【完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第九十幕 こころお嬢様の仰せのままに

 猛豪雨の中、視界の確保もままならない外の状況。まだ昼前だというのに、まるで夜のように暗い。ポツポツと灯りを点けて家屋に籠もる人々を見て、現状それが最善策であることに違いはなかった。車も流されそうな雨の勢いだ、特に海岸沿いの街並みは道が曲がりくねっており、道路の幅も決して広くはない。

 ホテルへ戻り、エヌラスはリムフレームを再度叩く。頬のラインに沿って展開されていた薄い膜上のマスクが格納される。

 

(俺が倒したのは二体か……幼体と、成体。親子か血縁関係だったんだろうな)

 眷属というのは必ずしも一匹とは限らない。複数存在することも考えられる。

 不意に、足元に視線を落とす。不自然に濡れたフロントに、びしょ濡れのカーペット。外から慌ててホテルに戻ってきた人間の跡にしては大きすぎる。

 濡れた足跡。靴の形ではなく、獣の足跡。手と比べてもあまりに大きすぎた。

 ホテルに響く悲鳴に、エヌラスが再び拡張補助脳を起動させて駆け出す。

 

 

 

 絶好の餌場のようなものだ。食堂に集まっていたセレブ達が避難しようとしている中、ボディーガード達が身を挺している。だが相手は異様に過ぎる異形だ。一人が横殴りのバックナックルで壁に叩きつけられて気絶した。

 獲物を品定めでもしているか、身をすくめて怯える人間に向かって一歩、また一歩と大股で歩み寄っている。

 その中には、ポピパもハロハピも揃っていた。黒服達はこの場からすぐにでもこころを担いで逃げ出す算段をつけていたが、懐に伸ばした手を止める。

 怪物の背後──食堂の入り口に現れた人影から放たれる殺気を感知したのか怪物が振り返りざまに拳を振るう。だが、その股下を滑り込んで抜けたエヌラスがコートの裾を翻しながら睨みつけていた。

 被害はまだ軽微。ボディーガードが二名、壁で気絶しているくらいだ。犠牲者は出ていない。

 

「フロントから堂々と侵入とは、随分とまぁ行儀がいい化物だ」

『──!』

「ぶち殺すことに変わりねぇけどな」

 身体能力は人間とは比べ物にならない。それこそ熊のようなものだ。

 水辺ならまだしも、室内戦闘。敵ではない。

 大振りの一撃を、その前動作から封殺する。顔面に向けた手刀で目を潰し、脇腹の呼吸器官に掌底を打ち込む。肺を直接叩かれた激痛に口から緑色の腐臭混じりの血液を吐き出しながら深海の落とし子の幼体が悶絶した。

 銀鍵守護器官で身体強化を重ねて、右腕で膝を叩き折る。崩れ落ちる身体、腕をひねり上げてへし折り、首を脚で押さえ込む。懐からレイジング・ブルマキシカスタムを取り出して弾倉確認。

 全弾装填されていることをチェックしてから、エヌラスは頭部に狙いを定めて引き金を引く。砲声にも似た銃声が響き渡り、五十口径の鉛玉が頭部を吹き飛ばした。

 格好の獲物を見つけて辿り着くこともなかったのが惜しいのか、震える腕を伸ばす。だがエヌラスは容赦なくその腕を踏みつけて背中から降りた。身体が淡く解けて緑色の霧状となって消滅する姿を背後に、マスクを解除する。

 

「死人は」

「……あ、いえ。負傷者が二名ほど」

「そこの二人以外全員無事か。ならよかった。このホテルの開いている窓は全部閉めろ。それと正面玄関も封鎖しておけ。そうでもなけりゃ此処に同じようなのがまた転がり込んでくるぞ」

 倒れている二人に気付けを行い、意識を取り戻させるとエヌラスは半ばパニック状態に陥っていた場が静まるのを待った。

 倒れたテーブルに、料理が散乱している。深海の落とし子がひっくり返したのだろう、罰当たりなやつめ。とはいえ相手は常識も倫理も通用しない化物、当然の振る舞いか。

 取皿を手にして、料理を分けるとエヌラスは昼食を摂り始めた。唖然として言葉を失っている香澄達をよそに、まるで先程の化物が日常茶飯事であるかのような振る舞いを見て、ようやく思い出した──そういえばこの人、本職がオカルトハンターだった、と。

 

「あ、あのー。エヌラスさん……?」

「んー? なんだ、美咲」

「さっきの、何だったんですか?」

「化物。見れば分かるだろ」

「いやそれはそうなんですけど!? もうちょっと具体的な話を」

「したところで理解されるとは欠片も思っていないので省略」

「え~と、じゃあせめて何が起きているのかだけ」

「人知の理解の範疇を超えた災害が現在到来中、以上だ。さっきのはその副産物」

 事細かく説明していたら一晩中話しても足りない。前情報無しで現地にぶち込まれた自分よりマシだ。主に寂れた漁村の新興宗教団体。ぜってぇゆるさねぇからなクソ師匠。エヌラスは師に対する怒りを再認識しながらピラフを頬張る。

 のんきに食事をしているエヌラスに緊張感がほぐされたのか、香澄達も恐る恐るといった様子で声をかけてきた。

 

「エヌラス先生」

「もぐふご?」

「いや、口に物入れて喋られても……」

「さっきの、すごかったですね」

「伊達に鍛えてないからな。あの程度なら百匹来ても余裕だ」

「すごい。エヌラスさんがいたら怪物百人力だ」

「とにかく。今出来る自衛策は、このホテルから一歩も出ないこと。窓を全部閉め切って立てこもるくらいだ。そうすればアイツらは無人の建造物として認識する。餌のない場所に近づく馬鹿はいない」

 その場合、餌が何を指し示しているのか。人間に他ならない。

 しかしそれでは問題の根本的な解決には至らない。この災害を引き起こした元凶が何処かにあるはずだが──そこで、不意にエヌラスが眉をひそめる。

 眷属である魔人が三匹。たったそれだけでこれほどの災害が引き起こせるものなのか。何か違和感のようなものを覚える。手応えの無さもそうだが、何かが妙だ。

 

「…………」

 たった三匹程度で揺るがない災害なのだとしたら──。三桁か、四桁。その程度の数は覚悟しておくべきか。

 当たり障りのないポテトサラダやスープを口にして、エヌラスは早めの昼食を終える。

 

「き、君は一体何者なんだ……?」

「何者かと聞かれたら、ご覧の通りただの魔術師ですが」

「魔術、師……? 手品師ではないのか」

「人命消失マジックがお望みなら秒で披露できますが?」

 命の危機に、声を掛けた老紳士が押し黙った。テーブルに無造作に置かれた銃も、人間が扱うことを想定しないような過剰な改造を重ねられている。

 

(この天気が続けば、相手の力が増す一方か。早急に事態を解決するにゃ……雨雲でもぶち抜くか? そうでもなけりゃ、海面蒸発でもさせるのが手っ取り早いが。それで仕留めきれなかった場合は考えたくもないな)

 放置しておけば、こちらが不利になる一方だ。相手が動き出したということは下準備が済んだからだろう。

 どれほど数が増えたのかは計算に考慮しない。目につく魔人は皆殺しだ。

 

 怪我が痛むのか、うめくボディーガードの姿を見ていたこころがエヌラスに向き直る。

 

「ねぇ、エヌラス」

「なんだ?」

「さっきみたいに大きいの、たくさんいるのかしら?」

「多分な。それがどうした」

「あんな風に、誰かを傷つけたりするのはどうして?」

「……そうだな。あいつ等は野放しの獣みたいなものだ。絶対に人に懐かないし、人を食べ物だと思っている。だから襲われたらひとたまりもない」

「食べられちゃうの?」

「ああ。生きたままな」

「…………」

 その言葉にこころは驚いていたが、なにかを考えていた。

 

「きっと、外の人達も困ってるわ。エヌラスなら助けられるわよね」

「──は?」

 そんなことを言われるとは微塵も思っていなかったエヌラスが間の抜けた声を出す。困っている人がいるから、助ける。弦巻こころにとって、それは当たり前で、当然の人助けだ。エヌラスにとっては、それはあまりに非合理的にすぎる人命救助。理解も共感もできない。

 

「どうなの?」

「どうって……そりゃ、まぁ。できなくはないが」

 襲われる前に助け出す、それなら出来なくはない。だが、そんなことをしたところで何も変わりはしない。何人が助かり、何人が死んでもこの災害規模には関係がない話だ。

 

「……具体的に。助けるってどうすりゃいいんだよ」

「このホテルなら安全なのよね。なら、ここに連れてきたらいいんじゃないかしら!」

「連れてくるにも限界があるだろう。助けられなかった場合は」

「エヌラスならきっとできるわ、信じてるもの」

 なにひとつ、根拠なんて無いのだろう。ただ純粋に願って、信じている。それだけだ。

 そんなこと出来るはずがないと、エヌラスは自分のことを誰よりも知っている。それは、諦めであるというよりも、決して覆しようのない呪いだ。手を伸ばせば、必ず壊れると知っている。

 それなのに。

 そのはずなのに。

 弦巻こころは、心底明るい笑顔を向けていた。

 その顔が。その笑顔が。何よりも、誰にも触れられない心の傷跡をえぐる。

 あまりに似過ぎていた。

 何も知らず、何も考えず、何よりも愛して。自分が最初で最後に手にした恋人に。

 

 顔を背けて。目を逸らして。深く息を吐き出す。

 

「…………」

 それは、出来ない。それだけは出来ない。誰かを助けることなど、自分にはできやしない。

 何かを守りながらなんて戦えない。それはいつからだろう。恐らく、妹を殺された日から。

 恋人をこの手で殺したその日からか。

 

「こころ」

「?」

「出来る限りのことはする。だが、ひとつだけ約束してくれ。香澄達も」

 指を立てて、こころの鼻先に突きつける。

 

「例え、何があっても。必ず今日のライブは成功させろ」

「ライブって……」

「元々やる予定だっただろうが。忘れたとは言わせねぇぞ」

「……あの、エヌラスさん。なんか、口調が」

「あ? 俺の口のきき方がなんだって? なりふりかまっていられっか面倒くせぇ!」

 粗暴で野蛮で、暴力的でぶっきらぼう。先生、という立場からベールを脱いだエヌラスの本性はこれだ。

 

「お、おい。君がいなくなったら誰が私達を」

 詰め寄ろうとする老紳士の顔面に裏拳が叩き込まれ、回転してよろけると床に尻もちをつく。それには流石に場が青ざめた。

 

「俺にぶっ殺されるか化物に殺されるか好きな方を選べ! 死にたきゃ望み通りにしてやる!」

 震脚から、エヌラスの全身が帯電する。駆け巡る紫電を見て、すっかり怯えきった様子で相手が後ずさる。正直、生きた心地などしないだろう。

 

「これから街に出て片っ端から皆殺しにしてくる。その方が早い」

「あの、私達はどうすれば……」

「化物が来ない限りは大人しくホテルに留まってろ。万が一化物が来た場合はハンティングホラーを置いていくから、名前を呼べば助けてくれる」

 あの程度の魔人ならば、すぐに片付けてくれるはずだ。口腔から白い吐息をこぼしながら、エヌラスは帯電状態で食堂を後にする。

 

 

 

「十時間以内に外で見かけた連中は皆殺しだ。ホテルの結界は任せたぞ、ハンティングホラー」

 肩を回して独り言のように呟きながら、正面から外に出ると雨が多少弱まったようだ。それでも視界不良と身体の熱を奪うような冷たさは変わらない。

 早速一匹が駐車場を徘徊していた。しかし、エヌラスの顔を見るなり口を開けて吼える。

 それはまるで、クジラのような悲しい鳴き声だった。どこまでも、どこまでも響くような鳴き声の直後、頭部を撃ち抜かれて即死する。

 

 雨音にまじり、足音が迫っていた。水飛沫をかき分ける音も混じっている。

 一匹、二匹と車の上に飛び降りて着地した。だがそれだけに留まらない。

 三、四、五──まだ増える。

 数にして、十五匹がホテルの前に集合していた。しかしそれだけではない。探知できない、数え切れない程の数が捕捉される。

 一匹一匹は確かに、大したことではないかもしれない。だがそれも数が増えれば増えるほどに脅威も増していく。

 総数、五桁ないし六桁。海にまで伸びた黒く蠢く魔人の影にエヌラスは呆れたため息をマスクの奥でついていた。

 木を隠すなら森の中とはよくいったもので。ここに来て、数で押してくるとは思わなかった。

 まるで深海魔界の軍勢だ。それをたった一人で相手にしながら人命救助? 無理にも程がある。

 これならば島ごと消滅させたほうが幾らかマシだ。

 それでも。やれと言われたら、やるしかない。

 

「……やっぱ俺、先生向いてねぇわ」

 自嘲気味に笑いながら、エヌラスは深海の落とし子の軍勢に向けて歩みだす。

 これより先、ただの一匹も逃しはしない。邪神は皆殺しだ。魔人も、皆殺しだ。そこにただの一匹も例外はなく、己ですらも。


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