──翌朝。太平洋上空を通過する謎の飛行物体、というニュースを見かけた今井リサは髪を結い上げていた手を止めた。
世界各地で頻発していたオカルト事件はめっきり減ったものの、それでもやはり地球の何処かではそういった事件が起きているらしい。しかし、現地の軍隊や住民達の手で撃退できていることからそれほど危険でもないようだ。
日本でもそれに似たような事件が──というコメントが流れてきた瞬間、リサはチャンネルを変える。そんな怖い話を朝から聞きたくない。
学校に登校して。授業を受けて。クラスメイト達に囲まれながら雑談に興じる。湊友希那とも変わらない日々。いつもの学生生活で過ごしていると、やはりアレは夢のような出来事だったのだと考えてしまう。
もしかすると、本当にただの不法入国者でちょっと危ない外国の人なのかもしれない。きっと手品かなにかだったんじゃないかと、そう思い込みたくなる。
昼休みになって、カバンの中身を探る。昼食はとにかく、持ち歩いていたはずの生徒手帳が無くなっていることに気がついた。そういえば昨日は事情聴取に疲れ切ってカバンのファスナーを開けたままだった気がする。
「さすがに生徒手帳無くすのはマズイよね~……」
とはいっても、何処をどう探せばいいのやら。心当たりと言えば──思い出しかけて、リサはクラスメイト達が窓に集まっているのを見て不思議そうに首を傾げていた。
何やら校門の方を見ているようだが、一体どうしたのだろう。好奇心から同じように外の様子を見つめて……眺めて、黒尽くめの姿を発見して目頭を押さえた。
学園の敷地には入っていないものの、羽丘女子学園に男性というのは、非常に目立つ。とても目立つものだ。特に年頃の女の子は好奇心旺盛で、間違いなく大変なことになる。
「騒がしいわね。どうしたのかしら」
「友希那、アタシちょっと行ってくるね! 先にお昼食べてて!」
「? ええ、わかったわ」
教室を出て、廊下を走って、階段を駆け下りて、中庭でパンを頬張っているモカが既に先んじて会話していた。
『Afterglow』のメンバーも、友人が声を掛けているのを見て警戒半分、興味半分といった様子で一緒にいる。
「あ、リサさん」
「ハァ、ハァ……! なんで学校に来てるの!?」
「なんでって。落とし物届けに来たんだが。ほら、これお前のだろ」
エヌラスの手には、羽丘女子学園の生徒手帳ケース。差し出されて受け取ると、それは確かに自分のものだった。
よかった、拾ってくれてたのか──と思ったのも束の間。モカ達からの視線が突き刺さり、嫌な汗が吹き出してくる。
これは、言い逃れが出来ない決定的証拠だ。
「学校の場所わかんなくてな。さっきは間違えて花咲川の方に行って、紗夜にすげぇ目で見られたし怒られた」
「…………紗夜、なんて言ってたの?」
「“あなた何しに来たんですか、出ていってください”って真顔で言われた。だけど羽丘女子学園の方角は教えてくれたな」
本当に生真面目な性格だ。だからこそ、向こうでは今頃大変な事になっているだろう。
「昨日の話、本当だったんだ。モカが話してるのを隣で聞いてる限りだと、そんなに悪い感じしないんだけど……」
「顔は怖いけどねー」
「言ってくれるなよ、気にしてんだから……」
「自覚あったんですね」
「はっはっは、モカちゃん。あんまり俺をからかうとしまいにゃ怒るぞー?」
「モカちゃんはか弱い乙女なのでー、助けてー蘭ー」
「いや、そこであたしに助けを求められても困るんだけどな……」
「まぁいい。とにかく落とし物は届けたからな、リサ。もう落とすなよ」
「はい……」
「なんか元気ないが、どうした」
あなたのせいですけど!? ──とは言えない。あくまでも、この人は厚意で落とし物を届けにわざわざ学園にまで足を運んできてくれたのだ。別に困らせようとは微塵も考えていない。そこは大目に見よう。だってこの人基本的に常識が通用しない人だもの。むしろ日本人ですらないし、そもそもこの星の人間であるかどうかも定かではない。
「しかし、学校か……こうして実物を見ると見学してみたくなるな」
「女子校に興味があるとか、ちょっと危険な発言ですな~」
「別に共学でも中身大して変わらんだろ?」
「学校とか行ったことないんですか?」
「いやまったく。昔っから修行させられてたし。主に地獄みてぇな内容で」
蘭の言葉に、エヌラスが過去のことを思い出しているのか深々と吐息をもらす。その内容に興味があるのか、つぐみもひまりも首を傾げていた。巴だけはあこから話を聞いていたのか、まじまじと顔を見ている。
「ど、どんな修行を?」
「そうだな。例えば……刀一つでマフィアの拠点にぶち込まれたり、生身で山に放り出されたり、呪われた村に身体一つで置いていかれたりした」
「……そんな漫画やアニメみたいな修行させられてたんですか」
「させられてたんだよ……よく生きてんな俺」
「もっとまともなの無いんですか?」
「社会勉強の一環でアルバイトさせられた、とか?」
「……いきなり普通ですね」
振れ幅が大きすぎるせいで反応に困っていた。
「どんなアルバイトを?」
「ん? あー……まともだったのは、サーカスの雑用とグラビアアイドルの写真撮影ぐらいか。そのアイドルがやってるバンドの手伝いもしてたな」
「……ガールズバンドの、お手伝い? なんて名前ですか。もしかしたら聞いたことあるかもしれません」
「とはいってもだいぶ前の話だからなぁ……なんだっけな、忘れた」
意外な発言にリサも驚いている。ガールズバンドの手伝いをしていたというのなら、上手いこと話をつけて『Roselia』のサポーターに……と、考えたが、それはどうやら『Afterglow』も一緒のようだ。蘭とリサの視線がぶつかる。
「あのさ」
不意に、巴が口を開いた。
「あこが、本物の魔法使いにあった、とか。物凄いはしゃいでたんだけど、それってアンタのことでいいのかな?」
「魔法使いじゃなくて魔術師に訂正しておいてくれ。魔法使い名乗ったら師匠にぶっ殺される」
「まぁどっちでもいいんだけど……本当の話かどうか確かめたくて」
エヌラスが両手を見せる。視線が集中し、何の仕掛けもないことを確認させてから、スナップを利かせながら右手の指を鳴らす。すると、人差し指の先に火が点いた。すぐに消してエヌラスが腕を組む。
「はい、おしまい。見世物じゃないからな」
「……マジシャン?」
「手品師のことを指してるなら、そう思ってくれていい」
(あれ、あたしなんかマズイこと言ったかな……機嫌損ねたみたいだし……)
魔術師、なんて肩書はよく有名な手品師につけられている。だが、そうではないらしい。そこの明確な線引きは蘭には分からないが、相手の機嫌を損ねたのは確かだ。
「……ごめんなさい。なんか、悪いこと言ったみたいで」
「いや、いい。知らない方からしたら、どっちも同じだしな──」
学園に視線を向けたエヌラスの表情が引きつる。
目が合ってしまった。廊下に張り付く女子高生の群れの中、一人だけ目立つのがいる。好奇の視線とは違う。明らかに目の輝きと表情の明度がずば抜けている。それは危険信号を発するには十分過ぎるほどの顔だった。
窓際から離れて廊下を走る姿を見た瞬間、エヌラスはどっと冷や汗をかく。
「? エヌラスさん、どうかしたんですか。顔色一気に悪くなりましたけど~」
「いや、ちょっと、やべぇのがいた。絶対にろくでもないことにしかならないであろう相手と目が合ったから全力で逃げるわ」
「あっ」
そういえば。日菜が同じ学校であることを言っていなかったことをリサが思い出す。火中の栗を拾いに来たのも同然だ。だがしかし、逃げの一手を選ぶことに何の迷いもないのは流石の一言である。同時に、遭遇させたらどうなるのかという好奇心もちょっと湧き上がった。
自分がこれほど苦労させられているのだから、少しくらい反撃してもいいだろう。
エヌラスのコートの裾をつまみ、リサが引き止める。
「おい、なんだ。離せリサ」
「う~んと、ホラ。アタシまだお礼言ってなかったし?」
「別にいい! 気にすんな! 頼むから離してくれ」
「そんな逃げなくても」
「いいか!? 俺を見て興味を持つのは度し難いバカか他人を放っておけない底抜けのお人好しで世話好きなやつくれぇだからな! 大体危険から身を遠ざけるのは生物として当然の権利であって本能なんだよ! 逃げねぇのはそれこそ命知らずの死に急ぐ馬鹿野郎くれぇだ! というわけで俺は逃げる、全力で逃げる。もうこの学園には近づかねぇしその制服着てる奴は極力避ける!」
日菜は階段を駆け下りていた。
「そんなわけで離してくれくださいやがれ!」
「なんかもう口調がメチャクチャなんですけど」
「面白いことになりそうだからモカちゃんもお手伝いしましょー」
「モカてめぇもかぁぁぁ!」
「二回も呼ばなくて結構でーす」
力いっぱい引き留めようとするモカが悪い顔をしていた。二人で袖を掴んでいる。
日菜、現在地。二階廊下の階段、その最上段に足をかけていた。
急変した態度に蘭達も何が起きているのか分からずキョトンとしていた。しかし、エヌラスが何か危機を察知しているのだけはわかる。
「ええい、クソ! テメェらいい加減に離せ!」
「だったら力づくで振りほどけばいいじゃないですかー」
「だぁー、もう。こんちきしょう!」
「ほえ?」
掴まれているコートを脱ぐと、二人がバランスを崩した。転ばないように引っ張ると、モカは踏みとどまったが勢い余って前のめりになるリサの身体を支える。手を掴み、顔を近づけてエヌラスが睨みつけた。
赤い目を細めて、鼻先がふれあいそうなほど急接近した顔に、リサがみるみる赤くなる。
「あんまふざけてるとお前ごと連れてくぞ。離せ」
「…………ひゃい」
香水のような、爽やかな柑橘系の匂いが鼻をくすぐった。すぐに顔を離し、コートを翻して袖を通すとエヌラスが一度だけ呼吸を整える。
日菜はすでに一階へ降りて校門前に向かって駆け出していた。
「あの、どちらに」
「明日への逃亡!!」
ひまりの言葉に、背を向けながら全力で走り出している。まるで肉食獣のように機敏な動きで、信じられないほどの瞬発力と脚力で逃げ出していた。
目が合った瞬間にるんっときていた日菜が六人のもとへたどり着く頃には既に姿が消えている。
「逃げ足速いんだな、あの手品師の人」
「ちょっと、尋常じゃないスピードだったけど……」
「リサさーん、顔真っ赤ですよー?」
(キスされるかと思った! キスされちゃうかと思ったぁ!)
「あー! 逃げられた! すっごくるんってきたんだけどなぁ……もうちょっとだけ引き止めててくれたらあたしが捕まえてたのに」
「いや、そんなツチノコに遭遇したみたいに言われても……」
「? あの人、ブラックヒューマノイドじゃないの?」
流石、勘が鋭い。そして、エヌラスの第六感も冴え渡っていた。少しでも判断が遅れていたら今頃は大変な事になっていただろう。
「特徴も外見もテレビと一緒だったし、多分そーじゃないかなーって思ったんだけど」
「あっはっは、まさかそんなはずないって。なぁ、蘭」
「流石にそれはないと思うんだけどな……」
「んー、もしそうだったらモカちゃんは表彰者ですよ~」
「最初はちょっと怖かったけど、意外と話しやすそうだったね」
「それにガールズバンドのサポーター経験者なのもちょっと驚いちゃった」
談笑していた七人だったが、この後職員室に呼び出されて先生からお叱りを受けた。特にリサ。踏んだり蹴ったりで本日も心労その他で疲れ切っているが、バイトは休めない。そして連日の燃料投下によって羽丘女子学園は大盛り上がりである。
花咲川女子学園もまた、予想外の来客によって一時騒動にはなったもののそこは紗夜が上手く手綱を握っていた。
表面上ではそれほどの騒ぎにはならなかったものの、水面下ではそうもいかない。
未知との遭遇。これほど胸がときめくものもない──ツチノコ捜索探検隊は結成前に解散となったものの、それで諦めるハロー、ハッピーワールドではない。
今日も今日とて弦巻こころは絶好調。好奇心のロケットに点火済みだった。