「えっとね、八幡の隣の席にいる島田さんって女の子なんだけど……」
「いや、流石にそれは知ってるが……」
隣の席であんだけ印象強いことやられたら、流石に覚える気がなくても頭に残ってしまうもの。結構な美人だったし、あんな奴に話しかけられたら告白して振られるまである。振られちゃうのかよ。
「彼女、教室でいつも一人ぼっちなんだ。入学してからずっと」
「……」
それは何となく予想がついた。
自己紹介してきた時に咄嗟に出てきたと思われるドイツ語。恐らく彼女は日本に帰ってきて間もないのだろう。そんな中で突然日本の学校に入学することになり、すぐに馴染めるのかと聞かれたらそんなことはないだろう。授業の様子を見る限りでも、あまり慣れているとは思えない。
だが、それと吉井が動こうとする事情は別の話だ。
「で? 一人きりの女の子に恩売って、自分は女の子からの評価上がって願ったり叶ったり、ってか?」
「お前随分とひん曲がった見方するな……」
ため息をつきながら坂本が呟く。
「僕はね、ただ単に島田さんと仲良くなりたいだけなんだ」
そう言ってのける吉井の目は、何処までも純粋だった。そこに一切の迷いはない。心の底からそう思っているのだろう。
こいつのような人間を俺は今まで滅多に見たことがない。人は自分の身の安全を確保する為、相手を利用し、同情し、妥協し合い、そうして『友達』という建前を利用して居場所を何とか抑えようとする。なのに、吉井がやっているのは……。
「……な? コイツおもしれぇだろ?」
そんな時、坂本がニヤッとしながら告げてくる。多分坂本にとっても始めて遭遇するタイプの人間だったのだろう。物事を深くまで考えこむことの出来ないバカであるという見方が正解なのだろうが、だからこそ吉井という人間は、平然とそんなことを言ってのけてしまうのかもしれない。
「……言っとくが、俺は今の今まで友人なんか出来たことねぇから、作り方も知らないし、アドバイスも出来ない」
話し相手は居ただろう。
心を寄せてもいいと思えた相手も居ただろう。
そのどれもが勘違いで、その結果どうなったのかも知っている。
だからこそ、吉井明久が何処までも眩しく見えた。コイツのように、何も疑うことなく真っ直ぐ生きていけていたとしたら、果たしてどうなっていたのだろうか。
「だから、お前がまずやったことを言ってみろ。問題点くらいなら指摘してやる」
これが、俺に出来る精一杯。
別に島田はいじめられている訳ではない。だから、問題があるとすればきっとコイツの対応か、島田の考えによるものなのだろう。
兎にも角にも、吉井が一体何をしたのか聞かないことには始まらない。
「えっとね、『私と友達になってくれませんか?』って聞いてみたんだよ」
何だ、至って普通のことしかしてないじゃないか。それで友達になれないのはもう……。
「フランス語で!」
訂正。
コイツはただのバカだった。
「……おい坂本。このバカの間違いを指摘してやれ」
「八幡まで僕をバカって言うの!?」
どう足掻いても吉井はバカだろう。何故島田に対してフランス語で話しかけてるんだコイツ……よくよく考えれてみれば、きっと島田が何処から来たのか知らなかったのだろう。そして英語ですらない言葉を聞いて、それ以外の言語を必死こいて勉強し、やっとの思いで完成させた言葉は、根本から間違っている文章。
……伝わるわけがない。
「何回かチャレンジしてみてるんだけど、言うたび島田さん怒っちゃって……」
「ちなみに、フランス語ではなんて言うんだ?」
坂本が笑いを堪えながら尋ねる。
コイツもつくづく人が悪いな。
「えっとね……『ちゅうぬぶどれぱどぶにいるもなみ』、だったと思う」
坂本が盛大に笑い始めた。
「何で笑うのさ!?」
吉井は抗議する。
申し訳ないが、今回は全面的に吉井に責任がありそうだ。
「……吉井。悪いことは言わない。せめて英語かドイツ語に翻訳し直せ。そうすればきっと伝わる」
「へ?」
キョトンとしている様子の吉井。
おい待て。今ので伝わらなかったとしたら一体どう言えばいいんだ。
「だから、お前のそれは根本が違ってるってことだ……島田はフランスから来たわけじゃない。多分ドイツだ」
「へ? え? ……つまり、島田さんにも分からないことを僕は言っていたってこと?」
やっと伝わったようだ。
……それにしても、そういう意味では本当に吉井は凄いと思う。下心とかそう言ったものを抜きに、真っ直ぐに正面から人に向かっていく姿勢。この様子だときっと成績もいい方ではないだろうに、それでも必死こいて友人になろうとして、自分の知らない国の言葉を調べて、やっと形にしたのだろう。
普通ここまでやるか? そんなこと出来るとは到底思えない。
本当に何者なんだコイツ。
「あとは自分で何とかしてくれ」
「あ、ちょっと八幡!」
俺は今度こそその場を後にする。後は勝手にどうにかなっていくだろう。これ以上俺が関与したところで何かが変わるわけではない。それに、
「……はぁ」
自然と溜息が出る。初日でここまで疲れるとは正直思わなかった。早く帰ってゆっくり寝たい……。
そんな気持ちに駆られながらも、教室への道のりを歩いていく、その途中で。
「ひ、ヒキガヤ!」
「ん?」
俺は島田に引き止められたのだった。