【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第九七幕 POP-UP HAPPY?

 

 

 

 ――ハンティングホラーが弦巻家のジェット機と併走する。車体から火花を散らして、システムヒュドラのエラー内容を確認していた。

 制御していた補助魔導燃焼機関も半数近くが崩壊し、コントロールが効かなくなっている。

 断腸の思いで『エイボンの書:機械語翻訳版』を廃棄。それが悪用されることがないように裁断して霧散させる。

 残された『妖蛆の秘密:機械語翻訳版』を読み込み、自身の部品を蛆で解体してエヌラスの怪我を治療する。しかしそれもあくまでも応急処置だ。

 出血と重度の火傷を塞ぐ。だが、装填したままの天雷を解除するには本人の意思でなくてはならない。

 咳き込み、吐血するエヌラスが右目でジェット機を視界に捉える。このまま日本まで移動するのは身体が持たない。

 肌を這う蛆が役目を終えて自然消滅すると、間に合わせで回復したエヌラスは歯を食い縛ってハンドルを握った。気遣う忠犬に首を横に振る。壊れた拡張補助脳眼鏡の破片を振り落としながら、前を睨んだ。

 

 こちらを見ている香澄達に思念通話で一言だけ伝える。

 今すぐ窓から離れろ、と。それはハンティングホラーも聞いていた。

 高高度を飛行中のジェット機に、窓から突入するとは恐れ入る。だがそんなことをすれば気圧の急激な変化で中はミキサーに入れたようになってしまう。なにか考えがあるはずだ。

 一度大きく距離を取ってから、ハンティングホラーの背に立つ。それから、ニトロを点火してジェット機の窓に向けて突撃した。

 その姿を見た瞬間、全員が大慌てで窓から蜘蛛の子を散らすように離れる。

 電磁加速蹴撃と共に、窓を突き破って強行突入したエヌラスが受け身を取るより先に窓の破片をアトラック=ナチャで束ねて即座に修復した。危うく逆側の窓まで蹴り破りそうになったが、糸を巻き取って未然に防ぐ。

 腕の感覚が鈍いからか、制御を誤ってエヌラスの腕が鈍い音を立てていた。骨の軋む音。肉の千切れるような、思わず耳を塞ぎたくなるような不快感を覚える音。

 床に全身を叩きつけて、咳き込むと途端に吐血する。身体の感覚が暴走していた。

 体内時間の急激な加速を持続していたせいで、本来の時間の流れに沿って置き去りにしていた痛覚が追いついてくる。

 今すぐにでも全身の皮を剥いで掻きむしりたくなる衝動を堪えて、暴走する神経を御する。銀鍵守護器官による最大出力の自己再生に、異常なまでの発熱量で血液が沸騰していた。

 

「ぬ、う、ぉお、あ――! てん、らぁい――!」

 装填解除、とまで言葉が続くことはなかったが、それでも接続を解除する。

 バギン、ゴキン――。腕を貫通して魔術回路と直結していた電極が装甲の表面に突き出す。腕から足だけでなく、肋骨の隙間を縫うように体にも突き刺さっていた。

 左胸にも電極が突き立てられている。そこだけは焼け付いて誤作動を起こしていた。途中まで引き抜かれていた杭のような突起物を左手で掴むと無理やり引き抜いて投げ捨てる。

 背面の中枢ユニット『フーン機関』も『屍食教典儀:機械語翻訳版』も焼き切れて全損状態となっていた。

 床に散らばる無数の破片は、やがてハンティングホラーが自分の空間に収納していく。二度と使えないガラクタではあるが、地球にこの技術を残すわけにはいかない。

 立ち上がろうとして膝をつき、盛大に吐血する。体を受け止めた左手が血でぬかるんでそのまま倒れた。

 左眼も、右腕も動かない。壊れた拡張補助脳眼鏡のフレームが床を滑る。

 肺に呼吸が届かない。息が苦しい。心臓の鼓動すら痛みを伴う。

 今すぐにでも泣いて逃げ出したくなるくらい、辛い。これほどの痛みを堪える必要などないと、逃げ出したくなる。

 それでも――自分が奪ってきた笑顔を思い出す。

 歯を食い縛って、焼けるほど熱い自分の血だまりに手をついて体を押し上げる。全身が悲鳴を挙げていた。絶叫のあまりに、卒倒しそうなほど痛みに泣き叫んでいる。それを押し黙らせる。

 どれだけ泣いて叫んで。命乞いをして、助けてくれと吠えたところで誰も助けてくれない。

 誰にも救われるわけにはいかない。誰かに報われるわけにはいかない。

 その優しさも慈しみも温かさも、全部。

 自分以外の誰かを救われるためにあって然るべきなのだから。

 

 口を押さえて、悲鳴を堪える山吹沙綾に。

 恐怖のあまり窓にまで後ずさっている市ヶ谷有咲に。

 非常識な出血量を見て言葉を失っている花園たえに。

 小さな体を震わせる牛込りみに。

 ――怖くて、怖くて、たまらないのに。それでも自分から一歩、前に踏み出す戸山香澄が。喉から声を絞り出す。

 

「あ、の――エヌラスさん!」

「…………」

 指先から血が滴り落ち、今にも崩れ落ちそうなほど壊れた身体を壁によりかからせて客室に向かう。涙で声を震わせながら。それでも手を伸ばして引き留めようとしていた。だが、発熱していた血液に触れて思わず反射的に手を離す。

 口から排熱しながら、エヌラスは左手を強制的に冷却すると香澄に指を突きつけた。

 

「……にほんに、つくまで――ぜったいに。おれを……おこすな…………」

「エヌラスさん。声……」

「すぐ、なおる……」

 焼けた喉に、潰れた声帯で聞き取れる程度の忠告をしてから。再び歩き出そうとしてジェット機の揺れに膝をつく。その衝撃だけでバラバラになりそうなほど全身が傷んだ。

 いっそ、このまま横になって。二度と目を覚まさなければどれほど気が楽になるか。そんな悪魔の囁きを壁に叩きつけた頭から打ち払う。

 立ち上がろうとして、全身に走る激痛で再び床に倒れた。重力に縛り付けられるのがこれほど心地よいと思う日が来るとは、思いもしなかった――いつもは、もっと……容赦なく頭のてっぺんから殴られるような衝撃と共に地に伏せるのに。

 

 ――いつまでそうやって轢き殺されたカエルのように寝ているつもりだ、バカ弟子。

 

「っ……う、お……ぁぁ……――!!」

 聞き飽きたほど聞いてきた声が脳裏に蘇る。幻聴だとわかっていても、耳にタコが出来るほど聞かされてきた挑発に腸が煮えくり返る思いで床を叩いた。

 ふざけるな。ふざけんな、クソ師匠。テメェは毎度毎度のことながらノーモーションで重力爆撃なんぞしてきやがってなんなんだ。本当に人の命をなんだと思ってるんだ人格破綻者クソ野郎この野郎マジくたばれよクソ師匠このクソが。寝起きドッキリで殺しにかかってくるんじゃねぇよベッドの上で永眠とか死んでも死にきれるかクソッタレ、ほんとまじクソだなお前クソ師匠テメェ思い出したらなんかだんだん腹立ってきたぞ!

 誰がテメェになんぞ負けるか。全てを諦めたくせに、全てを投げ出したくせに、そのくせ時間だけは持て余している暇人が。

 例え恩師であろうと、絶対に負けられない。エヌラスが自分の内側から溢れ出してくる怒りとともに立ち上がる。痛みをねじ伏せ、口から血を垂らしながら。

 

 子猫のように震える松原花音に。

 ただただ言葉を失っている奥沢美咲が息を呑む。

 死んでいてもおかしくない。正確には、死んでいなければおかしい傷を負って、まだ立ち上がるエヌラスを見て、北沢はぐみがあまりの痛々しさに目を伏せた。

 瀬田薫も、手を差し伸べるか迷っている。だが、肩を貸してしまうのはひどく躊躇われた。生半可な気持ちで背負った覚悟に触れるのはかえって傷つける結果になりそうだから。

 生きる世界も、何もかも自分達とは相容れない――。そんな人がどれだけの物を背負って自分達のために命を張ってくれたのか想像もつかない。

 だけど。だからこそ、弦巻こころは自然と足が動いていた。

 

 本当は今すぐにでも泣き崩れて、助けてほしいはずなのに。声を殺して、心を殺して、自分を押し殺して黙っている仏頂面は、どんな笑顔を見せてくれるのだろう。

 

「エヌラス、ごめんなさい」

「…………」

 どうして、謝るのかエヌラスには分からなかった。

 とても悲しそうな顔で、手を差し伸べてくるこころを右目で見つめる。目の焦点が合わず、ピントがボケて意識も朦朧としてきていた。

 

「あたしは、ただ――()()()()()()()()()()()()だけなのに」

「――――」

「エヌラスに痛くて辛い思い、いっぱいさせちゃったわ。だから、ごめんなさい」

 どうして……どうして。

 何故、あの日の恋人と同じことを言うのだろう。同じ表情で。

 この手で殺した初恋の人。

 笑うことを忘れて、ただ怒りのままに数え切れない過ちを繰り返した。その矛先を、最期に笑って受け止めてくれた人。

 奪われて、亡くしたはずの恋心。自分でも忘れていたほど遠い過去の古傷に、こころの言葉はナイフのように突き刺さる。魔術で心を騙しても、どんな嘘を吐いても庇いきれない傷。

 ――鋼で心は鎧えない。どれほど強固な防御魔術であっても、一番弱くて脆い心の傷だけは。

 

 全身から、力が抜けていくのを感じた。

 こみ上げてくる熱い感情を押し留めようとして、それが手遅れであることを自覚したのは涙が頬を伝ってから。

 どうしてお前が謝るんだ。どうして、お前が悲しそうな顔をするんだ。

 お前から笑顔を奪った俺こそが謝るべきなのに。仇されて、憎まれて、恨まれて、殺されて当然なのに。

 どうして、どうして。どうして――お前が、あいつと同じことを言うんだ。

 世界を笑顔にすることなんかできない俺の前で。

 歯を食い縛り、声を殺して静かに首を横に振る。

 お前は、なにも悪くない。

 何もできなかった。何も守れなかった、俺が元凶だ。だから、お前がそんな風に悲しそうな顔で謝る必要はどこにもない。

 ただ、そばにいて。

 笑っていてくれればそれだけでよかったのに――。

 

 遂に力尽きたエヌラスが膝から崩れ落ちる。完全に意識を失って、床に倒れそうな身体をこころが咄嗟に受け止めた。

 

「あら?」

「わぁ! こころちゃん、大丈夫? ――あれ?」

 寄りかかってくるエヌラスの体重を受け止めきれず、尻もちをつきそうになるのを香澄が支えるが耐え切れずに二人が尻もちをつく。

 胸元に頭を埋めて、浅い呼吸を繰り返す血だらけの頭を撫でる。

 あんなにも強くて、あんなにも怖くて、あんなにも頼りになっていたオカルトハンターが。今はどうだろう。

 道に迷って泣きじゃくる子供のように小さくて弱々しい。

 きっと、出会った時からずっと強がっていた。自分は平気なんだと。

 絵本に出てくるお姫様を守る騎士のように、強いばかりじゃない。

 傷ついて、倒れて。それでも何度でも立ち上がって。

 どんな絶望も困難も乗り越える、弱いのに強い人。

 いつかきっと笑って過ごせる日が来ることを思いながら、こころはエヌラスの頭を抱きしめる。

 

「……美咲。エヌラスの頭をぎゅーってしてると、いつもと違うドキドキがするの! これは大発見よ!」

「あー、うん。そう? 服、汚れてるけどいいの……?」

「? 別に気にしてないわ」

「はは、だよね。あんたならそう言うと思ってた……」

「こ、こころちゃん、静かにしないとエヌラスさん起きちゃうよ……?」

「それもそうね。せっかくこんなにかわいい寝顔なのに、起こしたらかわいそうだわ」

 香澄がこころの後ろから覗き込むようにエヌラスの寝顔を見た。

 怪我だらけだが、安らかに眠っている。雨と汗と血で汚れた髪が垂れて額に張り付いていた。それをかきわけると、少しだけ眉を寄せてこころの胸に頭をますます埋める。

 

「……んー…………」

「……本当に子供みたい。よしよしー」

 香澄も頭を撫でてみると小さく唸っていた。だが、一向に起きる気配がない。

 ――それから十時間以上、エヌラスは眠ったままだった。

 

 

 

 ……エーゲ海の死闘に次ぐ死闘。邪神遺物の引き起こした未曾有の大災害は、前代未聞の異常気象によるものとされた。忽然と消えた怪物や、貨物船も嵐によって沈没されたとされる。

 一人の船乗りに保護された彼もまた、その惨劇の被災者である。それでも、不安に焦る人間の家族に囲まれていながら、やはりなんの反応も示さなかった。

 それらは、脅威ですらない。ましてや、それを引き起こしたのは他ならぬ自分だ。

 落としてしまった邪神遺物をどうするか判断を仰ぐまでもなく、惨劇を引き起こした。結果としてはまずまずだろう。――予想外だったことは、まさか邪神を封殺したことだ。

 確かに。これまで他の邪神が敗北を喫してきただけのことはある。

 だが、それだけだ。彼はただ呆然と青い月を見上げている。

 車椅子の背中を押されて、夜の潮風を浴びていた。

 

「ねぇ、ママ、パパ。流れ星よ――!」

「なにか願い事をしなきゃね」

「うん! それじゃあ、わたし。この子の怪我が治るようにって」

 星。流れ星。流星。燃えて落ちる隕石。それは、夜空を翔ける星。

 

「他にも、この子が喋れますようにって。あと、この子が楽しいことがしたいっ」

 それは無垢な願い。少女の純真無垢な切なる祈り。

 だからどうか神様。この声を聞き届けてはくれないでしょうか――。

 少女の祈りは星に届けられた。

 流れ落ち、この青い星に降り立とうとする無数の流れ星。そのことごとくを打ち消すように飛び交う一つの翔星。見境なく無差別に流星を打ち崩す様は、死神だ。

 未確認飛行物体を目の当たりにして、驚愕に染まる人間の家族。だがそれよりも更に驚いたのは車椅子の彼が、これまでなんの反応も示さなかった彼が、初めて自分から行動を起こした。

 

 月に伸ばすように左手をかざす。人差し指と中指を立てて、剣指を向けた。

 それにパッと、花開くように笑顔を咲かせた少女と、驚きのままに歓喜する両親。喜びのあまり抱きつこうとした次の瞬間、光が降り注いだ。

 音もなく、前触れもなく、彼らを祝福するように。神からの感謝の威光に他ならない。

 そして。

 ――灰が舞う。死の灰が潮風に流されて漂い彷徨い消えていく。

 

「――――探したぞ」

「…………」

 彼は、ただ自分の身を守っただけ。

 こつ然と、人間の家族は消えていた。彼の周囲にはクレーターが出来上がっており、その表面はごっそりと抉られるように無くなっている。

 少女とも少年ともつかない中性的な顔立ちで、巨体を見上げていた。ただ呆然と、ぼんやりと。思考も感情も感じ取れない無機質な無表情。それを見下しながら、鼻を鳴らす巨体の男は海を見つめていた。

 瘴気の残滓に、目を細めている。

 

「アイツは」

「…………」

 首を横に振る。目の当たりにしておきながら、彼は何もしなかった。何もする気がなかった。

 

「絶好の機会だっただろうに。相変わらず貴様は“つまらんやつ”だな」

「…………」

 まるで興味がない。

 微動だにせず見上げてくる青く大きな瞳をまっすぐに見据えていた。

 

「いくぞ」

 巨体の言葉に、彼は車椅子から立ち上がる。

 潮風になびく長い銀の髪。ゆるく後ろ髪をまとめている青いシュシュは、少女がプレゼントしたものだ。

 一度だけ、彼はその場から後ろを振り向く。

 

 自分を引き取った人間の家族の住処。何度も往復した道。見舞いに来てくれていた近隣の住宅。

 その一切が、消えていた。

 ただ、灰が舞うだけ。

 世話をしてくれた人間も、何もかもが消えていた。だが、彼の心は微塵も動かない。

 感情が解らない。気持ちが解らない。人間というものが、解らない。人の姿を与えられているが何一つ人間らしいことがわからないまま、彼は死神の後についていく。

 ――自分が、人の姿をしている理由がどこにもない。

 人の姿をしていることさえ、彼には実感がなかった。

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