Was kann ich für Sie   作:加賀崎 美咲

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Ende

 偽りのカルフの空で、白と黒が激突する。

 

 白。ハイデマリー・V・シュナウファーは混乱しながら、けれど冷静に『敵』と戦っていた。

 

 彼女は救出作戦の主力として単独、敵の本体に突入しているはずだった。二日前にフリッツ・ルンペンハルトを同化・吸収したカルフのネウロイの巣はその後動きを止め、膨張を続けた。

 

 これを反撃の好機と捉えたカールスラント軍上層部はフリッツ救出とカルフの巣攻略を決心、無数のV2ロケットによる火力支援に乗じたフリッツ・ルンペンハルト救出・反攻作戦が開始された。

 

 新兵器による攻撃、少数のウィッチによる突入。それまでは作戦通りに進行していた。あとは巣の中で囚われているフリッツを解放し、巣の内部で暴れてもらえば巣を攻略する手はずだった。大雑把なようにも見える作戦だが、それだけ上層部のフリッツへの戦力評価が高かった。

 

 けれど突入してハイデマリーが見たモノは無機質なネウロイの巣の内部では無く、失われたはずのカルフの街の光景だった。そして混乱するハイデマリーが見つけられたのは、ネウロイを材質にしたであろう人間らしきナニカと、それを自身の両親と認識している五歳相当の姿をしたフリッツだった。

 

 敵に洗脳されたのだろか? 

 

 様々な考えがハイデマリーの脳裏を過っていくが、検討の余裕はなかった。

 

 他でもない。黒が、フリッツ・ルンペンハルトがハイデマリーを攻撃し、あまつさえその命を奪おうと戦いを挑んでいた。

 

 両足をハイデマリーを模したであろうストライカー・ユニットらしきモノに変質させたフリッツは空を飛び、また体の一部を分離させ、遠隔端末として波状攻撃を仕掛ける。

 

「落ちろ! 父さんと母さんの仇っ!」

 

「──クっ!?」

 

 実に十二方向からの同時攻撃。並のウィッチであれば次の瞬間には撃墜されてしまう攻撃の連続を、ハイデマリーは持ち前の航空技術と勘、間に合わないときはシールドを張って処理していく。

 

 戦闘技術という点では、明らかにハイデマリーが優れていた。すでに戦い始めてから半刻が過ぎていたが、その間に数回はハイデマリーは敵を撃ち落とすタイミングがあった。

 

 けれど、そうしなかったのはやはり、敵がフリッツだったから。ハイデマリーは幾度となく叫んだ。

 

「お願いフリッツ話を聞いて」

 

「敵の話なんて聞くものかよ」

 

「私だよ!? ハイデマリー。分からないの?」

 

「お前なんて知らない! 勝手にここにやってきて、何もかも滅茶苦茶にして……、お前も同じ目に遭わせてやる!」

 

 ハイデマリーが何度声をかけても、フリッツは応えず、憎悪をぶちまける。ハイデマリーはどうしたら良いのか分からなかった。

 

 ずっとそうだ。ハイデマリーはあの頃に戻りたかった。ただ同じ時間を過ごした、無邪気な子供の頃、カルフの街が平和だった、あの時に。

 

 あの日にすべてが崩れてしまった。フリッツは両親を亡くし、感情を隠したまま、ハイデマリーと分かたれてしまった。

 

 そんな別れ方、受け入れられなかった。それで終わりにしたくなかった。だから、もう一度フリッツに会う、それだけのためにハイデマリーは空で戦う道を選んだ。

 

 けれど再開したフリッツは彼女を目を合わせず。ただ返れと、カールスラントから遠く離れた新大陸ノイエ・カールスラントに戻ってしまえと、ハイデマリーを拒絶した。

 

 分からなかった。どうして再会を喜んでもらえなかったのか。

 

 ──私のことが嫌いになったの? 

 

 そう言えたなら、どれほど楽になれただろうか。けれどハイデマリーがそれを口にすることは無かった。もし肯定されてしまえば、足下から世界が崩れてしもう様な気がして、恐ろしくて言えなかった。

 

 ──そう、あなたがフリッツの特別なのね。

 

 いつかロスマンと言葉を交わした時、自分のことを彼女はそう評した。ただ嬉しかった。またフリッツと仲直りが出来る。昔のように戻れる。その希望は失われていないのだと思った。

 

 ──だからこそ、あなたは彼と離れた方が良いのかもね

 

 だけどロスマンはこうも言っていた。ハイデマリーは混乱した。特別なのに、離れた方が良いなんて、そんなことがあるのだろうか。

 

 ちっとも分からなかった。そんなはずない。私はフリッツが好きで。フリッツも私が好きなはずだ。それなのに、どうして一緒にいないことの方が幸せなどといえるのか。

 

 きっと、時間が解決してくれる。そうハイデマリーは考えた。だから一生懸命、ウィッチとしての責務を頑張った。良い成績、戦闘能力を発揮した。けれどその度に、フリッツの表情が陰っていく。

 

 その表情の意味を、ロスマンの言葉の意味を、ずっと分からないままハイデマリーは、いつか物事が上手く好転すると信じていた。

 

 けれど現実はどこまでも、ハイデマリーの理想とはかけ離れて行く。

 

 あれほど求めた彼は、彼女を忘れ、ただ敵として、憎しみの言葉を彼女に投げかけていた。

 

 ずっと、会いたいと思っていたのは自分だけだったのか。ただの独りよがりの思いだったのか。

 

 そう思った時。訓練でどれ程辛くとも傷つかなかった心が、痛みに絶叫して苦しんでいた。

 

 戦いながら、怪我とは違う痛みに、ハイデマリーは涙を流す。

 

「酷いよフリッツ……」

 

「酷いのはお前だ! 父さんと母さんを殺して……」

 

「フリッツのバカっ! あんなのがあなたの両親のはず、ないじゃない!」

 

「なぁっ!?」

 

 戦いが変わった。感情任せに戦うフリッツとそれに対応するハイデマリーが、むき出しの感情のままぶつかり合う二人に。そうなったのならば、技量で劣るフリッツが劣勢になるのは当然だった。飛び交う遠隔端末をかい潜り、手に持っていた機関銃すら投げ捨て、ハイデマリーがフリッツに肉薄して、そのまま掴みかかって二人は墜落した。

 

 空を飛ぶウィッチなどどこにもおらず、泥だらけになってただの子供のように二人は取っ組み合いになる。

 

「フリッツ、あなたおかしいよ。だってあなたのお父さんもお母さんも死んじゃったんだよ」

 

「父さんと母さんが死んだりするもんかっ! だってあの二人は現にそこに……」

 

「こんなネウロイもどきが、そんなはずないじゃない!」

 

 フリッツが両親と呼んだそれの破片を掴み、ハイデマリーはフリッツの顔面に叩きつけた。

 

 酷く痛む。まるで硬い鉄か何かで殴られたような痛みだった。

 

「父さんと母さんじゃない……?」

 

 フリッツはは酷く混乱していた。両親だと思っていたものが、明らに別の物質で、それを両親だと思い込まされていた。そんなはずないと自分に言い聞かせて。視線が胡乱げにあちらこちらを彷徨っては定まらず。

 

「そんなはずないよ。だって、ここはカルフで……、父さんと母さんがいるはずなんだ……」

 

「それはおかしいよ。……だってカルフの街は、私たちの街は五年前、ネウロイに焼かれて……。この光景はどこにも残ってないんだよ……」

 

「嘘をつくな……。カルフはこうして無事じゃないか。平和で……、何も無かったんだ。父さんが仕事をして、母さんがぼくらの帰りを待っている。そんな日々がここには……」

 

「無いよ。無かったんだよ。フリッツ……」

 

「なんでそんなことを言うんだ……」

 

「だってフリッツのお母さんが死んでしまったから、あなたはこの街に来たのでしょう?」

 

「…………え? いや、だって、そんなはず。……あれ?」

 

 それはフリッツが思い描いた優しい夢の歪み。母が亡くなっていなければ、彼はこの街に来ることは無かった。母とカルフは両立するはずが無い。残酷な矛盾を突きつけられたフリッツの表情が凍った。

 

「僕はこの町で生まれて、父さんと母さんと幸せに暮らして…………」

 

「あなたはフリッツ・ルンペンハルト。お母さんが亡くなったことがきっかけで、私とこの街で育った」

 

「僕に友達なんていなくて…………」

 

「あなたはずっと一緒にいてくれた。暗い地下から私を連れ出してくれた大切な友達。私の大好きな人。私の名前はハイデマリー・ヴァルプルガ・シュナウファー。思い出してフリッツ。あなたに忘れられたなら、私は身を裂かれるよりもずっと苦しいの」

 

 押し倒され、仰向けとなったフリッツの顔に冷たいものが落ちた。それは涙だ。はらはらとハイデマリーの頬を伝った悲しみが、フリッツへと滴ってゆく。

 

 敵の涙になんて何も感じないはずなのに。それだというのに、胸の中で爪を立てる何かがあった。

 

 理由なんて何も思い当たること無いのに。それだというのに、フリッツはそれまでの怒りや憎しみが、雪のように溶けてほだされいくのが分かってしまう。

 

 心の中で父と母が座っていた場所に、この女がまるでそこにいることが当然だと言わんばかりに、そっと座して微笑みかけた。

 

「止めてよっ! 僕から父さんと母さんを盗らないで! お前なんて、お前なんて……」

 

 望んでいた世界がただの幻だと突きつけるハイデマリーは、フリッツにとって何よりも恐ろしい、取り除きたい存在へと変わった。

 

 彼女を蹴飛ばし、上下が逆転する。馬乗りになって動きを封じた。

 

 変質。ただ鋭く、人を痛めつけるのに最適化された腕の形質。これで殴れば、ハイデマリーは死ぬ。後は振り下ろすだけ。それで決着。

 

 それなのに振り上げた拳は、ハイデマリーへと振り下ろされることはなかった。

 

「お前なんて知らない。知らないのに…………。なのにどうして僕はお前を殴れないんだ」

 

 胸を締め付ける苦しさの意味が分からず、フリッツは絶叫する。苦しいのに、目の前の女が自分を苦しめるのに、だと言うのに自分はその女を傷つけようと出来ない。

 

「それはやっぱり、僕がフリッツ・ルンペンハルトで、彼女がハイデマリー・ヴァルプルガ・シュナウファーだって、心のどこかで分かっているからさ」

 

 だから素直な心は意固地な自分を諭す。振り上げたままのとがった拳を優しく両手で包む。

 

 フリッツも、ハイデマリーも驚き、振り返った。

 

 そこに立っていたのはフリッツ・ルンペンハルト。今を生きる。15歳の少年だった。

 

 

 

 ●

 

 

 

「フリッツ! でも、それなら、こっちのフリッツは……?」

 

 小さなフリッツを制止する大きなフリッツ。状況が飲み込めず、混乱するハイデマリーに大きいフリッツは柔らかな笑みを浮かべる。

 

「どっちも僕さ。そう、どっちも僕なんだ」

 

「今更何しに出てきた! この世界に僕はいらなかったんだろ!?」

 

 小さなフリッツが不快そうに成長した自分をにらみつける。

 

「僕もそう思っていた。けど、思っていたよりもここは居心地が良くないみたいでさ。目が覚めたよ」

 

「それはこいつがやって来たからだ。僕だけの世界だったら、ずっと安らかなままだったのに」

 

「本当にそうかい?」

 

「…………何が言いたい?」

 

 小さなフリッツが顔をしかめる。フリッツはゆっくりと造られた偽りのカルフの街の光景を見回した。夕暮れから時間が止まり、街は静けさに満ちていた。遠くには再構築されたのか、フリッツの両親が彼を呼んでいる。

 

 もう会えなかったはずの両親を見てフリッツは目を細めた。その表情は複雑で。悲しんでいるようにも、呆れているようでもあった。

 

「父さんと母さんが生きている世界……。これが僕の望んでいた世界なのかな」

 

「当たり前だ! それ以外に僕の幸せがどこにある。これ以外にあるもんか」

 

「どうしてハイデマリーが登場しないの?」

 

「こんなヤツいらない。父さんと母さんがいれば、それで良いじゃないか」

 

 フリッツはハイデマリーを必要ないという自分を見た。そしてハイデマリーを見て、また自分を見て、両親を見て、カルフの街を見た。

 

 そしてフリッツは小さく笑う。おかしくてたまらないような、こらえる笑いだった。

 

 そんな成長した自分の反応が理解できず、小さなフリッツが苛立つ。

 

「何がそんなにおかしい」

 

「いや、だって。自分がこんなにも、こじらせた愚か者だと分かりやすく突きつけられたら、それは笑うよ。こんなにも単純な奴なんだね、僕って」

 

「愚かだって……? どこがっ!」

 

「この舞台設定がまさにそうだ。なあ、僕? どうしてカルフの街なんだ?」

 

「それは……、僕にとって両親といる場所はここだから……」

 

「ならそれは、シチリア島だ」

 

「──っ!」

 

 小さなフリッツが顔を強ばらせた。

 

 フリッツが幼少期を両親と過ごした場所はカルフではない。それは違う場所。家族三人で過ごした思い出の場所。それはきっとあの眩しいシチリア島だとフリッツは思う。

 

 けれどこの幼いフリッツはあえて記憶と矛盾するカルフを記憶の再現の舞台に選んだ。

 

 それが意味することは、殊の外単純で。

 

「僕にとって幸福が存在する場所は、元々住んでいた場所でなく、家族で行ったシチリア島でもなく、このカルフの街だった。

 

 ──違う。この場所じゃなきゃいけない。そうなんだろう?」

 

「何が言いたい! まどろっこしいんだよお前!」

 

「カルフにいた頃。僕はそれ程までは幸福じゃなかったはずだ。母さんが死んで、父さんは不安定で。でも、それでも僕は自分の人生の中で、この場所にいられた時間が一番の幸福だと思っていた」

 

「そんなはずない。母さんが死んでしまったのに、僕が幸福なはずがない……」

 

「過去の思い出になくて、でもこのカルフの街にはあるもの。そのただ一つが僕を幸福にいさせてくれた」

 

 幼い自分を見ていたフリッツは顔を上げ、そして、ハイデマリーを瞳に映した。優しく微笑む。あの頃の表情で。

 

「ハイデマリーが……、ハイディがいたから、僕はこの街を望んだんだろう?」

 

「フリッツ…………」

 

「そんなはずがないっ!」

 

 嬉しさで顔を紅く染めるハイデマリーと、怒りで顔を赤くする幼いフリッツ。

 

 幼いフリッツは違うのだと成長した自分を否定した。

 

「僕がハイデマリーが好きなはずないだろう! だって、僕はずっと彼女に会いたくなかった!」

 

「誤魔化してもダメだ。会いたくなかったというのは僕の本心じゃない。会いたい思う気持ちはいつもあった。でも僕には父さんとの約束があった」

 

「──ハイデマリーを守りなさい」

 

「だから安全なノイエ・カールスラントに彼女を彼女の両親と一緒に送った。カルフの街の人たちもだ」

 

「でも、そんなに大切なら何故こいつはこの優しい夢に現れない。存在を根本から消した?」

 

 これが自分のダメなところ。こじらせた子供臭さの現れ。

 

「……僕はハイディが羨ましかった」

 

「──は?」

 

「フリッツ?」

 

 フリッツの告白に二人は目を丸くする。羨ましいの指す意味が分からず二人はフリッツの言葉を待つ。

 

「家族三人が無事で、いくらでも家族をまたやり直せるハイディがずっと羨ましかった。出来るならその場所に僕が居たかった。僕だって家族三人で幸せな家族を取り戻したい。この世界は僕のその願望が土台に作られているんだ」

 

「フリッツ…………」

 

 父さんがいて。母さんがいる。そして何の意味のない、でもささやかな幸福がそこにある日々が。何よりも、フリッツ・ルンペンハルトが望んだものだった。

 

 だから愚かしい。

 

 そんな愚かしさには、いい加減突きつけなければならない。

 

「ハイディと立場を入れ替える。本当に僕はそれで幸福なのかい? ……いや、違うさ」

 

「やめろ……」

 

「わざわざ父さんと母さんをカルフの街で生活をして、そこで更にハイディの存在を消して何の意味がある?」

 

「やめてくれ……」

 

「重要だったのはカルフの街を望みながら、ハイディをいなかったことにしたこと」

 

「やめろって言ってるだろ」

 

「彼女がいてしまったら、あんなまやかしの日々に大した価値がない。それよりもっと大事なものが──」

 

「やめろーっ!」

 

 幼いフリッツが絶叫する。幼い自分の根幹。幸福の大前提。それをフリッツは違うのだと異議申し立てる。

 

 たった一つの単純な事実。

 

 分かっていたのに、ずっと認められなかったそれを、フリッツはやっと認められた。

 

「フリッツ・ルンペンハルトはただハイデマリー・ヴァルプルガ・シュナウファーがいてくれるだけで幸福だ。ハイディがいてくれるだけで、僕は両親の死を、悲しい過去を、何もかもを乗り越えられてしまう」

 

 15歳のこじらせた少年の嘘偽りない、正直な気持ちだった。

 

 幼いフリッツは言葉を失う。否定できなかった。否定しなければ、自分の根幹が崩壊するというのに、それなのに何も言えなかった。

 

 事実なのだから何も言えるはずがない。なんて愚かしいのだろう。

 

 思春期の気恥ずかしさが、たったそれだけのことを認められず、幼い自分で自分を覆い隠して、こんな場所に引きこもった。

 

 それこそがこの偽りのカルフの街の真実。

 

 幼いフリッツは崩れ、その場を動かない。

 

 手を取りハイデマリーを立ち上がらせ、フリッツは気恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「じゃあ、帰ろっか?」

 

 一世一代の大告白のせいで、まともにハイデマリーの顔を見れないままフリッツは提案する。うなずき、二人は偽りのカルフの街、ネウロイの巣から出るために動き出そうとした。

 

 二人は動かない幼いフリッツを見た。不機嫌そうな、羞恥に染まった顔で彼は二人をにらみつける。

 

「……何だよ。もう勝手にしろよ。早くここから出て行けばいいだろ。お前に僕はいらないんだ。そいつと一緒なら幸せなんだろ? だったら二人で勝手に幸せになってろよ」

 

「僕の幸福には君も必要だ」

 

「何を言っている。さっきお前はハイデマリーがいれば、それで父さんと母さんの死を乗り越えられるって……」

 

「ああ。そう言った。ハイディがいてくれれば、僕は前に向かって生きていける」

 

 隣にいるハイディを見て微笑む。その手を持ってフリッツは立っている。たとえどれ程の苦難が立ちはだかろうと、このつないだ手があれば、それだけで僕の世界が幸福から転落することはきっとない。

 

 だけど、だからと言って過去がなくなる訳ではない。

 

「僕にとって父さんを失ったことも、母さんを失ったことも、故郷をネウロイに滅ぼされたことも、みんな悲しい過去だ」

 

「だったら僕はもういらないだろ?」

 

「けど、それでも僕の過去だ。嬉しいことも、悲しいことも、どっちも僕を形作る大事な経験だよ。だから僕も一緒に来てくれないか?」

 

「……あっそ」

 

 過去の僕の手を取る。僕の過去と、今と、ハイディとが繋がって、一つになった。

 

 幼いフリッツが形を崩し、構成していたものが僕に戻っていく。

 

 フリッツという情報の基盤を失ったことでネウロイが形作っていた偽りのカルフの街が崩壊していく。

 

 形を崩していく風景の中で、その中心が姿を現す。

 

「カルフの巣のコア……」

 

 ハイデマリーが呟く。

 

 ネウロイのコアだ。血のように赤い正十二面体がまっさらとなった空間で佇む。

 

 時々、表面が蠢いては人型の様なものを吐き出しては飲み込んでいく。それはまるで仲間を作るようで個から群へと変わることを拒否するように、フリッツには見えた。

 

「人間みたいになろうとしてたんだな……」

 

 フリッツは直感的に理解していた。それがどういう意図で行われているものなのか、ネウロイの考えなどフリッツには理解しようがないけれど。

 

 ネウロイの巣がフリッツを取り込んだことと無関係ではないのだろう。けれど今となっては分からずじまいで。きっとこれから知る機会もないのだ。

 

「ごめんな。君たちも何かを変わろうとしていたかもしれないのに」

 

 魔法力を指先の一点に集中して、細い光線を生み出す。それはあっさりと、何の抵抗もなくコアを貫き、二つに両断した。

 

 ネウロイのコアは幼少期のフリッツを人間のモデルと選んだ。それは幼いフリッツの中にあった、自分を変えてしまう外部への反発に引き寄せられたからなのかもしれない。

 

 けれどそれはネウロイを、個であることを認識させる、根底から自己の存在を改めさせることだった。

 

 自分が変わることをネウロイは受け入れられなかった。人に例えるなら、恐かった。

 

 だからネウロイにとって都合の良い最適な形を、自分が変わる必要のない方法を、フリッツの中から見つけ出そうとして、失敗した。

 

 これがことの顛末。

 

 崩れゆくネウロイの巣。

 

 壊れかけたストライカーユニットが停止しないことを祈りながら、フリッツを抱えてハイデマリーは開けた大穴に飛び込む。腕の中でお互いの体温を確かめ、二人は飛び立っていく。

 

 暗いネウロイの巣を飛び出せば。外は快晴だった。ネウロイの巣が陥落し、取り戻した空。カルフの街を二人は見下ろす。

 

 ボロボロではあるけれど、確かにそこにある。

 

 奪われていた街を取り戻したのだ。

 

「終わったんだね……。カルフの街が開放された……」

 

「でも終わりじゃない。ネウロイに奪われた土地はここ以外にもたくさんある。全部取り戻せるまで、僕らの戦いは終わらない」

 

 自分にとって大きく区切りだというのに、こんなことしか話せない自分に、フリッツは苦笑する。もっと話すべきことはたくさんあるのに、もっと言いたいことが。

 

「ねえ、フリッツ?」

 

 相手を強く抱き寄せて、顔が見えてしまわないように身を寄せたハイデマリーはそっと囁く。他の誰にも聞かせたくないというように、そんな声で。

 

「好きよ」

 

 もう離れたくない。私の魂はあなたのものだから。また一緒になれた。この繋がりが永遠であって欲しい。胸の中にあるたくさんの言葉を上手く表現できなくて。そんな短い言葉に思いのすべてを託す。

 

 繋がった心はそんなハイデマリーの思いを教えてくれる。だって同じなのだから。でもどうしたらそれを、思いを相手に伝えられよう。

 

「Was kan Ich für Sie?」

 

 ──僕は君に何が出来る? 

 

 何でも言って欲しい。君の望みを。だってそれはきっと、僕の望みでもあるから。

 

「もう私を離さないで」

 

「もう君を離さないから」

 

 誓いの言葉をここに。君と僕に誓おう。永遠を。

 

 帰ろう。みんながいるあの場所へ。




これにて完結です

お付き合いありがとうございました
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