現地で用いられる言語も表記も見慣れないものであることに、香澄達もこころ達も首を傾げていたが、その通訳を黒服とエヌラスがサポートする形で無事に買い物を済ませる。特にこれといったトラブルもなく、屋内プールを楽しむための水着を手にして楽しみに胸を踊らせていた。
それとは別にエヌラスはなにか気がかりなことがあるのか、顎に手を当てて考え込んでいる。
「どうかされましたか、エヌラス様」
「ああ、いや。少し気になってな……」
元々は祝賀会のおまけという話で訪れた観光地。当然その席に自分達も出席することになるのだろうが、生憎と正装は持ち込んでいない。
恐らく、こころの両親も姿を見せるだろう。正式な場で、ラフな格好のまま出るわけにもいかない。そんなことをしたら師匠にぶっ殺されること請け合い間違いなし。
「資産家主催の祝賀会、当然お偉方も出席するわけだし。正装用意しときゃよかったな……」
最悪、出席しないという手もある。裏方に徹するのが最善だが、それはこころ達も望まないだろう。自分達が楽しんでいるのだから、当然エヌラスにもその権利があると考えるのが当然だ。
エヌラスのふとした悩みに、黒服が顔を見合わせる。
「それでしたら。私達にお任せください。夜までにはご用意します」
「俺のサポートまでしなくていいぞ。こっちでどうにかするし」
「そういうわけにはいきませんので」
「なんで」
「今回の旅行は、エヌラス様の笑顔が見たいというこころ様の計画ですので。我々にできることであればお手伝いさせていただきます」
「……笑顔、ねぇ」
たったそれだけのために。これだけのことを平気でやるのだろうか。自分なんかに。
美咲達と一緒になって笑い合っているこころの姿を見据えて、エヌラスは腕を組んでいた。
どういう時に、笑えばいいのだろう。楽しい時に? 嬉しい時に? 心躍るような時に?
笑えと言われて、いざ笑えるはずもない。もう、ずっと長いこと笑っていない気がする。
「俺は、いいや。あいつ等が何も知らずに笑っているのをそばで見られるだけで満足だよ」
「そう仰らずに」
「俺に二度も言わせる気か?」
半ば敵意を向けられて、黒服が思わず押し黙った。こっ恥ずかしいのだから二度も言わせないでほしい。
ホテルに戻ってきたエヌラスは自分の部屋に戻るなり、窓を開けて外の空気を入れる。一応、自分の水着も買ってきたが、なぜ俺まで、という疑問が消えない。
室内を見渡してから、念の為なにか細工がされていないか警戒する。そんな細工がされているはずがなく、肩をすくめた。職業病、というよりはこればかりは地元の癖みたいなものだ。
銃の整備・点検を始める。せっかくなので、ハンティングホラーも呼び出す。
広い室内に大型自動二輪が静かに姿を現すと、そのままスタンドを立てて待機する。開けられた窓から入り込んでくる新鮮な空気にフルカウルを撫でられて上機嫌なようだ。
普段は魔力で防護壁を張っているために、こうして風を浴びるということは滅多にない。
黙々と作業に没頭していたエヌラスだったが、弾をスピードローダーにセットしていた右手の感覚が鈍くなることに眉をつりあげた。このポンコツめ。
一度休憩を挟むために、タバコを一服。バルコニーに出てドラッグシガーに火を点ける。
見渡す限りの大海原。青、青、青。絶海の景色に、活気の溢れる街と行き交う交易船。海運業もこの国の重要な収益源であることは黒服達が用意した資料で知った。
神話も数多く残されている神秘の国。だが、エヌラスが魔術師としての眼で見る限りでは、その神性の大半は失われている。僅かに残されているが、刺激するようなことが起きなければ何も起きないだろう。魔術で悪戯に呼び起こすようなものではない。
紫煙を吐き出しながら、空と海を眺める。
地下で育った自分には些か陽の光は眼に痛い。シャツの胸ポケットからサングラスを取り出して目を保護する。当然、ただのサングラスではない。買ってきたものに細工をして、一種のセンサーのような役割を果たしている。
他にもメガネは持ち合わせているが、そちらは戦闘用なので普段使いするようなものではない。
「…………海、か」
正直なところ、海は嫌いだ。ろくな思い出がない。
なーにが青い空、白い雲、水着の女の子だ。下着の女の子の方が興奮するだろうが──、なんて不純なことを考えながらエヌラスは一服を終えると、作業に戻る。
とはいえしかし、だが。健全ではないかもしれないが、成人男性であることに変わりない。香澄達の肢体に興味がないかと聞かれたら、正直な話、気になるところ。だが、性的な意味合いよりもどちらかと言うと医学的な方面が強い。地球における年頃の女性がどれほどの身体なのかは、確かに気になる。
下積み時代とも言える修行時代。多方面の専門学に手を出していた。その中には、人体理解の一環として人形工学も含まれている。免許はないが、これでも薬学だけでなく医師としても活動できるのだが、九分九厘、暗殺術にしか活かされていない。ある意味、闇医者である。
音を立てずに、器用にもハンティングホラーがエヌラスに寄り添う。物言わぬ車両ではあるが、これでも生き物だ。無機物魔導生命体。
ヘッドライトを撫でると、冷たい鉄の感触。たまにはいいだろうと思い、布巾で拭ってやると少しだけ後ろに下がった。やや、間を置いて再び近づいてくる。
「人が親切にしたくらいでそんな驚くなよ」
《…………》
汚れ一つ、傷一つない新品同然の装甲だが、ナノテクノロジーが導入されている。これ一台で地球の技術者は白目向いて卒倒するに違いない。そもそもバイクなのに空も翔ぶし、なんなら突撃しただけで戦車はひっくり返る。
これまで戦い続けることができたのは、ハンティングホラーの協力もあったからだ。契約を結んだわけでもなく、互いの信頼関係だけで今までやってきた。一人で戦ってきたようで、いなくてはならない相棒をたまには労ってもいいだろう。
「…………ハンティングホラー」
《……?》
「呪法兵装、拘束制限解除の用意だけはしておいてくれ」
《────》
普段から戦闘に用いている二挺拳銃だけでなく、野太刀以外にも用意してある。環境を考慮してこれまで使用は控えていたが、そうもいかない。こちらが用意できる最大戦力で迎撃しなければ、邪神を討つことなど敵わないのだから。
──これまでも、そうだった。きっと、これからも。
カウルを撫でていた手を止める。
「……」
香澄達を巻き込むことになるだろう。だが、日本から遠く離れたこの国を消し飛ばすことにさほど罪悪感はなかった。むしろどうでもいいとさえ思っている。
つくづく自分は女の子に弱いな、と考えながらもエヌラスはハンティングホラーの手入れをしていた。しかし、ドアをノックする音に腰を上げる。
サングラスを外して銃を片付け、弾丸も一緒に一発残らず異空間に格納するとドアを開けた。
立っていたのは、こころ。美咲達は見当たらない。だが、廊下の角から黒服がこちらの様子を窺っていた。
「どうした、こころ」
「こんにちわ! エヌラス、何をしていたの?」
「別に。大したことはしてないが……美咲達は一緒じゃないのか」
「ええ、あたしだけよ」
「何か用か?」
「せっかくの合宿なんだもの、楽しまなきゃ。ホテルの探検をしましょ♪」
「……」
内部構造は既に解析済みだ。だが、骨組みや間取り程度のもので、細部までは実際に目で確認してみなければ解らない。
「他のお客さんの迷惑にならないようにな」
「じゃあ、手を繋いでもいいかしら?」
「ダメ」
有事の際に、手を振りほどくワンアクションが命取りになる。そんな状況に陥るとも思えないし考えたくもないが、常に最悪の状況は想定して損はない。
断られて落ち込むかと思ったが、すぐに手を伸ばして服の裾をつまむ。
「これは?」
「……まぁ、良し。行くか」
袖を掴むくらいなら、全然かわいいものだ。
ホテルの廊下を歩き出すエヌラスとこころの前に、香澄が現れる。
「あら、香澄」
「こころちゃん。それにエヌラスさんも。これからどこに?」
「ホテルの中を探検、だと。香澄は?」
「私もです! あ、でもお邪魔かな……」
「いいえ、そんなことはないわ。香澄も一緒にホテルを探検しない?」
「いいの? エヌラスさん、大丈夫ですか?」
「なんでそこで俺に許可を求める。かまわない」
「ありがとうございます! んー……じゃあ、私こっちで!」
こころの反対側に回り込み、エヌラスの服の袖を同じように掴むと笑顔を見せた。
思わず天井を仰ぐ。なんで君等、俺の袖をつまむんだ? これでは両手を塞がれているのも同然だ。助けろ黒服、と思ってエヌラスが振り返るも、見守るばかり。
「それじゃあホテル探検隊、レッツゴー!」
「香澄。騒ぐな」
「はいぃ……」
ピシャリと怒られて、香澄が縮こまる。
高級ホテル。富豪がご愛顧のリゾートホテル。資産家や旅行プランナーが数多く経営に携わる建造物。
屋内のみならず、海を眺めながらプールも満喫できる。もちろん、海に行っても良し。悪天候の際はそちらを利用することで天候を問わず十分に楽しめる。
フロントから少し外れた場所にはちょっとした博物館。彫刻や絵画が少数ながら展示され、芸術文化に触れることも可能。エヌラスもそれには興味が惹かれたのか、他の利用客に混じって油絵と彫刻を鑑賞していた。
「エヌラスさん、こういうの詳しいんですか?」
「いいや? ただ、芸術に触れるのは文化への理解の早道、とは師匠の言葉。この石像にしたってそうだ。何百年も昔に彫られたものだが、既に肉体美とでも言うべき人体比率は感心する。モデルにしたのも人であるよりは、神様だろう」
「…………」
「なんでお前そんな驚いてんだよ……」
「だってエヌラスさん、そんな顔して結構芸術家っぽくて」
「こんな顔で悪かったな。テメェそんなこと言ってると自慢の猫耳ヘアー爆発させんぞ」
「なんか私の扱いちょっと雑じゃないですか!?」
「俺も半分プライベートだからな」
こころも石像をジッと見上げている。
「なんだかあたしの家にあるのとよく似ているわ」
「えっ、そうなの?」
「人体だけでなく、布の表現も生地とシワの寄せ方も本物と遜色ないし……師匠なら買いかねないな」
妙な収集癖がある大魔導師は現地生物とか勝手にとっ捕まえては保護していた。そのせいで死人が出たりちょっとした異界と化していたりするが当人は素知らぬ顔。誰が世話すると思ってんだあのクソ師匠は。そんなんだから国家中枢機関であるはずの場所が影の噂で「狂気博覧会会場」とか言われたりするんだぞ。
中にはまともなのもあるが、九割が狂人の沙汰。だが、大魔導師曰く「完成された芸術ほど狂気に満ちたものはない」とのこと。流石、狂気の当事者は言うことが違う。絶対口にしたら半殺しにされるが。
エヌラスとこころ、香澄の三人が物珍しく映るのか他の利用客も盗み見てくる。その視線を感じながらも無視していたが、声を掛けられた。現地の言葉が分かるのはエヌラスだけなので通訳も兼ねる。
どちらから、という質問に日本から、と答えた。
芸術に興味が?という問いには、職業柄、とだけ。
「どういったご関係で?」
「教師と生徒です。社会勉強の一環で、小旅行を」
「まぁ、それは素敵ですね。担当される科目の方は?」
「あー……」
霊能学、と正直に答えるべきか。だが馴染みのないものだろう。となれば──。
「工芸美術を少々」
「なるほど。この彫刻を見て、なにか感じたものはありますか? よろしければ、少々お聞かせいただければと」
「そうですね。浅学ながら、雑感を述べるとしたら──」
見たままに、造形美を讃える。それにしきりに頷きながらスーツを着こなした男性は相槌を打っていた。「なるほど」や「おぉ……」といった感心した声を加えて。
人形工学とは人体理解に他ならない。一から設計した人間の模倣体を如何にして稼働させるか。筋肉から骨格、内部機構に至るまで全て手掛ける。最高傑作を世に二体も作り出したのだからもう“アレ以上”は作る気にはならなかった。その観点からいっても、この彫刻は称賛に値する。
一点を除いて。
「人体の肉体美、筋肉の躍動感は確かに、称賛の一言。これほどの芸術はそうお目に掛かれない。これほどの芸術家が生み出された時代に生きたかったものです──が、ひとつ不満が」
「ほほう、それは?」
「これが神を模したものであること」
「そこになにか、不満があると」
「ええ、まぁ……つまらないことですが」
神というものは、非の打ち所のない美しさでなければならない。その表現が、エヌラスには到底理解できなかった。人間が理解できる感性で完成された美貌であるならば、それは神という構造上の欠陥品に他ならない。
「
「それが芸術というものでは?」
「確かに。それが人体であるならば、想像上である限りは何も問題にはならない。だが、これはあくまでも想像上の神を模した彫刻。ならこれは、人間の芸術的観点“のみで”完成された芸術」
美貌で人を惑わす神ならば、その精神は常人には到底理解されるはずもない。
人の眼で捉えることが出来る美貌ならば、その真実は醜く、直視することすら憚られるほどのおぞましい物体であるべきだ。神というのは生き物ではない。システムを構成する部品なのだから。
エヌラスの言葉に、顎に手を当てて深く唸る男性は考え込む素振りを見せながら顔を見つめる。
「──つまり、この芸術は人間にとって完成されたものであり、神々を表現するには足りていないと。貴方はそう仰るわけですね。まるでその眼で神を見てきたかのような口ぶりで」
「実際、目の当たりにするべきではない。人間の脳で理解できるものは、人間の限界以上は存在しないのですから」
「面白い御方だ。よろしければ、お名前をお尋ねしても?」
「いえ、名乗るほどではありません。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「いやいやこちらこそ。短いながらも、実に有意義な“講義”でした」
嫌味のつもりか。エヌラスは胸中で舌打ちしながら、会釈して二人を連れて他のフロアに向けて歩き出した。此処はもういいだろう。
芸術に関与する連中はどいつもこいつも七面倒臭い感性と性格をしていることを思い出しつつ。だから自分は好んで近づこうとは思わなかった。
「エヌラスさん。さっきの人と何を話してたんですか? 何語を話してるか全く分からなかったんですけど」
「とても真剣な顔をしていたけれど、どんなお話だったのかしら」
「大したことは。ただ単に、展示されてる彫刻の感想を求められただけだ」
しかし、それでも。芸術への閃きは、他者の感性によって刺激されるものだ。
神は人間の形である必要はない。それが人の姿をしているのは、人がそう望んでいるだけのことであり、実物がそうであるとは限らないのだから。
スーツ姿の男性は、去っていく三人の背中を見送ってから今一度、彫刻を見上げる。
──そうであってほしいと願うことを、人は“希望”と言う。彼にはその感性が欠落しているのだろう。そうでなければ、神々に対して深い絶望を抱いているかのどちらかだ。芸術への観点は確かに、とも思わせる説得力があった。
真の芸術とは、人間に理解されないものであるべきだということか。ならば、それを理解しえる者は、人に非ざるものということに他ならない。その一端を口にした彼は、果たして。
「──旦那様。そろそろお時間です」
「うむ、今行く」
「……先程の方は?」
「まるで神を見てきたかのような口ぶりで、思わず聞き入ってしまった。美術教師らしいが、実に良い時間だった」
「……あの方が連れていたのは、ミスター弦巻の令嬢では?」
「そうだったかな? 流石は名を馳せる資産家、連れている講師の質が実に高い」
それこそ、人並み外れていると言っても過言ではないほどに。