京都から奈良へ。電車に揺られながら、乗り換えが苦手な千聖を彩が誘導しつつ、何事もなく到着すると、芸能事務所のスタッフ達との待ち合わせ場所に急ぐ。その間もエヌラスは一言も会話に参加しなかった。ただ『Pastel*Palettes』の後ろから静かについていく。通行人が目を合わせず静かに道を開ける程度には、機嫌が悪かった。
スタッフ達が待つ駅前の通りに辿り着いてから大きく身体を伸ばす日菜が、エヌラスに手を差し伸べる。
「はいっ」
「…………」
「?」
「行くぞ」
手を取ることはしなかったが、それでも短く一言だけ呟いた。何が面白いのか、日菜はすぐ後ろをついてくる。それに続く形でイヴ、麻耶。彩と千聖。
撮影スタッフ達は、機材をしっかり管理した上で待ち合わせ場所で立っていた。五人全員無事であることを確認した瞬間、腰を抜かしそうなほど安心しきっている。だが、エヌラスの顔を見るなり引きつった愛想笑いを浮かべていた。
「五人。全員傷一つなく連れてきた」
「あ、ありがとうございます。助かりました……いや本当に、なんて御礼を言ったらいいか」
「そういう契約だったからな」
明らかにスタッフ達と会話をしたくない、という空気を醸し出しながらもエヌラスは業務的に返答していた。
「あの……お連れ様は? 一人足りないみたいですが」
「死んだ。それがどうした」
──なんて言葉を返したらいいのか、咄嗟に口から出てこない。淡々と事実のみを簡潔に述べているエヌラスは呆れたように腕を組んでいた。
「さっさとこいつら連れて帰れよ。俺はまだ用事が残ってる」
目の前にいる相手が、普通の人間ではないことは流石にわかる。それに巻き込まれたアイドル達が怪我一つないまま戻ってきたのは、奇跡的だ。結果として命を落としたのが一名、その言及も許さないほど目の前のボディーガードが腹を立てている。
新幹線の中で子供のようにはしゃいでいたのは記憶に新しい。本当に護衛が務まるのかと不安にも思ったが、今は違う。命と引き換えにして、危地へ馳せ参じた。氷川日菜の無茶振りから始まった話ではあったものの──この人達でなければ、どうにもならなかったことだ。
「あ、あの……ご用事のほどは?」
「お前ら人間にできることなんか何もねぇよ。いいから帰れや、そっちもスケジュールあるだろ」
確かに、遠征ロケの穴を埋めるのも大変だった。だが、それよりもこれから先のパスパレの活動に支障が出ないように調整しなければならない。全員無事であることは本当に事務所としても喜ばしい限りだった。だが、それを当人達は快く思っていないのだろう。背後からこちらを睨んできていた。アイドル達なりの必死な訴えにたじろぐ。
突然、胸ぐらを掴み上げられた。片手で襟元を掴まれてそのまま持ち上げられる。
「ひ、ひえぇ!? なんですか!?」
「聞きたいことがある。この異常事態を目の当たりにしておきながら警察含めた公共機関ならびにお前らは、どっから圧力掛けられた? こっちだって馬鹿じゃねぇぞ。白鷺千聖を見殺しにしておきながらだんまり決め込むようなら俺の方から潰しにいく」
「え、っと……それは、その……上から……」
「上から順番にこの星から消してやろうか? 今の俺は、滅茶苦茶機嫌が悪い」
ヂリ、と。首元から不自然な熱が発せられていた。熱の発生源が相手の手元であることは明白であり、このままでは首から上が火だるまにされると想像するのは難しくない。
「──つ」
「あ? はっきり言え」
「弦巻、家……と、国防総省……!」
「…………」
やはりか、とエヌラスは手を離した。国絡みであるならば、多少納得できる。そこに弦巻家という資産家の影があることはやはり疑問だが。だが国のトップが日本で起きている超常現象に対して口を閉ざしているということは、つまり──見て見ぬ振りをしてくれるということだ。それに何の意味があるのか甚だ疑問なところではあるものの、こちらとしては大いに助かる。
おそらく、各地の刀剣を回収しているのも弦巻家が密かに行っていることだろう。
「わかった。もうお前らに用はねぇ、失せろ」
スタッフを解放してからエヌラスが七星剣の動かない気配に向かおうとすると、その前に日菜達が立ちはだかっていた。
「……あの、エヌラスさんは帰って、きますよね? 兼定さんみたいに、虎徹さん達みたいになりませんよね?」
「まだ報酬貰ってねぇんだ。誰がくたばるか」
「またその話ですか……」
「でも、ほら。私達はこうして全員無事なわけですし、一緒に帰りましょう! 何もまた、これから危険に飛び込む必要ないじゃないですか」
「……そうだな。彩の言う通り、お前らが全員無事に帰れるっていうなら、その通りだ」
「なら、どうして……」
「こっから先は俺の一身上の都合。パスパレ護衛の契約はここまでだ」
これ以上、危険に巻き込まないように自分たちを遠ざけようとしている。それは、なんとなく分かるようになってきた。自分勝手で、不器用なやり方だけど。
「わかったら先に帰れよ。お前たちの日常に」
「エヌラスさん……」
「俺の日常なんて、殺して殺されての繰り返しだ。だからもう、慣れたよ」
「ちゃんと帰ってきてよね。あたし達、待ってるから」
通り抜けざまに、日菜の頭をくしゃりと撫でる。
「デート」
「…………え?」
「だったら、デートの追加報酬貰うからな。言い出しっぺだろ? 帰る理由がひとつふたつ増えたところで何の問題もないしな」
行ってくる、と。
エヌラスは最後に呟いてそれきり振り返ることなく、まっすぐ七星剣の元へ向かう。
目を白黒させていた日菜が、言葉の意味を胸中で何度も反芻する。
「……ヒナさん?」
「エヌラスさん、ちゃんとあたしの話聞いててくれたんだ……それも、しっかり覚えてたし……ずるいよねぇ、ああいうの」
「そういうところは大人の男性って感じですね」
「なんか、乙女心を弄ばれている気分にもなるけれど……あたし的には“るんっ♪”と来たからオールオッケーかな」
「でも、何かジブン達にもできることないですかね? このまま戻っても、なんだか釈然としませんし……」
「私達にできることなんて、アイドルだから歌って踊って……ライブくらいしか」
そこで、千聖がふと気づいたのはスタッフ達が持ち寄ってきた機材の数々。来る時の倍以上はある。スーツケースもしっかりと揃っていた。
「ところで、その大荷物は……? 私達の衣装も、それに撮影用の道具まで」
「実は────」
──法隆寺の南大門、その入り口前で腕を組み、静かに佇む七星剣。その姿を見て、拝む者もいれば素通りしていく者もいる。目を閉じて、ただすれ違う人々に会釈していた。気品ある振る舞い、優雅な佇まい。俗世を長く離れた幽世の聖人。その化身に相応しき神格に迫る妖怪、付喪神。
人々を誑かす悪しきもの。だが一時の夢くらいは見せてやろう。日出ずる国、あまねく住まう無辜の民こそは我が財産なのだから。
目を閉じていながら、七星剣は手に取るように周囲の状況を把握していた。耳が聡い、という域を越えている。現代は少々五月蝿すぎる気があるが、それもまた愛おしく思えてならなかった。
朝も昼も夜も、変わらず照らすのが世の常。夜闇の恐怖を忘れれば、いつかは痛い目を見るだろう。だがそれすらからも目を背けるほどに現代の人は弱い。
片目を開けて、七星剣は人混みの中で一人だけ他と違う気配と心音に目を向けていた。
黒尽くめの悪鬼羅刹。血染めの瞳が、煌々とどす黒く輝いている。
なんと、おぞましい。なんと、恐ろしい。なんと、こんな者がいても誰一人脅威と気づかないのか。その愚鈍さはかえって羨ましくもあった。
深々と頭を垂れる。
「よくぞ、参られた」
「…………」
「ここは些か、人が多い。こちらへ」
変わらず殺気立つ相手の気配を背中に感じながらも、七星剣は法隆寺の奥へと向かう。本来であれば引き止められて当然の所業ではあるが、二人を止めるものは誰もいなかった。
道すがら、この寺院の領内に法力による結界を敷いておいたと話す。無用な被害を出さないように細心の注意を払っているとも。それは、互いに好ましく思っていなかったのか、ただ静かに同意を得ていた。
中門より、大講堂の前へ。そこは無人となっており、二人だけだった。
立ち止まり、振り返る七星剣は腰に刀を帯びている。しかし手をかけること無く、エヌラスに向けて会釈した。
「此処ならよかろう、まずは丙子椒林剣をよくぞ討ち取った。その戦は、われも通じて見ておったとも」
「…………」
「当然、そち一人の力ではないことは知っておるつもりだが──残ったのは、われと、そちの二人だけだ。まぁ妖怪ではないようだが、それは瑣末事に過ぎぬ。今重点すべきことはただ一つ……そちが、われを超えるだけの器か否かの一点」
「それだけか」
口を開いたエヌラスの言葉に、七星剣は薄く微笑んだ。菩薩のような笑みを浮かべている。
「なんだ、口がきけるではないか。うむ、その通りだ。われを超える者がいなければ、今一度この世を治めるところである」
「……大天狗はどうした」
「斬った。それがどうした。案ずるな、人の手に返してあるとも」
姿が見えないわけだ。エヌラスはその小さな疑問が片付いたところで深く息を吐いた。
「結界の強度はどの程度だ」
「ふむ? そんなことを気にするか……建造物はともあれ、強度そのものであれば天災までは耐えられるはずだが。それが?」
「最初で最後だ、恩に着る」
「うむ、やる気になったか。手間が省けて良い心がけだ。気分がいい、そちからの問いにわれも応えよう」
「何もねぇよ。これから殺す相手に聞くことなんか」
「自らが殺されるとは露ほども思わぬか」
「生憎と──」
死んだことはない、と口にしようとして。何故か眉をつり上げた紗夜の顔が目に浮かんだ。
訂正しよう。
「──帰らなきゃならん理由が、あるんでな」
「場所ではなく、理由か……それは、嘆かわしいな。生き残ったところで居場所がないのはわれと同じか……しかしな、加減はせんよ」
袖口から手を取り出して、拳をゆるく構える。互いに無手のままに向かい合う。
「聖徳王が佩刀、七星剣が真っ向よりお相手仕る。さぁ、さぁ──いざ、尋常に死合おうぞ。異界の者よ! この大和を背負うに足る武を日出ずる国の天子たるわれに示すがいい!」
「悪いがもう、これ以上は背負いきれねぇよ。ただの一人も」
銀鍵守護器官を回す、全身の魔術回路を励起させてエヌラスも七星剣に拳を向ける。
「人間は、俺が手にするには脆すぎる」
特別な人ほど、自分に近い人間ほど壊れやすいものはないのだと──あの日から、ずっと呪いを抱え込んでいる。
「……──魔導発勁、馳走」
「応。参れ」