【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第六十幕 千花繚乱のフラワースマイル

 エヌラスの頭に手を伸ばして、髪を撫でる。他者に対する共感や理解が他に比べて少々疎い日菜であっても、その異常性は理解できた。

 人の形をした機械と変わらない。システム通りに動く道具だ。

 

「……怪我、痛くない?」

「さっきも言っただろ。慣れてる」

「ううん。怪我をした時のこと。する時のこと」

 私達だって、転んだりしただけでも痛くて、辛い。その痛みはいつだって新鮮で、何度でも慣れない。慣れてはいけない感覚だ。命を落とすかもしれない危険信号を身体が知覚する証拠だから。

 それなのに、エヌラスは平気な顔で何度でも大怪我をする。治るからと、慣れているからと。

 いっそ、怪我をしなければいいのに。痛いのは誰でも嫌なはずだ。

 

「さぁな、わかんねぇよ。身体がちょっと動かないって程度だ」

 ……この人は、本当にどこまでも壊れている。それを自覚すらしていないのだろう。

 我が身を振り返ってしまえばきっと耐えきれないと知っているから。

 

「……もうひとつ、秘密にしておきたかったことがある」

「なんですか?」

「魔術師は、常に自分の心に嘘をつく。蓋をする。必ず隠すんだよ。これから自分が扱うものが劇薬であればあるほど。狂気を前に気が触れないように、心に壁を作る。ひとつやふたつじゃない、幾重にも防御壁を形成して事に臨む」

 それは、自己防衛の一種だ。手段や方法は様々で千差万別。精神を保つための必須項目でありエヌラスも例外ではない。

 その秘密を暴露したということは──、今もエヌラスは日菜達に嘘をついている証拠に他ならなかった。

 

「外敵だけでなく隣人にさえ自分の心は明かさない。それは鉄則だ。暗黙の了解みたいなものがある。ところが俺は、魔術師として三流もいいところだから禁忌も平気で破る」

「それ、いいんですか?」

「本当は駄目だけどな。いわゆる「企業秘密」の守秘義務契約違反だから、全員敵に回すようなものだし。別に現代社会で俺以外に魔術師いねーだろ」

 魔術師は集団であろうと、常に孤独なものだ。何があろうと心を不動なものとして万事に備えなければ生き残れない。例外もある。激情を冷徹なまでの意思で操作し、魔力と融合させることで万象に干渉する。

 

「で、だ。困ったことに。俺の精神防御壁をコイツが越えてきているものだから、困惑している」

「…………あたし?」

「お前以外に誰がいるんだ」

「でもあたし、特になにか特別なことしてないよ?」

「しただろうが」

「……────キスしただけで魔術師の防御壁って越えられちゃうの?」

「俺がお前のことを特別扱いしそうになってる話だ」

 部屋が、沈黙した。

 

(──エヌラスさんの、特別? 一番? あたしが?)

 何故か無性に顔が熱くなる。胸の鼓動がうるさいくらいに耳に響く。

 確かに、男の人とここまで仲良くなったことはない。意識したこともなかった。おねーちゃんが一番で、一番長い付き合いで。それは決して変わらないものだと思っていた。

 傷だらけの肌に触れていることに気づいて。指先から伝わってくる肌の温もりを意識した瞬間、慌てて手を離す。

 なのに、指先が触れていた相手の体温がまだ残っている。

 

(あれ。そういえば、キスした時も……)

 自分の唇に触れてなぞると、鮮明に思い出せた。なんで、あそこまでの事をしてしまったのだろう。ただ、嫌な気分になったから。もやもやっとした、ちくちくざわざわとしたような胸の痛みが堪えられなかった。

 舌を入れて、唾液同士が絡みついて。口内に入り込んできた時に飲み込んだ熱い感覚が忘れられない。胸が熱くなる。芯の奥から、滲み出してくる熱さに身体が火照ってきてしまう。

 

「……俺の場合は、そういうことをされると防ぎようがない。どうしたらいいのか、解らない。敵なら殺して済む話だ。だが、好意やお節介でこられると、突き放せないんだよ」

 だから、自分に積極的に絡んでくる日菜やこころは天敵だ。興味本位で、好奇心で迫ってくる無害な相手をどう扱ったら良いのかわからない。どう対処するべきなのか、知らない。

 

「そんなの──」

 ちゃんと、向き合って話せばいい。たったそれだけのこと。当たり前のことだ。そんなこともわからないのだろうか。

 それができない。たったそれだけの、簡単なこともできないくらいに、この人の価値観は日本の常識からかけ離れている。魔術師のいる世界。その異世界ではどんな風に人が暮らしているのか。

 これほどまでに壊れなければ、強くなければ生き残れない世界なんて間違っている。

 

「だから俺は、地球で誰かとこうして交流する気なんて欠片もなかった。考えもしなかった。実際まともに声を交わしたのなんてそれこそ日本に来てからだよ。おかげで毎日忙しいわ追い回されるわ気が休まらないわで、本当になんで俺はこんな苦労してんだか……」

 いっそ、何もかもを消し飛ばしてしまえばどれだけ気が楽か。そうしたら、こんな苦労も、無駄な怪我もしなくて済む。なのに、それをしない。合理的で計算高い魔術師の思考から離れた行動。それこそ、無駄な努力というものだ。

 だが。それをした後にどれほど悔やんでも命は戻らない。壊れたものは直らない。死んだ人間だって生き返らない。

 何も手に入れず、何も残さない。本当に、ただ孤独なまま戦い続けることができるだろうか──かつては、そうしていた。しかし気づいたのだ。何も変わらないのだと。

 なにかひとつでも、変わりたかった。前に進みたかった。

 自分が正しいと選んだ道が、間違いではなかったんだと誰かに言ってほしかった。

 

「……それでもやっぱ、好きで苦労してるんだから世話ねぇわ」

 エヌラスは自分の髪をかきながら、疲れたように呟く。

 

「兼定の言葉を借りるなら、これが俺なりの士道ってやつなんだろう」

 何があろうと、必ず。何を犠牲にしようとも、日菜達だけは守り抜く。それは依頼があろうとなかろうと関係ない。

 自分に無いものを持っている。それを必要としている人達がいる。

 痛みも辛さも悲しみも、全部自分が背負い込んで、ただ笑っていてくれればそれだけで十分だ。

 

「士道不覚悟は切腹ものだっけな。そんなつまらん死に方は御免だ。どうせ死ぬなら、惚れた女に抱かれて死にたいもんだ」

「エヌラスさんの惚れた人ってどんな方なんでしょうか?」

「そうだな──」

 

 ──本当に心を奪われたのは、きっと、たった一度だけ。

 地獄で見た、笑顔に満ち足りた花。そんなものを正直に言うのは恥ずかしくて、誤魔化した。

 

「笑顔の素敵な女性だったよ」

 今でも目に浮かぶ。今でも忘れられない。今だに覚えている。

 あの頃は、本当に毎日が充実していた。きっとそれを人は「幸福」と呼ぶのだろう。

 過去形であることに、イヴ達も疑問に思っていた。

 

 夜空に浮かぶ三日月が、京の都を青く照らす。エヌラスは月を睨みあげながら、町中を包む不穏な気配に苦い顔をした。

 瘴気が濃い。人体に害を及ぼすのも時間の問題だ。魔術師であるエヌラスですら息苦しさを感じつつある。

 結界魔術は大の苦手だ。守るのは、特に。

 ポケットからドラッグシガーともうひとつ。黄金色の液体の入った小瓶を取り出す。

 

「なにそれ? アロマ?」

「覚醒剤」

「…………」

 言葉の捉え方が乖離しているからか、日菜が目を丸くしていた。彩達も引きつった顔でドン引きしている中、エヌラスはドラッグシガーに指で火を点けた。紫煙を漂わせると、小瓶に魔力を込める。防御に主体を置いた術式を液体に染み込ませてから、ドラッグシガーの灰を中に極少量だけ落とした。

 内部で魔力と術式の化学反応を起こしているのを確認して自分の血液を一滴。

 結界は空間指定型だが、防御円なら話は別だ。客間を基点に、剣道場までの敷地を防御魔術で覆う形で発現させる。発動中は徐々に液体が減少していくものの一晩は保つだろう。

 物質的な燃焼ではないのできっちり蓋を締めると、エヌラスは千聖に手渡した。

 

「それ、絶対に開けるなよ。あと手放すな」

「わかりました。中身が漏れ出した場合は……?」

「植物人間状態になるか人間でなくなるか、天文学的数字で魔術師になるかの三択」

「そんなものなんで持ってるんですか?」

「魔術師としての感性の覚醒剤だから、力量を越えた魔力を動員する時に使うんだよ」

「んー、エナジードリンクとか強壮剤みたいなもの?」

「そんなところだ」

「タバコと違うの?」

「煙草は燃焼剤みたいなもの。焚き火に薪を追加するようなものだ」

 さしずめこの液体は魔力のガソリンといったところだろうか。爆発的な燃焼を及ぼすが、そのぶん反動が酷い。──ただしそれも、エヌラスの手製なのだが。

 自分の影から倭刀を取り出すと半裸のまま日菜達に背を向ける。

 蜻蛉切の話では、兼定達だけではミカヅキを討ち取れない。だからこそ自らも出陣すべきと進言した。

 

「エヌラスさん、服!」

「俺に裸で帰れと? それしかねぇんだから、持っててくれ」

 どうせ血で使い物にならなくなる。それでもサイバネコートだけは羽織っていた。ハンティングホラーの空間魔術から武器を取り出すには、何かしらの隙間が必要になる。普段は地面と影の境界線から発動させているものの、服の中から取り出せる方が何かと便利だ。

 

「嫌な夜だが……月は綺麗だな」

「…………」

「ん? どうした」

 エヌラスの独り言に、意味を知っているはずがないとわかっていても日菜達の顔は赤くなる。

 

「教えてあげたほうがいいのかな……?」

「あのー、ですね。エヌラスさん。女性に向けて、月が綺麗ですねって言うと……その、なんていうか……」

「愛の告白、なんですよね。愛していますって意味で……」

「──は!?」

 一気に顔が赤くなるエヌラスに、今度こそ日菜達が不意打ちを食らった。珍しく本気で照れた表情を見せて、視線を泳がせている。

 精神の防御壁を取り払っている素の反応も、深呼吸をひとつ挟めば平静を取り戻していた。

 

「……、二度と言わねぇ」

「“あなたと見る月だから”」

「? なんだって?」

「ううん、なんでも」

 日菜の言葉に引っかかりながらも、エヌラスは蜻蛉切に一度だけ目配せする。

 

「お前はどうする、蜻蛉切?」

「……守りは万全か」

「付喪神が来ない限りはな」

「……千聖殿。しばし、お傍を離れます。御免」

 会釈すると、巨影が動き出した。立て掛けていた大槍を手にして、エヌラスと共にパスパレから離れていく。

 敷地から一歩出た瞬間──発砲した。飛びかかってくる黒い影に向けてノーモーションで頭部を撃ち抜いている。

 砲声じみた発砲音が夜の都に鳴り響く。

 

「やってやろうじゃねぇか、無銘旗本百本狩り」

 一刻も早くミカヅキを討たねばこの騒動は治まらないだろう。

 邪神の眷属として魅入られた付喪神。狂言回しの弄月。哀れなあはれな妖怪。だが一切同情はしない。

 笑顔の花を奪われるのだけは、二度と御免だ。

 もう、二度と──自分の手の届かない場所で失われることだけは耐えられない。

 脅かすのであれば、一切鏖殺。そこに微塵の躊躇もありはしない。

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