職員室に挨拶と共に入り、教師達と挨拶を交わす。腫れ物を扱うような口ぶりと態度にエヌラスは少々不快感を覚えながらも、その理由を尋ねた。
というのも──兼定と行った御前試合で竹刀をへし折った話といい、弦巻こころのお気に入りといい、生徒達からの絶大な人気といい、弦巻こころのお気に入りであり、とにかく弦巻こころにターゲットにされている男性ということで下手な真似が出来ない。またその話か、とエヌラスが頭を悩ませた。
別に、自分は気にしない。そもそも金持ちだからなんだ。学園を牛耳っていようが何だろうが知ったことではない。生徒なら生徒として取り扱うべきだ。社会的に殺されようが職務を全うしているこちらがどうこう言われる筋合いはない。……、というのがエヌラスの意見だが理解されない模様だった。肩をすくめて、呆れる。
用意されていた片隅の席に腰を下ろす。自分の机、ということだが何もない殺風景なもので。ここに授業で取り扱う教材などを置いておくようだ。後は学園からの案内やお知らせなど、会議で使う資料もこちらに。とはいえ、天文部顧問かつ霊能学担当、課外授業の非常勤講師。特に共有する情報などはないし特に歩み寄るつもりもない。
どんな授業を予定しているのか、古文の教師が興味本位で尋ねてくる。
とりあえず今日のところはどれくらいの生徒が来てくれるのかだけ、様子見で。授業内容も、まずは初歩から。こちらもまだ不慣れなところが多い。
こちらの授業開始までまだ時間がある。今のうちに学べるところは学んでおこうと、エヌラスは図書室へ向かった。
鍵を開けてもらってから中に入る。
以前、ちょっとした幽霊騒ぎが起きてから利用する生徒が減ったらしい。とはいっても今は元通りの図書室だ。特に異常もない。
エヌラスは中に入るなり、中を見渡す。豊富に取り揃えられている蔵書の数に小さく頷いた。街の図書館に比べればまったく足りない冊数だが、それでもこの調子なら一週間は潰せるだろう。だがその前に、エヌラスが何より気になったのは──本の並びが不規則であることだ。
図書委員が並べてはいるのだろう。しかしどうにも甘い。女子校ということもあるからか、高い位置の本は巻数が逆になっていたりと、どうにも管理が甘いことが気にかかる。
舌打ちをひとつ。時計を確認。授業開始まで残り二時間──まずは図書室の全体を把握。脳に記憶してから、次に書籍を記憶する。
エヌラスは指を鳴らし、腕を回して肩を慣らした。
魔術抜きにして、こういった裏方の雑務は大得意だ。業務的な作業は特に。
…………。
一時間経過。壁面側の棚卸しが終了。階段状に並べられた書籍と、掃除が完了した。その出来栄えに一人で頷く。
念のため、図書委員宛に入れ替えた棚割の書き置きも残しておく。
これがただの書籍であるならば問題ないのだが、魔導書になると本の並びでも影響を及ぼす。それを修行時代、嫌というほど叩き込まれた。うっかり、棚の場所を間違えて魔導書を置いたせいで教会が半壊したこともある。修繕工事も全部やらされた。
カチ、コチ──時計の秒針の音。室内を満たす紙の匂い。人の生活音も、気配もない冷たく、静かな空間。まるで、実家に戻ってきたような感覚に囚われそうになるがすぐに振り払う。此処には決定的に足りないものがある。常に自分の命が危険に晒されているような、ひりつく緊張感が圧倒的に足りていない。実に、平和だ。
エヌラスは腰を上げて壁面側の棚をもう一つ並べ替えることにした。
そんな整頓作業をしていると、授業終了のチャイムが鳴り響く。ついつい夢中になっていた手を止めて、棚に本を戻す。ひとまず今日のところは二箇所だけ。残りは後日、それと図書委員に書き置きを残して図書室を後にした。
放課後の掃除などもある。自分の授業はそれらが終わってからだ。職員室に戻って、とりあえずノートとペンを用意して少し時間を潰す。
(まぁー、どうせいても指折り数える程度だろう……)
燐子と紗夜と……恐らく、こころ。それに連れてこられて美咲やはぐみ、花音。そんなものだろうか? エヌラスは廊下ですれ違う生徒達に追い抜かされながらのんびりと空き教室へと向かっていた。会議室などは使用されているため、ひとまず今回のところは視聴覚室で。
時折、先生なんて呼ばれるがそれが自分を指しているとは思い当たらずに反応が遅れる。
視聴覚室に向かう廊下の途中で燐子が待っていた。場所がわからないのではないか、と気遣ってくれたらしい。紗夜は一人で先に向かった、とも聞きながら。
「あの……どんな、授業をするんですか……?」
「そうだな。燐子だけなら、魔術の勉強を教えてもいいんだが。今回は不特定多数の生徒に向けて話をするわけだし、そんな大した授業をするつもりもない」
今回はとりあえず様子を見てから考える。
エヌラスが視聴覚室の扉を開けて、中に入ろうとした。
満員御礼の女子高生を前にして即座に扉を閉めて、一度だけ場所を確認する。
花咲川女子学園、視聴覚室。間違いない。時刻も確認する。もっかい確認する、よし。再三確認ヨシ! 日付もチェック間違いない、これが最後だ現実と向き合え。
エヌラスが視聴覚室の扉を開けて、中に入るとそこには満員の女子高生。
戸山香澄がいた。山吹沙綾もいた。市ヶ谷有咲も、牛込りみも花園たえも。ポピパ勢揃い。
弦巻こころも当然いた。目をきらきらと輝かせている。奥沢美咲もいる。北沢はぐみも、松原花音もいる。ハロー、ハッピーワールド! いらっしゃいませ、イカれた授業にようこそ。
丸山彩も、白鷺千聖も、若宮イヴも。氷川紗夜も白金燐子も勢揃い。興味本位であったり、好奇心だったりととにかく出席理由は様々で、席が全部埋まっていた。なんなら立ち見席の生徒もいるくらいだ。
「……どういうことだ、おはようございますッ!!!」
頭を抱え、とにもかくにも講師という手前、やけくそになりながら挨拶をするだけで爆笑の渦。
教壇の前で、頭を抱えていた。どういうことだ。どうしてこうなった。なんでこんなにも揃いも揃って大勢こんな霊能学とかいうワケの分からん胡散臭さ全開の幸福になれる壺の方がまだ信憑性のある授業を放課後に受講しにきちゃったの。君ら頭ハッピーワールドなの? エヌラスは訝しんでいたが、どうにもそういうわけではないらしい。深々と、肺の空気を入れ替える勢いでため息をつく。
「こんな授業を受けに来る生徒がこんなにいるなんて俺は欠片も思ってなかった……」
「はい! エヌラスさん、どんな授業をするんですか!」
「はいそこ香澄ー、今回の授業内容はマジでなーんも考えてなかったので責任持って俺が質問攻めされてやるから聞きたいことがある人手を挙げてー」
はいっ!!! ──まさかの全員挙手に天井を仰ぐ。埃があった。掃除しとけ誰か。
「全員かよッ!!! あーもういいよわかったよ、質問時間一人一分な! 窓側から一人ずつ順番に質問、一分以内に思い浮かばなかった場合は次の機会な! はいスタート、花園たえ!」
「普段何食べてるんですか?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ!? 普通に人間の食事だっつーの! むしろなんでそれを聞こうと思ったんだお前は!」
「当たり障りがなくて、いいかなって思いました」
「一周回って俺を人間以外扱いしているからなその質問、ハイ次! 牛込りみ!」
「え、えっと……! ちょ、チョココロネ好きですか!?」
「可もなく不可もなし、パンだったら何でもいいが蒸しパンはちょっと遠慮したい次第! 俺の過去のトラウマについてはちょっと皆さんに話せない内容なので絶対に聞くんじゃねぇぞ! ハイ次は山吹さんちの沙綾!」
「なんで私だけちょっと変化球なんだろ……まぁいいや、面白いし。じゃあ、エヌラス先生の好きな食べ物ってなんですか?」
「それ言うと絶対笑われるからぜってぇ言わねぇ!」
えー? と、生徒達からブーイングの嵐。だが絶対に言いたくない。
「よーし分かった、はい静かにー。そこまで言うなら俺の好きな食べ物聞いて笑わなかったやつだけ質問を許可する」
「んー、なんだろ。気になるな……」
「手作りオムライス」
間。
静寂に包まれる視聴覚室、笑いを堪える生徒多数。
「卵は半熟で。チキンライスはしっとりしつつもくどくない味付け、ケチャップは少なめのライス大盛りで耳まで閉じてあるのが理想」
しかも注文が実に細かい。耐えきれなかった生徒大多数。
紗夜ですら俯いて肩を震わせて笑いを堪えている。
質問タイムの大幅縮小に成功したエヌラスが順番に生徒からの質問に答えていく。
「──ぜぇ、ぜぇ……! 以上か、終わりか、終わりだな! まったく次から次へと、なんで俺の好きな食べ物に始まって恋人の有無とか聞かれなきゃならねぇんだ……」
好奇心旺盛にも程があるだろう。呼吸を整えて、それから視聴覚室を見渡す。
「俺の自己紹介はもういらねぇなこれ。全員の名前も大体把握してるからそっちの自己紹介も抜きだ。あー疲れた。もう疲れた。今日の霊能学の授業は自習でいいんじゃねぇかな、もう。他の科目から宿題とか出されてるだろう? 各自それ進めてていいぞ、俺も好き勝手に授業やるから」
肩肘に力の入れた授業をする気などないエヌラスの言葉に、リラックスした様子で生徒達もカバンからノートを取り出し始めた。その様子を見渡してからエヌラスはチョークを取り出す。
「んじゃ、他の授業の宿題をみなさんが進めている間に俺も黒板に話しかけるちょっとアレな人になるぞー。いいかー? 第一回霊能学の授業だ。そもそも霊能学ってなんだって話になるぞ。単刀直入に言えば、霊能者、霊能力、超自然的存在や現象を全部引っくるめた物の学問を霊能学って呼称する。超能力や精神や魂といった人間の肉体以外の構成物が及ぼすなんかすげー力のこと」
真面目な口調からフランクな説明が突然出てくるもので、思わず手が止まってしまう。中には目を輝かせて話にちゃんと耳を傾けているこころとかいたりするが。
「基本的に。これらは科学的に説明不可能なものだ。中には現代技術が進んだ事によって解明されたとかなんとか言っているが、そんなん出任せだ。例えばポルターガイスト。幽霊の起こす災害や障害をまとめて霊障と一括。他にも発火現象。なんか他色々。適当だ適当。そもそも科学技術がどう発達しても人間の理解の範疇内の出来事しか科学的に説明できないんだから人間が理解する以外に説明できないもんなんだよ幽霊とか精霊とかなんか霊的なあれやこれやは。よって、科学で解明される超自然的現象などは全部デタラメだ。そもそもそんなんにクソ真面目に取り組んでいる科学に割く余裕あるならもっと世間で困っている人間のための技術開発をすすめることを俺は全面的に支援する。例えば食糧問題とか食糧問題とか食糧問題。あとは食糧問題だ」
食べ物の話しかしていない。笑いを堪える生徒多数。
「いーかー、食い物を馬鹿にするなよー? 人間食わなきゃ死ぬんだから、あと俺も食わなきゃ基本的にやってらんねぇ。食っても太る、とか困っている生徒は手を挙げてもいいが心の奥に秘めておくように。痩せる方法が知りたい女の子は手を挙げなくていいぞー?」
危うく、彩が手を挙げそうになるがなんとか耐えた。引っ掛けとか性格が悪い。
「そもそも。食って太るのは当たり前だ。食って痩せるなんてのは不健康な証拠なんだからな。飯食って動く、身体に肉をつける。脂肪も筋肉も一緒だ。動物性脂肪も植物性脂肪も腹に入れば変わらねぇんだ。飯食う前に運動するか、運動してから飯を食うかの違いだ。生活サイクルと水分補給と運動不足を解消すりゃ後は好きに食っていい。病気とかどんだけ予防しても無駄だから頭の片隅において好きに食って好きに動けばいい」
「はい! それでも太った場合はどうすればいいですか!」
「痩せるほど運動しろ。どこを引き締めたいかによって効率的な運動方法ってのは変わってくる」
「エヌラス先生もそういう運動しているんですか?」
「俺の場合は全身運動だ。ちなみに常人が真似したら命を落とすので絶対にオススメしない」
「どんな運動なんですか?」
「まず二十キロのダンベルを両手に持って街の中を時速十キロ保ちながら全力で走れ。速度を落とした場合は最初からだ」
──それは人間がやるトレーニングの範疇を超えているのでは?
「俺の場合は自分の身を守るために武術その他諸々やらされていたので、他にもやらされた。いいかー、人間死ぬギリギリ手前のトレーニングなんて、日課でやらされるもんじゃないんだからな。俺がいい例で反面教師だ。その気になりゃあ自動車より速いぞ」
ああ、うん確かに……。彩と千聖、イヴに紗夜が静かに頷いていた。
「エヌラス、色んなことができるのね!」
「まぁな。社会勉強で放り込まれたアイドルのカメラマンに始まって、人形サーカスの雑用から運送業に、探偵業に山程やらされた。こき使われてばかりで結局仕事転々としてばかりだったけどなー。ライブハウスのアルバイトも昔やってたことあるから、多少慣れてるってだけだ」
「はい! エヌラスさん!」
「どうぞー、イヴ」
振り返らずに、黒板にチョークを走らせながらエヌラスは手を挙げる生徒の名前を口にする。
「どんなお仕事ができるんですか?」
「多芸に始まり武芸百般。百通り以上。数えるのが面倒」
「じゃあ、音楽活動もできるんですね」
その言葉に手を止めて、再び黒板に白い軌跡が走り始めた。
「やろうと思えばな」
「はい」
「どうぞ、紗夜」
「音楽活動をやろうとは思わないのですか?」
「今は忙しい。以上だ」
「そうですか。ありがとうございます」
淡々とした質疑応答に、燐子が手を挙げて続く。
「なんだ、燐子」
「……! は、はい。あの、どういったことが……できるんでしょうか……?」
「大体全部だ。といっても俺は舞台に立つよりも、立たせる側の方が性に合ってる。実際、担当したガールズバンドもCD出すくらいまでは付き合ってたしな」
「付き合ってたって……」
「仕事上の付き合いって意味。それ以上はない」
それに何名かが胸を撫で下ろした気がしたが、エヌラスは気にせず黒板にチョークを走らせる。
「それって……音楽のプロを育成した、ということですか……?」
「あー……そうなるのか? 結果的に言えば、そうなるんだろうな。ギターの弾き方とか、ベースやドラムもその子達に教えてもらってた。俺が音楽業界に携わったのは、その時だけだな。身体は覚えてるみたいだが」
「エヌラスさんのギター、凄くよかったですよ! なんていうか、心にぐわーんって感じで!」
「香澄が言いたいのは心の奥で重く響くってことです」
「有咲、翻訳ご苦労。そして香澄、よけいな事を喋らない」
結果論とはいえガールズバンドのプロを育成したという実績に、CDを出すほどのメジャーデビューを果たしたという経験。どういったバンドなのか千聖が考えるが、そもそもエヌラスは日本でそういった活動をしたことがない。無名も無名、ただの一般人だ。表向きは──。
「海外のアーティストでしょうか?」
「広義的にはそうなるな」
「今も活動中なんですか?」
「さぁな。もうずっと昔の話だからな」
「どれくらい前のことか、覚えてますか?」
「…………さぁな、忘れた。そもそも、最後まで付き合ったわけじゃないし、途中下車してからは事務所に一任したわけだしそこまで細かく覚えてない」
黒板を埋める文字の羅列に書くスペースがなくなった。黒板消しを持って最初に書いた文字を消し始める。
「で。俺がガールズバンドのために何をしてやれるのか、という話が聞きたいのか? それならさっき話した通り。
「はい! エヌラスさん!」
引き止める暇もなく、香澄が立ち上がる勢いで挙手していた。有咲達ポピパには何を言い出すのか大体察しはついている。
「どうぞ、香澄」
「私達『Poppin`party』のプロデュースもできますか!」
「断る」
即答だった。手を止めて、エヌラスが首だけで香澄の目を見ると、少しだけ肩をすくめる。
「仕事が、忙しいんだ。さっきも言った通り音楽活動を支えてる暇がない。『Circle』で接客したりするのが精々だよ」
「そうですか、残念です……」
「そっちの業務は趣味みたいなものだしな。そんなお遊び半分でプロデュースなんてされても困るだろ? 大体、金銭の絡む作業だ。やるなら本気で金かけるし、俺も今は金に余裕がない。……そういやこの授業料って学校から出んのか?」
そんなことを呟いてから、エヌラスは動かしていた手を止めた。
「……で? なんで全員俺の話に耳を傾けてまったく自習を進めてないんだ?」
いつの間にか、生徒達は宿題のことなどすっかり忘れている。その様子を黒板を見ながら把握していたが、そろそろ時間なので止めなかっただけのことだ。
「まぁいいか。なんだかんだで授業も終わりだしな。それじゃ、おつかれさん」
言い終わると同時に、終業のチャイムが学園に響く。
「第二回もこんな調子だから、受講したい生徒はまた明日よろしく。そうだ、ついでに……俺のバイト先のライブハウス『Circle』もご贔屓に。気をつけて帰れよー」
言いながら、視聴覚室から出ていく素振りを見せて──黒板に振り返る。
埋め尽くす数式と文字の羅列。何が書いてあるのかわからないが……、エヌラスが手を伸ばして指を鳴らしながら手首を返す。
パチン、と甲高い音が視聴覚室に響き、そして黒板に書かれていた文字が一瞬にして白い粉となって落ちた。
「貴重な時間を割いた生徒には、種も仕掛けもない手品が授業料ってことで」
それが魔術によるものだとは考えるよりも明白。紗夜は小さく息を吐いた。
今回だけは見逃しておこうと考えて、予習のノートをカバンにしまう。貴重な話も聞けたことだし、悪くない時間だった。有意義、とは少々言い難いが。