【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第八六幕 深海の落し子──スポーン・オブ・ディープス

 

 ──輸送船団が港に到着すると、積荷を運び出す。

 政治家やセレブなどが来訪しているだけあって、集積所ではこれまで見ないような美術品などが置かれていた。石膏像や、絵画など。歴史的にも重要な文化品。

 陸からも集められているが、海運業が盛んなだけに船に積み込まれていることが多い。

 漁を終えた漁船も港へ戻ってきていた。だが、何かいつもと様子が違っている。

 網に見慣れないものが掛かっていた。魚に混じって、何か金属質のものが揚がった。

 それは、異彩を放つ珊瑚に似た何か。異様な魅力を放つそれを、漁師達は不気味がった。しかし捨てようとも思えず、ひとまずは博物館などに寄贈しようという形で話がまとまる。

 すぐに普段どおりの仕事に戻るが、魚の仕分け作業を始めていた一人が違和感に気づいた。

 魚の質が違う。まるで深海魚のような不気味な種類も混じっていた。この地域では見かけられないものが、あちこちに見える。陸に揚げられて息も絶え絶えに呼吸している魚が異様な不気味さを放つ。

 風光明媚なエーゲ海には似つかわしくない深海から這い出てきたような魚を掴み、漁師がバケツにまとめる。後で捨てておこうとしていたが、好奇心から顎を観察した。生え揃った小さな牙、見開かれた瞳孔。酸素を求めて動くエラ。光を反射して輝く鱗に、膨らんだ腹。顔に指を近づけると噛みつこうとしてくる獰猛さ。まるで餓えたピラニアだ。

 気味が悪い、と言いながらバケツに投げる。

 一通りバケツにまとめてから、各々の作業に戻った。

 手の空いた漁師が一人、網に掛かっていた珊瑚を眺める。

 見れば、何かの拍子にでも割れたのか欠けていた。その断面の色彩は虹色に輝き、陽の光を受けては心を掴んで離さない。思わず声が漏れていた。

 断面の輝きを見つめているうちに、徐々に惹き込まれていく。

 ──男が魅入られている背後、深海魚にも似た魚たちが共食いを始めていた。

 血飛沫と悲鳴が広がるのに、それほどの時間は要さなかった。既に、混沌は始まっている。

 

 

 

 リゾートホテルの一室。路上ライブを終えてから戻ったエヌラスは部屋に籠もっていた。

 銃の整備点検。刀の手入れ。

 赤塗の鞘に収められていた太刀を取り出して、刃紋を見つめてから刀身を磨く。

 和泉守兼定。唯一、現在も所在不明となっている刀剣の一振り。

 手にしているだけでも伝わってくるのは、これが人ではない物を斬り過ぎたこと。魔剣、妖剣の類となってしまった。生半可な術式ならただ触れるだけで断ち切ってしまう。

 美しい刃紋の流れに、手に馴染む拵え。無心で、ただ刃を研ぐ。

 これは、人の手で造られた、人の時代を駆け抜けたものだ。間違っても、自分が相手にしている怪異や邪神を相手に振るうべきではない。

 納刀して、エヌラスは一度だけ鯉口を鳴らして収めた。ぱちん、と。

 ハンティングホラーの影の中に収納すると、エヌラスは他の武器の手入れも始める。次から次へと出てくる銃火器は、長らく使っていないものもあった。

 ドアがノックされる音に、すぐソファーから立ち上がる。

 廊下に立っていたのは、黒服だった。顔を見るなり、会釈する。

 

「夜分遅く失礼致します、エヌラス様」

「なにか用か?」

「はい。そろそろお夕飯の時間にございます」

「それはホテルマンの仕事だろ?」

「こころ様達も、正装に着替えております。後はエヌラス様の到着を首を長くしてお待ちです」

「あーはいはい──ん? 達?」

 まさか、全員分の衣装を用意したのか?

 エヌラスの訝しむ視線に、黒服は静かに、深く頷いていた。

 

「……それは、まぁ、楽しみだな」

 部屋から出る気などなかったのでラフな格好で過ごしていたが、そういう話ならばこちらも相応の格好と相応の態度で場に出なければならない。黒服達が正装を用意してくれたことだ、ありがたく活用させてもらおう。

 

 

 

 ──着慣れないドレスに袖を通して、香澄達は落ち着かない様子だった。場の華やかさもさることながら、普段は画面の向こう側で見るような綺羅びやかな舞踏会。まるでシンデレラのような心地で会場を見渡していた。誰も彼もが背広やスーツにドレスを着こなしている。セレブの社交界をまるで別世界のように見つめながら、それでも出されている豪華な食事に恐る恐る手を伸ばしていた。ビュッフェスタイルとはいえ、それでも大人の世界の空気に気圧されて味がよくわからない。美味しいのだけれども、食べ慣れない高級感に戸惑っていた。

 こころとはぐみ、薫に加えて香澄は素直に料理を楽しんでいる。その快活さを微笑ましく眺めている大人達に混じって、黒服もひっそりと片隅から見守っていた。

 

「エヌラスさん、おそいねー」

「着替えるのに手間取ってるのかしら?」

「寝てたりして」

 美咲が冗談のつもりで言うものの緊張しているのか、手にしたカップケーキには手をつけていないまま。

 しかし、会場の扉が開けられると革靴を鳴らしながら毅然と歩む一人の男性がまっすぐにこころ達のもとへ向かってくる。

 髪を後ろに流し、目元はサングラスで隠しているが左目の刀傷で一目瞭然。用意されたスーツを着こなして、ネクタイを締めたエヌラスが全員の前で腰に手を当てていた。

 

「悪い、ちょっと野暮用で遅れた」

「…………」

「……俺の正装姿を見て第一印象がマフィアとか思ったやつ、そのまま黙ってろ」

 すいません、全員そう思ってました(こころ除く)。美咲は一瞬殺し屋かと思って取皿を落としそうになったが、正体が判明したことで胸を撫で下ろす。

 屋内でも目元を隠しているのは、自分が社交界の場において一歩身を引いた存在であることの証明。黒服達と同様に、自分もボディーガードを兼任している教師だ。

 エヌラスはドレスで着飾った香澄達をぐるりと見渡す。色合いの違うチューブトップドレスに、それぞれアクセントとして小物を着けていた。薄い化性もしている。

 

「うん、いいじゃないか。よく似合ってる。まぁこれだけ上流階級の多い会場だ、萎縮するのもわかるが折角の機会。しっかり楽しめよ」

「すごい、先生みたい……」

「エヌラスさんはこういう場所、慣れてるんですか?」

「まぁな。師匠にクソほど連れ回されたし。あとおたえ。一応、先生だ」

 念の為。忘れがちではあるが、大魔導師は仮にも国王である。当然、その弟子であるエヌラスも相応のマナー他を叩き込まれた。当人はそういった場所に滅多に姿を見せないが。

 ガチガチに緊張している有咲は借りてきた猫のように縮こまってサラダを頬張っている。

 

「どうした、有咲? 具合でも悪いのか?」

「い、いや……そういうわけじゃね……じゃないですけど……」

「自分達が場に相応しくない、と思っているなら尚更胸を張ったほうがいいぞ。挙動不審が一番怪しまれるんだから。堂々と「はい、わかりません!」って態度の方が向こうも相手しやすいし」

「……なんか、見覚えのあるすごい人達の顔ぶれが並んでるから、緊張して」

「そうなのか?」

「私が調べただけでも、この国の大臣とか……」

 下調べしてたのか。実はお前楽しみにしてたな、今回の旅行。エヌラスは口にはしなかったが、シャンパンを手にして談笑している壮年の男性一団をサングラスの奥から覗いていた。

 

「あの辺か」

「一発で見抜くとかどうなってんだ……」

「身なりを見れば大体分かる。特に政治関係者は」

 年齢と服装と、あとは振る舞い。界隈独特の空気感、とでも言うべきか。会話の内容を聞けば一発なのだが、少々遠い。身に着けている金品の質と量を見ればどれほどの財力があるのかも把握できる。

 エヌラスが片手を挙げて、近くを通ったボーイを呼び止めるとトレイに載せられていたシャンパングラスを手にして、掲げて感謝の意思を示した。会釈して、互いに言葉もなく別れる。

 

「マナーというのは、共通してその場に応じた適切な振る舞いと態度。雰囲気。空気感。それらを理解している者同士のコミュニケーションが生み出す場の調和。場違い、というのは自分達が適切な礼節を知らないことの自覚だ──というのが、俺の師匠の話」

「…………すごい、先生みたい」

「俺、仮にも教師だからな今……やめろよ。そもそも教育者なんてガラじゃないんだから。まーとにかく言いたいことは一つ。いつもどおり、楽しめ。以上」

 周囲に迷惑を掛けた時は、自分がフォローなりカバーなりすればいいだけの話。若いうちから失敗して学ぶものだ。

 

「なんか、エヌラスさん。ハナジョで教師やってていい人じゃない気がするんですけど」

「沙綾。そもそも俺が教師をやる羽目になったのはこころのご厚意からだからな?」

 あと教師たちの陰謀と策略。ぜってぇ許さねぇからな。

 ワンピースタイプの赤い華やかなドレスを着ているこころは慣れているのか、いつもと変わらない笑顔を見せていた。

 

「ああ、失礼。よろしいですかな、ミスター?」

 背後から声を掛けられて、エヌラスが振り返る。にこやかな笑顔と共に手を差し出していたのは夕方に顔を合わせた紳士だった。白手袋越しに握手を交わすと、エヌラスも愛想笑いを浮かべる。

 

「どうも。先刻はお世話になりました」

「いえいえとんでもない。こちらこそ。見たところ、ミスター弦巻のご令嬢と、そのご友人達のようだ。教師、というのは大変ですな」

「不慣れな環境ではありますが、楽しく勤しんでいますよ。日々新鮮な空気で」

「スーツもお似合いだ」

「そちらこそ。特にネクタイ、かなり入れ込んでいるようで」

 男性が破顔する。ピンも特注品のようだ。それに比べてエヌラスは金品の類は一切身につけていない。せいぜいがネクタイピン程度。ベルトもスーツの付属品だ。腕時計もしていなければ、これといって目立たない。

 

「本業の方は? ただの教師というわけではないでしょう」

「あー、工芸美術教師ではありますが、多岐に渡るものでして……」

「ほう。なるほどなるほど。では、ご自身が特にこれ、というものを」

「強いて挙げるとするなら……人形工学、ですかね」

「人工学ではなく、人形工学。聞いたことがない分野だ」

「差はありませんよ」

 一時期、特に注力していた。大魔導師から出された課題の中に、自分で学問を選ぶように言われた際に、国産品でもあるドールについて専門的に学んだ。他にもそれらが人体の理解を深めるために最も効率的であると考えたからだ。

 

「人間にとって最も効率的な動作や環境といった物を、人形に置き換えたものになるので」

 小さく唸りながら、顎に手を添える老紳士。興味をそそられたのか、静かに先を促していた。

 

「人体の模倣である人形のデザインを、最も理想的な形に落とし込む。人体の黄金比率と、それに準じた適切な環境と機能を備える。ただ人間との相違点はひとつ、内面的なものになりますが」

「……いわゆる、精神や魂といった?」

「その通り。そこで永遠の課題がひとつ。人形の魂の所在」

「フランケンシュタインのような命題ですな。当然ご存知かと」

 誰それ? というエヌラスの困った視線を向けられた香澄達だが、残念なことに知る者はその場に誰もいなかった。燐子辺りなら知っているかもしれない。

 

「……理想の人間の創造から生み出された怪物の話です。もしやご存知ではない?」

「お恥ずかしながら。しかし、理想の人間。その創造であるなら、そもそも人間である必要性がない。なぜなら人の身体は劣化するものだ。それならばいっそ機械仕掛けであることに差はない」

「はは、まさに。その学問に興味が湧いてまいりました。よろしければあちらでお聞かせいただいてもよろしいですかな?」

「自分もその分野から離れて久しいものですが、それでよければ。ああ、ただ彼女たちの傍を離れるのは少々不安がありますね。可能であれば、目に付く場所が望ましいのですが」

「勿論ですとも。おい」

 老紳士が片手を挙げて、ボディーガードを呼び出す。小さく言葉を交わすと、護衛の者達が数名追加でこころ達の周囲に配置された。エヌラスはその場を離れる前に香澄達の前に歩み寄る。

 

「それじゃ、俺は少しあのおじさんと話してくるから離れるぞ」

「何語喋ってるのか全ッ然わからないんですけど」

「心配すんな。()()()()()()()

 耳を疑う“日本語”を聞いて、絶句している香澄達を尻目にエヌラスは老紳士と“ギリシャ語”で話しながら離れていった。それでも、会話の内容が聞き取れない程度の距離だ。必ず全員を視界に捉えられるようにしている。

 何度か言葉を交わしているうちに、老紳士の知り合いと思わしき人物達とも挨拶をしていた。一人、二人と紹介されながらエヌラスは握手を交わしている。上流階級の行き交う社交界の場において他と遜色ないほどに馴染んでいる姿に、ますます疑問が湧いていた。

 あの人、本当に何者なんだろうか? ──香澄達にとっては、ちょっと不思議な手品師の先生。そのはずだったが、こうして自分達との育ちの違いを見せつけられてしまうと、少々気後れしてしまう。

 

「いやマジであの人、うちで教師やってていい人じゃねぇだろ……」

「すごいね。すっかり場に馴染んでる」

「なんだか楽しそうにしてるし」

 他と同じようにコミュニティを独自に形成して会話を弾ませていた。手にしたグラスを空にしてボーイに渡すと、代わりのものに手を伸ばすが──。

 不意に、エヌラスが視線を外した。あらぬ方向を見ている。

 鼻につく香水やフレグランスではなく。それは魔術的な感性が捉えた違和感のようなもの。外の気配は、自分にとって居心地の良い慣れた空気が流れてきていた。

 それは、例えば──故郷のような。怪異が我が物顔で跋扈する異常地帯によく似た空気にエヌラスも思わず剣呑な空気をかもしだすが、目の前のボーイが冷や汗をかいて固唾を飲み込んでいる。

 

「あの、お客様……?」

「────ああ、失礼。いただきます」

 シャンパンを手にして、すぐに離れた。

 邪神であるならば即座に反応できる。だが、この地域を包み込もうとしている瘴気の正体は、いったい。

 果たして、今。このホテルの外で何が起きているのか。

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