標的100永遠なる別れ
私は失敗した。
こんなところで死ぬわけにはいかないと歯を食いしばり、迫りくるアイツから逃げなくてはと、思うも、身体の自由が利かない。立つことさえできなくなった。だが正一を咄嗟に逃がすことができたのが唯一の救いだ。彼はボンゴレにとってなくてはならない人だから。
己の足に力を込める。
だが、すでに足元は地面へと縛りつけられていた。
「………クソがっ!」
寒さによって発生する白い息。
その数が増すごとに自分が追い込まれていると認識させられる。
元は湖であるこの場所。今はアイツの攻撃によて幻想的な氷の世界へと変化させられた。
見渡すばかり氷、氷、氷。
氷によって覆い尽くされ私は身動きが出来ない。
奴にとってそんなにあっさりと引っかかるとは思わなかったのだろう。
そんな私の姿ををアイツは可笑しいものと判断し嗤う。
最初は静かにでも徐々にだんだんと大胆に。
「…ぷっ、ふふっ……っあはあははははははっははははっはははははっはっはははは!!」
この二人しかいない場所でアイツは壊れたCDのようにひたすら繰り返す。嗤うことを。
最終的に腹を抱え、息継ぎすら忘れるのではにかというほどに。
その証拠にむせかえしている。
「……はぁ、……はぁ……キミは僕を嗤い死にさせるつもりかい」
「戯言を抜かすな」
「おや、今の不完全なキミはまだ僕に抵抗しようとするのかい?」
アイツが言葉を発すると同時に私の足を覆い尽くす氷が進行しだした。
それはゆっくりと確実に私を閉じ込めるつもりだ。ギッと相手を睨み、
「健気だね、自分が招いた結果だろうに。キミは自分を拒み、自身の半身、蒼龍を失った」
アイツはこちらを視界に入れつつもペラペラと聞いていないことを自らしゃべりだす。
「そう、前の『蒼龍姫』のようにね。……緋奈も馬鹿な奴さ。初代ボンゴレと添い遂げなければ龍を失うこともなかったろう。君が落ちたあの世界に逃げることもなかったはずさ」
逃げただと?
欲望の塊のお前にヒナの気持ちが理解できるか?ヒナは予感していた。
再び蒼龍が生じると同時に新たな『蒼龍姫』が誕生すると。
だから『虚像のリング』を託した。
後世に現れる蒼龍姫に。
今の私にはそのリングそのものを消滅させてしまったがヒナは最後まで初代ボンゴレを愛し、信じていた。どこまでもまっすぐ純粋に。
「…はっ!知るか。ヒナは自らの使命よりも初代を取った。その結果、膨大な力を失ったとしても後悔はしていないはずだ」
ヒナは私と会った時からそういう女だった。お前に理解できまい。
「……血は争えない、か。君たちは深い業の中でもがき続けるんだよね。血がそういう仕組みになってるから。知ってる?今の君のカオ。まるであの時の緋奈みたいだよ。僕にこうやって追い込まれたときみたいにさ」
「そ、れ以上、近寄るな……」
すでに自分を覆う氷は胸の下半身にまで到達した。
これでこの場から逃げることはできない。
だが、諦めたりするものか。
『彼』は最後まで諦めない人だ。
どんな困難なことさえも、皆が諦めかけることに率先して先を行く人だ。
あの人のように私もなりたい。
だからここで死ぬとしても、アイツは私と息遣いが出来る距離で止まる。
「彼が恋しい?ここで死ぬことになっても彼に恥じない見事な最後を遂げる?キミはいつからそんな軟弱になってしまったんだ。一人に執着していたキミは今の彼にぞっこんだし。最初のキミは僕を釘づけにさせるほど魅力的な女の子だった。血のように真っ赤に染まった瞳で僕だけを見つめてくれるその眼差しに僕はいつも鼓動をときめかせていたのに、なんだい?今のキミはまるで抜け殻さ。狂気すら失せてしまった?………今のキミじゃ僕を満足させられない。満たせない。役不足だよ。正直がっかりだ」
「…ハッ、私こそ、貴様に好かれたいとは考えない………グッぅう!!」
氷の蔓のようなものが出現し、私の腕を頭上で拘束する。手首辺りをクロスさせそこからも氷漬けが進行していく。
アイツにぐっと顎を捕まれ、合わせたくもない視線を強制的に合わせられる。
灰色の短い髪に白い肌整った顔立ち。
仮面を張り付けていたアイツがこの一瞬、消えた。
現れたカオは狂気を張り付けた男。
「ああ、悔しいなぁ。キミをこんなに頼りなさ気な存在にした彼。邪魔だよね?どうせなら彼を殺しちゃいたいくらいだよ」
「やめてっ!」
私の叫びにアイツは思案顔になり、
「………面倒だからそれはなしにしよう。それよりも面白いことになりそうだからね。過去のキミなら僕を満足させられそうだから」
「過去、の私!?」
何を、言うんだ。私は戸惑った、アイツの発言に。
過去が今の私とどう関係しているというのだ。
アイツはすでに私のことなど眼中にないようで
ぶつぶつとつぶやきながらこの場を去った。そして、彼が来た。
「…、来ないで……!」
――――と彼の名を必死に叫ぶ。
黒のスーツに身を包んだ彼は、激しい息切れを起こしながらも私を見た。
でも彼はこちらに来られないようにアイツが見えない壁で邪魔をする。
すでに奴はいないというのに、なんと姑息なことをしやがる。
向こう側の彼が両手をだんっだんっ、手が壊れてしまうほど叩き付ける。
その響き渡る音が鳴りやむことはない。
彼の口が形づく。天姫、と。
ああ、彼が私を呼んでいる。
その事実が私を歓喜という感情で包み込む。
同時に
涙が溢れた。
「………来ないで、……もう、十分よ」
『天姫!!』
こんな状態でも彼を愛しいと感じる。
彼は私を求めてくれている。
涙はこぼれ、つうっと頬を伝う。
劉牙もこんな感情だったのかな。
昔、記憶の片隅においてきた気が遠くなるほどの記憶の中で昔の彼を思い出した。
愛した人物に求められて嬉しいと感じること。
最後の彼はもしかしたらこんな気持ちを抱いていたのかと思った。
お願い、そんな泣きそうな顔しないで。
貴方にそんな顔、似合わない。
いつも私を大切にしてくれた。
ずっと傍にいて、貴方がいることが当たり前にしてくれた。
どれだけ私は貴方に救われたか、数えきれないほどに。
時間が経つほど昔の彼が薄れ、代わりに貴方の背中を探し始めた。
思い出の彼は私の傍にいない。
いるのは、いつも黒のスーツに身を包んだ貴方だったから。
いつの間にか、昔の彼は薄れて私の心はいつも
貴方でいっぱいだった。
幸せ、だった。
カキン、と音がなる。別れの音が響く。
あとちょっとで氷が完全に私を覆う。
彼が手が真っ赤になるほど叩いていた壁が忽然と消えた。彼はそれに気がつく様、一目散に私を目指す。
「天姫っ!」
悲痛な叫びにも似たそれは彼の気持ちだろう。
彼の名をふたたび呼びたい。
でも駄目だった。口元にまで氷が進行し、それは私の光さえ奪おうとする。
手を限界まで伸ばし、彼は叫ぶ。
「天姫っ!」
私は貴方の瞳を忘れないよ。
だって、貴方は私の光だから。
全てがスローモーションのように世界は動いた。
ぱき、んン―――。
彼の手が私に届く直前、私は瞼を閉じた。
氷に包まれた私は深く目覚めることのない
音の無い世界へ堕ちた。
私は最後に思った。あいつが呟くように言った『過去』という言葉を。
もし、すべてを変えられるとしたら
それが可能になるのならば
願わくば、過去の私よ。
どうか、大切なものに気がついて。
愚かな私のようにならないで。
『鍵』は近くにあるはずだ。それは貴女といずれ大切な存在と感じる。彼を守る力となるから。
龍を失った彼女は氷の中で眠りにつく。
「うぁぁぁあああああアアア――――!」
泣き崩れ、雄叫びをあげる彼の前で。
この光景をのちに目撃したものはこう言うようになった。
彼女は銀白に眠る堕天使だと。
残された彼は誓った。
「かならず、……救う!」
涙を拭うことを忘れ、眠る、天姫を愛おしく見つめて、そっと冷たい氷越しに手を添えて。
必ず、天姫を救う手だてを探し出して見せる。
結果、どんな犠牲を払おうとも。
どんな悲惨な状況が待ち受けようとも。
自分と、天姫が再び一緒にいられるなら、
怖いものなどありはしないと、男は決めた。
数か月後、大規模なボンゴレとミルフィオーレとの全面戦争が勃発した。