【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第七一幕 花咲川女子学園御前試合

 

 ──朝。それは、変わらず訪れる日常。一日の始まりを告げる陽の光。

 今日は何かいいことがありますように。今日は何事もなく過ごせますように。今日は平和でありますように。そう思いながら、学び舎で待つクラスメイト達の顔を思い浮かべて通学路を歩く。

 それは花咲川女子学園の生徒達も、羽丘女子学園の生徒達も変わらない。

 生徒会の仕事として、挨拶運動をしている氷川日菜も。制服のチェックをしている氷川紗夜にとってもいつもの一日だった。

 

 ──昼。それは、いつもと変わらない時間。馴染みの顔が並んで、昼食を広げて、みんなで囲んで、笑って過ぎていく。

 それは、戸山香澄にとって、市ヶ谷有咲にとって、山吹沙綾にとって、牛込りみにとって、花園たえにとってかけがえのない時間だった。

 

 ──夕方。授業が終わって、部活動に勤しむ生徒。友達と寄り道する生徒。生徒会の仕事に追われる白金燐子も、白鷺千聖と肩を並べてレッスンに向かう丸山彩も、剣道部の練習に向かう若宮イヴも、傾き始めた太陽に一日の終わりを感じていた。

 

 校門をくぐり、学園の敷地をまたぐ二人組に生徒達の視線が殺到する。

 天文部の顧問ということで、部活動の説明などを聞きに来たエヌラスと、何故か同伴してきた兼定の顔を見て彩と千聖が硬直した。それに、情けない笑顔を返しながら片手を挙げる。

 

「いやー、はは……なんかお騒がせしたみたいでわりーのなんの。顔向けできねーわ」

「兼定さん……?」

「……本当に? 本物ですか?」

「偽物もなにもご本人だよ、丸山のお嬢に白鷺のお嬢」

「なんか知らんがついてきた」

「んなつれねーこと言うなよ、いいじゃねぇか別に」

 突然現れた二人組の男性に生徒達も見覚えがあったりなかったり、あっという間に囲まれたもののエヌラスは即座にすり抜けていた。それを追う形で兼定も包囲を振り切る。女子高生の熱量に手を振って返す二人に、何事かと顔を見せた道着姿のイヴが目を輝かせていた。

 

「カネサダさん!」

「おー、若宮のお嬢。道着も似合ってるじゃないか、なぁ?」

「何着ても可愛いだろうが。先行ってるぞ」

「もうちっと言葉選べや……」

 兼定が呼び止める前にエヌラスはその場を後にして校舎へ入るなり職員室にまっすぐ向かう。

 

「それで、どうして道着なんか?」

「日々ブシドーとして精進するためです。剣道部なんです」

「ほー、剣道部。そりゃあ感心だ。ちょっと見学していってもいいか?」

「勿論です! 皆さん喜ぶと思います!」

「それじゃ、ちょいと失礼するぜ」

 

 

 

 エヌラスは職員室で天文部に関する説明を受けていた。元々は存在しなかったらしいのだが、弦巻こころのためだけに用意されたらしい。そのため、活動内容もほとんど不明。羽丘女子学園とも合同で活動をする時もあるので、あちらとの兼任も覚悟しておいてくれと釘を刺された。百も承知だ、なんなら向こうの方が顔馴染みまである。

 必要資料といったものは特に無いようだ。ただ、夜間での活動が主となるため、加えて相手はあの弦巻家の娘様。男女が二人きりというのはあまりに危険が過ぎる。しかしそこはそれ、唯一の天文部員であるこころ当人からも快諾されていた。間違いが起きないことを全力で神に祈る以外なかったが、再三注意したところで半ギレの返事をされて速やかに撤退。

 左目の刀傷も相まって、人相の悪さが際立つ。本当に大丈夫だろうか……、しかしどういうことか生徒達からの評判は上々だ。

 なにはともあれ、説明会終了。他の部活動の顧問とも挨拶を交わして、一応見学という形で様々な部活動を見て回る。

 

 剣道部の見学に向かうと、何故か兼定が竹刀を振るっていた。さすがは付喪神、堂に入った構えから放たれる剣筋は剣道部員達を総なめにしている。手加減はしているだろうが、それでも太刀の起こりから足捌きまで一連の動きに無駄がない。迷いがない。その太刀筋には剣道部員だけでなく他の部活の生徒達からも注目を浴びていた。

 

「っしゃあ、一本! 次ぃ!」

 本人、超楽しそうに笑っている。それを眺めていたイヴも、とても喜んでいた。諸手を叩いて声援を送っている。

 

「撃剣指南は菊の仕事だったが、確かにこりゃいい運動になるな!」

「カネサダさん、流石のブシドーですね」

「いや、そりゃあな……」

 相手が悪すぎる。なんだったら片手でも十分なくらいだ。生徒達の声援を受けていた兼定がエヌラスの姿を見つけると軽く手を振る。それによって一気に視線が集まった。勘弁しろ、とでも言いたげに顔を覆う。

 

「エヌラスさん、どうぞ」

「へ?」

 イヴが満面の笑みとともに竹刀を差し出していた。仕方なく受け取ると、肩を回して兼定のもとへ向かう。

 気息を整えながら歩み寄り、上着を脱いで床に投げる。

 

「さしずめ、花咲川御前試合ってところか?」

「……それなりにマジで相手するから、そのつもりでな」

 頭を掻いて、気怠げにしていたエヌラスだったが竹刀を高く放り投げた。首を鳴らし、思考を切り換える。

 片手で掴み、内勁を巡らせて竹刀を振り下ろす。剣圧によって道場の中を風が吹き抜けた。

 

「な、なに今の……?」

 どよめきが広がるが、彩も千聖もイヴも。様子を見に来た紗夜もそれがエヌラスの手によるものだとすぐにわかった。香澄達だけでなく、こころや美咲、花音とはぐみも勢揃いだ。

 緊張の糸が張り詰めていき、道場が静まり返る。

 

「──参る」

「応」

 兼定が動いた。音もなく、すり足から距離を詰めて竹刀を振るう。平晴眼からの打ち下ろし、小手を狙った竹刀が避けられるや否や止まり、即座に突きへ移行する。横薙ぎ、返し刃の下段。斬り上げて刃を翻すと刺突で追撃。一連の動きを流れるように行う。それに対してエヌラスもまた、竹刀を片腕で振るう、内勁を通した気刃による打ち合いは道場に響いていた。

 殺気立つ二人の殺陣。迫力がまず違う。剣道の試合であるというよりは、命の取り合いだ。確かに剣道に限らないが、それを抜きにしてもエヌラスと兼定の振るう竹刀の迫力に見学していた剣道部員とイヴだけでなく、野次馬も押し黙っていた。

 ──死んだと思っていた。死んだと言っていた。だが、今こうして二人が再会している。なにか違和感のようなものを感じていたのは彩も千聖も同じ。

 明らかに、二人の間に溝のようなものが出来ていた。断崖のような、深い隔絶。決して歩み寄ることができない距離感。肩を並べていたとはとても思えない。

 剣圧による風が道場の中を吹き抜ける。風切り音に、激しく打ち合う音。目にも留まらぬ攻防の流転にただただ圧倒される。太刀打ち、組打ち、投げ飛ばしては蹴り飛ばし、何十何百と繰り返した衝突。互いに後ずさり、構え直す。

 弾かれるような衝撃から、一寸の間。同様に踏み込み、竹刀を振り上げて気迫と共に打ち込む。

 

 ──耳をつんざく、打撃音。竹刀同士が触れた次の瞬間、くの字になって折れた。届くはずの互いの一撃は、遂には手にしていた道具が耐えきれずに終わる。

 刀身半ばよりぶらりと下がった剣先に、まだ終わっていないと二人が拳を構えた直後。

 

「──そこまでっ!」

 紗夜が、誰よりも早く試合終了の掛け声を上げていた。引き絞っていた拳を止めて、息を吐くと同時に頭を下げる。そして折れた竹刀を見つめてから、兼定は頭を掻いていた。

 

「……あっちゃあ、どうするよこれ?」

「うっせ、知るか」

 困ったように笑う姿に対して、エヌラスは上着を拾い上げると一瞥して剣道部員に折れた竹刀を突き返す。

 唖然と一部始終を見つめていた生徒達が、ようやく現実味を取り戻していく。人間業ではない域にまで踏み込みそうだったのを引き止めた紗夜はエヌラスに向かって深く息を吐いていた。

 

「どういうおつもりですか?」

「なにが?」

「先程の。剣道とはかけ離れていましたが」

「お行儀よく相手と向かい合って、礼節を尽くすなんてバカバカしくてやってられるか。殺せりゃいーんだよ、闇討ち不意打ち上等だ」

「わかるわー、背後からとか俺も平気で斬り掛かるしな」

 腕を組んで物騒トークに相槌を打つ兼定に、エヌラスも同意を求める。

 

「ですが剣道の指南では……?」

「いや、確かに。試合形式に則った作法は大事だ。礼に始まり、礼に終わる。型の練習とか日々精進だからな。あくまでもそれは、修練の一環として大事なことだ。身体に叩き込むわけだからな──ところが、いざ実戦となると話が変わってくる。そこにあるのは、ただ斬って生き残るかどうかだよ。命を奪うか、奪われるかの凌ぎ合いだ」

 汗を拭いながら淡々と語る兼定にとって、剣道というのは鍛錬でしかない。

 剣の道は、修羅だ。極めれば極めるほどに果てが見えなくなっていく。死物狂いでどれほど極めようと鍛錬を積もうと修練に励もうと、終りが見えない。そうして常人には到底たどり着けない頂きに至ったものは“魔剣”と呼ばれるのだ。

 命の駆け引きが日常的である兼定にとって、御前試合は単純に負けられない試合だ。実戦ともなれば剣の腕の優劣以外にもその場の状況次第で覆る。

 臨機応変怠ることべからず。死力を尽くして当たるべし──気組の理念。

 紗夜がエヌラスにとっての剣の道を目で尋ねる。あなたは? と。

 

「俺にとっての剣なんてのは、相手を殺す手段以外に理由はない。戦場に事の善悪なし、ただひたすらに斬って進むのみ。武の本質は、()()()()に他ならないわけだからな」

 だからこその殺人剣。剣の道に活きることごとくを殺めるために修めた凶刃。

 

「この世を平和にしたけりゃ、武術の全て。刃を手にした奴らを皆殺しにする以外にないだろう? 俺も、お前も。一人残らず。道具に罪はなく、ただ主に委ねられるわけだからな──そうだろ、兼定」

「…………ちげぇねぇな」

 目を逸らしていた兼定が、にっと口角を上げてエヌラスと肩を組む。

 

「──なーんつってな! あっはっはっは、いやお前マジになりすぎだろ!」

「だよなぁ! どうよ今の、演技派だったろ?」

「…………はい?」

「いや、無理無理。そこまで大層なこと考えちゃいねーや! さっきのめっちゃ必死だったしな」

「同じく。いやーいい汗かいたわ!」

 笑い始める二人に、紗夜が感心していた自分を張り倒していた。機嫌が良さそうなエヌラスを見て、香澄が近づいてくる。

 

「エヌラスさん、お疲れさまです! さっきのすごかったですね、ぶわーって!」

「おー、香澄。っていうか野次馬めっちゃ増えてないか?」

「今気づいたのかよ」

 有咲が呆れていた。そこまで試合(?)に夢中だったのか、本気になり過ぎだ。緊張の糸がほぐれてきたからか、二人に声をかける生徒が増えてきている。

 折れた竹刀を見ながら、剣道部員は首を傾げていた。

 どれほどの鍛錬を積めば、ここまでの離れ業が可能になるのだろうか、と。

 

「そうだ、今度有咲の家にポピパのみんなで集まって久しぶりに練習やるんですけど、よかったら来ませんか」

「ちょ、香澄! お前何勝手に……!?」

「いいでしょ、有咲? 最近忙しくてみんなで揃って練習できなかったんだしさ」

「だからって……」

「嫌なの?」

「……嫌、っていうか……男の人、家に上げるのハズい」

「なんで?」

「なんでって、そりゃ、その……あーもう! 好きにしろ!」

「やったー!」

「あと! 勉強会も兼ねてだからな、それは忘れんな!」

「……え?」

「そこだけ綺麗に忘れてんじゃねぇよ!」

 なんというか、相変わらず仲良しでよかった。エヌラスが兼定に目配せする。

 

「あー、そうだな。ま、都合が合えば行くわ。俺も忙しくてよ。もしかしたらすぐ離れることになるかもしれんし」

「え、そうなんですか? そんなぁ……あ、じゃあ今からはどうですか!」

「急すぎんだろ!」

「お誘いは嬉しいが、生憎とこれから用事があるんだ。な、エヌラス」

「ああ。帰るぞ、兼定」

 会釈して道場を後にしようとしていた二人をイヴが思い出したように呼び止めた。バッグから取り出したのは、鉢金。

 

「エヌラスさん、カネサダさん。これをどうぞ!」

「なんだこれ?」

「誠の鉢金です! 持っていないと仰ってたので、差し上げます」

「なんで俺の分もあるんだ、イヴ」

「お仕事の御礼です! 早めに渡せてよかったです」

 使うかどうかはさておいて、ありがたく頂いておく。兼定は、懐かしそうに、感慨深いものがあるのか静かに見つめていた。

 誠の一文字に、どれだけの言葉と思いが込められているだろう。言を成すと書いて誠とする。

 無念のままに散った菊一文字を思い出す。背中を押してくれた虎徹の顔を思い出す。

 自分だけが、ただひとり残ってしまった。成さねばならぬことも、斬らねばならぬこともわかっている。これは、最後のひと押しだ。

 

「ありがとうな、若宮のお嬢──()()

「…………」

「これなら、俺も最後まで士道を貫き通せそうだ」

 覚悟も決意も、定まった。頭を軽く撫でてから、兼定が破顔する。

 

「実は、ずっと秘密だったけれどよ……俺、新選組の最後の生き残りなんだ」

「はい。ご存知です」

「────そうか」

「そんな気がしていました!」

 何を根拠として、自信満々なのか解らない。だが、無性にそれが嬉しくなった。

 俺の在り方は、あの人達と同じだったのかと。そう思うだけで涙が溢れ出しそうになる、それを堪えて兼定はただ笑った。

 どこか寂しそうに。誤魔化して。

 武士道を志す少女の行く先に、幸多からんことを祈って──。

 

「それじゃあ、御免」

「はい! お元気で」

 エヌラスと剣道場を後にする兼定に、拳が突き出される。それに視線を向けること無く、同じように拳を出すと、小突いた。

 

「次はねぇぞ」

「……応。もちろんだ」

 

 

 

 ──夜。

 それは二人が見る最後の星空。

 宵月を見上げ、兼定は灯りを点けずにマンションの一室で目を閉じていた。

 胸中を駆け抜ける様々な想いがある。掛け替えのない思い出がある。

 座した兼定の前には、一振りの太刀と、鉢金。隊服に袖を通して、精神統一。

 和泉守兼定──。それが、己の銘。

 人の世のために。今の時代のために。この先の未来のために、斬らねばならぬ男の顔を思い浮かべていた。

 なんのために、とは問うまい。敢えて聞くまい。だが、生かしておくわけにはいかない。

 誰もが夢を追いかけられる眩しい時代。強きも弱きも関係なく、ただ生きていくことに理由のいらない時代。

 その光の道標を守れるというのなら、己が血に塗れることなど造作もない。もとより、自分はそれだ。そうであって然るべきもの。

 三日月宗近の顔を思い出す。菊一文字則宗を、長曽祢虎徹を。刃を交わした付喪神、みなの顔を思い出していた。

 今の己を、正す。

 太刀を差して、鉢金を巻いて髪を結い上げる。

 腰を上げて扉に手を掛けた。短い間、世話になった部屋を一度だけ見つめる。

 楽しかった。このまま生きていけるのならば、とも思った。そう考えた。しかし、自分だけが安寧の夢に沈むわけにはいかない。

 一度だけ、無人の部屋に頭を下げる。世話になったと。そして二度とこの敷居を跨ぐことはないだろう。

 

 鍵を掛けずに部屋を出ると、夜風が頬を撫でる。まだ少しだけ肌寒さが残る涼やかな風に気を引き締めて、兼定はある方角を見つめていた。

 妖術、法術、神通力。いずれとも異なる気配──魔力の香りに鼻を鳴らす。

 そこで待っていると信じてやまない。あの男は逃げも隠れもしないだろう。

 廊下の縁に足を掛けて、夜の街へ飛び出す。軽やかに、蝶が舞うような身体の軽さと共に──。

 九十九兼定は、決戦の地へと駆けていた。

 

 

 

 ………、夜空に浮かぶ月を見上げて。エヌラスはただ独り、倭刀を手にして立っていた。

 そうして立ち尽くして、どれほどの時間が経っただろう。定かではない。

 今はもう、孤独を感じる心すら死んでいた。これから先、何度自分の心を殺せばいいだろう。いっそ自分にそんなものはいらないと、捨ててしまえばいいのに。だが、その結果がどうなるかなど嫌というほど目に焼き付いている。

 魔術の師匠の名を知らない。本人も、長らく忘れている。ただ、他者に魔道の一点において追随を許さない地上最強の魔術師として──大魔導師(グランドマスター)とだけ呼ばれていた。

 強さと引き換えに、この心を失うのならば、自分は弱いままでいい。

 不意に、ポケットから着信音が鳴った。機械のように取り出して、耳に当てる。

 

「もしもし?」

『──、もしもし』

「紗夜か」

『夜分遅くに失礼します。今、お時間大丈夫でしょうか?』

「……手短にな」

『はい……』

 どこか、緊張した声の紗夜の言葉を待つ。小さく咳払いを挟んでから、ゆっくりと話し始めた。

 

『……今日は、どこか様子がおかしかった気がしますが。大丈夫なんですか?』

「いつものことだろ」

『いいえ。あなたとの付き合いはまだ日が浅いのは事実です。しかし、普段からあそこまで剣呑な態度なのは見たことがありません。それこそ、戦闘の時くらいで』

「そういう日もある」

『あの剣道の試合だってそうです。あれではまるで、殺し合いでしたよ』

「殺すつもりだったからな」

 即答されて、紗夜が言葉を詰まらせている。

 もし、真剣を渡されていたらあの場で斬っていた。それは兼定も同じだ。互いの力量を測るために応じたのだから。その結果、竹刀が耐えきれなかったのだ。

 

『……何故、ですか? あれほど仲が良さそうにしていたのに。まるで、そう……()()()()()であるみたいな』

「…………──」

 親友、という言葉に心が揺らぐ。自分は、何を言い返そうとしたのだろう。喉まで出てきていた言葉の意味を、エヌラスは理解しようとはしなかった。

 

『あの兼定さんも、邪神の脅威なのですか?』

「…………」

 そんなはずはない。兼定からは、それらしい気配はまったく感じなかった。付喪神の中でそれを感じさせたのはミカヅキと丙子椒林剣の二人だけ。

 ならばなぜ、斬らなければならないのだろう? 今更、なぜ刃を交わす必要があるのか。その意味を見失いそうになって──エヌラスは、自らが手に掛けた笑顔を思い出していた。

 いつか、必ず。何を犠牲にしてでも。自分がどうなろうと助けると誓った。

 そのためならば、仮初の情も友もまとめて切って捨てる。それがどれだけの苦痛であったとしても、耐えられる。今更その程度の傷で、立ち止まることなど出来ないのだから。

 

『……エヌラスさん?』

「──いいや。兼定は、関係ない」

『それなら何故?』

「…………なんで、だろうなぁ」

 心ここにあらずといったぼんやりとした言葉に紗夜も不安がっていた。明らかに、いつもと様子が違う。消えてしまいそうなほど、今のエヌラスは弱々しく感じられたからだ。

 

「そうだな。まぁ……強いて言うなら──男には、やらなきゃならない時があるんだろう」

『……その言葉を本気で使う人、初めて見ました』

「紗夜の初めてか、悪くないな」

『~~~~、い、言い方を考えてください! そんなふしだらな……!』

「冗談だ」

『…………もう』

「それで、何の用事だったんだ?」

『……………………はい?』

「なにか、用事があって電話してきたんだろ?」

『────本当に。大丈夫なんですか、エヌラスさん?』

「……なにがだ?」

 しばらく、紗夜が沈黙していた。やがて、短くため息をつく。

 

『なんでもありませんよ。用事、忘れてしまいました』

「そうか……」

『ですが、その……もう少しだけ、話をしてもいいでしょうか?』

「──悪いな、切るぞ」

 兼定の姿を視界に捉えて、エヌラスは剣呑な空気と共に通話を切った。

 

 最初から、分かっていたことだった。互いに、一番最初に斬るべき敵は誰なのかを。

 ずっと目を逸らしていた。

 ずっと目を背けていた。

 できることならば、このまま自分の知らないところで倒れていてくれたらと心底願った。

 だが、それは叶わなかった。戻ってきた、黄泉帰ってきてしまった。

 ならば、引導を渡すのが筋というものだ。

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