Was kann ich für Sie   作:加賀崎 美咲

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再会編
Auf der Suche nach der verlorenen Zeit


 ネウロイのカールスラント再侵攻が始まって三年の月日が流れた。軍学校での訓練課程は大幅に短縮されて、再侵攻のすぐあとに僕ら三人は本国防御戦線の中心となっている第52戦闘航空団に配属となった。

 

 最前線の言葉に偽りはなく、物を食べている時間よりも銃を握っている時間が長い生活が続いていた。訓練学校時代に生まれた縁は途切れず、所属する小隊は違えど、僕らは度々基地の中で顔を合わせては近況を話し合っていた。

 

 何だかんだそつなくこなすクルピンスキーは実戦の中で頭角を現して中堅のエースとして有名になり伯爵なんてあだ名され、ロスマンはヒスパニア戦役での一撃離脱戦法が上の目に留まり、今は新人の教育を任される教育曹長として若いウィッチたちをみて先生と呼ばれていた。そして残る僕だけれど。

 

「あーあー……、もうダメだ。今ネウロイに来られたら絶対負ける」

 

「カールスラントきっての切り札が何言ってるの、もう。シャキッとしなさい、シャキッと」

 

 あきれたと言わんばかりの声が頭上から聞こえる。天上の照明から顔を逸らして談話室のソファーに沈んだ体をなんとか持ち上げ、顔を向けるとロスマンがこちらを見下ろしていた。隣のソファーで開けたばかりのブランデーを楽しんでいたクルピンスキーが怒るロスマンをいさめる。

 

「まあまあ、先生。フリッツはさっきまで前線にいて、さっき帰って来たばかりなんだ。ちょっとくらい大目に見てあげようよ」

 

「だったらせめてその食事を片しなさい。クラムチャウダーが冷えて固まりかけているわ」

 

 ロスマンが指さす先にはトレーに載せられた食事が置いてあった。クルピンスキーが気を利かせて持って来てくれたが、体が動かせずそのまま放置を食らっていた。食べないなら片づけておけというロスマンは実に正しいが僕としても背に帰られない事情があった。

 

「飯は勘弁してくれ……。もう三日くらいまともに何も食べないで働かせられてたんだ」

 

「三日……? 三日前って言ったらガリア国境にあなたが向かった時ね。あれから基地に帰っていなかったの?」

 

 ちょっと驚いた顔を見せるロスマンにうなづいて答える。

 

「ほら、アフリカで出たって言う大型の陸戦ネウロイがいただろ? あれがダース単位で出てきたんだ。航空ウィッチの火力じゃあ、まともに装甲を破れないから、東部戦線から陸戦ウィッチが到着するまで僕が相手させられて、おかけで出ずっぱりになってた」

 

「まぁ、その辺は適材適所だよね。がんばったフリッツにはクルピンスキーお姉さんが食べさせてあげよう。ほら、恥ずかしがらずに」

 

「おいっ、ばか、やめろ。ひっくり返っているのに口に汁物なんて入れたら、モガっ!」

 

「もう伯爵!」

 

 鼻の奥にぬるいクラムチャウダーが流れ込み、鼻の奥がしみる。痛覚がなくとも生理反応はなくなっていないため、むせているとそれを見てクルピンスキーが楽しそうに笑っている。

 

「はははっ、まったく顔が暗いよフリッツ。そんなんじゃ来週から来るカワイコちゃんに嫌われちゃうよ?」

 

 ロスマンから水をもらって鼻の奥を流しながら、クルピンスキーのセリフに引っかかりを覚えた。

 

「来週から着任? 防衛戦が忙しくて他の基地から回せる人員なんてないと思ってたけど?」

 

「それがね、ノイエの方から訓練課程を終えた新人ウィッチちゃんたちがこっちに派遣されてるんだって。それでうちにはナイトウイッチの子が来るらしいよ?」

 

「ナイトウイッチ? そんな貴重な人材をよく上層部が派遣を許したね。ブリタニアあたりの落ち着いた戦場で経験を積ませてからみんな来ると思ってたけど」

 

「ねー。本当ならアフリカと違ってこっちには君がいるから後回しだっただったらしいけど、何でも本人が強く希望してこっちに配属が決まったって」

 

「こんな最前線にわざわざ? 大丈夫かそいつ」

 

 明日にはさっきまで話していた同僚が死んでいるのが日常となっているこの最前線に、自ら立候補する人間が想像できず顔をしかめてしまう。ロスマンに軽く体を支えてもらって上体を起こしてトレーに載せられた昼食を戴いていく。いつかの自己改造で味覚が衰えてしまい、味がほとんど分からなかったが、口の渇くレーションよりはずっとおいしく感じられた。

 

「しかしよく上層部はナイトウイッチの所属なんて許したね。大体一つの基地に一人がセオリーだろ? 僕がいるんだからそれこそ他に回されそうだけど」

 

「それはあなたがちゃんと夜に出撃できれば、でしょう?」

 

 隣に座っていたロスマンが手に持っていたグラスを置いて呟いた。彼女は現在再生中の僕の右腕と両足を指し示した。

 

「あなたが夜間偵察の任務に専念してくれるなら他の子もいらないでしょうけど、あいにくあなたほとんど出ずっぱりで帰って来ても大体どこか負傷して帰って来るじゃない? それはもちろん助かっているけど、毎晩のことを考えればやっぱり夜間専門のウィッチは欲しいわ」

 

「それで都合良く希望してくるやつがいるなんてねぇ……?」

 

「まぁ、こんな世の中だからでしょうね。国のためだ、なんて言って望んで最前線に行きたがる人なんて何人も見てきたわ。それこそこんな戦争がなかったら、そんな人たちはどうしていたのか考えてしまうわ」

 

 そう言ってロスマンは深く息を知ってソファーに体を預けた。戦争がなかったら。今日死んでいった顔見知りを思い出して、同じように深く息を吸って吐く。

 

 そんなことを考えて重苦しくなった空気を、朗らかなクルピンスキーの声がかき消した。

 

「おっ、戦争がなかったらの話? 僕だったらやっぱり——」

 

「若い子にちょっかいかけて牢屋の中でしょうね」

 

「ええ!? ヒドいな先生。僕が何をしたって言うんだい」

 

「あなた私の教え子たちを口説いて回ってるでしょう? ちょっと節操ないんじゃない?」

 

 そういえば基地にいると新人に声をかけているクルピンスキーに遭遇するがそんな頻度でやっていたのか。

 

「やだなぁ先生。ちゃんと可愛い子に絞って声をかけてるよ」

 

「それでマジなお叱りの忠告が私の方に来ているんだけど? いい加減にしておかないとあとが怖いわよ」

 

 わざわざ本人でなく僕やロスマンの方に苦情がやって来る時点で、本人には相当な回数の苦情やらが来ているだろうに、本人はこの通りやめる気配すらない。その上クルピンスキーのことをよく知らない新人の何人かは彼女に目を輝かせているんだから困ったものだ。

 

「僕のことはさておき、先生はどうなんだい? やっぱり学校の先生とか?」

 

「どうなのかしら。人に何かを教えるなんて軍に入ってから初めて経験しただから、学校教育はさっぱり。戦争が終わってもこのまま後進のウィッチたちの教育に関わってそうだわ」

 

「それに先生の場合、生徒に混ざったら誰が先生か分からなくなりそうだね。あっははは……」

 

「フンっ!」

 

「あ、痛っ!」

 

「……やめておけば良いのに」

 

 ロスマンをからかった代償につま先を踏まれて悶絶しているクルピンスキー。思っても言わなきゃいいだろうに、ロスマンの恐ろしい形相ににらまれてほうほうの体になったクルピンスキーがその場逃れにこっちに話題を飛ばしてきた。

 

「そ、そういうフリッツはどうなんだい? 戦争が終わったらフリッツはどうする?」

 

「多分ウィッチをやめて退役してるんじゃないかな?」

 

 軍を退役するという言葉は自然ともれた言葉だった。クルピンスキーは意外そうな顔をした。彼女の足を踏みつけていたロスマンもそれを中断してこちらを見た。

 

「へぇー、軍をやめるんだ。それで、そのあとはどうするんだい?」

 

「それは……」

 

 続きを聞かれて、言葉が何も出てこず詰まってしまう。戦いが終わったら。平和になったのならどうしたいと聞かれ、しかし何も思いつかなかった。戦っていない自分が、今の自分とは違う自分がどこにもいない。

 

 今と違うと言えるのはあの頃、まだカルフの街が燃えてしまう前にあの子と一緒にいた頃だ。母さんがまだ生きていた頃は、もう終わってしまった時間だ。もう一区切り着いてしまった過去。だから僕にとって、今に続いている時間はあの街に移り住んでからはじまった。

 

 でもこれから先の、未来の自分を何も想像出来なかった。戦いが終わって、その時に自分がしたいことなんて何も思いつかない。自分はどうしたいのだろう? 

 

 戦いが終わって。それで、どうしたらいいんだろうか。

 

 そんなこと今まで考えたことがなかった。

 

 平和になったその先。僕はどうしているんだろうか。何処にいて、何をしているのだろうか。想像の世界ですら、僕は何処にもいない。

 

「……、多分故郷に戻ると思うよ」

 

 苦し紛れにそんなことをうそぶいた。何も思いつかなったけど何も言えないのはどこかバツが悪かったからとぼけるくらいしか出来ない。

 

「フリッツの故郷ってどこだっけ。そういえば聞いたことなかったね」

 

「ガリアとの国境沿いにあるカルフって小さな街だよ」

 

 ガリアとの国境という一言でそこが今どうなってしまったかを二人が察してくれる。そしてクルピンスキーが優しく微笑んで言う。

 

「ガリアとの国境……。そうだね。なら、ちゃんと戦争を生き抜いて、生きて帰らないとね」

 

「いつか遊びに行くわ。その時は何か美味しいものがあったら食べてみたいわね」

 

「何もない小さな街だけど、来てくれたら歓迎するよ」

 

 精一杯の笑みを浮かべて二人に答える。そうだ、あそこにはもう何もない。あの何もない静かな街が元に戻るまでどれ程かかるのだろうか。想像もつかないほど途方もない時間がかかってしまうのかもしれない。

 

「あぁ……、そうか。その前に父さんの葬式か」

 

 食べ終えた食事を片付けながら、ふと手が止まった。思い出して思わず呟いてしまっていた。幸い二人は他愛のないことを話すのに夢中で僕の独り言は聞いていない様子だった。

 

 そそくさと談話室を抜け出して、食堂に食べ終えた食器を戻し終える。しばらくは出撃もないだろうと、手持ち無沙汰になり気を紛らわそうと歩き出した。硬いコンクリートの基地を出て、基地の横の森の中を歩く。時々遠くから鳥の鳴き声やむしのさざめきが聞こえていたけれど、それほど頭には入っていなかった。

 

 頭の中は先ほどのクルピンスキーに問われた、戦争が終わったらということでいっぱいになっていた。ネウロイを殺すことばかりでそれ以外のことなんてちっとも考えていなかった。表面上は違うことでも、その根幹はいつだってネウロイを倒すためという裏付けでしか行動が出来なかった。

 

 それなのに今更それ以外のことを求められても困ってしまう。考えながら昔はよく読んでいた哲学のことを思い出した。父さんが生きていた頃はよくそう言う本を読んでいた。母さんの本棚にはそんな本が多くて、読み始めた頃はほとんど意味が分からなかったことは記憶に残っていた。

 

 父さんが母さんがいなくなったことで壊れてしまったように、今思えば僕も母さんの面影を求めて母さんの真似事をしていた。料理や家事だってそうだ。母さんがいつもしていてくれていたことだ。その一つが読書だ。

 

 難しい内容の哲学だけれども、今でも読んだことは、その中でソクラテスの言った善く生きることはよく覚えている。この世で最も価値のある行いは金を稼ぐことでも、健康や容姿に優れることでもなく、ただ魂が善いものであろうとすることだと、子供ながらどこか感銘のようなものを感じた。

 

 だけど今の僕は果たして、善く生きているのだろうか。人を傷つけるネウロイと戦うことは一般的に正しいことだと思う。それで救われる命があって、誰かに感謝されればそうして良かったと何度も思った。

 

 でも僕の底にあるのは感謝されることへの喜びなどではなく、父さんを殺したネウロイへの怒りだ。ネウロイを一体殺すたびに、天への貢物を捧げるような暗い喜びがあった。隠していても、戦いが終わって落ち着くたびに自分がネウロイを壊すたびに笑みを浮かべていることに気づいたのはいつからだっただろうか。

 

 こんなに気持ちのいいこと、壊すことへの快楽を忘れて僕は平和の中にいられるだろうか。そんな僕は果たして魂を正しく善く在れているのだろうか。そう思うことはあっても状況は選択する余地を与えてはくれない。考える時間はネウロイがやってくることで遮られ、破壊と快感にまた飲み込まれていく。

 

 それなのにこれが、戦争が終わったら、この連鎖が途絶えたら、その時僕はどうしたらいいのだろうか。

 

 どれ程の時間をかけて考えても、そんな疑問に答えてくれる書物もなく、明快な答えを閃く発想もなく、立っていることが億劫になって木の幹に座り込んで、伸びた木の枝に遮られた空を見上げる。月も星も雲によって遮られて暗い闇ばかりが頭上を覆っていた。救いの光も、天主の御手もなく、行き先を失ってしまった子供が一人いるだけだった。

 

 

 

 

 

  ●

 

 

 

 珍しい招集にクルピンスキーは欠伸を噛み殺していた。一昨日、昨日とネウロイの襲撃や侵攻がなく、とても久しい穏やかな時間が基地に流れていた。こういう時間は必要だと感じていたし、事実いつもは眉間にしわを作り険しい顔を作る戦友たちの顔も今日は穏やかだ。年頃の少女としてはやはりそういう部分に敏感になってしまうし、何よりとなりに座るフリッツも今日はまともだった。

 

 ここのところ、どこか心ここにあらずという様子で心配していた。声をかけても大丈夫だと言うけれど、そんなすんなり了承できるほど大丈夫そうな顔をしていなかった。教え子の子達もたまにどこかへふらふらした足取りで消える彼を見たと報告してくれていた。

 

 心当たりはある。多分先週のことだ。戦争が終わったらどうするか。戦時中ならありふれた話題だけれど、私たち三人の中では初めて取り上げた話題だった。ふざけたことを言う伯爵のせいでうやむやになったけれど、どこかフリッツは直接的な物言いを避けているようだった。

 

 その頃からどこかフリッツは不安定だった。ぼーっとしていたり、本を読んでいるときに声をかけても返事がなかったり、話しかけても聞こえていないことが何度かあった。伯爵は本人がそんな様子なら、今はそっとしておいた方が本人のためだと言っていたけれど、あんな風になったフリッツは初めてでどうしていいのか分からないのが正直なところだった。

 

 いつもしかめっ面のくせに気遣いや場の空気を乱さないことだけは気をつけている彼が、そんな様子を見せるのはどこか見ているこちらが不安になる。そんな空気の中、新人さんを迎え入れるのか少し申し訳ない。前線だから空気が重いのは仕方のないことだが、こういう空気の重さは好ましいものではない。

 

 そんなことを考えていると基地司令に入ってくるように言われ、今日から配属となった子が部屋に入室した。皆に注目されながら、入ってきた子は恥ずかしさからか、豊かな銀髪が広がるのとは対照的に身を守るようにを縮こませている。それでも決心がついたのか赤い瞳を大きく開き、口を開いて胸元にかけたサングラスが揺れた。

 

「ほ、本日より皆さんと一緒に戦わせていただく。ハイデマリー・シュナウファー少尉です。皆さんの一助になれるよう精一杯努めさせていただきます」

 

 少し小さな声だったが皆が黙って聞いていたため問題はなかった。問題がなかったからこそ、隣から聞こえる鉛筆が折れる音が部屋によく響いた。

 

 音に驚いて隣を、フリッツを見て息を飲んでしまう。今まで見たことがないくらいに険しい顔をして、目を見開いて瞬き一つしないでシュナウファーさんを見ているフリッツがいた。人差し指一つに折られてしまった鉛筆の片割れがその場で飛び上がり、もう片方が前に飛んでいきシュナウファーさんの足元へ転がっていく。

 

 突然の音に驚き、足元へ転がってきた鉛筆の片割れを見つけたシュナウファーさんは、それはやってきた方へ視線を持ち上げ、そして不安そうな表情をどこかへやって可愛らしい笑顔を、まるで分かたれてしまった半身を見つけたような安心した笑みを浮かべていた。

 

 両手を胸の前で組み、前へ一歩、また一歩と歩みを進め、彼女はフリッツの目の前に立った。どこか幼い子供のままの笑顔を連想させる彼女は言葉に詰まりながら、それでも気持ちを伝えようとしていた。

 

「ふ、フリッツ、そ、その、久しぶり。ずっと会いたかったのよ。手紙だって返してくれないのだもの。でもようやく会えた——」

 

 詳しい事情は分からないけれど、どうやら感動の再会という雰囲気だった。少なくとも嬉しそうに言葉をつむいでいくシュナウファーさんは同性すら見惚れてしまうくらいの笑顔を見せていた。なのに、

 

「——なんで君がここにいる」

 

 驚くほどフリッツの声は冷たく、そして暗かった。始めそれがフリッツの声だとは分からなかった。それほどまでに、聞いているこちらがギョッとしてしまうくらいに感情が感じ取れない低い声だった。

 

「——え? え、えぇ、そうよねフリッツは驚いているのよね? わたし頑張ったんだよ。フリッツに追いつこうとウィッチの訓練をして、やっとこの目も自分の物にして。本国に配属が決まって、それでわたしから希望してここに、フリッツがいるここに配属してもらって——」

 

「そういう事を聞いているんじゃないっ!」

 

 突然声を荒げたフリッツの怒鳴り声が部屋に響く。声を向けられたシュナウファーさんも、その場にいた誰もが背筋を震わせた。机を叩き、立ち上がったフリッツがシュナウファーさんの襟を掴んで引き寄せた。

 

 蜜月のような甘さなど欠片もなく、尋問するように睨みつけるフリッツに空気が張り詰めていくのを感じる。捕まれて驚いたシュナウファーさんが苦しそうにもがく。

 

「い、痛いわフリッツ。どうしたの、どうして怒るの。何を怒っているの」

 

「どうして……、どうしてここに君がいる。どうしてノイエにいない。なんでここに来た」

 

 と言い詰める声に感情の色は見えず、ただ淡々と確認をするようだった。怒りを見せるフリッツに困惑したシュナウファーさんは目端に涙を溜め始め、怖いものを我慢するように強く目をつむった。

 

「だ、だから、フリッツにもう一度会いたくて——」

 

「ふざけるなっ!」

 

 次の瞬間、それまで底が見えないほど静かな語り口だったフリッツが烈火のごとく叫んだ。掴んでいた襟を突き放し、押されたシュナウファーさんが尻もちをつく。何が起きたかまだ飲み込めていないようで呆けたままの表情でフリッツを見上げている。

 

 突き飛ばした当の本人はうつむき、その表情を見せずにいた。

 

「どうして、どうして、どうしてこんな。でも、だって、……クソっ!」

 

 小さくフリッツが拳を震わせながら、誰に聞かせるわけでもなく小さく呟く。そしてそれが終わると顔を上げ、自身を見上げてるシュナウファーさんをにらみつけた。

 

「ノイエにさっさと帰れ。ここにお前はいらない。顔も見たくない」

 

「——っ! そんな、待ってフリッツ。わたしは……」

 

 そう吐き捨ててフリッツは部屋から去っていく。後に残されたのは初めて感情らしいものを爆発させたフリッツに困惑する私たちと、取られることのない手を彼へ伸ばして固まったままのシュナウファーさんだった。

 

 

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