一番最初の死は、自殺だった。
死因は転落死。最寄りのオフィス街に立ち並ぶ高層ビルのひとつ。その屋上から、ぼくは大通りに向かって身を投げた。
過労だとかいじめだとか、はっきりとした理由があるわけではない。いろいろと細かい要素が重なった末の、衝動的なものだった。
時刻は夜明けごろ。人通りの少ない時間帯を狙ったから、大騒ぎになる前に警察が来たとは思うけれど、ぼくはぼく自身の死が世間でどう取り沙汰されたのかは知らない。
当然の話だ、と思うかもしれない。自分の死後の世界を知っているやつなんていない。人間は死んだら物言わぬ肉塊になって、意識なんて失われてしまうんだから、と多くの人は主張するかもしれない。
でも、実のところそれは事実に反する。人は死んでも、そこで終わりじゃない。肉体は失われるかもしれないが、少なくとも精神は、そこで即座に消滅するわけではないのだ。
神、魂、輪廻転生。
そういう
★★★
「さて、説教の時間だ」
ビルから飛び降りて死亡したあと、どれほどの時間が経ったのか。
ぼくは、厳かな雰囲気の漂う真っ白の空間にいた。すでに肉体は失われていたはずのぼくは、生前と変わらぬ格好の仮の身体を与えられて、時間の感覚も曖昧なままに、いつのまにやら「そこ」に来ていた。
一体どういう理屈で周囲を知覚しているのかは定かではないけれど、「そこ」は精緻な彫刻の意匠が散りばめられた建造物の中で、「神殿」と表現するのが最もふさわしいところだった。
眼前。周囲から一段上がった床の上で、瀟洒な玉座に腰掛ける人物を見上げる。ぼくに話しかけた「彼」は、「神」だった。……正確にはそうと名乗ったわけではないけれど、おそらくそう表現されるべき存在であることに変わりはない。なぜなら、彼はあまりにも
豊かな髭を蓄え、がっしりとした立派な体躯を持ち、古代ギリシャの哲学者のような衣に身を包み、右手には杖を携えた老人。
そのまんまだ。彼は、ぼくが頭の中で想像する「神」そのものの姿をとっていた。
「説教、ですか?」
「そうだ。貴様、自ら命を絶ってここに来ただろう」
「そうですけど」
「貴様の事情は
「はあ」
威厳を漂わせながらも、進路指導の教師のような気安い口調でぼくを諭す神さま。
もっと重々しい雰囲気を予想していた身としては、肩透かしを食らった気分だ。思わず、返事もため息のように間の抜けたものになる。
「なにか?」
「いや、随分と常識的というか、人間臭いことをおっしゃる神さまだなと思いまして」
実際、天上の存在たる神が矮小な人間の生き死ににこだわるというのは、どういう理屈なのだろう?
「当たり前だろう。私の職務範囲だ」
「お仕事なんですね、これ」
「ああ。魂の循環を管理するのは冥府の神々の最も重要な職務だとも」
なんというか、神々の世界と言っても、規模の違い以外はあまり人間と変わらなかったりするのか?無論、だからといって神の偉大さが変わるわけではないが。
というか、冥界だったのか、ここ。もっとおどろおどろしい場所かと思っていたが、やはり人間の作った神話なんてあてにならないということか。
それより、神さまのお言葉の中に一つ、気になる部分があった。
「魂の循環、というのは何ですか?」
「ん?ああ、本来は人間が知る必要はないことなのだが、まあ、教えてもいいだろう」
神さま少しだけ躊躇うような様子を見せたあと、ぼくに説明をしてくれた。
「そもそも魂とは、物質世界に人間の精神を留めておくための器の役割を果たすものだ。魂はすべて同じ素材から作られ、冥府の炎で焼き上げられて完成する。完成品の魂は生まれ落ちた時点から記憶や意識の受け皿として機能し、水を入れる甕のように、不安定な精神をひとつの肉体に留める。魂の循環というのは、ひとつの生を終えて冥界に返ってきた魂を別の世界に送り込み、滞りなく巡らせることだ。あまねく世界の全てにバランスよく魂を巡らせねば、宇宙の調和が崩れてしまうからな。そうならないように、我々冥府の神々が魂の巡行を調整しているのだ」
「あまねく世界? 世界というものは、いくつも存在するのですか?」
「その通り。世界とは、貴様がかつていた世界ひとつではなく、さまざまな位相に無数に存在している。それら全てを含んだ全位相、全宇宙が我らの管轄範囲なのだ」
並行世界とか、異次元とかいうやつだろうか?流石、超越者の視点だ。スケールが大きすぎてついていけそうもない。どうやらぼくたち人間は、随分と狭い常識のなかで過ごしていたらしい。
神々の常識に畏怖を覚えるとともに、ぼくの中でひとつの疑問が生まれていた。
「それで、ぼくがここに来たのって、もしかして説教だけのためではなく……」
「うむ、その通りだ。実はもうひとつ用件がある。通常、死したものの精神は洗浄され、魂の器は無垢の状態となって別の世界に回されるのだが、貴様は我らの定める『転生者条項』を満たしていたのでな、『
異世界転生!なんということだ。どうやら神々の常識は、思ったより人間の様式美を理解しているらしい。日本式サブカルチャーの知識が、死後の世界でも通用するなんて。
せっかく畏怖したのに一瞬で親近感が湧いちゃったぞ。
「その特典というのは、好きなものを選べるんですか?」
「貴様の場合は、そうだな。いくつか例外は存在するが、大抵の無茶振りは叶えられるだろう」
神さまは鷹揚に頷いて言う。
「大抵の無茶振りは叶えられる」って、神さまが言うと説得力が違うな。ぼくは少しの間黙考し、願いを決めた。
「では、魂の所有権をいただく、というのはどうでしょう?」
「……なんだと?」
目を丸くして、ぽかんとした声を上げる神さま。言葉の意味がわからなかったわけではないだろう。神さまがわからなかったのは、たぶんぼくの意図の方だ。
「魂の所有権、ですよ。先ほど聞いた話だと、魂というものは冥府の神々の管轄下にあるのですよね?生きているときには人間たちに貸し出されていて、人間が死ぬと神さまの元へ返却される、ということなのではありませんか?」
「まあ、理解としては間違っていない。魂の所有権など、主張したものがいなかったから明確に決まっているわけではないが」
「それで、ぼくの魂を完全にぼくのものになれば、ぼくは次に死んだときも、その次も、こうして精神を保存したまま転生できるということになりますよね?」
ううむと唸り、考え込む神さま。神々の法に触れる可能性があるのかもしれない。それとも、何度も転生できるというぼくの発想に不備があったのだろうか。
「……不死が望みなら、不滅の肉体を望んだ方が良いのではないか?」
「いいえ、神さま。ぼくの望みは不死ではありません。ぼくの望みは手軽に人生をリセットできる『転生の権利』なのですよ。ぼくは、ひとつ世界に固執して居座りたいわけではありません。この包括宇宙に無数に存在するというあまねく異世界を、飽きるまで巡ってみたいのですよ」
「ふむ……
何かに得心したように、神さまはつぶやく。
「それが貴様の望みだというのなら、致し方ない。よかろう。特典の申請を認める。貴様の次なる生に、幸あらんことを」
最後のフレーズをやけに事務的に放り投げると、神さまは手元に置いてあった木槌を取り上げ、勢いよく振り下ろす。
ダン‼︎ という打撃音に頭が揺さぶられたような感覚のあと、ぼくの意識は奈落に落ちていった。
★★★
そうして、ぼくの旅路は始まった。終わりのない旅路。魂の所有権を得たぼくには、死さえも断絶にはなり得ず、それは単なる新しい世界への門出に過ぎなかった。
ただ、そうは言ってもただ無数の人生を生きるだけでは、旅にはなり得ない。旅には目的が必要だ。目的のない旅は旅ではなく、ただの彷徨に過ぎないというのが、ぼくの持論だった。
実は、旅の目的は最初から決まっていた。「幸福」になること。それもただの幸福ではない。理論上獲得しうる最大限の幸福を手に入れることだ。考え得る限りの幸福要因を全て回収し、考え得る限りの不幸要因を全て回避する。そんな、絵に描いたような「完璧な人生」を完走すること。それが、ぼくの旅の唯一の目的だった。
旅を始めてしばらくは、順調だった。人生を一度きりだと思っていると、どんな判断も行動もそれなりに深刻にならざるを得ないが、何度でもリセット可能になってしまうと、気は楽になる。
ぼくの場合は厳密にはリセットではなく、毎回新しい世界で新しい人生が始まるわけだが、常人よりも「死」の質量が軽くなるのは間違いない。
気楽に人生の各イベントをゲーム感覚でこなし、「不幸」に引っかかったらさっさと
剣と魔法の世界でも、サイバーパンクの世界でも、超古代文明の世界でだって通用する、「上手く生きる」ためのテクニック。ぼくの理想とする「完璧な人生」とは、究極的にはこの「上手く生きる」を突き詰めたものであったから、方向性は正しかった。
目標に対して適切な努力ができている。続々と充実していく自分のスキルを実感しながら、ぼくは確かな手応えを感じていた。このままいけば、いつか「完璧な人生」を完走できる日が来る。
そうなればもう、人生に未練は無くなるだろうし、満足して死ねるだろう。目標達成の暁には、神さまに魂の所有権を返上するのもいい。そんなことを考えながら、ぼくはもう何度目とも知れない首吊り自殺を終わらせて、次なる人生へと転生を果たした。
★★★
次の世界は、これまでに何度となく経験してきた魔法の世界のようだった。母親らしき女性の腕に抱かれて、浮遊するシャンデリアを見上げながらぼくは当たりをつけた。
魔法とは、ぼくの中では科学的でない現象を引き起こす異世界の技術の総称として使っている言葉だが、じつはこれまで経験してきた魔法は、どれも異なる理論のもとに構築された異なる「魔法」だった。
面白いことに、どの魔法も(そしてどの科学も)アプローチは全く違うのに、最終的に到達する真理はどれも似たり寄ったりになる。これは考えてみればそう不思議なことでもない。なにせ、どんな異世界だろうと、魂の器を持つ存在は全て同じ神々の管轄下にある世界に住んでいるのだ。共通の秩序(神さまは『宇宙の調和』と呼んでいた)のもとで存在している異世界が、共通の真理に至るというのは、実は自然なことなのだ。
科学も魔法も、その目的は「世界の真理に至ること」。そういう意味では、魔法だの科学だのという区別にもあまり意味はないのかもしれない。
閑話休題。
そのため、数多の異世界で数多くの魔法を修めてきたぼくは、魔法が盛んに研究されている世界では、大きなアドバンテージを持ち、大抵は好スタートを切ることができる。
ぼくは幼少期からいくつかの新しい理論を提案し、魔法界で名を馳せることに成功した。ついたあだ名が「秀才」。最上級の褒め言葉である「天才」ではない部分がミソだ。あまりに年の低いころから過ぎた名声を受けることは、逆に毒になるということを、ぼくはこれまでの膨大な人生経験から理解していた。
実力を隠し、自分の評判を制御することや、人からの好感度の調整も今や思いのまま。「人生の技術」を縦横無尽に駆使し、ぼくは順調に「完璧な人生」のロードマップを歩んでいく。大きな失敗を犯すことなく、魔法使いとしての位階を上げる毎日。身に降りかかろうとする理不尽を前もって察知し、排除することも、今のぼくには難しいことではない。未来を見通すことが出来るわけではないが、予測を立て、備えることはできる。経験則を総動員して「完璧な人生」を守るために、ぼくは最大限の警戒網を敷いていた。
やがて魔法使いとして名を上げたぼくは、国家中枢を担う貴種の一人である令嬢に見初められ、貴族に婿入りすることが決定した。
「決定」したなどとまるで偶然幸運に恵まれたようなことを言ったが、無論これはぼくが自分でそうなるように仕向けた人工的な幸運だ。ただ、ぼく以外の誰一人としてそのことを知るものはいなかったために、それは公には、一介の平民の運命的な成功譚として扱われた。
貴種になるということは、権力闘争に巻き込まれるということでもある、というのは、どの異世界でも常識だ。それ故に転生した世界によっては、あえて貴種にならないことを選択することもあるのだが、ことこの世界においては、貴種になるということはどんなデメリットを飲んでもなおリターンの勝る魅力的な話だった。
圧倒的な支配力と財力を持ち、平民とは隔絶した世界に住まう支配階級。それが、この世界での貴種の扱いだ。この世界に暮らすのなら、貴種にならずして「完璧な人生」は送れないというのが、ぼくの判断だった。
幸いにしてというか、ぼくを選んだつもりになっているぼくが選んだ女性は、従順な性格と美麗な容姿を持つ理想的な女性だった。ぼくが加わることになる一族も、大きな「弱み」を持たない優良物件。権力闘争でよほどの下手を打つことさえなければ、いよいよ「完璧な人生」の完走も夢ではなかった。
ぼくは色めき立った。思い返してみても、ここまで順風満帆だった人生はかつてなかったはずだ。周囲の誰もがぼくを称え、家族とも、妻とも関係は良好。誰も不満を抱かず、不安を抱えていない完成された幸福の世界。
念のために精神系の魔法を使って周囲の人々の心を覗いてみたが、ぼくの周囲には不幸の影は全くと言っていいほど見当たらなかった。
そうしてそのまま、泡沫のような時が流れた。
ぼくの年の頃はすでに百を超えている。ぼくが当主となり、隆盛を迎えた一族は人数も増えて、ぼくは曽孫にまで恵まれた。一族は今や貴種のなかでも頂点に君臨し、史上最も権力を蓄えた家系となっていた。
憂いは欠片も見当たらない。肉体の老衰は始まっていたが、意識はまだはっきりしていて、迎えが来るのはもう少し先になりそうだった。
ぼくの定義する「完璧な人生」の最後の条件は、家族に見守られて大往生で死ぬことなので、完走にはもう少しばかり時間がかかるだろう。だが、もはや打ち破るべき障害はどこにも無かった。このまま、ぼくは最後まで行ける。これでようやく、満足して死ねる。長い長い魂の巡行の、余韻に浸るような毎日。そんなぼくの幸福を、完膚なきまでにぶち壊しにする報せが届いたのは、よく晴れた日の朝方のことだった。
「大旦那さま……曽孫さまが、お亡くなりになられました」
★★★
長年仕えてくれていた老執事が告げたその報せを、ぼくは最初、理解することができなかった。
比喩でなく、全く知らない言語を聞いている気分だった。実直な性格で嘘など吐いたこともない老執事の口から飛び出した、そのあり得ない単語同士の組み合わせが、ぼくには複雑怪奇な暗号のように思えたのだ。
「何を、言っている……?」
「大旦那さま……曽孫さま、ソフィアさまが、お亡くなりになられました」
嘘を吐けない老執事は、涙を堪えながらも、もう一度はっきりとそう言った。
脳裏に、先日五歳になったばかりの元気一杯の少女の像が浮かぶ。広い庭を駆け回って兄弟姉妹たちと遊びながら、ときおりぼくに向かって手を振るソフィア。
『じじさま、きいて!ソフィア、まほうがつかえるようになったの!』
掌からぽっと灯る程度の炎を発して、目をきらきら輝かせて、満面の笑みを浮かべる、無垢の少女の記憶。
少女は、象徴だった。ぼくが完璧な人生を送り、完璧な幸福を次代へ継承したということを、保証する存在だった。一族の中で最も幼く、最も無垢で、最もか弱い少女。彼女が完璧な幸福を享受できるということが、ぼくの完璧な人生の証明になるはずだったのだ。
そのソフィアが、死んだ……?
ぼくは衰えて自立することもできなくなった身体を鞭打って、寝台から這い出し、ありったけの精神力をかき集めて大魔法を行使する。
生命感知。
対象の生命体を探索し、位置を知らせる魔法。この世界で最も優秀な魔法使いであるぼくの探査範囲は、この世界を丸々覆い尽くすほど巨大で、しかもわずかでも蘇生の余地があるのなら漏らさず感知するほどの精度を誇る。
「いない、いない、いない!!」
その魔法に、ソフィアが反応しない。その事実はとりもなおさず、ソフィアという少女がもうこの世界のどこにも存在し得ないことを意味していた。
「一体、なぜ、ソフィアは……」
「報告によると、辺境領への外遊中に大規模な魔法使い同士の戦闘に巻き込まれたと」
「大規模な戦闘?何を言っている。ソフィアにはぼくが直々に、秘奥級の防護魔法をかけていたんだぞ。『大規模』程度の戦闘で傷を負うはずがない!」
「はい、ですが、その結界すらも貫く威力の魔術を使う者がいたらしく……確かな情報ではありませんが、戦闘はひとりの若い魔法使いが数多の魔法使いを一人で相手取っていたとか。曽孫さまの結界を貫いた魔法も、その若い魔法使いが放ったものだそうで」
老執事の説明は、今のぼくには理解の外にある代物だった。ぼくは呆然となり、大魔法の行使による疲労もあって、その場にへたり込んでしまう。
老執事が駆け寄り、息も絶え絶えになったぼくを、寝台に運ぼうとする。しかしぼくはその手を振り払い、慟哭を上げながら次なる魔法を行使した。
絶叫のような詠唱から紡がれるのは、この世界の魔法使いが最初の習う、最も基礎的な魔法のひとつ、発火魔法。
老いさらばえた身体の中心、その一点に集約された膨大な魔力は、枯れ木のようなぼくの肉体を一瞬のうちに焼き尽くし、永遠に灰に変えた。
★★★
まっさらな灰色の空間の中を、ふわふわと漂っている。
自ら肉体を焼き尽くし、死して魂だけの身体となったぼくは、この生と死の狭間の世界で、次なる転生を待っている。この世界は、魂の所有権を我が物としたぼくにしか近くすることのできない特別な世界だ。この世界では全てが曖昧になり、次の転生までの間、一瞬とも永遠ともつかない時間を過ごす。
この世界に来て、ぼくはようやく、少しずつ冷静さを取り戻すことができていた。
今回の人生は本当に惜しかった。あとほんの少しで、「完璧な人生」を達成することができたというのに。しかし、そういえば今回は何が悪かったのだろう。自分でも万全を期したと思っていたのだが、曽孫のソフィアは死んでしまった。どうすればあの不幸を避けることができたのか。
時間はたっぷりとあった。全てが曖昧なこの世界では、そうと望めば時間はいくらでも手に入る。ぼくは有り余る時間を使って、思考に耽ることにした。
改めて、先の人生を振り返る。
自殺した段階では、ぼくの年齢は100歳を上回るほどになっていて、妻はすでに亡くなっていた。妻の死は老衰による大往生だったから、「不幸」にはカウントしなかった。ぼくの定義では、理不尽ではない死、自然の摂理による死は、回避すべき不幸ではなく、受け入れるべき運命と判定される。
だが、ソフィアの死はそうではない。あれは回避可能な死だったはずだ。絶対に受け入れるわけにはいかない。
ぼくは自殺の直前に老執事から聞いた説明を思い出した。ソフィアの死は、外遊中に大規模な魔法使い同士の戦闘に巻き込まれた結果のものだったという。しかし、それは不自然だ。なぜなら、ぼくは万全を期すために、ぼくの目の届かないところに行く身内のもの全てに対して、秘奥級の――つまり、あの世界における最上級の――防護魔法をかけ、命を守っていたからだ。
あの世界で最も優秀な魔法使いだったぼくの、最も高度な防護魔法がそう簡単に破れるわけはない。しかも老執事の話によると、それをなした魔法使いはたった一人の若者で、他の多数の魔法使いと戦闘中だったという。ますますあり得ない。100年をかけてあの世界の魔法を極め切ったぼくの防護魔法を、たったひとりの若造が、しかも戦闘の合間の流れ弾で打ち破るなんてことは、不自然どころか不条理ですらある。それこそ、神の加護でも受けていない限り、そんなことはあり得ないのだ――。
「神の、加護だと……?」
まさか、いや、しかし、そんなことが本当にあり得るのか?そんな天文学的な確率の不幸が、たまたまぼくに狙い澄ましたように降りかかるなんてことが、本当に?
だが、そうでもなければあの不幸に説明をつけることはできない。とするとやはり、あの不幸の原因は。
「――転生者」
「その通りだ」
不意に、ぼくだけの世界に何者かの声が割り込んできた。全てが茫洋として曖昧だった狭間の世界に光が差し込み、秩序が生まれ、知覚が鮮明になっていく。空間を支配する色は、白。遠い昔に、見たことのある色だ。
「輪廻の輪より外れし者。未だ、後悔の旅を続けているのか」
灰色の空間を切り裂いて現れたのは、豊かな髭を蓄えた筋骨隆々の老人。かつてぼくに魂の所有権を授けた、冥府を管理する神だった。神の姿が現れると同時に、魂でしかなかったぼくにも仮初めの身体が与えられ、両足をついて「床」に立つことができた。ぼくの姿は、遠い昔に神と邂逅したときと同じ、つまりは「日本」に生きていたころと同じものだった。
「神、さま……。ずいぶんと、お久しぶりですね」
「お主にとってはそうであろう。神は時の流れの外にいるゆえに、時間の感覚は持たないが」
つまり、神々にとっては未来も過去も同じ「
いや、そんなことよりも今はもっと重要なことがある。
「あなたにお聞きしたいことがあります」
「ふむ、大体察しはつくが、よかろう。申してみよ」
「ぼくがつい先ほどまでいた世界に、転生者を送り込みましたか?」
「転生者は、どの世界にも存在する。お主が言うておるのは、
「はい。強大な魔法の才能を持った転生者のことです」
「それならば、確かに私が送り込んだ」
「ッッ!!」
ぼくは思わず、憎しみを込めた視線で、神を睨みつける。この神がソフィアを殺したわけではないとわかっていても、湧き上がる怒りを抑えることは困難だった。
「あなたが送り込んだ転生者が、ぼくの曽孫の命を奪いました。あなたが与えた力を振るって、何の罪もなかったソフィアを殺しました」
「罪のない人間などいない」
「あなたは!!」
「お主の激する気持ちも分かるがな、私は何もお主の曽孫を殺すために転生者を送り込んだわけではない」
「では何のために!!」
「神の責務はたったひとつだ。宇宙の調和を保つためよ」
「宇宙の、調和……」
「然り。この宇宙は、自動的な法則によって保たれているわけではない。数多の神々による折衝と調整によって、つねにぎりぎりの位置でかろうじて崩壊を回避している。いわば砂上の楼閣なのだ。それを保全するために、我々は摂理を守り続けなければならない」
「摂理を守るために、調和を保つために、ひとりの少女を見殺しにしたと……?そんなに、摂理が大切ですか?ぼくのたったひとつの願いを、成就を目前にして踏みにじるのも厭わないほどに?」
「摂理が大切なのではない。摂理は前提なのだ。まずはじめに摂理が存在し、その上に諸々の要素が存在する。摂理が存在しなければ、人も、この世界も存在しない」
神は語る。矮小な人の身にはあまりにも規模の大きすぎる、全宇宙を俯瞰する視点から、残酷な真実を切々と明かしていく。
「転生者も、特典も、摂理を守るための我々が生み出した装置でしかない。貴様も、貴様の言う『強大な魔法の才能を持つ転生者』も、同様にその装置の歯車でしかないのだ」
「ソフィアは、あの娘は、宇宙が存在する以上は、あの年で死ななければならない運命にあったとでも」
「その通りだ」
「ふざけるな!!」
ぼくはとうとう自らの激情を抑えきれなくなった。罵詈雑言を並べ立てて眼前の神に憎しみをぶつけ、子供の癇癪のように喚き散らす。しかし、気炎を揚げるぼくとは対照的に、神の視線はいつまでも冷徹で動じることはない。
やがて、ぼくは面罵するにも疲れて、真っ白な床に座り込んでしまった。神の顔を見上げることも出来ず、ぼくは俯きながら、やけくそ気味に問いを放つ。
「……そんな話をするためだけに、この世界に乗り込んできたのか」
「いいや、そうではない。私がこの世界に来たのは、忠告を与えるためだ」
「忠告?」
「その通り。我々は例外的に特殊な『特典』を与えた転生者である貴様が、その後どのような軌跡を辿るのか、あらゆる面から観察を続けていたが、その過程でわかったことがひとつあった。貴様の魂は、現在加速度的に磨耗している」
「魂が、磨耗?どういう意味だ」
「言ったままの意味だ。本来、生と死を往復する過程で、精神の器たる魂は少しずつ磨り減っていく。我々の管理下にある魂は死の過程で精神の洗浄を行うため劣化は遅いが、それでも破損し、使い物にならなくなる魂が一定数存在する。貴様の場合は、精神を洗浄することなく高い頻度で生と死を繰り返しているために、劣化が早いようだ」
「魂が破損するとどうなる?」
「魂としての用をなさなくなる。精神を肉体に留めおくことができなくなるため、二度と転生できなくなるだろう」
「では、魂を洗浄することは?」
「我々の手に貴様の魂を委ねるというのなら、もちろん可能だ」
「魂を洗浄すると、ぼくはどうなる?」
「魂に保管されている記憶や意識は洗い流され、空白の状態に戻るだろう」
「それは……」
神が告げた内容は、とうてい受け入れられるものではなかった。記憶や意識が消えてしまうというのなら、魂が無事だったとしても、それはもはや「ぼく」ではない。「完璧な人生」の完走を目指すこともなく、全く新たな別の人生を歩み始めることになるだろう。そんなことは許せるはずもなかった。ぼくは未だ、何も成し遂げてはいないのだ。
「それはだめだ。洗浄はしない。このまま転生を続ける」
「――それが貴様の選択ならば、止めはすまい。だが心せよ。あと何度もしないうちに、貴様の魂は限界を迎える。貴様が旅を続けられるのは、どうあがいてもそこまでだ」
それだけ言い残して神は去り、狭間の世界にはまた灰色が戻った。魂の寿命。新たに知らされた絶望的な事実を噛み締めながら、ぼくは次の世界へと転生した。
★★★
ぼくはそこから、さらに神経を張り詰めて「完璧な人生」の完走のために邁進した。
一度は完走寸前まで行ったのだ。今度も行けない道理はない。自分自身にそう言い聞かせて、細心の注意を払い、努力を続けた。
「完璧」の基準を下げることは、一切しなかった。実はぼくはこれまでに「人生の技術」を磨き上げる過程で、「完璧な人生」の条件をいくつか上方修正した経緯があった。それは自分の実力が上がっていく過程で、最初に定めた程度の「完璧」では満足できないと思ったからだった。その基準を元に戻せば、完走は楽になることは自明だったが、そんなことをすれば一番苦しむことになるのは自分だということも、同じくらいに自明だった。
完璧とは、誰よりも自分が納得するから完璧なのだ。ゆえに完璧の条件とは、自分が納得できるかどうかで定めるべきだ。
遊び慣れた
だけど、そんなぼくの期待とは裏腹に、以降の転生でぼくは思うような人生を歩むことができなくなっていった。理想的な人生を送るために必要な技術はすでに手に入れているはずなのに、なぜだか人生はぼくの思い通りにならなくなっていた。
誰に嫌われることもなく、理不尽な不幸が降りかかることもない、皆がぼくの存在を認め、ぼくは自身の才能を十全に発揮する、祝福された人生。その理想が、あの「魔法の世界」を最後にぼくを見放したように遠ざかっていく。
ぼくの中にはだんだん焦りが募って、それが培ってきた技術に暗い影を落とし始めていた。
人生は、とても繊細ないくつもの偶然的要素の絡まり合いだ。「完璧な人生」を完走するには、それらの要素を把握できるだけ把握して、自分の思い通りに操らなければならない。
些細なすれ違いで人生を共にするはずだった朋友は去ってしまうし、ほんの少しの不注意で最愛の妻は死んでしまう。それが人生だ。人生の理不尽だ。ぼくは、その全てを制御しきって思い通りの結末を導かねばならない。それなのに、ぼくは。
「完璧な人生」に最も近づいたあの「魔法の世界」以降、ぼくの人生の達成度は一様に下がり続けた。つまらないところで致命的なミスを繰り返し、
培ってきたはずの技術が通用しない。身体が覚え込んだはずの技術を忘れてしまったみたいに硬直して、まるであの頃、「日本」と呼ばれる国で生きていた頃に戻ってしまったみたいだった。
ぼくの身体を戒めているのは、鎖だ。恐怖という名の、鉄の鎖。恐怖とは、消滅に対する恐怖だ。魂の崩壊に伴う、永遠の死に対する根源的な畏れ。転生者となり、いくつもの世界を渡る間に忘れていたものを、ぼくの心身は思い出していた。
自分の内側から沸き起こる逃れようもないこの感情は、ぼくにひとつの現実を叩きつけている。どれだけ人生経験を積もうが、処世術を高めようが、結局のところぼくは人生に対して真摯ではなかった。根っこのところで、真面目じゃなかったという事実。
死の恐怖に向き合うこともなく、いつでもリセット可能な安全地帯にいながら、「人生」だなんて。ぼくはなんと虫のいいことを言っていたのだろうと、今更ながらに気づく。そうだ、死なないのならば、生きているとも言えない。簡単に自殺できる人生が、人生であるはずがなかったのだ。
「あはは、なんだそりゃ。まるで
天を仰いで、ひとり呟くぼく。
降り注ぐ雨に濡れた嘆きは、虚空に吸い込まれていって、声を拾うものは誰もいない。視線を下に戻すと、足元には断崖絶壁。その下に流れる河川は、雨を飲み込んで氾濫していて、岸辺の岩場を削るさまは、うねりを上げる大蛇のよう。
ぼくは全身の力を抜いて、濁流のなかに飛び込んでいった。
五月三十日、誤字報告適用しました。報告してくださったアカギさん、ありがとうございます。