外の凄惨な有様は、誰が行ったものなのかは明白。そして、地上から空へ駆け上がる雷光も。それをガラス窓から眺めながら香澄達も驚いていた。
群れでなだれ込んでいた魔人達は跡形もなくなっている。
「き、君たちの教師は一体何者なんだね?」
思わず訪ねてくる紳士に対して、黒服が通訳するとこころが満面の笑顔で答えた。
「ここにいるみーんなを守ってくれる、オカルトハンターよ!」
その言葉を一切包み隠さずに口頭で黒服が伝えると、ぽかんと口を開けたまま紳士は唸る。本気で言っているのか、とでも言いたそうにしているが先程の流れを見るに、事実だ。
外の雷鳴が鳴り止む。それからしばらく雨粒が窓ガラスを叩く音だけが室内に反響していた。
廊下から、何かが近づいてくる。床をなにか金属で擦りながら歩いていた。
「な、なんの音?」
「なにか引きずっている音、だよね……?」
「なんだろう、バットとかかな? ホラー映画だとよくあるんだけど」
「りみりん、怖いこと言わないでー!」
「ご、ごめんね。香澄ちゃん、でもさっきのモンスターはそういうの持たないと思うんだ」
「じゃあ、もしかしてエヌラスさん?」
「だといいね」
ボディーガード達も不審者に対して警戒しつつ、黒服も全員をかばう形で前に出ている。
ホテルの利用客が一挙に集まっている食堂の扉がノックされた。それは明らかに化物ではなく、知性のある人間の挙動。
外から男性の声が聞こえてくる。開けてくれ、と。それに香澄達の顔色が明るくなった。他ならぬエヌラスの声だったからだ。
扉に駆け寄って開けると、そこで再び固まる。
ずぶ濡れの血まみれだった。髪は濡れて顔に張り付き、頬や口元が赤く染まっている。血の滲んだシャツは目も当てられない。
手にしていた凶器は、長柄の斧。ハルバードの柄頭は鎌になっていた。赤いカラーリングのそれを引きずりながら、エヌラスは折れた腕や足を再生している。内傷も食らっているのか、歩き方がたどたどしい。拡張補助脳眼鏡もレンズが割れていた。
マスクを解除して、眼鏡を外してテーブルに置くと深く息を吐きだして椅子に体重を預ける。その手からハルバードが落ちた。まもなく、ハンティングホラーが回収する。
「だ……だいじょうぶ、ですか?」
「大丈夫に見えるならメガネかけろ。多分似合う」
気遣う沙綾にぶっきらぼうな返答をしながら、休憩開始。もちろん、体の再生は最優先だ。それと体内の過剰な魔力汚染も浄化しながら。
「しくじって、このザマだ。一度態勢直すのに戻ってきたが、こっちは大丈夫か?」
「は、はい。エヌラスさんが出ていってから、特に何も……」
「それよりも、怪我が酷い。早く手当を……」
「放っておきゃ治る、心配すんな薫」
ふぅー、と天井を仰ぎながら息を吐くその体から湯気が漂っていた。身体再生に伴う代謝の発熱作用だ。耳を澄ませると、体組織の修復される音が聞こえてくる。あまり耳に心地よいものではなかったので聞かなかったことにした。
ずぶ濡れのエヌラスにタオルをかぶせて、はぐみがわしゃわしゃと頭を拭き始める。
「ふがもごふごみー」
「はいっ、きれーになったよエヌラスさん!」
「ぷはっ! あー、そりゃどうも。お礼に頭撫で回してやろうかはぐみこんにゃろう」
やり返してやろうかと思ったが自分の両手が血まみれなことに気づいてエヌラスは辞めた。特に右手は火傷もひどい。暴発したブロックメーカーの破片も刺さっていたことにそこで気づいた。痛覚も感覚も鈍いとこういったことが多々ある。
「あ、あの……エヌラスさん。しくじった、って言ってましたけど……?」
「想像以上に敵の数と規模が多かった。在庫処分してたが、とても間に合わねぇ。それでも四桁くらいは消し飛ばしたはずだが」
「街の人たちは?」
「俺が暴れてたせいで避難所に駆け込んでる」
「化物よりおっかねぇじゃねぇか……」
その避難所も結界を仕込んだことにより、なんとか深海の落とし子の目を眩ませていた。それでも強度は最低限。なにかの拍子に解除されてしまえばあっという間に襲われるだろう。
だが、今のところ犠牲者は最初に襲われた家族くらいだ。小休止がてら、相手の生態に考えを巡らせる。幼体と成体の二種類がいることまではいい。だがそこまでの繁殖が可能なのだろうか。それもここまでの数。減らしたと言っても一割にも満たない。
「…………」
眷属が生み出される条件はいくつかある。最も代表的なものは、邪神が増やすこと。もしくは感染することだ。これほど爆発的な増殖をするということは、後者だ。それでもこの数はあまりに異常事態だが……何か奇妙な点がある。エヌラスはそこが引っかかっていた。
「……行方不明の船乗り、全部で何人だ」
「今朝の警察の調べでは三十名前後です」
「少なすぎる。外で相手した化物は少なくとも五桁だ。人間が感染したとしてもだ」
「では……」
「あいつらはまだ増える」
だが、どうやって? 邪神の“色”に感染しているとはいえどうやって増えているのか。増殖を止めるには感染の大本になる物を破壊するか、一匹残らず消滅させるかだ。後者は大前提なので、結局やることは変わらない。
「……魚」
「なんて? おたえ」
「魚っぽかったので、食べられるのかなって思って」
「いやいや、あんなの食べたらお腹壊すでしょ? なに言ってるの」
「その発想には脱帽するよ。常識に囚われない感性は儚いね……」
「…………」
たえの言葉に、エヌラスが黙り込む。冗談が通じないのか、それどころじゃないのか。一見すると不機嫌そうにも見えた。しかし、そうではない。
「それだ、おたえ。でかした」
「え? 食べるんですか?」
「食べねぇよ。そもそも俺魚介類は嫌いじゃないが好きじゃない」
「お肉、美味しいですよね。特にハンバーグ」
「あいつら、魚だ。成長速度が違うわけだ、あの数も納得した」
「? 魚じゃなかったんですか?」
「確かに半人半魚の魔人だ。だが、感染するのが必ずしも人間じゃないってことを忘れてた」
迂闊だった。これでは一から勉強し直せと大図書館に監禁されても文句が言えない。
「魚の繁殖速度。もとい産卵する数を計算に入れてなかった。そりゃおかしいわけだ。人間と違って百や千で増えていくならあの数も納得だ。ふざけんなくそが、災害レベル一気に引き上げる羽目になったわ」
「で、でもそんなに増えるものなんですか……?」
「天敵のいない環境で。産んだ数だけ増える。餌に困らない。一晩で成体に成長する。この要素が全部揃った生物がどんな速度で繁殖すると思う?」
しかも目と鼻の先には住処となる海が広がっている。昨夜から繁殖していたものだと考えても二十時間前後。このまま放置していれば人類の総人口を上回るのに一週間はかからない。
一刻の猶予もなくなった。休憩している場合ではない。
片っ端から取り出していたが、これではとても割に合わない。一方的なジリ貧だ。
血を流し過ぎたせいで魔力の運用にも不調をきたし始めている。誤魔化しきれるだろうか。
もうこうなってしまうと、なりふりかまってもいられない。最大火力で一気に片を付けるのが最善策となる。この国に長居するのも危険だ。
エヌラスが不意に指を伸ばして、顔を覗き込んでいるこころの額に当てる。
「?」
「いいか、よく聞け。こころ、香澄達も。これからお前たちの脳のフィルターを外す」
「フィルター?」
「あー、説明すんの面倒だから一言で言うと、一晩限りだが世界共通で意思疎通が可能になる」
「そんなことできたんですか?」
「ただし、めちゃくちゃ頭疲れるから絶対に八時間以上は睡眠推奨」
トン、と。こころの額を押す。同様に香澄達にも。額から脳に魔術で干渉することで言語のフィルターを取り払う。それに驚いていたが、相手も大いに驚いていた。
「本当だ。何話してるか、よくわかる」
「でも、なんでこんなこと……?」
「合宿の名目でこの旅行組んだんだから必要最低限その目的は果たせ。言っただろうが。遊びに来てるが、遊びじゃねぇんだぞ? 本来なら一秒でも早くこの国から抜け出すべきだろうが、それはそれ。お前たちの演奏が終わるまでには片付ける。黒服、飛行機の手配を頼む」
「ですが、この悪天候では」
「晴れりゃいいんだろ。空港で雲ごとぶち抜くから用意だけは済ませとけ」
力技にも程がある。言っていることとやろうとしていることがメチャクチャだ。だけど――そんなエヌラスの言葉に、こころは満面の笑顔で応える。
「ここにいるみんなを笑顔にできるのは、お前らくらいだよ。任せた」
グラスの水を飲み干してから立ち上がったエヌラスの足元からハンティングホラーが顔を覗かせた。主が何を望み、何を成そうとしているのかを汲み取り、それでも正気を疑っている。
「……俺は本気だ。いいから出せ。この国が手遅れになる前に、俺の手で潰してやる」
《――――》
「幸いなことに敵の勢力は海に展開しているんだろう? だったら話は早い。
廊下を歩きながら、独り言のように呟いて。
しかしそれを主に代わって引き留めようとする鋼鉄の魔獣は従うしかなかった。
長い付き合いだ。長い、長い、とても長い間。戦いに付き添ってきた。この人の生涯は血と硝煙と鋼と荒唐無稽な戦場に塗れている。
どんな絶望的な状況でも、必ず覆す。どんな手段を用いてでも、必ず。たとえその結果が、自らの破滅であったとしても。
「……、本当はな。アイツ以外に使いたくねぇんだ」
知っている。ハンティングホラーは知っている。
たった一人。ただ一人の
最強の軍神を完膚なきまでに封殺するためだけに用意した、外道魔剣。あらゆる邪智暴虐の限りを尽くして完成させた呪法兵装。
「ラピッドパンチも高周波ブレードもぶっ壊れたし、他のも大半使い潰して半数も消し飛ばせねぇんだから本当に不甲斐ねぇ話だ」
《――――》
本来なら。香澄達に粘膜接触を促すべきだ。それが最も効率的なはず。それ以上の行為に及べば物の数ではない。だが、意図してエヌラスはそれを避けていた。
ハンティングホラーは知っている。この人は、人間を愛することを恐れているのだと。それほどまでに、奪われた初恋の傷は深い。初めて心から愛した人も、人間の女の子だった。
それを奪った相手は他ならぬ、師匠。戦いに仕向けるために。ただ成すべき矛先を神に向けるためだけに、エヌラスは全てを与えてくれた人に全てを奪われた。
一介の魔獣に過ぎない自分にできることは、主と認めた相手に忠を尽くす事に他ならない。
この人が地獄を駆け抜けるのならば、己が足となろう。どんな地獄からでも、必ず這い上がる。
「……軍事大国攻略決戦呪法兵装『
エヌラスの体を紫電が奔る。
「ハンティングホラー。システムヒュドラ起動」
電脳国家攻略決戦呪法外殻。神をも殺す毒蛇。
この双方を持ってしても、大魔導師は超えられない。だが、師を殺すための鍵はこの身に宿している。掌に収まるほどの、小さな。だが無くてはならない勝利の鍵が。
ホテルから外に出て、空を見上げれば海上には黒雲が厚くなっていた。やはり居場所はそこだ。他にない。このままでは魔人から邪神に成長しかねない勢いだ。
武器庫で決戦兵装が組み上げられている最中、エヌラスの視界に飛び込んできたのは、深海の落とし子の幼体。なにかから逃げているようだったが、それは間もなくして訪れた。
頭上から飛び降りてきた成体と、濡れた地面を滑る二匹に追われていたが、触腕によって足を掴まれて引きずり落とされる。そして、エヌラスの目の前で共食いを始めた。
自分達では敵わない脅威が現れたことによる、食物連鎖の競争。より成長を遂げることによって群れを守るという防衛機能。今頃はそこかしこで幼体成体問わずに共食いを始めているはずだ。数は減るだろうが、個々の強さが段違いになる。
幼体を食い尽くしてからエヌラスに気がついたのか、吠えかかりながら飛びついてくる一匹が頭上から覆う影に動きを止めて、圧殺された。
もう一匹も奇怪な機械の駆動音とともに轢殺される。
その異常事態に。突如出現した瘴気の怪物の咆哮が轟く。それは深海の落とし子の軍勢に向けた宣戦布告だった。
これより先、一匹も逃さない。
背負った笑顔の奏者達には、指一本触れさせない。