闇ニ花ヒラク蒼薔薇   作:サボテンダーイオウ

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標的111苦しみからの解放そして禁忌の婚姻

医務室を出た途端、廊下にて天姫を待ち構えていた訪問者がいた。

 

「お嬢」

 

と、独特な呼び方で神妙な面持ちで見事なリーゼントの草壁が立っていた。

 

「草壁さん?どうかしたの」

 

天姫はこれからアジトを出ることを悟られないよう努めて平静を保ってごく自然に尋ねた。草壁は感慨深くしばし、天姫を見つけて頭を振った。

 

「……いえ、…こうしてお目にかかれる日がまた来ようとは」

「……そんなに私が懐かしい?」

 

皆、未来の自分自身に今の己を重ねてみている。どれほど未来の自分は皆に大切にされているか、それが伝わるから余計今の状況にいら立つ。もっと、未来の自分に力があったなら、こんなことにはならなかったはずなのにと当たらずにはいられない。

 

多少の皮肉を込めて言えば、草壁は辛そうに顔を歪め、「申し訳ありません」と頭を下げた。

天姫はハッと後悔の念に襲われた。いい大人が大の男相手に八つ当たりなど、褒められたものではない。天姫は草壁に頭を上げてと促し、

 

「ごめん、貴方には関係ないことだわ」

 

と草壁の脇を通り抜けようとした。今は急がなくては。

悟られる前に、止められる前に密かに抜け出す手段を講じねば。

だが、草壁がぬっと天姫の前に立ちはだかり、行かせまいとする。天姫は不服そうに睨み付けると、草壁は動じることもなく

 

「…お嬢……どうか、どうか。恭さんに会ってくれませんか?」

 

と懇願すらしてきた。天姫は

 

「恭、さん?」

 

と聞き覚えない名前に違和感を感じ訝しむ。草壁は一つ頷き返して

 

「今の貴女に一番会いたがっていた人です」

 

と強く伝えてきた。天姫は逃げられるなら逃げたいと、正直面倒な展開になったもんだと頭抱えたい気持ちだったが、理由並べて会うのを拒否しようにも、「だったら待ちます」とか「用事が終わり次第迎えに上がります」とか梃でも動かない様子の草壁に折れ、「わかった、わかったからさっさとその人のところ連れてって」と投げやりに草壁に案内を頼んだ。草壁はほっと一息ついて、「こちらです」と天姫を促した。

この際、さっさとその『恭さん』とらやの再会をさっさと済ませてとんずらしようと、軽く考えていた。武の付き添いをゴーラに頼み、天姫は草壁に案内された通路を抜けて、先ほどの作り立てのアジトとはがらりと印象を変えた日本家屋の領域へと足を踏み入れた。

天姫はその雰囲気の変わりように口を開けて驚きを露わにした。

 

まるで、手の込んだつくり用。

いかにもここの主人の趣味嗜好そのものが繁栄されている住居である。装飾も然り、塵一つ埃などもなく、磨き上げられた廊下、丁寧なつくりの襖を草壁が開くとそこには何枚もの上質な畳が敷かれた広すぎる和室。縁側の向こうには庭師が手を込んで作り上げた

日本庭園が広がっていて、まさかここが地下の一部とは到底思えないほどの豪華な造りであった。天姫は我を忘れてその部屋に魅入っていると、気が付けば草壁はまた通路のほうに戻っていて、

 

「ここでお待ちください」

 

と襖を閉めようとした。天姫は思い出したように

 

「あ!」

 

と声を上げるも遅かった。草壁は静かに襖を閉めて完全に部屋を出て行った。

してやられた、と天姫は舌打ちしそうになった。

 

まさか、その場にいると思い込んだのがバカだった。

呼びだてまでしてその人物というのは天姫に会いたいと願う者なのか。

あの草壁が敬う相手だ、ボンゴレの中でも相当トップの位置に近い人物なのだろう。そんな者が、自分に一体何の用なのだと勘ぐってしまう。

 

「仕方ない、待つか」

 

ずっと立ったまま待つというのも滑稽なので天姫は縁側のほうへ向かった。

元、自分が育った家にも似たような日本庭園があった。その頃の記憶を思い出すように、天姫にはあまりいいものでなかった。だが、綺麗なものは綺麗だと認めることも重要である。

 

「それにしても、綺麗なお庭。相当お金かけまくってるわね」

 

お金勘定が絡むのはもう天姫の性だ。治ることはない。

下を見ると、石段の上に庭先に降りるための下駄が二組用意されていた。

女性用の赤い鼻緒の下駄と、男性用の大きな黒い鼻緒の下駄。

 

サイズ的には女性用の下駄が天姫の足のサイズにぴったりだ。

天姫は丁度いい、少し借りるかとその下駄に足を下す。

もし怒られても謝ればいい。どうせ最初で最後の見納めとなるのだ。

 

今のうちに堪能するのも悪くないと考え庭先に降りる。

 

「…綺麗…」

 

こうしていると、今の自分の状況を忘れてしまいそうだ。

上では激しい戦闘がいくつも繰り広げられているというのに、まさにここは夢物語の舞台のようだ。全てを惑わす、幻。

鹿威しが作り出す耳に心地よい竹筒が石を打つ音色。

こぽこぽと水が滞りなく流れ注がれていく澄み切った音。

静かな、静かな空間だ。

天姫は瞼を下して、その音色に耳を澄ませた。

 

しばし、この時間を楽しもう。

少しだけの癒しを求めても悪くはない。

しばし、天姫はこの世界に身をゆだねた。

 

そして、こう思った。

外界から遮断された世界でこの住人は一体何を考えるのだろう、と。

そう、ここにはいない者へ思いを馳せていると、それはやってきた。

 

ドタドタトダ!と廊下を駆けてくる音がする。

そして、その音が襖の前で止まったと思ったら、勢いよく襖はバーン!と開かれた。

 

「天姫!」

「え」

 

反射的に名を呼ばれ天姫が振り返った先に立つ、一人の男性。息急き切って来たのだろう、肩を上下させて息を乱している。そして、庭先に立つ、天姫を熱く、熱く見つめる。天姫は

 

「だ、れ?」

 

と小首傾げて小さく呟いた。男性は、そんな天姫の戸惑いなどお構いなしに距離をゆっくりと縮めた。反射的に天姫は後ずさった。その男性の雰囲気に気圧されたからだ。

 

「誰、誰なの?」

「天姫」

 

黒の上下スーツを見事に着こなし天姫よりも身長が高い彼。鋭利な刃物のような研ぎ澄まされた瞳は、どこか見覚えがあった。

彼は天姫の問いに答えようとはせず、天姫の名を譫言のように呼びながら来たままの足で庭をためらいもなく降りた。

腕を広げ、天姫を求めるように追い詰める。

まるで、恋い焦がれた相手を求めるがごとく。

気が付けば、天姫は男に抱き寄せられていた。

 

「………?」

「ごめん、君を助けられなくて」

 

彼は震えていて、何度も何度も謝罪する。

 

「助け、られなかった…?」

「ごめん、天姫」

「ごめん」

 

彼はひたすら天姫に謝罪した。何のことだかさっぱり理解できていない天姫に。

何度も何度も。可哀想になるくらいに、彼は悲しんでいた。

天姫を抱き込む力はより一層に強く、まるで離すまいとしがみ付くようである。

 

彼の柔らかな髪がちょうど天姫の耳に当たり、くすぐったさから天姫は実をよじらせた。その髪質、前にもどこかで触ったことがあるような……。

そう、天姫は彼を知っているはずだ。何度も何度もこのようなことをされて知っていたはずなのだ。

だから、ようやく理解できた。

彼が、一体誰であるのかを。

 

「……恭弥?」

 

そう、確かめるように名を呼べば、案の定ビクンと彼の体が反応した。

そして天姫の返答に呼応するように抱き締められた腕に力が込められる。

それが答えと天姫は判断し、改めて彼の名を呼んだ。

 

「恭弥」

「っ!」

 

そうっと天姫は彼の背に腕を回す。

成長した彼は、見た目大人なのに今は子供のようだと内心苦笑する。

一体、何が彼をここまで追い込んでしまったのか。

きっと、それは体験したものにしか理解できない恐怖なのだろう。

天姫はポンポンと恭弥の背中を軽く二三回叩いた。

安心してという風に。

 

「私に何が起こったのかは粗方知っているわ。でもそれを貴方が責めることはないのよ」

 

きっと今まで、不安や後悔、そして絶望に苛まれ続けたのだろう。

孤独を愛する人故に、それは誰にも打ち明けないはずだろうし、打ち明けようとはしない。抱え込むことで己を前進させようとする。それが彼のいいところでもあるし、悪いとこでもある。いつも現代では恭弥は天姫に気持ちをぶつけてきた。天姫もそれが当たり前と受け止めてきた。

それは今となっては、彼なりの甘え方なのかもしれない。

天姫だからこそ、自分をさらけ出すことができた。

今の彼にはそのぶちまける相手がいない。もし、彼女がその相手役だったとしら。

それがどんなに辛いことか、天姫は痛いほど理解できた。

だから、彼を安心させようと思った。

天姫の慰めに恭弥は否定しようとした。だが

 

「でも!」

「恭弥、私を見て」

 

天姫は恭弥に自分をみるように促す。視線を合わせろと訴える。

恭弥はおそるおそる腕を解き放ち、己の顔を天姫の顔を合わせる。

交わった視線でようやく、恭弥は今の天姫の顔を見た。

 

「今の私はどうみえる?」

 

その顔は。

 

「……微笑んでる…」

 

そう、いうしかなかった。

今目の前にいる天姫は自分に微笑んでいる。たとえ、それが恭弥の知る神崎天姫その人でなかっとしても、天姫は微笑みを絶やさずに恭弥を真摯に見つめている。

 

「うん、そうでしょ。だって嬉しいもの」

「なん、で」

 

震え声で、縋るような瞳で恭弥は問いかけた。

天姫はそっと恭弥の顔に手を伸ばし、頬に手を添えた。

 

「未来の私はすごく大切にされてる。皆に恭弥に。それがすごく嬉しいの。恭弥が涙を流す必要なんかない。貴方は正しいことをした。貴方が悲しむことなんかない。未来の私だってきっと、そういうはずよ」

 

恭弥には答えが必要なのだ。

そう、天姫は悟った。

身代わりでもいい、苦しみ続ける彼を救いたいと思った。ここにはいない自分ならば、きっとこういうだろうと予測して言葉をゆっくりと言い聞かせるように伝える。

 

「…天姫…」

 

きっと恭弥は十分に苦しんだはず。

もう解放されてもいいころなんだよ。

その意味を込めて、天姫は恭弥に微笑んだ。

 

「恭弥、私は貴方に出会えてよかった」

「……っ…!」

 

たまらずに、恭弥は天姫を抱きしめた。

今までこらえていたものをすべて押し出す様に。

 

そして、天姫はただじっとされるがままにしていた。

声を押し殺し、溢れくる涙を、止めようとしない恭弥を受け止めて。

 

未来の天姫が受け止めるべきものを自分が受け止めることによって、恭弥が抱えるものが少しでも軽くなるなら、なんでもする。

 

静かな、日本庭園にて鹿威しがコン!とまた、鳴り響いた。

 

(思わぬ再会は涙で始まる)

 

 

あれから平静を取り戻した恭弥と天姫は室内に戻り、ぴったりとお互いの体を密着させるように寄り添っていた。恭弥の手が天姫の腰に回り逃すまいとさせていたのだ。

天姫としても、この時間が名残惜しいものなのだが、そろそろ動かねばまずい。

 

もう、行かなくてはならない。皆に気づかれてしまう前に。

だから天姫は恭弥の手に手をかけた。

 

「行かなきゃならないの、もう離して?」

 

どこにとは言わない。ただ、彼もそろそろ安心したはずだ。

天姫は恭弥から身を離そうと動くが恭弥が過敏に反応し、

 

「……どこに行くつもりなの」

 

と、天姫を問い詰めるように天姫の手首を掴んだ。

天姫は

 

「別に、皆のところに戻るだけよ」

 

と嘘半分本当半分を言った。嘘ではない、彼らのところに戻る途中で抜け道を探すのだ。

もしくは、能力を使って直接、上に移動するまでのこと。

でもその考えは恭弥が首を横に振ったことで否定された。

 

「嘘だね、許さないよ」

 

まるで天姫の考えなどお見通しと言わんばかりに天姫の手首を掴む手に力を込めた。だが天姫はそっけなく言い返した。

 

「貴方に許しを請うつもりはないしその必要性もないはずよ」

 

と。

 

「……嫌だ、行かせない…」

「…恭弥…」

「嫌だ!」

 

頑なに恭弥は天姫の意見を拒んだ。その姿はまるで、母親を仕事に行かせまいとする幼子のようであった。

 

「…恭弥…どうして、そこまで…」

 

天姫は困惑するしかなかった。どうして、そこまで恭弥が意固地になるのかと。

理由が、わからない。

反対に恭弥にはどうしても行かせたくない理由がった。

それを天姫に告げてしまえば、どんなに楽だろうかと思いさえした。

 

だが、それを伝えてしまえば、彼女はどうなるか。

今の彼女には酷すぎる事実なのだ。

だがこのままでは確実に天姫はいなくなる。それが身を切るよりも恐ろしいことで、恭弥は決めた。

彼女に伝えることで、知ってもらうことを選んだ。

 

たとえ、それで、彼女に恨まれようとも。

憎まれようとも、彼女がいなくなるよりはマシだと腹を括った。

 

恭弥は何かを告げようとした口を閉じ、切なそうに顔を歪めて突然天姫の左手をとった。天姫は怪訝そうに恭弥の行動を見やる。

 

天姫の薬指にある『虚像の花嫁』である証。虚像のリング。

彼はそれに手を伸ばし、外そうとしたのだ。

天姫は慌ててその行動を手で制した。

 

「ちょ、恭弥!何を」

 

何を血迷ったことをするつもりなのかと天姫は度肝を抜かれたのだ。

 

リングを抜こうとなどと、まるで正気の沙汰ではない。

ツナと『契約』している以上、これを抜くことができるのはツナ本人しかいないのだ。

抜けるはずがないものと止めさせようとするが、その忠告を無視して恭弥はそれに手をかけた。

 

すると、なんということだろうか。

まるで信じられないことが目の前で起こってしまった。

 

スルリと指輪が、抜けたのだ。それは恭弥の指先でつままれてこじんまりと存在を主張している。天姫は茫然と、呟くしかなかった。

 

「う、そ」

「嘘じゃない」

 

そう、恭弥に否定される。

そう、外れたのだ。恭弥の手によって、それは天姫の手から放れた。

天姫が片時もしていた『虚像の花嫁』。それを恭弥は難なく外した。

契約者以外が、ツナ以外外すことができないモノを。

天姫は信じられなかった。

 

「どうして、指輪が」

 

外れることなんかあり得ないはずなのにと音なく天姫に恭弥は思いもかけないことを天姫に伝えた。

 

「天姫、君が沢田綱吉と交わした『契約』はこの時代では破棄されているんだよ」

「え」

 

まるで漏れるように天姫は一声出した。

 

契約が、破棄されている。だからこの世界で契約者以外が指輪を外すことができる。

それは過去の天姫たちにとっても同じ同例に当たり、それを恭弥が実行した。

 

未来のツナは未来の神崎天姫が不要になった。だから恭弥も天姫にわからせるために外した。

 

ツナにとって、私が用済みになった、ということ。

まるで、ぽっかりと穴が開いたようだと天姫はぼんやりと思った。

だが、恭弥の話はそれだけで終わらなかった。

それ以上に天姫に衝撃を与える告白をしてきたのだから。

 

恭弥は反応が薄い天姫の片手をとり、そっと虚像の花嫁を乗せた上で、顔を近づけて囁くように言った。

 

「天姫、聞いて。……君は僕の妻だ。この時代の君は、僕と結婚してるんだ」

 

ケッコン、結婚けっこん。

恭弥からの信じられない告白に、天姫は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

 

妻?結婚?私が?何かの冗談?

力なくなった天姫の手から虚像の花嫁がころりと畳に転がり落ちた。

 

天姫はわなわなと口元を歪ませて、

 

「…嘘…」

 

と否定した。だが恭弥に

 

「嘘じゃない」

 

と肯定される。また天姫は

 

「…嘘よ…」

 

否定する。だが恭弥に

 

「嘘じゃないんだ」

 

と肯定されて、天姫はくわっと目元を釣り上げて

 

「嘘をつくな!!」

 

と乱暴に恭弥の胸倉を掴んで怒鳴った。恭弥もされるがままであるが、

 

「嘘じゃないんだっ!!」

 

と必死に真実を伝えようとした。

だが今の天姫には聞く耳すらない。

否定しても、肯定され、また否定したくて叫んで、また肯定される繰り返しに、天姫は錯乱状態に陥った。恭弥の胸倉を掴んでいた手がだらりと力なくなって、それは己の両耳を塞ぐ形となった。

 

何もかもが嘘だきっと嘘なんだ。

 

「嘘嘘うそウソウソうそ嘘嘘……」

 

天姫に恭弥は顔を近づけ名を呼ぶ。

 

「天姫」

 

近寄よるな、なにも私に近づくな。

 

「いや、何も聞きたくない…意味わかんない」

「天姫」

 

嫌だ嫌だと天姫は瞼をぎゅっと閉じて耳をふさぐ。

塞ぐしか己を保てるすべはないからだ。

 

どうして?私は劉牙を愛してた…!今だってそうだ。彼しか愛していない。

ずっとこの想いを抱いていくつもりなのに、どうして未来の私は、結婚なんて馬鹿なことをしてしまったんだ!?

 

彼を忘れる為?それが恭弥との結婚という逃げ道だった?

なんて愚かな…。

結局未来の私は弱虫だったんだ。彼からの愛に逃げた弱虫だったんだ。

ハハッ、だったら封じられるのも自業自得じゃないか。

私は、

私は幸せになる権利なんかないのに。

 

そんなもの彼を手にかけてしまった時から永久に消え去ったのに…。

愚かな、彼を消去できるとでも思ったのか。

救われるとでも勘違いしたのか。

 

これが私の未来なら、私もそうなる?

 

いやだ…いやだ、劉牙を忘れたくない…。

こんな逃げ方したくない、私は、私は彼だけを…!!

 

劉牙を消し去りたくないっ!

 

「天姫」

 

恭弥の顔が目の前まで近づいてきた。

 

天姫には理性というものがこのとき消えかけていた。

自分という存在を脅かす、敵であると恭弥を認識しさえかかっていた。

 

天姫はひたすら己に言い聞かせる。

 

そうだ、これは夢だ夢なんだ。

ちょっと疲れてしまっているのだ、そうだそうだに違いない。

ああ、だったら夢なら早く覚めなきゃ。

悪夢から解放される為にはどうすればいいんだろう?

そうだ、その原因を壊せばいいのだ。

 

天姫は歪んだ笑みを浮かべ、虚ろな目で恭弥の首に手をやり畳に押し倒した。

どさりと己の体重を全て乗せ、恭弥の上に跨りぎりぎりと己が両手に力がこめていく。

 

殺す、殺すすべて、殺す。

 

ぶつかる天姫と恭弥の視線。

 

「今、消してあげるから大丈夫、これは夢だから夢の中の一部にすぎないから」

 

まるで自分を安心させるかのようにうわ言のように呟いては力を込めた。

ぐぐっと閉まっていく細い首。

彼は苦しそうにしながらも一切抵抗しようとはしなかった。

 

一切その素振りすらない。

天姫はその様を感情を込めない冷めた視線で眺めた。

徐々にそれは苛立ちに変わる。

 

小娘一人くらい、この男は蹴りでもなんでもやれるだろ。

なのになんで抵抗しない。

 

恭弥の己を憐れむ視線が天姫を追い立てるのだ。

同情、哀れみ、憐み、……。

 

天姫はたまらずに思いっきり怒鳴り散らした。

 

「何なのよ、何なのよ!?何よ、その目は!私が可哀想だって憐れんでるつもり??ハハッ、嗤わせてくれるわよ!天下の雲雀恭弥様がお情けで殺されそうになってるのに無抵抗で受け入れてやってるって?ハっ、馬鹿にしないでよ、私がアンタが殺すはずがないって高を括ってるだけだって??舐めんじゃないわよ、今まで幾らでもアンタみたいな男は遠慮なしに殺してきた、それこそごまんとあるわ。知らないのよ、アンタは私の本当の汚い部分を知らないだけ、だからそんな阿保みたいなことできんのよ、残念だったわねぇ!ハズレを選ぶだなんて?今からでも解消できるわよ?そんな薄汚い関係、さっさと清算させなさいよ。スッキリするわよ、今まで淀んでた視界が晴れ晴れしくなるくらい!私にとっても都合いいもの。……さっきのは聞かなかったことにしておいてあげるわ。さぁ、否定しないさい、私とは無関係であると!さぁ!!」

 

彼は目を細め苦しいだろうに言葉をゆっくりと紡ぐ。

 

「……っ……て…る」

『僕は君を愛している』

 

ぎりっと天姫の口の中で奥歯が当たり嫌な音を出す。

血走った目で恭弥を射殺さんとばかりに睨み付けた。

 

「……愛してるだなんて軽々しく言わないでっ!聞きたくもない、それに…私は貴方なんか愛してない、永遠に彼だけよ!」

 

そう、叫ぶことで己に再認識させる。

 

そうだ、彼以外愛してはいけないのだ、と。

彼を葬った私に許されているのは彼だけを背負って生きていく事だけ。

それだけが私が許される『愛』なのだ、と。

 

まるで洗脳のようだと苦しみの中、恭弥は感じた。

無理やり、背負うその姿はあまりに痛々しくて、見ていられなくて。

言わずにはいられなかった。

 

「…き、み……わせ…い……?」

『君は幸せかい』

 

しあわせ。

きっとそれは自分には不釣り合いな言葉だ。

 

天姫は何を言うかと思えばと、せせら笑った。

当たり前のことをぬかすなと罵倒してやりたかった。

だが、それはなぜだかかなわず。

だから天姫は肯定してやった。

 

「ああ、幸せだ、幸せだよ?彼だけを想って背負っていくんだから」

 

天姫は恭弥の首にかけていた手を外した。いや、力を籠めるのさえ馬鹿馬鹿しくなったからだ。

 

殺す対象にすらならない。

 

そろりと恭弥が天姫の頬を撫でた、かのように見えた。

 

「泣かないで」

 

と恭弥は天姫の瞳から流れる涙を拭う。

 

私が泣いている?どうして、泣く必要なんかない。

幸せなんだ、私は幸せなんだ。

だから泣く必要なんかないのに。

 

「幸せなんだよ、恭弥。私は幸せ」

 

泣いていないはずの私は何度も何度も同じことを彼に伝える。

そして恭弥は、何度も何度も相槌を打つそして、自分の頬に流れ伝う何かを拭うために。

 

でもどうして、視界は揺れているのかしら。

泣いていないはずなのに……。

 

天姫はなんとなしに恭弥の首元に目をいかせた。

 

ああ、恭弥の首にくっきりと赤い痣が残されている。

 

そこで、天姫は冷水を浴びせられたかのごとく、現実を意識を戻らせた。

 

ああ、私は何をしている…?

 

「あ、ああ」

 

痣が、

 

「天姫」

 

彼を、私は?

 

「あ、ああ、あああああああああああ―――!」

 

私は何をしてしまったんだ、何をしようとしてたんだ!?

恭弥を手にかけようとしていたのか?

 

「ゴメンごめんなさいごめんさない恭弥ごめんなさい!」

 

天姫は我に返し、転がり落ちるように恭弥の体から降りて、事の重大さを嘆いて、ボロボロと涙を零し恭弥の手をとって謝り続けた。

 

ごめんなさいごめんなさいと、何度も何度も。

ここまで追い詰められるほど、天姫には耐え難い事実だったのだ。

現実から逃げたくなるほどに。

 

天姫の様あ、恭弥は胸が締め付けられそうになるほど切ないものだった。

恭弥はすっと体を起き上がらせ泣き続ける天姫を抱きすくめた。

 

「君が幸せならそれでいい。でも、もし違う幸せを見つけたいんだったら」

 

僕も手伝うから、だから大丈夫だよ。

 

先ほどと一転して、立場は違えと彼女の一時の救いとなれるなら、と恭弥は思った。

天姫も恭弥の慰めに、疑問を抱かずにはいられなかった。

 

どうして。

なんで、どうしてそこまで…。

と。

 

だが事実は変えられない。

天姫が恭弥を殺そうとしたのは事実。

だからこそ、天姫の思考はまともじゃなかった。

きっと、それしか術がなかったから。

償う方法を、それしか知らないから。

 

どうすれば償える?

どうすれば許してもらえる?

 

自分がわからなくなってしまった天姫は、やってはいけないことを選択肢に選んでしまった。天姫の涙が恭弥のスーツにじんわりと吸われて染まっていく。

 

「きょう、や」

 

天姫は恭弥の頬に手を添え、指で撫でた。

すべらかな肌。己をを見つめる瞳。

 

ゆっくりと恭弥の綺麗なまつげが降ろされていく。

 

深まる吐息の距離。

天姫も、瞼を閉じた。

 

重なりあう、唇。

 

涙味のキスに、天姫は流されていくのを感じ取った。

 

天姫は自ら恭弥に身を投じた。

恭弥も拒むことなく、天姫を受け入れた。

 

許されない事だったのだ。

 

けどあの時の私にはどうすることもできなかった。

ただ、彼に謝罪したい、その気持ちだけの行動だったのだから。

けど、

どこかで、彼が愛おしい、と感じてしまったのだ。

その愛おしいがどういう意味での愛情なのか、今の私には理解できなかったけど。

 

暗がりの中、彼と二人、時間が来るまで共に過ごした。

 

投げ出された虚像の指輪が、全てを見定まるがごとく、淡い輝きを放っていた。

 

(甘い蜜の時間は禁忌への入り口でした)

 

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