――黒服達が空港でジェット機のフライトを予約し、その無茶振りに鼻で笑われながらもなんとか手配を済ませる。荷物もバスに積み込み、演奏が終わり次第すぐにでもホテルを出て空港に向かう下準備をしていた。
外を見れば、大雨も少しずつではあるが弱まってきている。代わりにそこかしこで雷光が冗談のように飛び交っていた。その正体が“天雷”を装備したエヌラスであるとは察している。
車両の通行に問題が無いまで天候が回復してきた――どころか、エーゲ海の分厚い黒雲を切り裂いて晴れ間が覗く。あまりに現実感がなさ過ぎて思わずグラサンがずれた。
ライブも直に終わりを迎える。演奏が終わり次第、すぐにまとめて……荷物をまとめて……、ミッシェルをどうするかまで考えていなかった。箱に詰めるにしても間に合うかどうか。だがやるしかない。
『ハロー、ハッピーワールド』と『Poppin`party』の演奏が終わり、最後に挨拶をしてステージの上から拍手で送られる。それと同時に、エヌラスがハンティングホラーの背中に搭乗したままホテルへ戻ってきた。
背負った大太刀四本。加えて、背面のフーン機関。それを防御するように展開している制御ユニット。手足に直接打ち込まれた鎧の隙間からは血が滲んでいた。頬から口周りを覆うマスクに装着していた魔術薬物も内容物が激減している。八割ほど減っていたボンベを取り外して、エヌラスは新しいボンベを装着しようとしたが、胃からせり上がってくる熱を吐き出した。
おびただしい量の吐血と共に膝から崩れ落ち、咳き込んでいる。
天雷は、手足に装着した鎧から“直接身体に電極を打ち込んで”起動している。常時魔力を最大出力に等しい状態で開放していなければならない。今回は殲滅速度を最優先として“固有時制御・決壊”も併用していたために内傷が凄まじく酷いことになっている。
口腔から吐き出される吐息は、蒸気。体内で過剰燃焼された魔力の残滓であると同時に、沸騰した内臓による急激な体温の上昇だ。骨肉のみならず、魂と精神の焦げ付く臭いは擦り切れた鉄のような悪臭がする。
「エヌラス様、大丈夫ですか!?」
「――――、」
声が、出ない。擦り切れて、潰れた喉から出てくるのは壊れた体細胞の破片。致死量の吐血と出血を繰り返しても、まだエヌラスは地面を殴るように身体を押し上げて立ち上がる。マスクに薬物呼吸器を取り付けて、全身を制御していた。
今立ち止まるわけにはいかない。まだ油断はできないのだから。
魔術回路と神経を繋いで動かしている右腕と、左目だけは痛みが鈍い。
心配して手を差し出してくる黒服達にハンドサインでホテルからの離脱を促す。
エヌラスの背後に控えていた鋼鉄の怪物は、街全体をスキャンして怪異の影を探っていた。
『エイボンの書:機械語翻訳版』によって制御される小型の魔術制御機器『ガルバ』『オトー』『ウィテリウス』でも海洋を監視している。一匹残らず焼滅させたはずだが、それでも瘴気が引き起こす霊障が何も起きないとは限らない。
ひとまず、邪神災害レベルは引き下げることに成功した。
「あの……!」
長髪の黒服の額に指を当てる。声が出ない以上は念話で話すしかない。
――声が出ない。思念で話す。こころ達を連れて、すぐに空港に行け。
「……」
こちらの容態を気遣ってか、なにか言おうとしているのを目で制する。
今、最も優先するべき順番を間違えてはならない。弦巻こころ達を日本まで無事に帰国させることだ。そのためならば、地獄の淵に片足を突っ込んでもいい。どこまで行っても、この地獄に終わりなどないのだから。
――預かる荷物はあるか。こっちで運んでおく。
「……では、ミッシェルをお願いします」
――わかった。急げよ。
『
搭載している魔導書は『金枝篇』『エイボンの書』『水神クタアト』『セラエノ断章』『妖蛆の秘密』の機械語翻訳版。いずれも大魔導師の管理書籍から奪取したものだ。
なんのためにそんなものを死蔵させていたのか解らないし理解が及ばないが、もとより奇人変人狂人の類であるから気にしたことはなかった。
空を飛ぶ小型戦車など悪夢以外の何者でもないし、それは物理法則を完全に無視している。しかしハンティングホラーは重力など意に介さずに空を駆ける。エヌラスを乗せて遠ざかる機影を見送ってから、黒服達は顔を見合わせて頷いた。
「――あら。もうお別れの時間なのね? 仕方ないわ。それじゃあ皆! 世界を笑顔に。ハロー、ハッピーワールド!をこれからもよろしくね! とても楽しかったわ!」
「あ、えっと! 私達『Poppin`Party』もよろしくお願いします!」
「ほら香澄、急いで急いで!」
「わぁあぁ待ってさーやー! 部屋の荷物置きっぱなしだよー!」
「っていうか私達の楽器どうすんだ!?」
「ご安心ください、こちらで無事に送り届けておきます市ヶ谷様! バスにお急ぎください!」
バタバタと、外の大雨悪天候嵐の極みに負けない勢いと騒がしさを引き連れてこころ達はステージ衣装のままにホテルから走り去っていく。その姿を眺めていたセレブ達も恐怖感が薄れていた。不思議なことに、とんと不思議なことだが。
あんな、怪奇現象を目の当たりにして巻き込まれて襲われておきながらも笑顔で演奏をしていた少女たちの健気な姿には、勇気づけられた。自分達以上に怖かったに違いない。
きっと良い教師に恵まれたのだろう。あの“先生”とやらも、よほど信頼されているようだ。
「いやはや、まったく。本当に――日本の少女達にはつくづく驚かされる」
腰を抜かすかと思っていた自分達が情けない。この国を襲った災害も、なんとかなるだろう。
神話の英雄などではないが、それでも現代を生きる自分達にしかできないことがある。
「今回の件に関しては、心ばかりではありますが私達からも資金援助をしましょう。なに、彼女たちの演奏代だと思っていただければ幸いです」
怪我を負っていた護衛の二人も顔色があまり良くないが、弱まった雨と回復の兆しを見せている天候から、すぐに病院へ搬送する手続きを済ませていた。
バスに急いで乗車した香澄達を空港まで送り届ける黒服。窓から外の様子を見ていたこころ達だったが、突如落ちる雷に驚いている。エヌラスが残党狩りを始めていた。
閉所だろうが家屋の中だろうがお構いなし。その気配があれば建物ごと叩き潰して回っている。被害総額だけで気が遠くなるような話だ。
不意に、バスの天井に何かが落ちてくる。窓がノックされて驚くが、すぐにはぐみが開けた。
――全員乗ってるか。
「わ!? エヌラスさんの声、直接頭の中に聞こえてきた!?」
「ほんとうだわ! どうやってるのかしら?」
「驚くべきことはそうだけどそこじゃないよね!?」
「それで、エヌラスさんは大丈夫なのかい?」
――俺の心配はいい。そっちのライブはどうだった。
「もちろん、大成功よ! みんな楽しそうに笑ってくれたわ! でもエヌラスに聞かせてあげられなかったのは残念ね」
「日本に戻ったらちゃんと私達の演奏聴いてくださいね、エヌラスさん」
――そいつは楽しみだ。
「……あの、エヌラスさん。本当に、大丈夫なんですか?」
「どうやって喋ってるのかも疑問なんだけどね……」
――喉が潰れてるから思念通話。人間電話みたいなもんだ。
「喉潰れてるって……」
――そんなことより、一刻も早くこの国を出た方がいい。アイツ等も空の上までは追ってこれないだろうからな。
バスの前方。曲がりくねった道を驚異的なドライビングテクニックによって難なくクリアしていた黒服だったが、道路を阻むように起きている土砂崩れには成す術がない。それに向けてエヌラスがバスの天井に乗ったまま倭刀を構えて超電磁抜刀で道を切り開いた。
一瞬だが閃光が走り、さらに崩れそうになる道を『アトラック=ナチャ』による鋼線で舗装してバスを無事に通過させる。この先も道が無事とは限らない。エヌラスはハンティングホラーによる観測を中断させて空港までの道のりをスキャンさせる。
バスの走行音に混じって、咳き込む声が聞こえてきた。窓を閉めるように合図すると、美咲がすぐに指示に従う。
天井から、血が滴り落ちる。それはすぐに雨粒に混じって洗い流されていったが、明らかな負傷に香澄が窓を開けようとして有咲に止められた。それからすぐに天板を叩く音がしたかと思えば高速で飛び立っていく。
「…………エヌラスさん、本当に大丈夫なのかな」
「わかんねぇけど。私達が飛行機に乗らなきゃ、あの人も安心できないんじゃ仕方ないだろ」
「でも、怪我してたよ」
「すっごい血が出てたよね。貧血になりそうなくらい」
「貧血くらいならいいけどさ……」
窓に垂れて、まだ残っている血の跡をなぞりながら沙綾が呟いた。本当に、その程度の怪我だっただろうか。
ハンティングホラーがスキャンした沿岸部に、残党は残っていない。海洋の魔人達も消滅している。災害というのは得てして二次被害から拡大するものだ。
エヌラスは地面を滑るように着地すると、拡張補助脳眼鏡の機能を切り替える。魔力の残滓から瘴気の残り香を追跡する。異様な気配が途絶えないことに違和感を覚えていた。
その気配の向かう先は――香澄達が今の今までライブをしていたホテルへと伸びている。
まさか、と思った頃には身体が動いていた。
そんなはずがない。あそこにいたはずがない。しかし、一つだけ見落としていた点があった。
侵入してきた深海の落とし子に
ホテルへ再び戻ってきて、フロントに置かれた香澄達の楽器と荷物とミッシェルの詰め込まれた箱を戻ってきたハンティングホラーが影の中に収納した。
そこで再び周囲を索敵すると、瘴気の残り香はホテルから移動している。向かう先は病院で間違いないだろう。
もしも――傷口から感染した人間が、そこで発症してしまったら。ここまでしてやった苦労が水泡と帰す。
最初から、怪我をしたあの二人を殺していれば済んでいた話だというのに、香澄たちの目を気にして殺さなかった結果がこの様だ。だから最初からこの街ごと消していれば早いというのに――!
エヌラスが駆け出そうとして、視界が不意に逆転する。魔術薬物による血中濃度が許容量を越えたことで五感が狂い始めていた。平衡感覚から、自分の在り方、定義に至るまでが認識できない。このままでは自我の崩壊から精神崩壊までまっしぐらだ。
(――、ふざっけんな……誰が)
吐血して、血の塊が喉に逆流してくる。どうやら、仰向けに倒れたらしい。指先が痙攣する。身体が動かせない。麻痺してきている神経に、ハンティングホラーがドリフトしながら車体を叩きつけて横殴りに吹っ飛ばす。ミキサーに掛けられたように視界が回転し、酩酊状態に耐え切れずマスクを解除して嘔吐する。その殆どがタールのように粘ついた鮮血だったが、いくらか回復したところで今度は激痛に身体が押し潰された。
「……っ――、だぁああああぁああああいってぇぇぇえええクソがぁああああああっっ!!!」
怒りしかない。あまりにも理不尽な環境と状態に、堪えきれずに吐き出すしかなかった。
「ふっざけんじゃねぇ、ふざけんじゃねぇぞ!!! あぁぁぁ、何匹殺して何十何百何千何万と潰して殺して回っておきながらここまでご苦労さまでしたもっぺん殺して回れだぁ!? 知るかバァァァァカッ!!! 勝手に滅べ人類なんだったら俺がぶっ殺してやる、その方が幾らかマシだぁああいってぇぇええああぁ!!! やってらんねぇぇぇ、だーあーもー!
――くたばれクソ師匠ォォォオオオオッ、っしゃおらぁああやってやろうじゃねぇか!!!」
ありったけ。
今、自分が吐き出せる怒りを可能な限り吐き出してから、エヌラスは再びマスクを展開して救急車の後を追う。
「だぁれがテメェになんか負けるかバァァァカッ、ちくしょうめぇ、あーもーほんっっといっぺん死んでもっぺん死なねぇかなークソ師匠ぉぉぉおおおっ!!!」
とにかく死んでくれと叫びながら、潰れた喉としゃがれた声で救急車を探す。しかし、時すでに遅く。
横転し、後方の扉が壊されていた。運転手と思わしき救急隊員も二名。事故で死んでいる。しかしそれでも、噛み跡を見た瞬間エヌラスはその二人の頭を踏み潰した。
負けるものか。
誰が負けるか。
アンタが押し潰されて、耐え切れずに諦めた明日も未来も夢も希望も。
必ず取り返す。必ず取り戻す。邪神の掌で踊るだけの、無為な人生を終わらせるために。
何度地獄に落ちようと。何度繰り返そうと、絶対に諦めない。
一番最初に教わり、何よりも大事なことだから。
たった二匹の魔人が再び街に解き放たれた。しかし、その動きは迷いがない。真っ直ぐに海に向けて濡れた地面を滑っている。
エヌラスが上空から奇襲を仕掛けて一撃で屠ろうとするが――、一匹が振り返りもう一匹はそのまま真っ直ぐ海に向かっていた。なまじ、元となった人間の身体能力が高かっただけに他よりも多少は手強いだろう。そんなことはお構いなしに、超電磁抜刀術で片付けようとした。
だが、その刃を腕で“防いだ”という現実にエヌラスが総毛立つ。何が起きてもおかしくない邪神災害だが、それでもここまでの強化個体がこの短時間で生まれることは前代未聞だ。感染者が邪神教団にでも入っていない限りは。
口元だけでなく身体も、怪我を負っていないにも関わらず深海の落とし子は赤く染まっている。それが何故なのかエヌラスはわからないままに、反撃してくる腕を避けて距離を取った。
立っているだけでも、骨に砂利でも刷り込まれているかのような痛みが走る。
そこで、目の前に立っている深海の落とし子が何故自分の超電磁抜刀術を防げたのかが理解できた。あれは、自分の血だ。街中を走り回って殲滅していた自分が振りまいた血液。
――血こそ我が魔術の源泉。魔力の源。薬物で更に血中の濃度を引き上げていれば、尚更それは極上にも勝る至高の餌に他ならない。
飛躍的な速度で成長を遂げた“深海の落とし子”は、もはや
雨で洗い流されている血を吸収しながら、もう一匹はすでに海へ到達して潜水している。そちらを追跡するのは困難だ。
目の前の巨体を、果たしてどう処理するか。
納刀して、静かに息を吐き出して首を鳴らす。そこへ深海の落とし子がダブルスレッジハンマーを振り下ろすが、エヌラスの目の前で腕が止まった。
「――絶剣無式・八獄“棺星”」
手首から指先、“天雷”の背面機構からも放たれた無数の鋼線が深海の落とし子を捕縛する。拳だけでなく、関節を内側から外側へ向けて開きながら大の字に括り付けられるが、力任せに鋼線を引きちぎろうとして極小の刃が食い込む。痛覚らしいものは無いが、それでも違和感のようなものは覚えたのだろう。
ならば、と口腔を開いて超水圧の刃を吐き出そうとするがそれよりも先にエヌラスの右腕が柔らかい口の中に叩き込まれる。
絶剣無式・八獄“戴天絶華”――体内に直接電磁パルスと魔刃鍛造を叩き込まれたことで、防ぎようがない内臓破壊を受けた強化個体は鋼線でサイコロステーキのように切り分けられる。
逃したもう一匹を追いかけようとして、エヌラスは今度こそその場に倒れた。
「ッ……あぁぁぁ、もぉぉぉ、これだからぁあああ!!!」
動け。動け――壊れてでもいいから、動け。
倭刀を鞘から抜き放ち、エヌラスは迷いなく自分の首に刃を当てた。
そのまま、自分で脈をかき切って自害する。血飛沫がシャワーのように吹き出し、止めどなく出血していた。
急速に失われていく自分の血液に、視界が朦朧とする。全身に力が入らない。指先の感覚も失われていく。身体が、いやに寒い。全身を叩く雨粒が、鉛のように重く感じられてエヌラスは地面に倒れた。
「……ハン、ティング……ホラー……!」
《――――》
主の言葉が、何を言わんとしているのかは分かっている。――香澄達を守れ。
街に重く響く、絶望の産声。
海洋に流れ落ちたエヌラスの血液を十分に吸収して、その魔人は唯一邪神へと昇華した。
深海の落とし子から、父なるダゴンへと――急激な成長と爆発的な魔力の増幅によって肥大化した肉体は海中で際限なく成長を続けていく。何にも脅かされることがなく、揺りかごのように波に揺らされながら。
一時は回復したはずの天候も、再び黒雲が呼び戻される。海は荒れ、波が狂ったように押し寄せていた。