながら言っていた。兼定が戻ってきてくれたことが嬉しいらしい。
たとえ記憶が無くても、それが本当の和泉守兼定でなかったとしても変わりはない。
──斬らねばならぬ。斬らねばならぬ。
この世に仇なすことごとく、森羅万象一切合切を斬らねばならぬ。
ミカヅキは一人、寺院の中を歩く。返り血を浴びた着物を見て人々が悲鳴と共に避けていく。もはや手に掛けた数は、おぼえていない。
己の手でどれだけ斬ったろうか。己の手をどれだけ汚しただろうか。
顕現したその日に、並び立つ天下五剣と称される輩を。
嗚呼、どうして斬ってしまったのだろうか。あゝ、どうして俺を止めてはくれなかったのか。
己を斬って、止めてさえくれれば……こんなことにはならなかったというのに。
歩みは止まらない。
霊験あらたかな土地に。吸い込んだ神気の風が心地よい。どれほど移り変わろう時代であっても形だけはと留められてきた場所が、とても体に馴染む。傷が癒やされる。だが、心に負った傷口だけは真新しい痛みを訴えていた。
斬らねばならぬ。そのために、西を目指した。そして辿り着いたのだ。
己の限界は見えていたからこそ。
ミカヅキは手にしていた直刀に己の血を垂らし、寺院の奥を目指していた。
奉納し、刃を閃かせながら舞を踊る。その口からは、何処とも知れぬ異国の言葉を呟きながら。
“──ふんぐるい・ふんぐるい・むぐるうなふ”
抗えぬ。この狂気には抗えぬ。己の身に留める他ならぬ。
この世に出してはならぬ、斬らねばならぬ。
月が見ている。狂気に満ちた月が己を見ている。この世ならざる者が己の見ている。化かすことも明かすことも敵わぬ。人の身では敵わぬ。
……己は、何処で道を違えたのか。顕現したその日か。童子切を背後より斬り捨てた瞬間からかシシオウを見限ると決めた時からかそれとも──あの、異界の住民をこそ見た瞬間からか。
あれは人の世にあってはならぬもの。己の内に留めた狂気の化性と他ならぬ。
斬らねば、ならぬ──ことごとく。
己も、あやつも、他の付喪神も。なにもかも……、いいや、そのはずはないのだ。おのれはまもらねばならぬはずだ。ああ、口からもれるのりとが止まらぬ。
“──いあ・いあ”
おのれは、なにをくちばしっているのか。どこののりとだ。いいや、いいや、気を保て。狂ってなどおらぬ。己は狂うわけにはいかぬ。あゝ、すまぬ、すまぬ……すまぬ。
おれは、俺の狂気を止められぬ──俺を、どうか斬ってはくれまいか。そのためならば三千世界の怨恨も喜び引き受けよう。
どうかお前達の士道で、斬って捨ててはくれまいか……兼定よ。正しく付喪神であられるお前にこそ与えられた役割なのだから。