Was kann ich für Sie   作:加賀崎 美咲

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短編なので話はスイスイと進んでいきます。残り7話ほどお付き合いのほどよろしくお願いします。


Das Ende der Kindheit, der Beginn des Verfalls

 オーブンから熱線が焼ける音と共に小麦が焼ける良い匂いがする。遮光の入ったのぞき窓に顔を近づけ、中で焼いているものがきつね色に変わっていることを確認する。

 

「うん、これくらいかな。……おっ、いい感じいい感じ」

 

 オーブンから取り出すと作っていたもの、カールスラントでは一般的なお菓子であるプレッツェルはいい塩梅に焼き目が入っていた。

 

「おー、なんかいい匂いがしたと思ったらお菓子か。フリッツは今日もハイデマリーちゃんとデートか?」

 

 匂いを嗅ぎつけてやってきた父さんがからかうように笑っていた。起きてきたばかりらしく、髪の端々が巻いて寝癖を作っている。

 

 からかわれたことで顔が赤くなったことを自覚しつつ、思わず父さんを睨みつけながら先に作った朝食を、テーブルの上に乱暴に置いた。

 

 それを気にした様子も見せず、出されたサンドイッチを食べながら、父さんは俺の様子を見て苦笑を止めない。

 

「ははは、怒ることないだろ。でも良かった、こっちでもフリッツに友達ができて」

 

「なんだよ、別に俺が誰といたっていいじゃないか」

 

「それにしても次はプレッツェルか。どんどん母さんみたいに料理が上手くなっていくな」

 

 二人で朝食を食べていると肩越しに湯気を立てているプレッツェルを見て父さんが言う。その視線はそのままスライドしていき、壁にかけられたカレンダーを見た。

 

 そして日付を見て父さんは感慨深そうに大きく息を吸った。

 

「もう母さんが死んでから一年も経ったんだな」

 

「っ! ……そうだね」

 

 父さんの方から母さんの話題に触れたことに少し驚いてしまった。母さんが死んですぐの父さんは酷かった。それこそそのまま後追いをするんじゃないかってくらいに顔から表情がなくなっていた。だからその頃は学校が終わるとすぐに家に帰って父さんが生きていることを確認する毎日だった。

 

 こちらへ移ってからの父さんは仕事に打ち込むことで明るさこと取り戻したものの、やはり母さんのことには触れようとしていなかった。だからこうして父さんの方から母さんについて何か言うことに驚きだった。

 

 俺が変な顔をしていたのだろう、苦笑した父さんが続ける。

 

「父さんが母さんのことに触れたのがそんなに意外か?」

 

「まぁ……。父さん、ずっと母さんのこと何も言わなかったし、もう父さんからは何も言わないのかな、とは思ってた」

 

「まぁ、あんなの見せたらそう思われるよな」

 

 面目ないと父さんは恥ずかしそうに頭をかいている。そしてもう一度カレンダーの方を見ていた。懐かしむように柔らかい表情だった。

 

「父さん、母さんが死んでどうしていいか分からなくなったんだ。お前が生まれて仕事も軌道に乗り出して、その矢先に母さんが死んで、思い描いていた未来が根底から崩れて、もうどうしたらいいか分からなかったんだ」

 

「知ってるよ、父さんの一番に近くにいたのが誰だと思ってるんだよ。それで何? もう母さんのことは平気って言いたいの?」

 

 不安定だった頃の父さんを知っているからこそ、本当に大丈夫なのかと心配に思い、ついつい口調が硬くなる。

 

 諮問するような俺の口調に父さんは苦笑いをして、しかし朗らかな表情をした。

 

「毎日寝る前に母さんのことを思い出すよ。でも、いつまでも母さんのことを引きずって、お前のことを疎かにしていたら、天国の母さんに怒られそうだからな。少なくともお前が独り立ちするまでは父さん、頑張るよ」

 

「まったく、もう。そんなこと、もっと早く気づいてくれよ」

 

 厳しい言い方をしてしまうが、どうしても口元が緩んでいることに気づいてしまう。

 

 それを見られて、父さんも口元を柔らかくして、

 

「だから、明日は母さんの墓参りに行こう。そうしたら明日からは母さんが死んだ後だ」

 

「そっか、母さん死んじゃったんだね」

 

 当たり前のことを確かめるように俺は呟いた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 昼下がりの川辺は暖かかった。日差しが少し強いから俺たちは木陰に座っていた。持ち寄ったラントバスケットを開け、持ってきた皿に並べていく。

 

 今日はサンドイッチとプレッツェルだ。

 

「まぁ、プレッツェル! フリッツの作るお菓子はいつも美味しそうだわ」

 

「ハイディはサンドイッチだね。お母さん、迷惑じゃなかった?」

 

「そんなこと。今朝だって、ピクニックだって言ったらお母さん、張り切って早起きして作ってたもの。きっと迷惑だなんて思ってないわ」

 

 そう言って彼女はサンドイッチの一つを差し出した。受け取り、かじりつく。

 

 炒めたベーコンとレタスが小気味よい音を立て、塗ってあったらしいマスタードが少し辛い。俺が作る、母さんが作ってくれていたサンドイッチとは違う味。きっとこれがハイデマリーにとっての母の味なんだろう。

 

 誰かに作ってもらう料理。そう思うとありふれたこのサンドイッチが特別なものに思える。事実俺はもう母さんに料理を作ってもらうことはできない。

 

「フリッツの作ったプレッツェル、とっても美味しいわ」

 

 いつの間にかサンドイッチを完食していたハイデマリーが並べられていたプレッツェルに手を出していた。食みながら彼女は美味しいと何度も言ってくれる。

 

 そして半分ほど食べると口元から離し、じっと見ていた。

 

「……私もお料理、できた方が良いのかしら」

 

「どうしたの急に?」

 

 聞いてみるとハイデマリーは手元にある食べかけのプレッツェルと俺が食べているサンドイッチを指差した。

 

「フリッツは自分でこんなに美味しいお菓子を作ってくれるのに、私はお母さんに頼んで作ってもらってばっかり。なんだかこれはダメな気がする」

 

「せっかく作ってもられるなら、それに越したことはないんじゃない?」

 

「そうかなぁ……」

 

 なんだか歯切れの悪い様子でハイデマリーが呟く。

 

 本人は作ってもらうばかりの状況がお気に召さないらしい。俺からしたら作ってもらえるのならそれ以上は言うことはない。少なくとも作ってもらえる選択肢があること、それ自体がどうしようもなく幸福だと言うのに。

 

 そんな思いが顔に出てしまっていたらしい。手元のサンドイッチと俺を交互に見て、ハイデマリーは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 

「ごめんなさい、無神経だった。フリッツにはもう……」

 

「あー……、気にしないで。そんなつもりで言った訳じゃないから」

 

「でも……」

 

「うちはもう、母さんがいない。それでやって行こうって決めたんだ。だからもう母さんがいなくてもいい、そう父さんと決めたんだ。だからこの話はおしまい」

 

「フリッツがそう言うなら……。フリッツは強いね」

 

「生きていくのに必死なだけだよ。それに俺には父さんがいる、二人ならなんとかなるって信じてるから」

 

 言っていて恥ずかしくなって会話を切り上げ、上を見た。広がった広葉樹の隙間から小さく陽の光が溢れて、光の筋を頭上に残していた。

 

「太陽がとても綺麗。前まではこんなの絶対に見られなかったのが嘘見たい」

 

 嘆息をして感慨深そうにハイデマリーが言う。言いながら贈ったサングラスの端に手を触れる。

 

「わたしっていつももらってばかり。今日だってお母さんにサンドイッチを作ってもらって、フリッツにもらったこのサングラスでお外に出られる。わたしは何もしてない」

 

「そんな大したことはしていないよ。ハイディにだって出来ることばかりだよ」

 

「ならわたし、お料理がしてみたい!」

 

 ハイデマリーは立ち上がり、両手を広げてみせた。見よう見真似らしい、母親がそうしているのだろう料理の真似事をしてみせて言う。

 

「サンドイッチを作って、シチューを作って、クッキーも、それを全部ランチバスケットに仕舞って、わたしとフリッツでピクニックにいくのよ。わたしが作ったものを食べて、ゆっくりとお日様を眺めて」

 

「それは……、うん。とても素敵だ」

 

「でしょう? だから今日帰ったらお母様に頼んで料理を教えてもらう。そして練習したら一緒にピクニックに行きましょうフリッツ」

 

 楽しそうに未来を描くハイデマリー。その楽しそうな様子にこちらまで顔を綻ばせてしまう。素敵な未来予想図だ。今を必死に行きている俺には眩しくて仕方がない。でもそんな楽しいことが待っているのなら、きっと悲しかった昨日もそんなに悪いものじゃないのかもしれない。

 

 ——そうだね。いつか君が作った料理を持ってピクニックに行こう

 

 そう言葉にしようとして、言葉は突然の轟音と破壊にかき消されてしまった。

 

「アレは何? 太陽が隠れていく……」

 

 地響きとともに、空を覆うように黒いカーテンが太陽を隠していく。

 

 緩やかな時間が終わろうとしていた。

 

 

 

  ●

 

 

 

「どうしましょうフリッツ。どうしたら良いの」

 

「いいからとにかく大人のいる方へ行こう!」

 

 ハイデマリーの手を引きながら、俺たちは道を走っていた。昼間だというのに外は不自然に暗かった。突如現れた黒い塊が空に浮かび、それが太陽を隠してしまっていた。遠くからは花火のような重たい音が地を伝い、何度もこちらへ響いていた。

 

 そしてカルフの街へ走れば走るほどその音の感覚は短くなっていった。揺れる足元が不安をどんどん重くしていく。震えてしまい歩けなくなってしまいそうな足を、手を繋ぐハイデマリーを放っておくことはできないと自分を奮い立たせて道を急ぐ。

 

 十分も走ればカルフの街が見えてくる。やっと見えた。そう安堵しようとして、吐き出そうとした息は出て行くことが出来ず、代わりに衝撃に息を飲んでしまった。

 

「そんな……街が燃えてる」

 

 言葉を失った俺の代わりにハイデマリーは状況を代弁してくれる。のどかなカルフの街が炎に包まれていた。遠くからでも見える協会の尖った屋根が火柱になり、まるで街そのものが大きな焚き火のようだった。

 

「どうしようフリッツ、街が燃えてる。わたし達の街が燃えてなくなっちゃう」

 

 泣きそうな声でハイデマリーが言う。でも俺にはもう彼女の言うことに反応していられるほど余裕がなかった。俺たちだけではどうしようもない。しかし大人を探すには今も燃えている街に入らなければならない。

 

 遠くからは爆発するような音と人の悲鳴のようなものが聞こえた気がする。どうすればいい。どうしたら間違えない。

 

 それでもとにかく大人に、頼っていい大人を探そう。

 

「危ないかもしれないけど、とにかく大人を見つけないと」

 

 そう決心してハイデマリーの手を引き街を走る。

 

 幸い俺たちがやってきた街の東側はまだ被害が少ないらしく、逃げ惑う人々とすれ違いながら俺たちの家を目指す。俺はきっと無意識に父さんを探していた。

 

 家にたどり着く頃には周りの家のいくつかは燃え始めていた。

 

 家にたどり着き、慌てて鍵を開けて家の中を見た。目につくところを探してみたがどうやら父さんは帰っていないようだった。

 

 ゆっくりしている訳にはいかない。次はどうしようかと考えていると不安そうにハイデマリーに袖を引かれた。

 

「ねぇ、フリッツ。お家が、お父様とお母様が心配だわ」

 

 街の様子を見てハイデマリーは両親の安否が気になってしまったのだろう。それにこの家に父さんはいない。次の目的地を思いつけなかった俺に、次の目的地を決めるのにその言葉は十分だった。

 

「そうだね、おじさんとおばさんを探しに行こう」

 

「二人とも無事よね……、きっと」

 

 俺たちは街を走る。歩き慣れた街中だと言うのに煙や炎に邪魔されて思うように通りを歩けない。回り道や道を引き返しながらなんとか彼女の家にたどり着く。

 

 そして俺は言葉を失った。

 

「嫌……、お家が……」

 

 たどり着いた時、彼女の家は勢いよく燃えていた。立派な庭も建物も一様に赤色に染まり、綺麗だった面影はどこにもなかった。

 

 慌てて中に入ろうとするハイデマリーをなんとか引き止める。

 

「止めないでフリッツ! いやよこんなの!」

 

「だからってあんなに燃えてる家の中に入ったら君まで死んでしまう!」

 

「でも! ……でもぉ」

 

 泣きそうになって、それを我慢してその場に彼女は座り込んでしまう。燃え続ける屋敷を眺めながら、成り行きをただ見ていることしか出来ない。どこへ行けというのか、俺にはもう分からなかった。

 

「フリッツ! ハイデマリーちゃん! ここにいたのか!」

 

 呆然としていると俺たちを呼ぶ声がした。振り返るとそこにいたのは父さんだった。

 

「よかった、ようやく見つけた。みんな北の防空壕に逃げたんだ。二人も早く行こう」

 

 やっと頼れる大人がいた。父さんの手を掴み、座り込んだハイデマリーの手を引いて立ち上がり、進もうと俺たちは歩き出して、

 

 ——視界の全てが赤く染まった。

 

 

 

  ●

 

 

 

 何が起きたか分からなかった。耳鳴りがひどい。耳元で叫ばれたみたいに、金属音がずっと響いている。視界も歪んでしまって、物が良く見えない。

 

 赤く染まった視界。それが流れ出た血が視界を染めていることに気づくのにそう時間はかからなかった。

 

 しかし体はどこもかしこもぶつけた感覚はあるが、血が流れ出る時の温かいものが抜けていく感覚はなかった。

 

 ではこの血はどこから? その疑問の答えはすぐに見つかった。斜めの視界、隣にはハイデマリーがいた。頭を打ったらしく額から少し血が滲んで気を失っていた。どうやら無事らしいことに安堵する。

 

 しかし、ふと思った。父さんは? 先ほどまで一緒にいたはずの父さんが見当たらない。視界も暗い。日を遮るそれがなんだろうと思い、上を見上げた。父さんだった。

 

 ボタボタとワインの瓶を割ったように粘りのある赤い血が顔に垂れてきた。

 

「父さん! なんで……、どうしてこんな」

 

 俺とハイデマリーに覆いかぶさるようにしていた父さんに叫べど答えは返ってこなかった。怪我をしていない俺たちの状況を見てすぐに分かった。父さんが俺たちをかばってくれたのだ。それに動揺して父さんを揺らしてみるけれど、大人の体とは思えないほど簡単に父さんをどけられてしまった。

 

 それもそうだろう。父さんだと思っていた物体は、両足と背中の肉のほとんどがなくなっていた。なくなった肉の分だけ父さんは軽くなってしまった。

 

 べしゃり、と水の詰まった袋が地面に落ちる音がする。

 

「……だ、大丈夫かフリッツ? 痛いところ、ないか?」

 

 時々、呼吸をかすれさせながら父さんは笑って聞いてきた。ボロボロになって、全身を血に濡らして、どう見ても手の施しようがない重症で、それでなお父さんは俺の心配をしていた。

 

「ハイデマリーちゃんも無事か? 父さんさっきから左側がよく見えなくてな、そっちの様子が見えないんだ」

 

「は、ハイディなら大丈夫だよ、父さん。気絶してるけど顔色はいいから。そんなことより早く誰か呼んでこよう」

 

 息も絶え絶えで無事ではない父さんをどうにか助けようと、誰かを呼びに行こうとして、俺の腕を父さんが掴んでどこへも行かせないようにした。

 

「と、父さん? 早く誰か呼ばないと」

 

「いいかい? フリッツ」

 

 父さんはまっすぐに俺を見た。助けを呼びに行きたいのに、父さんは嗜めるように語りかける。

 

「いいかい、フリッツ。君は男の子だ。女の子を守らなくちゃいけない。父さんのことよりもハイデマリーちゃんを守るんだ」

 

「でもこのままじゃあ、父さんが死んじゃう……」

 

 流れ出ていく血は先ほどから止まらない、分かっていた。本当は父さんが助からないことくらい、子供の俺にでも分かった。それくらいに父さんは血を流しすぎていた。

 

 これだけ血を流して、きっと文字通り死ぬほど痛いだろうに、この時になって初めて父さんは泣きそうな顔になった。

 

「ごめんなぁ、本当は父さんが二人を守らなきゃいけないのに。なのに父さん、二人をもう守れなくてごめんな」

 

「そんなこと言ってる場合⁉︎ そんなこと言う前に早くみんなで避難しないと」

 

 俺がいくらそう叫んでも父さんはうわ言のように言葉を止めない。

 

「本当、父さんダメだよな。母さんが死んだ時も、本当は父さんはお前を守らなきゃいけなかったのに、父さんは自分のことが精一杯でお前のことを放っておいて」

 

「いいから黙って! ……お願いだからぁ」

 

 泣きそうになって声が上擦る。しかし父さんは笑って指の欠けた手で頭を撫でられる。

 

「これからまたちゃんと家族に、母さんのことを乗り越えて上手く出来ると思ったんだけどなぁ……」

 

「諦めたみたいなこと言わないでよ! 俺にはまだ父さんは必要なんだ!」

 

「ははっは……、フリッツはまだまだ子供なんだなぁ……。最近は手がかからなくなっちゃったから忘れてたよ……。そうだな、ちゃんとこれから父さんが守ってやるからな」

 

 少しずつ頭に乗った手が軽くなっていく。もう流れ出る血もないのか父さんの顔は少しずつ白くなっていき、命の色が抜けた、母さんと同じ色に変わっていく。

 

 また失ってしまう。母さんに続いて、父さんまでも。また家族を失ってしまう。それは嫌だ。一人にして欲しくない。父さんを行かせないように、留めようと力の限り叫んだ。

 

「父さん!」

 

「泣くなよフリッツ。男の子だろ? でもそうだなぁ、父さんがちゃんと父さんを出来たなら、またその時は家族に戻ってもいいのかな?」

 

「そんなことしなくたって俺の家族は父さんだけだよ。他の誰でもない。父さんだけなんだよ、他の誰にも代わりなんてできるもんか……」

 

「そっか……、なら、良かっ……」

 

 言葉は最後まで続くことはなかった。熱の抜けた腕が重力に従って地に落ち、溜まった血を叩いて血飛沫が舞う。

 

 そして静かに、痛みなんて感じていないかのように父さんは息を引き取った。

 

 

 

  ●

 

 

 

 父さんが静かになった。何も聞こえない。命の暖かさも心臓の鼓動も、何もかも音を失った。聞こえているのは街を燃やす炎の音だけ。

 

 俺の最後の家族が今、死んだ。

 

 静寂があった。

 

 ハッと我に帰り、隣でハイデマリーの呼吸する音でなんとか自分のいる状況を思い出した。

 

 父さんはもう動かない。なんとかハイデマリーとこの街を脱出しなければならない。

 

 幸い、彼女の体重は軽い。俺が彼女を背負えばなんとか逃げることが出来る。

 

 動かなければ、いきて逃げないと父さんの死を無駄にしてしまう。それは一番してはいけないことだ。

 

 立ち上がって動こうとして静かだった街に音が増えた。

 

 重い鉄が打ち合うような規則的な音。それが大きくなり、その音の正体はすぐに分かった。

 

 道路の角からやってきたそれと目が合う。正確に言えば目などない。全身が黒いハニカム構造に覆われ、一部赤くなった部位がまるで目のようで、目が合ったような錯覚があった。

 

 いや、気のせいではない。それは確かに俺を見て、そして動いた。顔のすぐそばを熱が走った。

 

 直後に背後で爆発音がした。振り返り、見てみると小さな爆発と炎。放たれたのはビーム、熱光線だ。これが出来る存在を俺は知っている。

 

 ネウロイ。古くは怪異と呼ばれ、人類と敵対してきた天敵。どうして街が焼けているのか、誰が父さんを殺したのかすぐに分かった。

 

「おまえかー!」

 

 気がつけば叫んでいた。武器も何もないのに走り出し、目の前にいるネウロイに向かっていた。ビームを出してすぐは打てないらしい。ネウロイは驚いたように動きを止めていた。走りながら転がったレンガの破片を掴み、ただ乱暴に叩きつける。

 

 しかし割れたのは俺の手だった。当たり前だ。ネウロイは世界中の軍隊、ウィッチが戦ってやっと勝負になるんだ。ただの子供が暴れてどうにか出来る相手ではない。蜘蛛のような足を生やしたネウロイはその一足を振り上げると払うような動作で動かし、俺はボールのように叩かれた。

 

 視界が何度も回転し、近くの壁にぶつかって止まる。

 

「殺す、殺す、殺すぅ!」

 

 冷静さなど何もない。ただ同じことを何度呟き、手近にあるレンガや石を投げる。しかし何をしても軽い音がしてネウロイの装甲には傷一つつかない。

 

 もう一度レンガを投げようとして、腕に熱が走った。痛みとともにそちらを見てみると、右腕、肘から先がなくなっていた。振りかぶろうとしていて、肘から先がなくてバランスを崩す。

 

 バランスを崩し転倒して、無防備にネウロイの前の転がり出る。無防備になった俺をネウロイは焼き殺そうとビームの充填を始める。赤く光った装甲、すぐにも父さんを殺したのと同じ熱が俺に襲いかかろうとしていた。

 

 もう終わりらしい。どう頑張って、ここから勝てる要素はない。このまま俺は殺されて、次はきっと気絶したままのハイデマリーだろう。俺が死んだ後で彼女も殺される。

 

 それはダメだ。父さんと約束、最後の言葉を無為にしてしまう。

 

「殺してやる。父さんを、この街をめちゃくちゃにしたお前らを絶対に、殺してやるー!」

 

 叫びながら迫っていたビームの光が最大になった。

 

 視界が光でいっぱいになった。

 

 放たれた光線、しかしどういうわけか俺は生きていた。

 

 光線の手前、何かがそれをそれを遮っていた。薄い膜のようなものが間に割って入り、俺を守っていた。

 

 これがそういうもので、どうしてあるのか、何一つ分からなかった。しかしこれでどうにかすればあれが殺せる。その確信だけで十分だった。

 

 肘から先がなくなった腕をかばいながら立ち上がる。手近な大きさのレンガ片を掴んでネウロイに近づいていく。ネウロイは俺を殺そうと何度もビームを放つが、勝手に出現するシールドがそれを防ぎ、一歩、また一歩と近づいていく。十歩も歩いていると手が届く距離に入る。

 

 腕を振り上げレンガを叩きつけた。レンガが割れた。食い込んだ指が切れてしまった。

 

 どうでもいい。子供の力だけではネウロイは倒せないらしい。

 

 なら、殺せるようになればいい。

 

 不思議と思考はそう結論づけた。頭に異物感があった。異物感は頭の奥からひたいに抜けるようにしていき、一つの形を成した。山羊の角。後から聞いた話だが、ウィッチは魔法を使うとき契約した動物の部位が体から生えてくるらしい。そしてそれは、俺の場合は山羊ということらしい。

 

 そしてシールドが発生するように魔法力が全身を包んだ。怪我をした箇所が癒えていく。

 

 いや、違う。これは癒えているのではない、治癒魔法はあるべき形に戻す力。そしてこれはそうあってほしいという形に無理やり体を整形し直す力。自己改造の魔法だった。

 

 ——腕が欠けてしまったのなら生やせばいい。

 

 欠けてしまった腕がまるで最初からあったように生えた。

 

 ——腕力が足りないなら足せばいい。

 

 筋繊維が人のそれから別物に変わっていく。

 

 ——ネウロイを殺すのに人の力だけでは足りない。

 

 なら人の形をしている必要はない。

 

 腕が足りないから増やした。体が小さいから大きくした。皮膚が弱いから硬くした。血が流れると死んでしまうから、血が流れても問題ないように内臓を作り変えた。

 

 見上げるように大きかったネウロイもいつのまにか見下げるほどに小さくなった。いや、俺が大きくなった。

 

 足を上げ、そして地べたの虫でも潰すような気軽さで、俺はネウロイを踏み潰した。グシャリと鉄を乱暴に圧縮したような音と悲鳴のような音を上げてネウロイは消滅した。

 

 見下ろして父さんの血が作った水溜りがあった。そこに写っていたのはただの化け物だった。人の面影を残して、まるで物語で見た竜のような歪な生き物だった。憎悪だけで形作られた不自然な生き物。それが今の俺だった。

 

 別にどうでもいい。形は重要じゃない。大事なのは今の俺ならネウロイを殺せるということ。

 

 気絶したままのハイデマリーをそっとすくい上げ、火の手から守るように両手で包む。

 

 先ほどの戦いで寄ってきたらしいネウロイが何匹もこっちへとやって来た。奴らは俺を見つけるとビームを放つ。そのどれもがシールドに阻まれて届くことはない。しかしこちらから攻撃することもできない。

 

 なら攻撃する器官を作ればいい。ちょうどいい見本が目の前にいくつもいるじゃないか。

 

 体を作り変え、ネウロイのそれと同じ赤い器官をいくつも作り、奴らがやったのと同じように、奴らの攻撃方法でネウロイを殺していく。

 

 シールドを張れないネウロイはそれだけで容易く死んでいく。

 

 気分が良い。このまま目につくネウロイを全て殺してから避難するとしよう。

 

『死ね、死ね、死ね』

 

 声帯がなくなったから代わりの器官を生み出し、呪うように呟いていく。

 

 ネウロイの数が多い方、街の西側に出るとライン川の向こう側、ガリアの方向からまだまだいくつものネウロイがやってくるのが見えた。

 

 気が済むまで殺そう。そうしたらきっと死んだ父さんも喜んでくれるに違いない。

 

 そう思いながら俺は光線を放った。

 

 

 

  ●

 

 

 

 わたしが目を覚ました時、そこは病院のベットだった。眼が覚めると心配そうに目を泣き腫らしたお父様とお母様に抱きしめられた。

 

 話を聞くとそこはカルフから東に大きく行ったシュトゥットガルトの街の病院だった。カルフの街は住める状況ではなくなって、みんなこちらに避難したらしい。

 

 そして思い出す。フリッツはどこ⁉︎ そう両親に尋ねると二人とも悲しそうな顔をした。フリッツのお父さんが遺体で見つかったと伝えられた。とても悲しかった。でもそれ以上に一緒にいたはずのフリッツがどうなってしまったのかが気になった。一緒にいたはずなのだから同じ病院にいると思ったがフリッツの姿はどこにもなかった。

 

 両親に聞いてみても二人とも何も言わず、わたし達家族は南リベリオン大陸のノイエ・カールスラントに疎開することが決まった。わたしたちの故郷が、祖国がネウロイとの戦争の戦場になってしまった。住めなくなったから、わたしたちは逃げるのだと悔しそうにお父様は言っていた。

 

 疎開の日、遠い南リベリオン大陸へ行くための船が出るネーデルラントの港にわたし達はいた。船に並ぶ人たちはみんな暗い顔をしていた。当たり前だ。故郷を焼かれ、追い出されて私たちは遠い国へ逃げようとしている。希望の逃避行、エクソダスではなく追放なのだ。

 

 最後のお見送りのため、わたし達、移民の列を軍人さんたちが並んで敬礼をしていた。慣れ親しんだ故郷を離れるのだと悲しく思って泣きそうなのを我慢しながら歩いていると、軍人さんの中、ウィッチの人たちの列の中に見知った人がいることに気がついた。

 

「フリッツ!」

 

 わたしは思わず叫んでいた。静止する両親を振り切り、いくつも並んだ列を飛び越えてわたしは彼の前に立った。

 

 一週間ぶりだというに彼はまるで別人のような顔をしていた。傷つき、怪我だらけの顔。それなのに目だけは鋭く暗い感情を瞳に灯らせていた。

 

「フリッツ! どうしてここにいるの⁉︎ 一緒に行きましょう!」

 

 彼は何も言わない。どうして彼がウィッチと一緒にいるのかわからなかった。でも、それでもフリッツの手を取り一緒に行こうとして、しかし伸ばした手を拒絶された。

 

「フリッツ……? どうしたの? 一緒に行きましょう?」

 

「……行かない」

 

 フリッツと目が合った。しかしそこにわたしは映ってはいなかった。表情は抜け落ち、暗い瞳はここにいない敵を睨みつけていた。

 

「ぼくはこれから敵を殺しに行く。父さんの街の仇を取る。敵を殺して、殺して、殺し尽くしてやるんだ」

 

 わたしにではない誰かに言うように何度も愉快そうにフリッツは言った。

 

 フリッツが怖い。まるで敵を殺すこと以外の感情や考え方がすっぽり抜けてしまったように、壊れたレコードのように同じことを何度も呟いていた。まるで自分に言い聞かせるようだった。

 

 そしてウィッチ達に集合がかかるとフリッツも一緒にその方へ歩き去ってしまう。一人残されたわたしは歩き去る彼の背中を見ているしかできなかった。

 

 ネウロイとの戦争という大きな嵐がわたし達の故郷を、家族を、そしてフリッツの心を壊し、私たちは離れ離れになってしまった。

 

 ノイエ・カールスラントへ向かう船から戦場となった故郷へと飛び去っていくウィッチ達の姿だけが見えた。

 

 

 

 幼少期編・完

 

 

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