Was kann ich für Sie   作:加賀崎 美咲

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Der Grund warum ich brauche

 欧州の空、ネウロイに占領された西カールスラントの境界沿いを二つの影が飛んでいた。二人のウィッチ、フリッツとロスマンだ。

 

 付かず離れずの距離を保ち、二機はエンジンを吹かして澄みきった空を渡っている。

 

 しかしそこにあったのは優雅なひと時ではなく、罵声と怒号の二つだった。

 

「オラァ! 動きが遅いぞ。撃ち落とされたいのか!」

 

「少しはこちらに合わせなさい、この下手くそぉ!」

 

 互いに罵り合いながら僕らは、縦横無尽に空を駆け抜けてドッグファイトを繰り出していた。対ネウロイ戦においてどうしても火力の面で負ける僕ら人類が奴らと戦うには、いかに相手の攻撃をかわしコアと呼ばれる核を砕くかが重要だった。

 

 そしてこの戦い方を習得することが一人前のウィッチへの第一歩で。しかしどうして、この戦い方はロスマンには向いていなかった。ドッグファイトは機関銃や短射程のミサイルを相手に捉えながら戦うやり方で、そのためにはどうしても激しい空中機動を長時間続ける必要がある。そしてこれがロスマンには致命的だった

 

 幼少期の病のせいなのか、それとも単なる体質なのか、彼女にこれをこなす魔法力や体力が欠損していた。

 

「次、捻ってから後ろを突っつけ!」

 

「——くっ!」

 

 苦しそうな呻きが返事として返ってくる。小さく輪を描くように立体的な飛行機雲を残して、視界が一周する。急な動きを終えて確認のため後ろを見る。これは空中機動の訓練、僚機であるロスマンは僕の後ろへいなければならない。しかし後ろを見たときに彼女はそこにいなかった。音のする方へと視線をやると上の方、予定の軌道よりも大きな弧を描き、なんとかこちらへ追いつこうとしている彼女がいた。

 

 ペイント弾を装填した機銃を構え引き金を引く。設計の通りに弾が発射され、ロスマンのストライカーユニットを桃色に染めた。桃色に染まったストライカーユニットを見て小さく嘆息する。

 

「そんな体たらくだと、命がいくつあっても足りないぞ。それともネウロイに待ってください、だなんて言うつもりか」

 

「いいから続けなさい! 男がゴチャゴチャ言ってないで」

 

「お前、教わってる側だよなぁ⁉︎」

 

 バカなやりとりを交えながら二人で次の軌道に入る。これでいいと心の中で呟く。僕らに仲良しこよしな教導なんて糞食らえだ。互いに罵り合いながら空を飛ぶ。真面目にやったとしても彼女、ロスマンはついていけていないのだ。だったら多少無茶な訓練でも、どんな方法を用いてでも、彼女のウィッチになりたいという思いに応える。

 

 同情や思いやりでそうするのではない。僕にとって生きる理由はネウロイを殺すこと、父さんの仇を取ること。それ以外には何もなく、だからそれを達成するためならばどんな労力も厭うことはない。

 

 自分のため、生きる目的のためという自分本位な理由で僕は彼女に協力していた。その結果、彼女が死のうが生き残ろうがそれは些末なことだ。一人でも戦力がいる、言ってしまえばそれだけのことだ。

 

 夢を叶えるためなら形振り構わないのか、ロスマンはそんな僕のあり方を受け入れていた。あくまでウィッチになるため、気の合わない、気に食わないだろう僕に彼女は従っていた。故に僕らは罵り合う、互いの目的のために、互いを利用する。そこに隣人へ向ける気遣いはなく、そんな余裕もなく、ただ目的のために僕らは無理矢理な二人三脚をしていた。

 

 そんな訓練が5時間ほど続いた。まだ低かった太陽も見てみると、すでに南中を超えて下ろうと始めている。

 

 流石に魔法力も体力も尽きかけているため帰投した。

 

 

 

  ●

 

 

 

 帰投するとクルピンスキーがどういうわけか待ち構えていて、あれよあれよと何故か彼女主催のお茶会が始まり、それに参加していた。主催者のクルピンスキーは実に楽しそうに僕を見て言う。

 

「いやー、後輩くんが新人と上手くやれていて、僕嬉しいよ」

 

「開口一番にそんなことですか」

 

 出された紅茶に軽く唇を当てつつ、僕はカップの中で揺れる紅茶を見た。

 

 甘くて果物の香りが強い。最近首都の方で流行しているフルーツティーというやつらしい。女の子との話題作りの為、彼女はこういうものに妙に詳しい。だから僕は彼女にある頼みごとをしているわけだが。

 

 僕はボーッと紅茶を見ることに夢中になっていると横に座ったロスマンがとてもいい笑顔を作った。

 

「えぇ、ルンペンハルト少尉にはとてもよくしてもらって、今日なんか後ろから何度も乱暴に突かれたわ」

 

「……誤解を生みそうな言い回しはやめてほしい」

 

 確かに今日の訓練では何度も彼女を後ろからペイント弾で撃ったが、そんな風に言われると非常に心外だ。クルピンスキーもロスマンの言い回しは理解しているらしく、わざとらしい笑みを浮かべ、からかうようなものに空気が変わる。

 

「ほぅほぅ、とするとなんだ。もしかして浮気ってやつかな、ルンペンハルト少尉どの? 君もどうしてなかなか隅に置けないね」

 

「いや、そういうことじゃな……、分かってやっているでしょ」

 

「はははっ。まあ、ねー」

 

 相変わらず軽薄のような、空気の機微に聡いというか、とにかく自分には到底真似できそうにない彼女の応変の巧さに言葉を失っていると、ロスマンがクルピンスキーの言葉に引っかかりを見せた。

 

「ルンペンハルト少尉は意中の相手がいるのかしら?」

 

 その言葉の意味を理解して顔が熱くなる。クルピンスキーのせいで妙な勘違いが生まれようとしていた。すぐさま否定せねば、クルピンスキーのいいようにされるのが目に見えている。

 

「いや、そういうわけじゃ……」

 

「へー、そうじゃないのに彼女への贈り物は欠かさないわけだ。女の子への贈り物が分からないから、ぼくに一任しているのに、何にもないってことはないよね」

 

 ワザとらしい声を出してクルピンスキーがからかうように笑う。そうなのだ。クルピンスキーには外出許可を譲る代わり、彼女に色々と買い物、贈り物を頼んでいた。送り先は言わずもがな、しかし何を選べば良いか分からない僕に、彼女の存在は渡りに船だった。

 

 故に彼女は僕の事情の大概を知っていて、偶にこうしてからかわれる時に僕は強く言い返せないでいた。言い返せないものだからせめてもの抵抗として、抗議の視線を送る。

 

「……、……、…………」

 

「あはは、そんなに睨むなよ。良いじゃないか女の子に贈り物、まめなのは良いことさ」

 

「——っ、もうこの話はいいです。はいっ、おしまい。……それよりもロスマン同輩のこと話しましょう? そうしましょう⁉︎ ほらっ、時間もあまりないですよ」

 

「あっ、誤魔化した」

 

 動揺して声が裏返りそうになるのを必死に抑え、懐に入れていた懐中時計の時刻を見せる。針はすでに夕食ごろを示しており、夕食までに一旦終えたいと考えるとあまり時間がなかった。

 

 そんなことを考えているとクルピンスキーが少し感心したような声を上げた。

 

「おっ? 随分と良い時計だ。何かと物を大事にしない気質だと思っていたけど。なるほど……、こういう趣味があったんだね」

 

 するりと手の中の時計を拾うようにとったクルピンスキーが興味深そうに懐中時計の機構を覗き込んでいた。時々、ほほぉと小さく声を漏らしては中を覗き込んでいた。子供っぽい彼女の様子に毒気を抜かれ、文句を言うのもバカらしくなっていると、横からロスマンが興味を隠しきれないような様子を見せた。

 

「あら、本当に良い時計。性格がガサツな割にこんな繊細な物を持ち歩くなんて、貴方って本当によく分からない人ね」

 

 とても失礼なことを言われているが、事実周囲からどう見られているかを承知している分、特段否定する気にもなれなかった。自業自得と言えばそれまでだが、思うところがないわけでもない複雑な人の心理だ。

 

 コメントに困り、時計を取り返す。鎖を甘く指に絡ませ、振り子のように宙ぶらりんと揺らせる。

 

「別に僕の趣味ってわけじゃない。残った父さんの遺品がこれだけなんだ」

 

 そう言うとクルピンスキーはひょうきんな表情を崩し、直ぐさま申し訳なさそうにした。こういう切り替えの早さだけは本当に見習いたい。

 

「あぁ……、そういう……。ごめんね、フリッツ。そうとは知らず」

 

 申し訳なさそうにうなだれるクルピンスキーに手を振って見せて大丈夫だと伝える。いまさら過去のことで落ち込むほど繊細な人間のつもりはない。

 

「気にしなくていいです。別に壊れたわけでもない。手元に残ってさえいれば、壊れていたって、それは父さんとの思い出には違いない」

 

 手の中で正確に時を刻む時計を眺めているとロスマンは微笑ましいものを見るように表情を柔らかく変えた。そんな生暖かい視線を送られ、背中にむず痒さが残る。

 

「あなたにとって、それはとても大切なものなのね」

 

 今まで聞いた中で一番柔らかい口調でロスマンは言った。可愛らしいものを見るようなその視線に顔が火照っていくことを感じて、思わず顔を背ける。

 

 顔は見えないがロスマンの隣に座るクルピンスキーも同様の雰囲気を醸し出していて、その空気に耐えきれず、わざと気持ちの好かない口調で言う。

 

「それで、先に結論から言うけどロスマン、君にドッグファイトは無理だ。出来ないことはするものじゃない」

 

「まぁ、そうよね。分かってる。あれだけやれば嫌でも分かるわ」

 

 僕の断言にロスマンはすんなりと同意を示していた。口調も柔らかく、どこか恥ずかしがっている自身を見抜かれているようで引っかかる。まだ分からないと言い淀むと思っていたから、抵抗なく彼女が認めたことに妙な拍子抜けを覚えると、彼女は考え込むような仕草を作った。

 

「となるとやっぱり、私が目指すべきは一撃離脱戦法になってくるのかしら」

 

「一撃離脱?」

 

 オウム返しで彼女が告げた聞き慣れない言葉を言うと、そうだと彼女は肯定した。

 

「そう、一撃離脱。主流の格闘戦から戦い方を改めるの。どうしたって格闘戦はウィッチ本人の技量や体力に左右されてしまう。今までの訓練を終えて分かったわ。初めから技量や体力を考慮しなくていい、瞬間的な決着を狙うやり方の方が私には合っている。ちょうど騎馬でやる戦い方のウィッチ版というわけね」

 

 ロスマンの言う新しい戦い方を僕とクルピンスキーは黙って聞いていた。もっと言えば彼女の言っていることが分からなかった。騎馬での戦い方と言われても見たこともなければ、聞いたこともないのに想像のしようもない。僕と一緒に間抜けな表情を作っているクルピンスキーが呟いた。

 

「いやー、ロスマンちゃんは博識だねー。まるで先生みたいだ」

 

「なるほど、つまり、さっぱり分からない」

 

 僕らの適当な発言にロスマンは頭を痛そうにしていた。しかしそんな顔をしないでほしい。僕らは単純に聞き馴染みがないことを説明されて、それが耳から入って反対側から出て行ってしまうだけなんだ。だからそのバカ二人を見る顔をやめろと言っているんだ。

 

「……口頭での説明よりも、二人には実地で説明した方が良さそうね」

 

「おっ、そっちの方が僕にもフリッツにも分かりやすそうだ」

 

「釈然としないのは僕が気にし過ぎだからなのか?」

 

 クルピンスキーのように後腐れなく切り替えられないことが歯がゆい。

 

 

 

  ●

 

 

 

 ストライカーユニットを身にまとい、僕らはまた空にいた。前と違ったのは今回は僕ら二人に加え、暇そうにしていたクルピンスキーも捕まえて、連れてきたこと。女の子をナンパする暇があるのなら手伝えというと彼女は快く引き受けてくれた。

 

 やっていることはかなり単純で、僕がネウロイ役ロスマンとクルピンスキーの二人がウィッチ役ということで、ロスマンの言う一撃離脱戦法の有用性を試していた。

 

 結論から言えば、この一撃離脱戦法は実に的を得た戦い方だった。囮役のクルピンスキーに意識を割いていると、意表をつくタイミングで急降下してきたロスマンがすれ違いざまに軽く斉射をしては距離をとって逃げていく。追いかけようにもクルピンスキーがそこに割って入る。

 

 クルピンスキーの高い技量に支えられている箇所もあるが、とにかくこのループから抜け出させてくれない。即興のコンビながら、よく出来た戦いぶりだと言わざるを得ない。

 

 そんな場面を繰り返し、そして持ってきた模擬戦用のペイント弾が底をついた。模擬戦も一旦の終わりを見せ、僕らは一回集合した。

 

 集まり、距離も近いたことで互いの様子がよく分かる。ストライカーユニットや軍服の端々にペイント弾が当たった跡がありありと染みている。一番やられているのは僕だった。敵役ということもあるが、度重なる襲撃に疲れも溜まっていったことでだんだんと対応が間に合わなくなっていたのが見た目によく出ていた。

 

 次に被弾していたのはクルピンスキーで、彼女はストライカーにポツポツと僕の抵抗の痕跡が残っていた。しかし最も見るべきはロスマンだった。

 

 慣れないことをしたせいで軽く肩で息をしているが、彼女のストライカーユニット、軍服にも汚れ一つなかった。疲れてはいるものの、これに慣れたなら疲れも今よりもずっと良くなるはずだ。予想以上の成果が見えてきて僅かな興奮が心を浮足立たせる。

 

「それにしても少し疲れた」

 

「あら、私はもう少しやってもいいわよ?」

 

「勘弁してくれ、もう帰りの分くらいしか燃料が残ってない。それとも何か、足元のネウロイの瘴気の中に仲良く飛び込むか?」

 

 あごで足元の黒ずんだ大地を示す。ライン川よりも向こう、緑豊かであったはずの西側の土地は枯れて時々黒い靄のような霧が地表をなぞっている。ネウロイに占領された土地は殆どがあの様になってしまうらしい。聞いた話によれば魔法力のないものならば短い時間で意識の混濁や嘔吐、ウィッチであろうとも数時間も経たずに体調を崩してしまうらしい。

 

 しかしそんな実害以上に、住んでいた土地が奪われたことが視覚的に理解できてしまうことが何よりも苦しいものだった。黒く染まった大地に向かい、取り戻すと誓うウィッチや兵士は少なくない。

 

 ストライカーの燃料が尽きれば落ちてしまうため、その前に戻らなければならない。きびすを返して来た道を引き返していく。

 

「しっかし、あんなに土地がめちゃくちゃにされている割に、ネウロイの斥候とかはいないんだね」

 

 戻り道の中、暇を持て余したクルピンスキーが思いついたことを呟いて、思うところがあるらしいロスマンが引き継いだ。

 

「そうね、こっちにくるネウロイはいつも侵攻を狙った個体ばかりで偵察なんてほとんど見たことがないわ。あれだけ瘴気を広げていれば私たちは来ないって踏んでいるのかしら」

 

 紫の大地をロスマンは腹立たし気に睨んでいる。何もしなくとも、もうあの大地は自分たちのものだと言外に、ネウロイに言われているようだった。

 

「ほらほら、そんな怖い顔しないで。後輩くん、過ごし顔しているよ」

 

 言われて思わず自分の顔に触れる。知らず知らずの内に表情筋が強張っていたようだった。両手で顔を包み、硬くなった表情を無理に変えようとして、勤めて笑顔を作る。覗き込んでいた二人がこちらの顔を見て、顔を背けて笑いをこらえたような様子を見せて自分の失敗を悟り、顔が熱くなった。

 

「ほら、僕のことよりも目の前。雲だよ、雲。上に避けないと」

 

「そんなに恥ずかしがらなくたって、フリッツはもう少し肩の力を抜きなよ〜」

 

 からかうように笑うクルピンスキーを無視して高度を上げ、目の前の雲を超えるように飛ぶ。高度を上げて足元の全てが雲の純白、一色に染まる。大地から見上げるのではなく、すぐそばで見る雲に柔らかさはなく、どこまでも深い、底の見えなさばかりが気になるほどに白かった。

 

 暗い白さに夢中になって眺めていると、ふと違和感を覚える。目に写っているのは白ばかりだ。そして先が見えず、奥の方は暗く見えていた。それがどういうわけか黒みを増している。

 

 そしてその黒は、影に変わり、浮上した。

 

 

 

  ●

 

 

 

「——! 散開!」

 

 悲鳴にも似た叫び、それを聞き届けた二人は訳も聞かず、しかし訓練通りに距離を作り、単純な陣形を作り出す。穏やかに漂っていた雲が裂かれ、その奥から雲をかき分けて黒い巨体が姿を現した。

 

 ネウロイだ。雲の奥に潜んでいたのはネウロイだった。油断していた自分に心の中で叱咤のために罵る。確かに今日の予報でもネウロイが来るという予測はなかった。しかしどうして必ずいないと言い切れる。

 

 しかしそんなことを言っていても仕方がない。すぐに思考を敵を倒すことに切り替えて、手に持った小銃を力強く握りしめる。これに込められているのは訓練用のペイント弾であり、殺傷力は小石を投げるのにも劣る。

 

「ネウロイ⁉︎」

 

「フリッツどうする⁉︎」

 

 驚きに声をあげるロスマン、こちらを見るクルピンスキー。正直いきなり現れたネウロイに動揺する自分の心をなんとか冷静にしようとしていても、それにネウロイが構うはずもない。次の行動に入る前に、赤い閃光が僕らを分断した。光の向こう側、ロスマンの声が聞こえる。

 

「フリッツ!」

 

「分かってる!」

 

 一つの声で意思を疎通する。僕らが見た方向はただ一つ。ネウロイの向かっている方向。あの雲の向こうにはいくつもの町、そしてそのさらに向こうにはベルリンがあった。

 

 ネウロイの出現予測を外した観測部の防衛体制を信頼できるほど、悠長に僕はなれなかった。

 

 すぐにこの黒い害虫を地に落とさなければならない。覚悟を決めてゆうに鯨ほどの大きさもあるネウロイに立ち向かう。

 

 僕らは誰も重火器を持っていない。なら必然的に固有魔法でネウロイを倒せる僕が矢面に立って戦う必要がある。

 

「クルピンスキー、ロスマン。僕が行く! 囮は頼んだ! 」

 

「任せておいて!」

 

 言うと同時に二人は上へと飛び上がった。動くものに気が逸れたらしい、ネウロイは移動する二人に当たるようにビームをなぎ払うように放った。迫り来るビームを障壁で防ぎつつ二人はネウロイの気を引くためにその周囲を飛び回る。

 

 ネウロイは僕の存在を忘れたらしく、二人を落とすことに夢中になって、おそらくビームの発射器官の全てを二人に向けていた。

 

 破裂する音が聞こえた。ペイント弾が放たれた音で、クルピンスキーが鳴らしたものだ。その意味は単純、スタートラインに立った人間に走り出せ、今がその時だと知らせる合図。返事をする前に僕は飛び出した。

 

 空気を切り、高度を落としていく。クルピンスキーとロスマンに夢中のネウロイは上から降りてくる僕に気づいていない。100、50、と距離を詰めていく。目と鼻の先にネウロイがいる距離まで来た時、ネウロイの動きが変わった。ユニットの駆動音を聞きつけたのか確証はないが、それまで向いていた方向からこちらへ振り向いて、叩きつけるようなビームの奔流がこちらへと向けられた。

 

「しゃらくさい、一点突破あるのみ!」

 

 魔力を使ってシールドを張り、こちらを焼こうとするビームを押しのけるようにして前へ進んでいく。ビームと拮抗して赤くなり、熱を纏っていくシールドがネウロイにたどり着く前に破れてしまわないよう心では祈りながら体は叫ぶ。

 

 あと少しというところ。手を伸ばせばネウロイに届くというところで、ついにシールドに限界がきた。丸く張られたシールドの端、足下の一角が維持できなくなり壁のなくなったそのすきまをネウロイの閃光が通り過ぎていった。シールドが破れたことに驚く猶予もなく、思考は間髪挟まずに起きた爆発音に遮られた。

 

 シールドを貫いたビームがそのまま右足のユニットに当たり、焼かれたユニットが破損して断面から煙を吐き出している。ユニットが半壊したことで足を異空間に収納する魔法が解除され、先ほどまでは無かった膝から先が元に戻り、ユニットが足から外れていく。

 

 それにともなって体を支える推進力が左足だけとなり、体が大きく揺れる。

 

 しかしそんな不安定な姿勢にかまうことなく突貫を続ける。わずかだった距離をユニットが残る足を振り回してその反動で縮め、そのままかかと落としの要領でユニットを鈍器として振るい、ネウロイに叩きつける。

 

 金属の破砕音と共にユニットが木っ端微塵に爆発するが、肝心のネウロイに損傷はあまり見られない。魔法力のこもった攻撃ではないのだ。元からこれで倒せるとは期待していない。だから決めるのは次の攻撃、本命だ。

 

「どぉうりゃあ!」

 

 かけ声一つと共に足を振り、振り子のように足を使ってネウロイにしがみつく。足の指先を変質させ、鋭く尖った爪を釘打ち機のような機構で打ち付け、体をネウロイから離れないように固定する。同じように両腕もネウロイに対抗できるだけに筋力を強化し、形を変形させ、振り下ろすと手首までがネウロイの装甲を貫通した。それを確認して両腕に力を込めて力一杯に横に開く。

 

 アルミ缶を裂くようにネウロイの装甲がめくり上がるがその下にあるのは装甲と同じハニカム構造の組織だけで、肝心のコアが見当たらなかった。

 

「フリッツ早く離れろ!」

 

 遠くから様子が見えているらしいクルピンスキーが慌てたように叫んだ。コアが見つけられていない以上、ユニットが両方とも壊れた僕はかっこうの的だ。それ故に彼女はそちらに跳べと言いたいらしかった。頭の冷静な部分はそう判断していたが、固有魔法による肉体の変質の副作用、脳への異常刺激が暴力的な手段を取らせたがる。崖から飛び降りるような開放感と共に右腕を振り下ろし、装甲を破って肘くらいまでが埋まって抜けなくなる。

 

 それを見ていた二人が何か叫んでいるが無視して、腕に集中する。腕の構成そのものを一から作り直す。なにしろ見本は目の前にある。そっくりそのまま同じように作り直すだけだから簡単なくらいだった。

 

 作り直しや腕は人としての原型はなく、おおよそ目の前のネウロイと同じだった。奴らのビーム機構を模倣して作り出した魔法力射出機構。ネウロイがするのと同じようにビームを打ち出す為の腕。それがネウロイの体内で放たれたならどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。

 

「地に落ちろよ、害虫野郎」

 

 荒々しくなる口調で目の前の敵をなじり、込められる限りの魔法力を打ち込んで放った。固い装甲の下で熱戦がネウロイの組織を焼いて溶かしていく。ちょうど鉄の容器の内側に溶かした鉄を流し込むように中が熱に満たされていき、どこかにあったのであろうネウロイのコアも内側にあった組織と一緒に融解して壊れた。

 

 それが限界だった。コアが壊されたことでネウロイが破砕した。そして内側で籠もっていた熱量も逃げ場を手に入れたことで爆発した。飛び散るネウロイの破片、ビームの残滓である熱量が飛び散る。熱を感じて反射的に残った左腕で顔を隠すがそれがそれほど意味の無いことだというのはどこかで理解していた。

 

 瞬きのように光が咲いて、次の瞬間には爆風と爆発音が体の正面から抜けていった。過剰な外部の刺激に視界と聴覚がめちゃくちゃにされ、自分が今どうなっているのかさえよく分からない。

 

 浮遊感を覚え、このまま落下するのだろうと予測していると。その前に脇の下に腕を回され、持ち上げられる感覚があった。

 

 段々と白く染まった視界と頭を揺らす耳鳴りが収まってきて、なんとか自分を持ち上げる人物を見上げると、あきれた顔をしたクルピンスキーがこちらを見ていた。

 

「大丈夫かいフリッツ。またずいぶんとボロボロだけど」

 

「うぇ……、そんなに酷い?」

 

「顔を庇った左腕と制服はボロボロだし、右腕と両足なんて皮一枚でやっと繋がってる」

 

「それはひどい。基地に着くまでに治るといいけど」

 

「それで治るんだからすごいよ。羨ましいとはかけらも思わないけど」

 

 目がよく見えず、痛覚がないため自分の状態がよく分からなかったが、それほどまでにひどい状態らしい。

 

 ユニットが全損し、飛ぶこともできない僕はおとなしく猫のように持ち上げられていると、そばに飛んできたらしいロスマンが呆れたようにため息をつく。目は見えないがまじまじと見られている感じがする。

 

「まったく、ひどい怪我ね。少なくとも制服は破棄するしかない。どうやったらそこまでひどいことになるのか逆に教えてほしいものだわ」

 

「僕、一応敵を倒した功労者だと思うんだけど……」

 

「そう言うなら、もう少し身の安全を考えなさい。見てる側からしたら心臓が鳴りっぱなしで生きた心地がしなかったわ」

 

「……面目無い」

 

 そう言われてしまうと強く反論できない。確かにお世辞にも僕のやり方は見本になるようなものじゃなかっただろう。むしろネウロイの自壊と一緒にやられていた可能性すらあった。

 

 少し反省していると、不意に何かに気がついたようにロスマンが小さく声をあげた。そのまま彼女は僕の胸元を弄り、何かを見つけるとそれを引っ張った。それに連動して何かが首を撫でていく感覚が短くあり、そして短く力が抜けるようにしてなくなった。

 

 少し焦ったようなロスマンがした。

 

「あら、フリッツ。あなた時計はどうしたの。もしかして制服の下にしまっていた?」

 

「うん? 父さんの時計だったら、胸元に。——! まさか……」

 

「えぇ、鎖が溶けて千切れているわ。ネウロイの破片と一緒に落ちていったのかしら」

 

「——っ! だったらすぐに探さないと」

 

「慌てないでちょうだい。今探してるわ。あなたボロボロなのだから大人しくしていなさい」

 

 ぴしゃりと言い放たれて言い訳も許されず、大人しくしているとロスマンが地表へと高度を降ろしていく。彼女が降り立った場所はネウロイの破片が辺りに散らばっているようだった。しばらく待っていると再び飛び上がったロスマンがこちらに合流しようと戻ってきた。

 

「おっ、エディータちゃんが戻ってきた。……見つけたみたいだよ。よかったねフリッツ?」

 

 戻ってくるロスマンを見ながら飛行角度をそちらへ寄せていくクルピンスキーがホッとしたように言う。

 

 それと同時だった。

 

 ネウロイを倒したから、僕らは油断していた。ぼんやりとした視界の中でこちらへ向かっていたロスマンが赤い閃光にさえぎられて姿が見えなくなった。

 

「ロスマンっ!」

 

 思わず動揺して彼女の名を叫んだ。だけど望んでいた返事は帰ってこない。彼女の無事を確認する前にクルピンスキーが大きく動いたことでそれもかなわない。

 

「まってくれクルピンスキー! ロスマンがまだ——」

 

「分かっている! ——だけどキミを抱えながらあれと戦えっていうのかい?」

 

 両手がふさがっているため、あごで彼女は一方向を示した。その方へ視線のほうへと顔を向け、息をのむ。白かった雲が晴れ、その先にあるはずの青い空はなく、黒い斑点が幾つもあった。小さな赤い光が幾つも瞬いて、それを同じように見たクルピンスキーが慌てて軌道を激しいものに変えた。

 

 それまでいた位置に人の命を容易く奪い去る赤い閃光は何本も通り過ぎていく。まだ薄く残る赤の痕跡が、今見えている黒い斑点のすべてがネウロイなのだと教えられる。

 

 悔しいがあの大群の前に、四肢の回復が間に合っていない僕を持ち上げたままのクルピンスキーが取れる行動は撤退という名の逃走だけだった。

 

「ロスマン! 無事なら返事をして。この数は無理だ。基地に戻ってみんなに知らせる」

 

 彼女のいた方向へ、彼女に声が届くことを祈りながら叫ぶ。しかし返事はなかった。ダメだったのだろうか。いくつもの戦場で見た、空を飛ぶウィッチがネウロイに撃墜される光景を思い出す。命を奪い合う以上、仕方のないことだと割り切ることができず、知り合いがいなくなってしまったことに体の力が抜けるような感覚がした。

 

 彼女をあきらめ、逃走のためにクルピンスキーが加速の固有魔法を使おうとしていた時だった。雲の向こう。白いその向こうで光が咲いた。その信号には見覚えがあった。緊急時のために形態が義務になっている信号弾の固有の瞬きだ。心がざわめくのを感じ、クルピンスキーに確かめた

 

「見えた? 九時の方向。雲の向こう」

 

「ああ、ばっちり。よかった、少なくとも彼女も生きているみたいだ」

 

「だけどわざわざ信号弾を使ったってことは、ユニットが破損した?」

 

「ともかくボクはひとまず戻るしかない。いくよフリッツ、しっかりつかまっているんだ。彼女が逃げられるだけの時間を可能な限り稼ごう!」

 

 

 

  ●

 

 

 

 クルピンスキーの加速魔法で追ってくるネウロイをかく乱したり、置き去りにしてやっとの思いで基地にたどり着いた。飛行場に到着するとそこはもうすでにあわただしい空気に包まれ、遠くからは一種配備態勢、つまりは基地が臨戦態勢に移行したことを伝えるサイレンが鳴り響いていた。

 

 クルピンスキーに降ろしてもらい、手足の動きを確かめる。まだぎこちなくはあるが、動く分には支障がない程度だった。整備班に予備のユニットの用意を申し出、到着を待っている間、慌ただしく出撃や動き回り準備をしているウィッチたちを眺める。しかしいくら見回しても彼女、ロスマンの姿はどこにもなかった。

 

 僕らはクルピンスキーの頑張りもあってそれなりの時間、ネウロイを引っ掻き回していた。だからてっきり彼女が戻っていると思っていたが、どうも姿が見当たらない。

 

 気になって管制室に問い合わせるとまだ帰還を確認していないと返事があった。それを聞いて背筋に寒気が走る。ということは何だ。彼女はまだあのネウロイがひしめくあの場に取り残されてしまったということだろうか。

 

「ならすぐに救助に行ないと——」

 

「どこへ行こうというのかね。フリッツ君」

 

 その優しい口調は同時に、有無を言わせない重圧を覗かせていた。聞き間違うはずもない。最後に会ったのはあの日、故郷が燃えて無くなったあの日以来のことだった。条件と引き換えに僕をカールスラント軍に引き入れたロンメルさんだった。屈強な軍人を引き連れた彼はその手に一枚の書類を握っていた。

 

 丁寧に折られたそれを広げ、書かれた物を僕に見せる。これまで何度か渡された僕への辞令書だった。

 

「一時間前、ガリアの巣が活性化しそこから数百の軍勢がカールスラントを東に向かっていると観測班から通達があった。あれらは侵攻を再開したらしい」

 

「じゃあ、僕らが遭遇したのは……」

 

「彼らの先遣隊、もしくは偵察といったところだろう。ともあれ、フリッツ君。君に出撃の命令が下った。一時間後、地上部隊による掃射が行われた後に君を投入する」

 

 これまで何度かあった出撃命令。しかし今回に限ってはすぐには受け入れられなかった。「待ってください、掃射って……」

 

「無論砲撃による敵第一陣の掃討、および補給線の構築だとも。何かおかしかったかね?」

 

「まだあそこには取り残されたウィッチがいるかもしれないんです。砲撃を待ってください」

 

「たった一人のウィッチのため、『かもしれない』を理由に軍全体を危機に陥れろと君は言うのかね?」

 

「信号弾は見えたんです。ユニットが破損して地上に落下した可能性だって」

 

「同じだろう。我々にウィッチ一人の捜索に割ける人員の余裕はない。それは君が一番よく分かっているはずだろう?」

 

「それは……」

 

 ロンメルさんの言うことは正しかった。現在カールスラント本国は国民のノイエ・カールスラントへの集団移住を開始していて、軍備や人員をそちらへ多くを回している。防衛戦が今日まで維持できているのは、ひとえにこのロンメルさんの手腕があってのものだった。それを一人のために手段を変える理由などあるはずもない。

 

 何よりも僕は彼に多大な恩義がある。だからこそ彼には個人的にも、集団の一員としても強く反論できなかった。どうにもならない状況に唇をかむことくらいしかできない。

 

 そんな僕の様子を見てロンメルさんは不思議そうな顔をした。

 

「フリッツ君、君らしくもない。どうしてそれほどそのウィッチにこだわるのかね? これまで君は他のウィッチを酷く嫌悪して遠ざけていたと聞いていたが、何がそれほど君を心変わりさせたのかな? それともそのウィッチを救出する合理的な理由があるのかな?」

 

 生徒を問いただす教師のような口調でロンメルさんは僕を見てそう言った。確かにそうだ。全体の危機を招いてまで、彼女一人を助ける理由が僕にあるのだろうか。

 

「彼女はウィッチを生き残らせる戦い方を考案しようとしています。彼女が生きていることでいずれ多くの人名を救うことだって……」

 

「だがそれはいずれの、可能性の話でしかなかろう? 我々が対面しているのは今ある危機だ。それは危機を受け入れる理由にはならない」

 

 必死に考えついた理論的ないい訳も一蹴されてしまう。例えどれほどの言い分を取り繕うとも、たった一人のウィッチの救出と防衛戦線の構築が釣り合うなどあるはずもない。合理的に考えれば、それが正しいことなど分かっている。だけどどうしてもそれを受け入れられなかった。

 

「お願いです。どうか僕に彼女を救出する猶予をください」

 

「君の気持ちは理解できる。しかし私は指揮官として、全体が納得出来る論理と根拠を持って作戦を立案しなければならない。君にみなを納得させられる理屈があるのかね? 我々には誰もが納得する合理が必要なのだよフリッツ君」

 

 それはどこまでも正しいことだった。ロンメルさんの言っていることは正しく、間違ったことを言っているのは僕の方だと言うことは自分なのだと客観的には見えていた。間違っているからロンメルさんはロスマンを救出する猶予を作れない。彼女一人のために防御線の構築を遅らせる訳にはいかない。

 

 だからもし彼女を助けに行くことが間違っているというなら、僕は間違えたままでいい。

 

 きびすを返して歩き始める。背後からロンメルさんが呼び止めた。

 

「どこへ行くつもりかなフリッツ君。君の出撃は掃射が終わった後の第一陣だ。それまでは待機を——」

 

「もし、このまま……」

 

 僕が口を開き、ロンメルさんは言葉を留めて続きを待ってくれた。背中に突き刺さる彼の視線が次の言葉を促す。

 

「このまま彼女を諦めることが正しいなら、合理や正しさが人の取るべき行動なら、僕は間違っていてもかまいません。正しくなければ生きていけないのなら僕は今日死んでもいい」

 

「フリッツ君何を——」

 

「掃射に先行して僕が単独で突入してロスマンを回収、そのまま彼女を後方に送り届けてから前線に参加します。もし銃殺刑になるならそれも受け入れます」

 

 戦場における上官命令への不服従に対する最上の刑罰は銃殺刑で、この場合どれほどの刑罰が適応されるかなんて知らないけれど、もうそんなことはどうでも良かった。

 

「だがフリッツ君。君との契約はどうするのかね」

 

「仕事はこなします。それは約束ですから。だけどそれまでは好きにさせてもらいます」

 

「そうか。ではせいぜい流れ弾に当たらないことだ。君を拘束する術をわたしたちは持っていないからな、せいぜい好きにするといい。ただ最後に一つ聞いてもいいかな?」

 

「何でしょうか」

 

「私の命令に背いてでも、そうしようと思った根拠は何だろうか?」

 

 背中越しに沈黙が回答を待っている。きっと僕の持つ答えは正しさを正義とするこの人にはきっと受け入れられない。それでも。それでも僕は正しくあるくらいなら間違えたままでいたい。

 

「きっとロンメルさんの言う通りにすることが正しくて合理的なんです。でも人は正しさばかりでは生きていけない。間違っていると感じる心を捨ててしまって、合理性ばかりで生きていくなら、きっとそれはネウロイを変わらない」

 

 いつかロスマンに言われたことを思い出す。人間らしいだとかそんな話。合理的に戦うことだけに明け暮れ、それが何にも繋がっていかないで終わってしまうのなら、きっと意味なんてないのだろう。戦うからこそ得られる何かがあって、初めて戦うことに意味が生まれる。それなら今は仲間のために戦いたい。他に何もないのだから、せめて今あるものだけはそのまま存在して欲しい。

 

「僕には何も残っていません。家族も、故郷も、何もかもをネウロイに奪われました。だからせめて今あるものだけは守ります。それがこんなしょうもない力を得た理由になるなら、僕はそのためにここにいます」

 

 言いたいことを言い切って、僕は後悔を抱かずに走り始めた。もう後ろから呼び止める声はなかった。

 

 

 

  ●

 

 

 

 走り去っていく少年の背を見つめ続ける。年老いた自分からは失われて久しい青々しい若さ。愚かだと思う一方で、後先を考えず進める勇気にはどこか惹かれてしまうのは男の本能か。

 

 大きく変わったとまず感じた。焼けただれた戦場で巡り会った憎悪に突き動かされる少年に違いはなかったが、今はその痛々しい赤に人の血の赤が交わったように思える。若さとは理不尽だと不思議に思う。一年ぶりに直接顔を合わせただけでその変化、成長をまじまじと見せつけられる。

 

「将軍、ルンペンハルト少尉をあのままにしてよろしかったのですか。すぐにでも引き戻すことだって……」

 

 私が感嘆にふけていると隣に立っていた私の随行が問うてきた。

 

「まぁ、なんだ、君。私の時計を見たまえ、ほら、十分ほどズレているだろう?」

 

「いや、今将軍自分で……」

 

 随行は困惑した顔で私を見るがそんな顔で見られる心当たりはないので無視する。

 

「何を言うかな、まだまだもうろくした覚えはないとも。——というわけだ。ルンペンハルト少尉には十分の猶予があるわけだが、開始が遅れる分の補填をしなければならないわけだ。君、ノイエで開発が始まったロケットとかいう兵器の試作品があっただろう」

 

「えぇっと……、そうですね確か輸送機に積んだものが到着したばかりかと」

 

「ならそれを十分で打てるようにして、さっそく使いたまえ。たしかノイエの方から実戦データが欲しいと要望が来ていただろう? ほらダッシュ!」

 

「はっ、はい!」

 

 私が急かすと真面目な彼は整備課の方へ走っていき姿が見えなくなる。これで本部の方からあれこれと文句を言われることもないだろう。

 

 まあフリッツ君あとは上手くやりたまえ。子供のわがままを聞いてやれないほど器量が狭いとは我ながら思ってはいないし、若者のバカほど見ていて面白いものもない。

 

 あの憎悪一辺倒の少年が何か他に大切に出来るもを持てるなら、これくらいのことはしてやろう。そしてそれを一等席でながめる役得くらいは許されるだろう。

 

 

 

  ●

 

 

 

 真っ白な空間から意識が浮上し、ロスマンが目を開くと薬の匂いが鼻腔をいっぱいにした。ぼんやりとする頭を持ち上げるとまず目に入ったのは真っ白なシーツと、それからはみ出して紐でつり上げられた蓑虫のように包帯で巻かれた自身の右足だった。

 

「おっ、起きた」

 

 隣から脳天気な声がして振り向くと、ボロボロになって所々に包帯を巻いたクルピンスキーがいた。

 

「あら、ええっと……、いつぶりかしら?」

 

 今がいつなのか分からずそんな質問の仕方になってしまう。私の質問に彼女は指を三つ伸ばして見せて。

 

「三日ぶりだね。フリッツが病院にボロボロで骨折もしてた君を抱え込んでもう実に三日さ」

 

「そう、そんなことがあったの。それでフリッツはどうしたのかしら?」

 

「フリッツなら懲罰房に叩き込まれて謹慎中さ。もうじき解放されるんじゃないかな?」

 

「懲罰?」

 

 それほど聞き慣れない単語に首をかしげているとクルピンスキーは肩を小さくして笑った。

 

「そう懲罰。上官不服従とかいろいろ重なって……ね」

 

「その割には軽いわね」

 

「当の将軍閣下本人から情緒酌量の打診があってね。それで形式的に懲罰だけは受けたって感じだねあれは」

 

 クルピンスキーはその時のことを思い出しているのかニンマリという笑顔を崩さない。

 

「それで上官不服従なんてフリッツったら何をしたのかしら?」

 

 その質問にクルピンスキーは過去最高の笑みを作った。そして伸ばしていた指を一本に変えて私を指さした。私とはどういうことだろうか。……もしかして。

 

「わたしの救助で? 彼が?」

 

 思っても見なかったことがすぐには飲み込めず、困惑しているとついに耐えきれなくなったのか、クルピンスキーは膝を叩いた。

 

「そうなんだよ。フリッツのやつ。君に時計を取らせたことに責任を感じたのか、命令違反して前線に飛び込んで、何か新しい兵器が飛び交う戦場をネウロイを倒しながら飛び回って君を拾いに行ったんだよ」

 

 それだけ言い切るとクルピンスキーわたしに構わず笑い続けた。そのうち笑い声を聞きつけた看護婦に叱られるまでそれが続いた。看護婦に怒られ、別室に連行されるバカを見送っていると入れ違いにフリッツの顔が見えた。

 

 看護婦に連れて行かれるクルピンスキーに困惑して見つめながら入ってくる彼に適当に座れと言う。

 

 ベッド脇に置かれた椅子に腰を下ろしたフリッツは手に持っていたバスケットをこちらに寄越した。中に入っていたのは色とりどりのフルーツだった。要はお見舞いの品らしい。

 

 彼はベッドの上で存在感を放つ私の折れた足を見て少し気まずそうにしてこちらを見た。

 

「その……、調子はどうだ?」

 

「ええ、おかげさまですこぶる調子が悪いわ」

 

 しおらしい彼の様子が珍しくて、ついわざとらしく痛がってみせる。すると彼があんまりにも慌てるものだから、冗談だといさめる。からかわれた彼は不機嫌そうに顔を私から背け、バスケットに入ったリンゴを一つ取り出すと果物包丁で皮むきを始めた。見ていると手際がとてもいい。私が感嘆の声を出すと彼は首を振った。

 

「これくらい練習すれば誰にでも出来るよ。……それよりも、その、悪かったよ。僕のせいで君を危険な目に遭わせた」

 

「別に危険なのは職業柄当然じゃない。それよりもネウロイがいないって高をくくっていた私にも責任はあるわ。そうだ、これ先に返しておくわね」

 

 ベッドに備え付けられている家具から預かっていた時計を渡す。果物の皮むきを中断して受け取ると、フリッツは大事そうにそれを両手で抱えて動かなくなった。

 

 そして改めて私を見た。

 

「ありがとうロスマン。この恩は一生忘れない。もし僕に出来ることがあれば何でも言って欲しい」

 

 不覚にも今度は私が動けなくなってしまう番だった。というのも人間は初めて見るものには注意深くなってしまうらしい。フリッツが笑った顔なんて出会ってから今日まで見たことがなかった。いつも無表情か、仏頂面、それかイラついた攻撃的な顔くらいしか見たことがなかったから、私にはそれがとても新鮮だった。

 

「あなたって笑えたのね」

 

 我ながらとても間抜けな指摘だった。そりゃあ人間なのだから笑うくらいするだろう。しかし言われて初めて気がついたのか不思議そうにしたフリッツは顔に手を当てて自身の表情を確かめていた。

 

 そんな様子がおかしくてつい私まで笑ってしまう。そんなことに今さら気づかないなんてなんて間が抜けているのだろう。笑われていると認識すると困ったように顔をしかめて、いつものフリッツが戻ってくる。

 

「なんだよ、そんなにおかしい?」

 

「ええ、とっても。あなたって本当に不器用なのね。もっと笑っていた方が素敵よ?」

 

 少しだけこの不器用な少年のことが分かってきたような気がする。この人は複雑なように見せかけてその実、ただ直情で物事を一つの問題としてしか扱えない、本当に不器用な人なのかもしれない。

 

「ねぇ、フリッツ」

 

「なんだよ」

 

「わたしたち友達にならない? 今ならあなたのこと好きになれそうだわ」

 

「何で急に……」

 

 私の申し出に彼はまた困ったような顔を見せる。今まで気に入らなかったその顔も今はどこか幼げで可愛らしさすらある。

 

「ならさっきの何でも言って欲しいってやつ、今使うわ」

 

「そういうのはズルいよ」

 

「友達に遠慮なんておかしいもの、当然でしょう?」

 

 

 

  ●

 

 

 

 こうしてわたしと彼は友達となった。

 

 そしてその二年後、私たちは同じ飛行大隊に所属して、そしてフリッツにとっては大転機となるあの子がやって来ることになるのを浮かれている今日の私はまだ知らない。

 

 

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