──米国国防総省では、世界各地で散見されていた未確認生物の調査に乗り出していた。
何を馬鹿な、と一笑に付すであろう。だが、現実に直面していたエージェント達にとってそれは人間社会を、ひいては人類未踏の脅威として受け止めていた。
アメリカで現在確認されただけでも数十件。いずれも十分な目撃者と証言が残されている。これに対し政府は情報規制を敷いた。ゴシップ誌までもが息巻いている。だが、それを本気で受け止めるのはそれこそオカルトマニアくらいだ。
しかし、現に被害が起きている。秘密結社、マフィア、地方警察、被害総額だけでも頭を抱え込むしかない。
まるでコミックの中から飛び出してきたヴィランさながらに人類文明を蹂躙せしめた。
ブラックヒューマノイドが出現すると、必ずと言っていいほど血が舞う。略称のブラッドとはそこから来ている。
血を纏う怪物だと。血に濡れた化物。血を洗う怪異。様々だ。
最後の目撃情報は中国。その前はエジプトだ。
突如出没したピラミッドを破壊して姿を消した。かと思えば、中国で龍退治。金色の狐を追っていたとも言われている。だが、そこから先は行方知れず。各国の情報機関と連携しているが、全くと言っていいほど手がかりが掴めない。
何処から来て、何が目的で、何をするつもりなのか。全く未知の存在を前にして、政府は静かに混乱していた。
──そして、新たに入ってきた目撃情報は太平洋を航行していた空母からの、正気を疑うような報告。
“空を飛ぶ少女が二人、流星のように上空を通過した”という、目眩を覚える通信に米国は人類が水面下で未曾有の危機に直面しているのだと予感していた。
そして、その鍵がブラッドと呼ばれる怪物なのだとも。
太平洋上空。
星の下で、白銀の魔弾が夜空を駆ける。翔ける。
揺れる海面を切り裂いて、音速の壁を突破して、衝撃波を置き去りにしながらその二人は無邪気に世界を震撼させる。
響くはずのない少女の声が大海原に突き抜けていく。
『あっははははははははは、あははははははははは────!』
耳にした者はいない。自らの正気を疑うだろう。自らの狂気を疑うだろう。耳にしてしまえば容易く現実の界面が崩れ去る。
眼下に浮かぶ“板切れ”を見て、二人がニンマリと笑う。悪戯を思いついたような、悪巧みを思い浮かべた顔。
流星が、軌道を変える。遥か上空を一直線に描く銀の軌跡は海面に急転直下した。だが、山程もある水柱を挙げて海面を蹴る。その反動で浮かび上がった小さな身体が、甲板を見つめていた。
軍服を着た屈強な男性達が狼狽えている。技術力の粋を集めた航空兵器が整列していた。
空中を蹴り、自分の身体を撃ち出した二人が、カタパルトデッキに銀脚で火花を散らしながらランディングする。
甲高い金属音をあげながら、しっかりと着地するとハイタッチを交わしながら笑顔を交わした。
「上手く着地できたね、ティオ!」
「うんうん、やったねティア!
「人間も頑張ってるね」
「無駄なことだけどね」
和気あいあいと、手を取りながら銀の片脚を鳴らしながら甲板を踏み歩く。
目の前で、何が起きているのか理解が追いつかなかった。彼女達が何を話しているのかも理解できていない。だが、ひとつだけ直感していた。
この少女達は、共通して人類の脅威なのだと。
「──待ぁてやこのクソガキ共がぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「あ、もう来た」
「全然遅いけど」
「諦め悪いなー、おにーさん」
呆れた表情を見せる二人の少女の視線の先、海上を駆ける一両の大型二輪車。
ヘッドライトで行く先を照らしながら、獣のようなエンジン音を鳴らして空を駆けていた。空母の甲板に跳躍すると、少女達目掛けて加速する。もちろん、轢かれたら即死は免れられない。だがしかし、そもそもが異常だ。大型二輪は海を走らないし、空も飛ばない。そして少女達も。
弾けるように少女が避ける。
大型二輪を乗り捨てて、黒尽くめの男性が刀を手にしていた。しかし、その刃が少女達に届くことはない。間合いを詰めても軽やかに、時には翻るように、跳ねるように凶刃から巧みに逃れていた。
不意に、少女達が繋いでいた手を離す。それが反撃の合図。
地を滑る蹴撃と顔を狙った飛び蹴り。上下に散らされた攻撃を即座に防御した。魔術で防御円を描きながら、反撃に出ようとして──しかし、二人の連撃が止むことはない。
上下左右、三次元空間を自在に駆け回る軌道で、驚異的なスピードだった。呆然と眺めていた兵士達の目にも留まらぬ蹴撃に、まさに文字通り手も足も出ない。
「おっじゃましまーすっ!」
スライディング、足を刈られてバランスを崩したところへ地を滑りながら反転し、背中を蹴り上げる。浮き上がった身体に、頭目掛けてもう一人が全身を使った踵落としで甲板に蹴り落とした。受け身を取る暇もなく背中から強打して肺の空気が押し出される。空中で更にもう一度身体を回転させて頭蓋を踏み砕こうとするのを横に転がって避け、体勢を整えた。だが、一瞬だけ銀の足が帯電すると空中で方向転換してくる。
垂直から水平に跳んで急転換すると、男性の腹部に足刀が突き刺さった。背後に回り込んでいたもう一人が吹き飛んでくる身体を足場代わりにすると、今度は二人同時に甲板に叩きつける。
宙返りをして着地すると、互いに手を叩いた。
「「いぇーいっ☆」」
ぱちーんっ、と。軽やかな音を立てて二人が無邪気に笑っている。すぐに手を繋ぐと、二人は大きく手を振った。
「じゃーねー、のろまのおにーさーん」
「バイバーイ、のろまのおにーちゃん」
──あっははははははははははははは!!!
夜闇に吸い込まれて、少女達の笑い声が遠ざかる。
静まり返る甲板に縫いつけられたように身動きが取れない男性を包囲して、銃を手にしながら近付こうとしたが、乗り捨てられたはずの大型自動二輪が戻ってきた。無人であるはずの車両は低くくぐもったエンジン音で威嚇しながら甲板でドリフトして軍人達を寄せ付けない。発砲されてカウルに弾丸が命中しても弾かれていた。
男性が無造作に起き上がる。流れ弾を見向きもせずに刀で弾きながら、憤怒の形相で少女達の消えた方角に向けていた。
足蹴にされた、一蹴された、一笑に付しやがった──それが、堪らなく不愉快で、どうしようもなく腹が立つ。
無言で駆け出すと、並走するモンスターバイクに飛び乗って空母から発艦する。
──まるで嵐のように、悪夢のように。潮風が瘴気の風を掻き消していた。
羽丘女子学園、花咲川女子学園では、Roseliaのメンバーが質問攻めにあっていた。
理由は単純。昨日、男性を連れて飲食店に入る姿をクラスメイトが目撃していたからだ。
どういう関係なのか尋ねられて、なんと返答すべきか悩みに悩んで悩み抜いて、選びに選んだ答え──行き倒れていた占い師のお兄さん。海外留学生。お財布失くした一文無しの外国人。いずれも間違いではないので嘘ではない。
「あ~、疲れたぁ……!」
「お疲れ様、リサ」
「友希那もなんか言ってくれればいいのに」
「あの人には興味ないから」
「あははは、いつもどおりの友希那で安心するぅ~……はー……」
登校してから、休み時間、お昼休み、そして放課後まで引っ切り無しに質問攻めにあってその対応窓口にリサはすでに疲れ切っていた。挙げ句に先生にまで呼び出されたものの、そこはちゃんと大人の対応をしてくれる。不純異性交遊がなければいいですよ、とさりげなく釘を刺されたような気がするが多分気のせいだ。
そんな二人のもとへ突撃してくる天文部の天才問題児、氷川日菜。キラキラと目を輝かせてリサの手を取るなり、要求を単刀直入に物申す。
「あたしも会ってみたいから紹介して!」
「なんで!?」
「なんかその人の話聞いたら、るんってきたから!」
「きちゃったかー、るんってきちゃったかぁ……」
なんて勘が鋭いんだろう。だが、話した通りに一文無しの占い師の外国人。しきりにリサの説明を聞いて頷く日菜だが、何か思い当たる節があるのか不思議そうな顔をしている。
「パスポートもないの? 何処の国の人? どうやって日本に来たのかもわかんないし、占い師なのに道具も持ってないのって怪しくない? 何語喋ってたのかも知りたいし、もし日本語が話せるんだったらハーフなのかなー」
「えー、あー……それはー……聞きそびれちゃったなー……」
「その人、本当に外国人? 目撃情報じゃ黒い髪に赤い眼だったって聞いたけど。何人なのかなーすっごい気になって夜しか眠れなくなりそう!」
「それは健康的ね」
「そーだ、おねーちゃんに聞いてみよう! じゃーねーっ!」
まさに嵐のごとく日菜が廊下を走り去る。どっと疲れた。部活動に支障をきたすくらいには疲れている。今日は休もう。リサは早々に決断した。
自分達がこんな調子なのだから、さぞ燐子と紗夜も苦労していることだろう。特に、紗夜はこの後大変な質問攻めにあうのだろう。……他でもない自分の姉妹から。
「明日の紗夜はきっと不機嫌だろうねー……」
「きっとそうね。……ポテト、用意しておいたほうがいいかしら」
「一応明日、買っていこっか……」
一日の苦労を滲ませて、リサが深く息を吐き出した。少しでも疲れがこれで抜け落ちてくれればいいものの、実際は幸福が逃げていく音だけが口から出ていく。
「……疲労軽減のおまじないとか、あるのかしら」
「さすがにそんな都合の良いおまじないなんてないでしょー」
あるかもしれない。疲労軽減の魔法とか、美容促進とか。
しかし、日菜の言葉も気がかりだ。確かにその辺りは全く不明瞭で、聞く前に別れてしまった。
「友希那ー、今日さ。帰る前に寄りたいところあるんだけど、いい?」
「別にかまわないけれど……」
(まー、さすがにいないよねー。いるはずないよねー)
昨日の今日で。
まさか公園で寝泊まりしているわけでもないだろうし。
「…………」
昨日の今日で。
まさか公園で寝泊まりをしているのだろうか?
「なんでいるかなー……」
「……」
隣の友希那も驚いている。
相変わらず、不自然なほど森林公園に人気はない。
ベンチをひとつ丸々占領して、仰向けになって眠っているエヌラスが二人の視線の先にいた。顔にはどこからか拾ってきた昨日の日付の新聞をかぶせている。
「リサ。森林公園に用があったの?」
「まー、アタシも流石にいるとは思わなかったっていうか、いないと思ってたんだけど……」
「…………俺になんか用か、二人とも」
「うひゃ!? 起きてたの!」
新聞紙を顔からどけながらエヌラスが起き上がった。まだ眠気が残っているのか、欠伸を噛み殺している。
「いや、結界に入ってきた時点で察知してた」
「……その結界?とやらは、何なのかしら」
「そうそう、人払いの結界とか。本当に使ってるの?」
「使ってんだよ。正直この手の魔術は苦手だが」
ベンチに新聞紙を広げると、足元の小石を拾う。
「ようは図形と一緒だ。ポイントを決めて、範囲指定。その範囲内に魔術効果をもたらすってやつなんだが」
小石を三つ、三角形を描くように置いた。そして、そのうちの一個を指で弾くと三角形の体裁が崩れた。
「弱点としては、強度が脆いってことだ。こんな感じに場所をずらされると効果が薄れるし、起点の探知も簡単だから」
「んじゃ、なんでアタシは毎回その結界に入り込めるわけ? 人払いなんでしょ?」
「まーそうなんだが。俺が知るか」
「えぇ~、なにそれ……?」
「それ。私にも効果あるのかしら」
「単純に結界の術が粗いからだな。あの時は餓死手前だったし、適当に網張ってたから」
今回は単に昼寝がしたかったから適当な術式で編んでいる、と加える。外敵を遮断する目的で張っていた結界に入り込めた、ということはエヌラスが二人を敵と認識していない裏返し。あの時もそうだったのだろう。
「それで? 今日は何の用だ」
「んー、と」
特に用事らしい用事はなかったのだが、というかそもそもいるとは思ってなかった。しかし、リサはそこで日菜との会話を思い出す。
「そういえばアタシ達、自己紹介とかしてなかったよね? アタシは今井リサ。それでこっちは幼馴染の湊友希那。ガールズバンド『Roselia』のボーカルとベーシストやってるの」
「……よろしく」
「こちらこそ」
「でー、ちょっと聞きたいことと警告があって。どうやって日本に来たの?」
「海路だな。バイクで飛ばしてきた」
「ツッコミどころあるけどスルー! パスポートは?」
「……なんだそれ」
「えっと、身分証明書? 持ってないの?」
「何も持ってねぇけど、なんか問題なのか?」
問題しかない。予想を遥かに上回る返答に、リサも頭を抱えていた。だがエヌラスの関心は自分のことではなく、警告の一言。真剣な面持ちで先を促す。
「それで。俺に警告ってのはなんだ?」
「うーんと。まぁ早速うちの学校でもエヌラスさんのことが噂になってねー……昨日アタシ達と一緒に居たのを見かけた生徒がいたみたい。で、それを聞いた紗夜の妹がね。会ってみたいって言っててさ」
「ヤバイのか?」
「まー、うん。結構? かなり?」
「……わかった。一応気をつける」
「じゃ、今日はこの辺で。バイバーイ」
「それじゃ。……一応確認しておきたいのだけれど、いい?」
「ん?」
「……あの子、本当に安全なのよね」
「なんかあったら地球の反対側からでも駆けつけるから心配すんな」
「わかったわ」
友希那はその言葉を信用したのか、いまいち感情の読み取れない声を残してリサの後を追う。駆け出す二人の背中を見送るが、カバンから何かが落ちたのを視界の端で捉えていた。しかし、拾って渡そうにも眠気が勝り、後でいいかと再びベンチに横になる。
どうせ人払いの結界を張ってあるのだ。そう簡単に入ってくる人間はいないはずだ。
(……それにしたって、なんでリサのやつは俺の結界に入れるんだ?)
疑問に思いながらもその答えは出ない。──眠気に勝る思考など、人間はほとんど持ち合わせていない。