いつもの喧騒の中に戻ってきた、という実感だけが五人にはあった。その後ろについてくる黒尽くめの服装、五月にもなったというのに無地の黒コートを羽織った成人男性。自称・オカルトハンター……もとい、魔術師。エヌラスと名乗った相手は両手をポケットに入れたままリサ達についてきている。
とりあえず、できるだけ安上がりで済まそうとファーストフード店へ向かっていた。
「あのー」
「ん?」
「アタシ達、見ての通り女子高生だから。そんなに期待しないでね?」
「財布事情か。腹に入るんだったら何でもいい。美味いに越したことはないが」
「どれくらい食べるの?」
「そーだなー。食おうと思えば無限に食えるが、人の倍は食うな。少なくとも」
ちょっと待って、とリサが一言断りを入れてからメンバーと相談する。
「大丈夫かな。お腹一杯食べられるかな、あの人」
「やっぱり、魔法を使うのはお腹が空くんじゃないでしょうか……」
「そういうものなの、あこ?」
「あたしも実物を見たのは初めてなのでわかんないです、友希那さん」
「……それなら、大食いチャレンジをやっているお店でいいんじゃないですか? もし失敗したとしても私達がそれぞれ出せば被害も最小限になると思いますし」
「さすが紗夜! ナイスアイディア」
「じゃあ、調べてみますね」
スマホで近くにある店舗を検索する燐子。それほど多くはないが、無いわけではない。どれもこれも、とてもではないが食べきれない量のメニューばかりだ。中には要予約制であったり、前人未到のものまである。
「あ……これ……」
「何か見つけたの、燐子?」
「はい。ほとんどが時間内に完食で無料、なんですけれど……ここのは、賞金が出るみたいです」
「お、いいじゃん♪ そこにしよーよ」
「…………」
乗り気なリサに、しかし燐子は何か言いにくそうにしていた。
「ただ、その……チャレンジ失敗額も……相応で」
「どれどれ~……? うっわ……」
「……結構な出費になる可能性があるわね」
失敗した場合の出費も五人で分割するには少々手痛い。最悪の場合、五桁に及ぶ金額を請求される。そのリスクを少しでも減らすために、念の為確認を取った。
「エヌラスさん、これ食べ切れる?」
「──え? ああ、なんだそれ」
名前を呼ばれたことに不意を突かれたのか、一瞬だけ反応が遅れた。
燐子のスマホに表示されているのは大食いメニューの画像。テーブル席を一つ丸ごと埋め尽くす山としか形容できない料理に、サイドメニューまで付いてきていた。総重量にして15キログラム。多人数でのチャレンジも受け付けているようだが、それも五人まで。
制限時間三十分、賞金三万円。ただし、チャレンジ失敗の金額も三万円。まさに食うか食われるか、という謳い文句。
「これ、食うのに三十分も必要か?」
信じられない一言に、リサ達が目を丸くする。顔を見合わせ、お店に電話することにした。
──都内某所飲食店。
前人未到。未だチャレンジ成功者は現れない。複数人で挑み、惨敗を喫した者たちは数知れなかった。量もさることながら、食べ合わせにも気を使ったプレートメニュー。理路整然とした配色、配置。円を描くように並べられたカツに、山盛りのキャベツ。さながら富士の樹海。そびえ立つ白米の山岳、その中には溶岩のごとく具材を詰め込まれたカレールウ。ハンバーグも潜んでいる。
挑戦者が現れなくなって幾久しいチャレンジメニューに、無謀にも挑戦したいという一通の電話に厨房のテンションが上がっていた。
調理時間、十五分。気を使うのはメニューを盛りつけることだけだ。それ以外は厨房で扱っている材料で賄っている。
かくして。来店したのはガールズバンド『Roselia』だった。
「すいませーん、電話した今井ですけれどー」
「いらっしゃいませ! チャレンジは五名様でよろしかったでしょうか?」
店内で食事をしていた客たちも、気になって様子を見ている。
「あの、挑戦するのアタシ達じゃないんですけど、大丈夫ですか……?」
「はい? ではどちらが……」
「俺一人だ」
その背後。リサ達の後ろに並んでいた凶悪な人相の男性が名乗り出た。一瞬だが、店員の顔が固まった。多少のハプニングはあったものの、問題はない。
案内されたテーブル席に腰を下ろして、エヌラスは店員からのルール説明に耳を傾けていた。その様子を通路を挟んだ席でリサ達が見守る。
至極単純。制限時間内に残さず食べきればチャレンジ成功となる。説明を終えてから、ウェイターが厨房に声を掛けた。
店員が三人掛かりで運んできたのは、見た瞬間に自らの無謀を嘆きたくなるような山。赤字覚悟の大食いメニューが運び込まれてくる。向かい側のテーブルで見ていた『Roselia』も流石に実物を前にして絶句していた。
「……すごい量ね」
「はい。並べられたカツだけでも三キロだそうですね」
「見てるだけで胸焼けしそー……」
空腹で椅子に浅く腰を下ろしていたエヌラスも、実物を前にして多少は尻込みするかと思いきやまじまじと見つめて座り直す。
「……いや、これ食うのマジで三十分いらねぇな……」
聞き間違いでなければ、確かにそう呟いたのを友希那は聞いていた。
一度だけリサに目配せをすると、エヌラスはニコニコと笑顔で並ぶ店舗スタッフならびに店長にとある提案をする。とても、正気とは思えない一言だった。
「確認したいんだが、これを三十分以内に食い切れば賞金が出る?」
「はい! 未だチャレンジ成功者はいません!」
「十五分で食い切るから賞金倍額にしてくれ。失敗したら倍額支払うから」
水を飲もうとしていた紗夜が吹き出す。リサがむせていた。友希那も目を白黒させている。燐子も正気を疑ったし、あこは財布を確認していた。
「ちょ、ちょっと貴方本気で言っているんですか!? 誰がお金を出すと思って!」
無理無茶無謀な提案に、しかし店長は快諾する。どうせそんなの無理な話だ、どうせなら面白おかしく聞き入れてやろうではないか、と。
「もちろん構いません! では制限時間十五分、賞金六万円で──」
「言 っ た な?」
エヌラスが凶悪な笑みを浮かべながら黒コートを脱ぎ始めた。無地の半袖から覗いた腕に走る無数の傷跡に、気を取られる。肩を回し、髪を一度だけ後ろへ流してからコップになみなみと水を注いで一息に飲み干した。
タイマー係の店員が見守る中、店内の好奇の視線を浴びながらもスプーンを手にする。
「いただきます」
「では、チャレンジ開始です──!!」
……。
…………。
────かくして、完食十三分。見上げる高さの白米山岳は跡形もなく消えていた。テーブルには空になった特注品のプレートが置かれている。
「おい、タイマー。タイマーストップ」
「……は、はい!」
「ごちそうさん。んじゃ金貰って帰るか」
隣のテーブルで食事を見守っていた手が止まっていた。来店しておいて何も注文しないのは迷惑かと、軽いデザートだけ頼んでいた友希那達も唖然としている。
口周りを紙ナプキンで拭くと、コップに水を注いで飲み込む。
「──夢じゃないよね?」
「まさか、本当に有言実行するとは思いませんでした……」
「どこに消えてるんだろ……」
店内騒然、しかしエヌラスはそんなことに微塵も興味が無いのかコートを羽織って退店の準備をしていた。
「不味かったらちょっとヤバかったが、味は良かったな。ルーの中にハンバーグ一枚まるごと突っ込まれてるとは思わなかったが」
「ほとんど丸呑みだったじゃないですか……」
一部始終を見ていたが、とても人間業ではない。最初こそ笑って見ていた店員も途中から引きつった顔をしていた。店長に至っては青い顔をしている。言わなきゃよかったと今頃後悔しているのだろう。
カメラを用意するスタッフにエヌラスが眉を寄せていた。
「なんだ、そのカメラ」
「チャレンジ成功者を撮影させていただこうかと思いまして」
「断る」
「えっ。そこをなんとか」
「もう一回だけ言うが、断る。三回目はねぇぞ。俺はメシを食いに来ただけで表彰されたいわけじゃない」
「そ、そうですか……」
睨まれて萎縮する店員がカメラを持って下がる。それと入れ替わりで店長が賞金を包んだ封筒をエヌラスに差し出した。なんとコメントしたらいいか困っている。
「メシ食って金貰えるとかいいな。ありがたい話だ」
お店からしたら大打撃間違いなしなのでできれば勘弁してもらいたい。
「また来るわ」
「いやー、あのメニュー毎回完食されたらちょっとウチも経営が成り立たなくなるので……」
「そうかぁ……ま、いいか」
「ともかく、チャレンジ成功おめでとうございます。こちら賞金です」
「……倍額って言ってなかったか? 俺は挑戦前に、確認したはずだけどな? 他でもないアンタの口から、かまいません、と聞いたはずだが……おかしいな、気の所為だったか?」
「あー、その……すぐご用意致しますね」
「それは助かる。さもなきゃさっきのメニューまた注文してたところだ」
末恐ろしくなるような言葉を残して、エヌラスはデザートを食べ終えた友希那達と退店した。
──殺されるかと思った、とは店長談。
賞金の入った封筒を揺らしながら、エヌラスが向き直る。封筒から一枚だけ自分の取り分を抜き取ると、残りを差し出す。キョトンとした顔でリサ達が封筒に注目していた。
「えっ? あの、これ……?」
「迷惑料、紹介料、その他諸々込み」
「いや受け取れないって! こんな大金、ねぇ?」
「そうですね。それは貴方の賞金なので。私達が受け取るわけには」
「俺の金だから俺がどう扱おうと俺の自由、よって譲渡。以上だ」
「……筋が通っているので何も言えませんね」
「友希那ぁ……」
どうしたらいい? と言いたげに助け舟を求める。
「受け取ったらいいんじゃないかしら」
「素直に受け取れないって言うなら、クッキー代。他に何か理由が必要か?」
「いやほら、自分の生活費とかあるじゃん!?」
「こっちの紙幣が一枚あれば十分だ。あとは元手にして稼げばいいだけだしな」
「どうやって?」
「師匠から禁止されてたが、賭け事で」
「魔術の、ですか?」
「……まぁ、色々な」
(ちゃんと先生がいるんだ……)
しかし、なんで禁止されているのか。気になってあこが尋ねた。
「“お前は加減を知らんから賭け事をするな”って言われてた」
「散財したりするからですか?」
「店を潰すからだな」
「……賭博に暴力、果ては魔術。貴方は本当にろくでもない方なんですね」
「ははは、よく言われる。ろくでもない人でなしとか穀潰しとか、もう聞き慣れた」
「生活態度を改善しようとは思わないのですか?」
「別に。二の次でいいしな、自分のこと。いいから、受け取れ」
封筒を無理矢理リサに手渡すと、エヌラスはすぐに離れる。
「そもそも、人間相手にしちゃいねーし。そっちの生活に踏み込むつもりはないからな。あんま近づくとお互い痛い目見るのは言うまでもねぇ」
「どちらへ?」
立ち去ろうとする背中に、紗夜が声を掛けた。魔術師としての勘だろうか、遠くに視線を向けており、その目が憎悪と敵意を滾らせている。
「なに、ちょっとばかりご同類に“ご挨拶”しに行ってくるだけだ。今夜は安全だが、この先どうなるかは俺もわからん」
「魔除けのおまじない、大丈夫なの? これ本当に効き目ある?」
「なんかあったら駆けつける。だが、ひとつだけ注意してくれ。あくまでも“魔除け”の、おまじないだ。人間相手に機能しない。万が一痴漢とか暴漢とかに襲われても俺は気づけないからな、そこはうまいこと自衛してくれ」
「暴漢……そうだ、それで聞きたいことが──」
リサが引き止める前に、エヌラスはすでに駆け出していた。その背中が見えなくなってから、受け取った封筒の中身をとりあえず均等に分配する。
「まさかリサ姉のクッキーがこんな大金に化けちゃうなんて、びっくり!」
「それは一番アタシが驚いてるんだけど……」
「リサの近くにいれば、安全なのよね? それなら、明日からの練習はいつも通りにしても良さそうね」
「友希那、怖くないの?」
「……? どうして? なにかあったら駆けつけるって言っていたじゃない」
「いや、それはそうなんだけどさぁ……」
もう少しこう、疑おうとは思わないのだろうか。
「でも、もっと魔法の話とか聞いてみたかったです……」
「本当に魔術師かどうか怪しいところですけどね。魔法ではなく、どちらかと言えば物理攻撃が主体なようですし。刀に銃なんて、法に触れてます」
「紗夜は手厳しいなぁ……一応命の恩人だよ? あのままじゃアタシ達どうなってたかわかんないんだから」
「正直言って、私はあの人のことを良く思ってません」
「あはは、だよねー。ずーっと紗夜ってば不機嫌そうにしてたし」
「ともかく、今日のところは帰りましょう」
思わぬ収入もあったことだ。
──人狼が斬り伏せられた現場に、二人の少女が屈み込んでいた。何もない地面をじっと見つめている。
瓜二つの顔を持つ鏡写しの双子は僅かに残留している魔力の気配にニコニコと笑顔を浮かべていた。此処にいる、アイツがいる。すぐ近くにまで来た。
「ねー、ティア。ボク達に気づいてるかな、あの人」
「んー、わかんない。でもウチらに気づかないはずがないよねー? ティオはどうする?」
「とりあえず、追いかけっこする?」
「そうしよっか」
「ボク達には絶対に追いつけないけど」
「ウチらは絶対に追いつかれないけど」
その時、どうするだろう。自分達は絶対に誰にも負けない速さを持っていると二人は自負していた。例え時の流れであろうと置き去りにしてみせる。二人が指をからめるように手を握ると、赤らんだ頬が緩む。
大丈夫。きっと、絶対、大丈夫──こうして手を繋いでいるとそれが実感できる。
「……来たね、ティア」
「うん。来たよ、ティオ」
「“邪神狩りの怪物”が来たけど」
「大丈夫、ウチらには絶対に追いつけない。だよね、ティオ」
近づいてくる足音に、二人が振り返った。
そこに立っていたのは、黒尽くめの男性──エヌラス。
琥珀の双眸と視線がぶつかる。揺れる銀の髪、少女たちが無邪気な笑顔を向けていた。その下に潜ませているのは、人ならざる狂気。瘴気を滲ませながらブーツを鳴らして一歩、踏み出す。
「こんばんは、おにーさん♪」
「こんばんわ、おにーちゃん♪」
二人三脚──否。二
右脚を覆う白銀の鎧。左脚を覆う白銀の鎧。纏うは最速の呪詛と凶器。
「この星はボク達には狭すぎるよ」
「うん。窮屈で息苦しいかな、壊すのも蹴っ飛ばすのも簡単だけど──面白くないよね」
「貴方もそうでしょ、おにーさん」
「だから、もーちょっとだけ人間と遊ぶことにするね」
鈴を転がすように、高い声で笑う。だが、エヌラスの表情は眉一つ動かない。
ただ、憎い。ただただ、憎い。存在そのものが許せない。
「言いたいことはそれだけか?」
「うん、それだけ!」
「ボク達が一番乗りなんだから、一番愉しませてね。おにーさん♪ さもないと──」
琥珀の双眸が、金色に変貌する。少女の身体から発せられる瘴気、神気──人間の世界を侵すには十分な狂気を秘めて、少女は口を開いた。
「今度は、もっとこの世界が壊れちゃうよ」
「言ってろ、クソガキ一号二号」
「ねー、ティオ。どっちが一号かな?」
「えー、ティアが一号でいいんじゃない?」
エヌラスの殺気も敵意も右から左に流しながら無邪気に笑い合う二人に、抜刀する。しかし、夜闇を斬り裂く一閃は空を切っていた。
そこに双子の姿はなく、見上げれば空を“跳んで”いた。
「アハハハハハハ、おっそーい!」
「あはははははは、のろまー!」
片脚を覆う白銀の鎧が帯電する。そして、空中に
エヌラスを見下ろして、ティオとティアは笑っていた。無邪気で、残酷で、無神経な子供の笑顔を向けながら手を繋いでいる。
「ぼっちで」
「遅くて」
「ノロマの」
「「おにーさんっ、アハハハハハハハハハ!!!」」
「ええい、いちいち癇に障るクソガキ共がぁぁぁぁっ! ぜってぇ逃さねぇからな!!」
──夜空を跳ねる二条の流星、後を追う一条の宿星。
だが、その彼我の距離が埋まることは決して無かった。突き放し、置き去りにして、更に駆けていく。小さい身体の、小さな背中が水平線に消えても、まだ追跡する。
この身体を突き動かす、身を焦がすほどの憤怒と殺意を推進力にしてエヌラスは見えなくなった双子の後を追う。決して追いつかない、追いつけないと馬鹿にされるだろう。嘲笑うだろう、無駄な努力だと。だが、追いかけようとしたその一歩を諦めてしまえば、そのために費やしたものの全てが無駄になる。
そして、諦観は禁句だ。それは一番に師が教えてくれたことだから。