──菊一文字とミカヅキの戦闘は拮抗状態のまま進展がなかった。
姿を捉えられないほどの瞬足と抜刀術に対して、妖術と類まれな剣術によって迎え撃つ。
刃を動かす素振りを見せないままにミカヅキの四方八方で鉄の火花が散り咲く。
地面を這うようにして滑り、足を止めた菊一文字は笑っていた。瞳孔が開き、口角をつり上げたまま。恐ろしいほどの血に植えた獣の笑みだった。
貼りつけた仮面の笑顔を崩さず、湖面に浮かぶ月のように静かに佇むミカヅキもまた笑ったままである。
そしてもうひとり。命知らずの黒武者がいた。十文字槍を変幻自在に扱いながら二人の戦いに首を突っ込んだだけでなく両者に向けて槍を振るうムコツだ。堪えきれない腹の底からの哄笑は、まるで子供のように無邪気なもの。
「うわはははは、ぎゃはははは!!! つえーつえー、こうでなけりゃあ楽しくねぇ! 命は斬って張ったの鍔迫合う程度がちょうどいい! なまぬるっこい生き方でちんたら生きるのなんざこっちから閻魔に願い下げだぁ、行くぞオラァアアアアアッ!!!」
血走った目で京の都に響かせる殺意の雄叫び。ミカヅキに向けて刺突を繰り出す。
横手で首を狙うように槍を引く。しかしこれを見向きもせずに静かに躱してみせる姿は、末恐ろしく軽やかなものだ。距離を詰めようとしてくる足を菊一文字が即座に抜刀して阻止する。
今こうしている間にも京都中には無銘旗本が跋扈していた。それを相手するうちに大倶利伽羅、ゴウ、太郎太刀、次郎太刀は散り散りとなり、それを知るのはミカヅキだけだ。
「ふ、ふふ、ははは! はははははは!! ──ああくるえ、みなくるえ、ともにくるってしまえ! なにもかわらぬとも! 一切の貴賤もなく、われらはみな付喪神なのだから!」
「一体何を……」
「人心惑わす悪しきもの、もののけなれば! 人の世にあるべきものではないのだ! 例えひとのためにつくそうとも! おれは──、は、はっ、ははははははははは!!」
もはや既に、狂気に呑まれたミカヅキに菊一文字は同情の余地などない。ただ、斬る。そこに理由などいらなかった。
病に伏せていた主に代わり、今度は己が斬らねばならぬのだから。
しかし──都を包む空気が途端に重くなる。まるで鉛でも吸い込んだかのように身体を蝕んだ。それはムコツも同様だったのか、鼻を腕で覆っている。
「ん、だ、こりゃあ──!!!」
「っ…………!」
「ああみておられるか
天下五剣、三日月宗近が夜の月光を閃かせて瘴気を放つ。
「“くるわし”!」
宵月に感応した精神汚染の波長がミカヅキの刀身より発せられる。耳鳴りにも似た共鳴音が頭蓋の奥、頭の中から不快な金属音と共に菊一文字とムコツの意識を揺さぶった。それは遅れて、離れていた大倶利伽羅達も苦しめた。
その場へ駆けていた兼定と虎徹もまた、同様に頭痛に悩まされたが頭を振って走り出す。
「くそったれ、なんだってんだ!」
「キンキンうるせぇな! オラァ!」
兼定が切り捨てながら駆け抜け、虎徹は豪腕を振るって地面に“無貌のもの”を打ちつけていた。驚くことに、ここまでまだ抜刀していない。殴るか蹴るか、無手の喧嘩殺法で蹴散らしている。
月を見上げて、兼定は顔をしかめていた。嫌な夜だ。嫌な月だ。胸騒ぎがする。息が重苦しいくらいだ。だが、隣の虎徹は威風堂々と夜風を肩で切っていた。笑っている。見ているだけで胸がすくような、明るい笑顔だ。不安も恐れも吹き飛ばすほど眩しい笑みをたたえながら、迷う素振りを見せない足で駆けている。
「おい兼定ぁ! おめーはなにぼさっとしてんだ、置いてくぞ!」
言っている間に、兼定は先を越して相手を切っていた。振り返りながら笑っている。
「なにしてんだ局長、置いていくぞ!」
「あんだとこらぁ、上等だおめー今に見てろよ!」
横から飛び出してくる人影に刃を閃かせて斬り伏せて走っていた二人がようやくミカヅキの姿を見つけた。
菊一文字とムコツがその場に膝をついている。
「菊、大丈夫か!」
「ムコツ、おめーも無事なら膝ついてねぇで立てやこらぁ! ぶった斬んぞ、でなけりゃ腹切って死ね! 介錯してやんよ!」
現世壬生狼志組でなくても容赦しない虎徹に安心しながら、兼定はミカヅキから目を離さない。
様子がおかしいことは言うまでもなかった。輪郭が朧気な在り方に、鞘にくくりつけていた丙子椒林剣も小刻みに震えている。
ゆらり、とふらついた様子で立ち上がる二人が、ミカヅキから兼定達めがけて駆け出す。柄を握りしめたまま、まるでこちらを敵と認識したかのように。
爆音と共に姿の消えた菊一文字に、悪寒が走った。兼定は自分の首に走る怖気に、咄嗟に首を反らす。次の瞬間、鼻先を掠める閃光が前髪を数本切り飛ばした。納刀音に目を向ければ、正気を失った菊一文字が今にも刀を抜こうとしている。
(避けられねぇ……!)
今度こそ首が飛ぶ、そう覚悟した。だが、兼定に代わって虎徹が菊一文字の右手を押さえながら胸ぐらを掴み上げると思いきり頭を振りかぶる。
「目ぇ覚ませやオラァァアアアッ!!!」
額が割れんばかりの勢いで、ひどく鈍い音を立てて頭突きをしていた。相当な勢いだったのか、そのまま菊一文字が地面に倒れる。互いに額から血を流していたが、虎徹は投げ捨ててミカヅキに向かってまっすぐ歩み寄っていた。ムコツがそれを阻もうと前に立ちはだかるが、槍を掴まれて腹部に拳と膝を叩き込まれ咳き込んでいる。
「おめーも、なぁにトチ狂った真似してんだオラァ!!! 大概にしろ!」
身体をくの字に曲げたムコツの頭に大きく振りかぶった拳骨で、地面に沈ませていた。唖然としている兼定に一瞥くれることなく、虎徹は大股でミカヅキに向けて歩み寄っている。
「で、おめーが三日月宗近か。うちの隊士が世話んなったそうだな?」
「如何にも。お初にお目にかかる、贋作殿」
「言われるまでもなく自覚してらぁ。だが、真打贋作のどこに違いがある。俺たち刀は、つまるところそれよ。切って切れりゃ御の字だ。主をどうのこうのケチつけられる立場かよ。道具に罪はなく、ただ仕手の行いが善悪を区別する──人の形を得た今の俺たちはどうだ、ミカヅキ。人の姿をしていながらにして人に非ず、己の在り方ひとつで世を乱す! 言語道断! だから俺は決めたのさ! 主と同じ在り方で人の世のために悪を断つ! 新選組は名乗らねぇ、その後釜に身を据えるつもりもねぇ! 壬生の狼を志す組として、斬って斬って斬り捨てて! 終いには消えて世は事もなし、そう在るべきなんだよ人の世は!」
精神汚染の波長すら意に介さない、虎徹の咆哮に耳を傾けながら兼定は倒れた菊一文字の頬を叩いていた。小さくうめき声をもらしながら、目を覚ます。
「……、副長? なんか、頭が割れるように痛いんですけど……」
「そりゃ局長が頭突きすりゃあな……」
「あー貧血で死にそうです……冗談ですけれども」
互いに鉢金を巻いていたにもかかわらず、額から血が出ている。だというのに虎徹は何食わぬ顔をしていた。
「番所は通さねぇ、テメェは俺の士道で叩き斬る! 覚悟はいいか、死に方用意せよ!」
鯉口を切る。虎徹がそこで初めて抜刀した。それを立ち上がりながら見ていた菊一文字が肩をすくめている。
「現世壬生狼志組局長、贋作大業物長曽祢虎徹! 副長、九十九兼定! 並びに一番隊隊長、菊一文字則宗! 敢えて言うぜ──御用改めであるっ!」
地を鳴らすほどの踏み込みに、並び立つはずの兼定でさえ身体が震えた。武者震いだ。
これが、局長か。これほどの業物か。これが本当の士道、気組か。己の未熟を恥じる他にない。
「今日の死番は俺だったか、菊!」
「兼定さんに譲ってあげてもいいんですよ?」
「ははは、ぬかせや! こんなすっとぼけた副長に任せられるかよ!」
「ですよね。わかります」
「んだこのやろう、俺から突撃すりゃいい話だろ!? やってやろうじゃねぇかよこの野郎!」
「副長、もしかしてぬえさんにかなり影響受けてません?」
まぁ面白いからいいんですけど、菊一文字は薄く笑いながら刀に手を掛ける。
三人を前にして、ミカヅキはただ静かに目を伏せていた。口腔からか細い声をこぼしながら。
「ああ、ならばいいだろう……このおれも、全霊でお相手いたす」
着物の右半分をはだけさせながらミカヅキが刀を持ち直す。全身から放たれる瘴気が、神気を交えた狂気に精神を削られながらも虎徹達は構えた。
「おい菊。おめー次こっちに斬りかかってきたら局中法度でぶった斬るからな」
「肝に銘じおきまーす……はは、こわっ……」
「んじゃあ、いくかぁ!!」
兼定が駆け出す。それに続いて、虎徹と菊一文字も。
刃を弾き、逸らし、捌いてミカヅキの首めがけた居合が空を切る。──またか、と菊一文字が舌打ちをもらした。
霞を切るような手応えと共に刃が空振る。この幻術と妖術に先程から一杯食わされていた。あやふやなのだ。曖昧なのだ、ミカヅキが。そんなことはお構いなしに虎徹が剛剣を振り下ろす。それは流石に防ぎきれないと見たのか即座に身を翻していた。巻き込まれた無貌のもの達がまたたく間に吹き飛んで消えていく。裂帛と共に打ち下ろす乾坤一擲はひとたまりもない。
兼定の刃は鍔迫合っていた。一度は太刀打ちできなかった、二度は迫ることができた。そして三度目の正直になって、仲間の手を借りてようやく届いた。次はない。ここで仕留める。
三日月宗近は、ここで討ち取る。だが、間近に迫ってなおもミカヅキは笑みを崩さない。
口角を上弦につり上げたまま、変わらなかった。
「……丙子椒林剣は、肌見離さず持ち歩いているようだな?」
「それがどうした」
「シシオウが、持っていた最古の二振り。そのひとつ……俺は、勅を賜った。かの七星剣より、手段は問わぬと。何が何でも丙子椒林剣を呼び起こせと」
「ッ……」
「ならば、今がその時に他ならないだろう? おれの法力も霊力も妖術も、もはやこの身に余りある。みなともにくるってしまえばいい──例えそれが、かのものであろうと」
兼定の身体に当てた掌から妖力を放つ。衝撃にたたらを踏む背中を菊一文字が受け止め、盾にしながら影から抜刀する。しかしそれを難なく防ぐと、今度は虎徹が逆側から押し迫った。
剛剣の一撃を防いだ太刀は折れることなく、後ずさる。その手応えに眉をひそめていた。
「あー? なんだこりゃ。刃が通りやがらねぇな」
妖術と法術を交えた防御壁。魔術にも似た陰陽術。夜の間、ミカヅキはその力を十全に発揮できる。訝しみながらも唾を吐き捨てて虎徹は犬歯を覗かせて笑った。
「だったら、ぶった斬れるまで斬るだけだわな!」
「ええ、もちろん! 最初からそのつもりでしたよ!」
愚の骨頂、とでも呼ぶべき猪突猛進。筋を通すにも程度というものがある。斬れぬものを斬るまで刃を押し通すなど。
「無駄なことを──」
「斬ると言ったら斬らなきゃならんだろうよ! 現世壬生狼志組舐めんじゃねぇ!!」
虎徹が太刀を振り下ろす。剣圧に押し負けてミカヅキが顔をしかめた。その衝撃の勢いに乗る形で菊一文字が間髪入れずに居合で迫る。
見れば、周囲に漂っている瘴気を叩きつける形で二人が刃を振るっていた。確かに、ただの刃であれば斬ることも敵わぬだろう。
顔無達が虎徹と菊一文字に殺到するが、それを尻目に兼定が滑り込むように包囲を抜ける。
「ミカヅキ! テメェは、此処で斬り捨てる! 刺し違えてでも!」
「それがおまえの士道であるならば、やってみるがいい」
今度こそ。今度こそは──斬らねばならぬ。
楽しかった。見知らぬ土地で、変わり果てた時代で。見知らぬ人々に囲まれながら過ごす日々は短いながらも忘れることができないほどの彩りに溢れている。
今が、主の駆け抜けた時代と地続きであるならばそれは自分達が守らなければならない。例え最後に、何も残らなかったのだとしても。人々に忘れ去られたとしても、あの人達の士道だけは途絶えさせてはならないのだから。
九十九兼定の脳裏に浮かぶのは、短い日々の出来事。出会ったのはひとりの化性。斬らねばならぬと知っておきながら、互いに刃を収めた。口蜜腹剣の間柄だったが、何故か、どうしてか斬る気にはならなかった。
不退転の決意と共に、兼定は駆ける。ミカヅキの妖術と幻術を前に翻弄されながら、前に進む。立ち止まってはならない。足を止めることだけはならない。
──道は駆け抜けた後にこそできるのだから。