踏み込み、駆け出す蜻蛉切とエヌラス。そして、兼定も続く。ゴウとムコツも迫りくる刃を防いでいた。だが今度は分担している。請け負う飛刀の数は先程当人達が口にしたばかり。
まずは八本──蜻蛉切に差し向けられていた。口にした数は出任せではない。
突き返し、弾き、薙ぎ払う。
残り四本をかいくぐりながら、エヌラスと兼定が迫る。
その背中を一瞥して、蜻蛉切が大きく息を吸い込んだ。身に迫る七本を防がずに、直接自分の身体で受け止めている。
「────」
丙子椒林剣も、それには目を見開いていた。──“そういうことか”と気づいた頃には遅い。
蜻蛉切の身体から放たれていた圧倒的な威圧感が消えている。主の逸話を身に宿した天下無槍の権能が喪失していた。
蜻蛉切が一瞬ではあるが、ムコツに目配せをする。
「誇れや蜻蛉切ぃ!!! 今も昔も、テメェが戦国最強だぁっ!!!」
己の身を貫く三本を無視して、十文字槍で蜻蛉切の身体を斬りつけた。血を吸い、それまでの蜻蛉切に差し迫る強度と切れ味で飛刀を打ち払い、切り落とす。
「狂い裂け、人間ムコォォォツッ!!!」
背面、心臓、喉笛を貫かれてもなお叫ぶ。その手元から槍を離さずに丙子椒林剣に向けて突き出していた。
ゴウが更に二本。大槍で打ち払い、横から叩き落とすと石突と自らの足で踏み留める。
蜻蛉切の白刃取りも長くは持たない。そしてムコツも。
エヌラスと兼定が足取りを合わせて、迫る。そこでようやく刀を抜き放った丙子椒林剣に二人が同時に刃を振るった。
鬼気迫るとはまさに、今。
不退転の進撃を前にして下がるしかなかった。
倭刀と太刀が交互に振るわれる。それを直刀と、一本だけ手元に引き戻した飛刀で防いでいた。しかし、兼定の首を断つはずの刃が止められる。
エヌラスの左手には、レイジング・ブルが握られていた。飛刀を横から殴りつけて、勢いを弱めると発砲する。強烈な衝撃に粉々に砕け散る一方で、兼定の太刀が胴を掠めた。
足の甲に砂を乗せて、振り上げる。目潰しを食らった丙子椒林剣の肩をエヌラスが蹴り上げた十文字槍が貫いた。
「く、ぉ……!?」
前へ。前へ前へ進む。一歩でも早く、半歩でも良い。崩れ落ちそうな身体に言い聞かせながら兼定が力を振り絞って前に向かって走る。
僅かに届かない。足がもつれて倒れ込みそうになる背中を、“とんっ”と押された。背中合わせになる形で、エヌラスは兼定を押し込んでいる。
前が見えなくなってきた。それでも息を吸い込む。前へ向かっていると信じて、横薙ぎに刀を振るう。
脇腹を掠めて、肩を引き込まれてエヌラスが丙子椒林剣の太ももを斬りつけた。その上を転がるようにして上から太刀を下ろす。額を斬られて、流れ出す血が視界を塞ぐ。
蜻蛉切の輪郭が徐々に薄れていく──ムコツも同様に。もしも消えれば、止めていた七刀が放たれる。ゴウがそれを察したのか、自分が踏みつけていた飛刀を叩き割った。
「させるかよぉ!!」
引き抜かれようとしていた一本を大槍で貫く。二本、三本と横から風穴を開けられた飛刀が消えていった。しかし、蜻蛉切の身体が消えると残る二本によって身体を貫かれる。
神通力によって自在に操作される十二飛支刀も残すところ僅か二本。それでも、三刀流だ。加えて相手は瀕死の付喪神が一人。例え魔術師であろうとも手数の不利に変わりない。
──もっとも、それが通用する相手を「魔術師」とは呼ばないが。
身体から十文字槍を引き抜き、丙子椒林剣が笑う。ボロボロの兼定に向けて飛刀を差し向ける。まずは一人、確実に仕留めておく──だが、夜の闇に紛れて無数の蜘蛛の糸が月明かりに照らされていた。
それを辿ると、エヌラスの指先と手首から伸びている。
拘束術式「アトラック=ナチャ」の鋼糸に絡め取られる形で残す二本が止められる。
だが──その顔は怒りに歪んでいた。
「俺に、
憤怒の形相のままに、その怒りを魔力に変換して手繰る。
これは、かつて最愛の妹を殺した怨敵が用いた傀儡の技。不倶戴天の怨敵にして仇敵。だがその実力は本物であった──だからこそ、手段は選ばなかった。その技を学ぶに至った過程すら、工程すら憎らしい。しかし、外道外法を極めるとあっては手段を選んでもいられない。
「絶剣無式・八獄──大絡繰“棺星”!」
鋼糸に自らの血を滲ませる。
エヌラスの魔力の根源は、血液。だからこそ、我が身を裂くような痛みが襲った。
有刺鉄線のように鋼線から刃が生える。それは無数の倭刀の刀身。自らの血液から精錬した凶刃に巻き付かれた飛刀が砕け散った。
両手を広げると、風呂敷のように丙子椒林剣に覆いかぶさろうとする魔力の有刺鉄線を神通力による飛刀形成で防がんとする。しかし──、地を這うような体勢の低さの兼定に悪寒が走った。
歯を食いしばり、鬼のような形相で爆発的な加速と共に迫る刺突が心臓を貫く。エヌラスも鋼線を操り、丙子椒林剣の腕を切り落とした。
「貴様、この外道がぁああああっ!!!」
「当方、一身上の都合により神道不忠叛逆仕る! 天、誅ぅぅあああッ!!」
刃を押し上げて、胸骨を切り裂きながら兼定の刃が肩口より切り抜ける。鮮血を撒き散らし、後ずさる丙子椒林剣が月を見上げながら鼻で笑っていた。
「──嗚呼まったく、手に負えぬ愚か者どもが──みているか、七星剣」
──ああ、見ておるよ。ご苦労であった、椒林。疾くと散れ。七星剣のどこか悔やむ声を聞きながら、丙子椒林剣は直刀を握りしめて今にも燃え尽きそうな兼定に向けて振り下ろしたが、エヌラスの倭刀が腕と首ごと切り捨てた。
地面に向かって前のめりに倒れる兼定の身体を支えて、肩を貸して立ち上がらせる。
二人の見ている前で丙子椒林剣は霞のように消え去っていた。それを見届けて、力なく笑っている。
「…………、ぬえ……俺は、いい──置いて、いってくれ」
その手から刀を取りこぼして、兼定が虫の鳴くような声で呟いた。エヌラスの手を振り払うと、そのまま地面に倒れる。
結局、最後まで残ったのは自分だけ。兼定を見下ろすと、うつ伏せに倒れた身体をゆっくりと仰向けにして月を見上げていた。
「焼肉、どうすんだ」
「……今際の際に、メシの話かよ」
「そういう契約で此処まで来たんだ。お前も帰るんだよ」
帰る? そう言われて、兼定はふと考えた。何処に自分が帰るのだろうか、と。あの借家に?
自分が帰る場所。それに思いを馳せて──兼定の脳裏に浮かんだ光景は、現代ではない、遠い昔の日本風景。浅葱色の陣羽織に袖を通した隊士達と共に、夜の都を駆けていた。
此処で、待っていてくれたのだ。局長も、菊一文字も。他のみんなも。足抜けを許す組織ではないことは身に沁みて分かっている。
皆のいる京都に、帰ってきたのだから──。
「……悪いなぁ、ぬえ……俺は、此処がいいわ……」
「そうかよ……」
バカ野郎が、と。エヌラスは吐き捨てて背を向けた。まだ夜は明けない。
まだ京の都の百鬼夜行は止まっていなかった。
自分を逃さまいと、無貌のもの達に四方を囲まれていることにエヌラスは気づいている。
結局、最後まで残ったのは自分だけ──何度も繰り返してきたことだ。だから今更なにも感じることはない。
きっと、そうだ。胸がささくれ立っているのも気のせいだ。
彩にはなんて話そう。イヴはきっと悲しむだろう、千聖も。麻弥も泣いてしまうかもしれない。日菜も、変に気遣ってくるに違いない。そんなはずはないのだ。
そんなはず、ないのだから──“俺は悲しくなんてない”のだと、嘘を吐く。
「……嗚呼、いい夜だ。テメェ等皆殺しにするには惜しいくらい」
俺は最初から独りだった。エヌラスはそう思い込むことにして、紫電を放ちながら倭刀を一心不乱に振るう。
突然の停電に、彩達が身をすくめた。それから少しして、外が静けさを取り戻したことに戦いが終わったのだと胸を撫で下ろす。エヌラス達が戻ってこないことだけが不安だったが、日菜はそんなことはないようだ。
千聖は小瓶を握りしめながら蜻蛉切から受け取った短刀を見つめる。
「……終わっ、たのかな?」
「どうでしょうかね。エヌラスさんも兼定さんも戻ってきませんし……」
「でも、静かになったよね。ならきっと、もう大丈夫!」
「ねぇ。ずっと気になっていたのだけれども、どうして日菜ちゃんはそんなにあの人のことを信頼しているの?」
「え? う~ん……本当は口止めされてたけど、もういいかな……えっとね──」
日菜は、邪神の話をすることにした。包み隠さず、羽丘女子学園で起きた夜の出来事を。
ティオとティアの二人が邪神と呼ばれる存在だったこと。“外の世界”と呼ばれる場所が存在すること。自分が誘われたが、紗夜に引き止められたことも──そして、そんな日菜と紗夜を邪神から助けてくれたのが、出会ってまだ日の浅いエヌラスだった。
最初こそ半信半疑だったが、此処まできたらもはや信じる他にない。
「そういえば、紗夜さんが学校の様子を見てすぐ離れたって……もしかしてそれって」
「うん。全壊した校舎が心配だったみたい。エヌラスさんが一晩でなんとかしてくれたけど」
「なんとかって……」
「あたしとおねーちゃんはすぐに帰れって怒られたから、どんな方法をとったのか解らないんだけどね」
ボロボロになって、血だらけになって、怪我だらけになっても、気遣ってくれた。その理由はわからないけれど、考えると何故か顔が熱くなる。なんでなのか、わからないけれど。
誰かのために命を賭ける、口にすれば聞こえの良い自己犠牲精神。全然“るんっ♪”とはこないし、ピンと来ない。そんなことをされただけで惚れるほどでもない。なのに、何故か。エヌラスのことを放っておけないのは姉妹共通のようだ。
「だからね、あたしはエヌラスさんのこと信じてる。何があってもあたし達のことを助けてくれるんだって」
「……でもそれは、あの人が自分のことを省みない結果でしょう?」
「そうかもしんないけど、ぶきっちょなんだもん」
「ミカヅキさんが言っていたわ。地球がおかしくなったのは、あの人のせいだって。本当かどうかわからないけれども、もしそれが本当だとしたら、自己責任よ」
「だから? それが本当だとして、何か問題あるの? 別に誰が原因とか、何が原因なのかはあたしは気にしないけど。だって面白いもん」
「その、面白い、で大変な目に遭ってるんだけど」
「んー……ほら。滅多に出来ない経験だし」
千聖が呆れてものも言えなくなってきた頃に──ちりん。と、鈴が鳴らされた。
「夜分遅くに失礼します」
甲高い、耳障りな声。その主は、古ぼけてところどころが破けた笠を被った“三眼の妖怪”だった。背丈は小さく、少年ほどだろうか。だが、肌は赤く、胴は太い。それとは不釣り合いに手足は細く関節が曲がっていた。その姿を見た瞬間に血の気が引いて、彩は気絶寸前になっている。
「ああ驚かせてすいませんすいません、わたしゃなにかする気はないです」
手に小さな鈴を持って、簑を羽織った妖怪はどこかおどけた様子で首を振った。大きく見開いた三眼をぱちくりと瞬きさせている。
深々と、深々と頭を下げた。
「京の都の百鬼夜行、先導役の“夜行童子”と、申します。はじめましてお嬢様方、地元の人じゃあありませんね?」
「どーじさんが、あたし達になにか用?」
「いやね、いやいや。他と違う気配がしたものでしてね? 何事かと、見に来たら見目麗しいお嬢様方がなにか妖術に守られているようで。こりゃたまげたものでして、はいー」
ぺこぺこと頭を下げて、へりくだるような態度の妖怪に日菜が眉を寄せて首を傾げている。
「わたしの配下の付喪神はみなみな散った、残すところは大詰め聖徳王ときたものでして。こりゃあ何事かと。いやぁ、いやいや、おったまげております」
「……兼定さん達の上司? 配下って」
「ありゃあ、付喪神は悪さをする妖怪なもんで。日ノ本の穢れを器物に与えて、人の形を取らせたところ好き勝手暴れるわ手がつけられないわでわたしゃ怖くて怖くて。ひえー、おっかなかった。覚え、ないです?」
悪さをする妖怪? 日ノ本の穢れを器物に与える……? 何を言っているのか、いまいちピンとは来なかった。しかし──突如として日本各地から刀剣が姿を消した事件の真犯人が、この夜行童子なる妖怪であることは察しがつく。
「どーじさんは何がしたかったの?」
「わたし? わたしですか? そりゃー……ねぇ? 妖怪は妖怪らしく妖怪のままに妖怪の通り妖怪の振る舞いをしますよ? わたしは、これなもんで」
ちりん──、手にした鈴を鳴らす。
「百鬼夜行の先頭を歩く妖怪、付喪神の生みの親。変化大明神様の遣い、夜行童子であります。然らば、夜の闇を往くだけですとも」
「……」
「いやぁしかし、これじゃお役御免ですわ。おとなしく今夜を境に消えるとしましょう。わたしの出る幕はなさそうですし。へそも取られたくないです」
くわばらくわばら、と両手を合わせて擦る。顔を上げて、夜行童子は日菜をじっと見据えた。
「おやー、おやおやまぁ、お嬢さん。そこのお嬢さんお嬢さん、貴方ですよ」
「あたし?」
「ええまぁ。何処かで誰かとお会いしました? 変わった匂いだ、人の道を外れた匂いだ、人ではなくなってしまった匂い、残り香がします。いやまぁそれともそもそも人じゃない匂いがします」
「────、……それが?」
エヌラスさんのこと?、と名前を出しそうになったが、喉元で堪える。不気味な感じだ。ミカヅキのように、ドロドロとした気配でもなく、かといって“るんっ♪”とも来ない。不明瞭な、見ているのに見ていない、いるのにいない、そんな二律背反。
うんうんとしきりに何度も何度も頷く夜行童子が歯を見せて笑う。丸い顔の耳まで裂けた口に白い歯が並んでいた。目を細めて、嬉しそうにしている。それが異様に不気味で、気味が悪い。
「御用心、御用心。人の姿をしたものが人にとって最も恐ろしい。だからわたしゃ人間が大好きなんですけどねぇ? はははははははははははは──!!!!」
突如、妖怪がけたたましく笑い出す。手にしている鈴を鳴らしているにも関わらず、鈴の音は響かない。そもそも、その鈴ですら壊れていた。──何を、鳴らしていたのだろう?
「……なんなの、どーじさんは?」
「わたし? わたしですか? たいしたこたぁない妖怪ですよ!」
ニンマリと笑いながら、指を立てて夜行童子は日菜に向かってまっすぐ三眼を開く。
「異国の神、異界の神! “千の貌をもつもの”の遣いにして日ノ本の妖怪でしてねぇ! 面白おかしく人の世を乱すだけのもので! わたしゃ人間がだぁい好きで! きひひ、けけけけけ! 人の世は面白い、人間は面白い!
ちりん──!
哄笑を残して、夜の闇に笑い声を反響させながら。音もなく、鈴の音と共に夜行童子は日菜達の前からこつ然と姿を消していた。
それが、恐ろしい。何も残らないからこそ、現実感が消失していた。
悪い夢だと、何度も自分に言い聞かせる。あんなのは嘘だと。
日菜は、自分の胸に手を当てる。早鐘を打つ心臓を鎮めようと呼吸を深く繰り返した。
結界の中に平気で入ってきて、あっという間に消えている。危害を加えないと言っていたが、たったそれだけ。
夜が明けるまで、一睡もできなかった。
だがそれでも、エヌラスと兼定は戻ってこなかった。