少々浮かれていたらしい。要らぬ失敗をしてしまった。
だがやってしまったものは仕方がない。幸い近くには誰もいないようだから、アレの効果を試すには丁度良い。
「動揺はあるだろうが落ち着いて聞いて欲しい。まず、私に敵意は一切無い」
男は両の掌を見せ、何も持っていないことをアピールした。伸ばしかけた自身の右腕にブレーキを掛ける。
男は指輪をしていない。篭手などの防具も見受けられない。ならば少なくとも戦士系ではないし、魔法詠唱者だとしてもこの距離ならば間違いなく勝てるだろう。
そして、男が話している間に戦闘準備が整った。背中に隠した左手には既に斧が握られている。
絶対的に有利な状況。その余裕が冷静な思考を取り戻させた。
一つの疑問があった。なぜこの男は自分を個室に連れ込んだのかということだ。仮に戦闘能力を持たない一般人ならば、普通は周囲に助けを求めたり、パニックに陥ったりするものではないのか。
「先に断っておこう。私は君の味方だ。亜人だからといって差別などしないし、むしろ仲良くありたいと思っている」
(あぁ、そういうこと)
彼は大きな勘違いをしている。確かにこういう亜人がいてもおかしくない。が、実際は"異形"に属する奇妙な化け物である。
希少種だとか突然変異などという言葉では片づけられない存在。犬猫の獣人ならまだしも、流石に
しかしながら、亜人と勘違いしてくれているのなら好都合だ。竜王国での亜人の立場は厳しいらしいが、生活できないわけではない。一部奴隷の亜人もいるらしいが、非道なものではないという。
「生憎だけど同情は必要ない。今見たことを忘れてくれるだけでいいんだ」
「忘れる、か。残念ながらそうもいかない。君に何かあったとき、ファレノ家には君を守る義務がある」
「……はぁ?」
いきなり何の話だよ! と、心の中でツッコミを入れる。
「そうだ、名乗るのを忘れていたな。私はクリント=カーマ=ファレノという。南東の都市デイトリを治めるファレノ家の長男だ。君は?」
(都市を治める……)
目の前にいるのは、想像以上に位の高い男だった。
「チャリオット。お前が俺の正体をバラさない限り、もう会うことはないだろうけど」
「ふむ、チャリオット君か。いい名前だ。ああ、私のことは気さくにクリントと呼んで欲しい」
一体何なんだこいつは。見た目に反して随分とぐいぐい来る。今まで警戒していたのが馬鹿らしくなってしまう。
「君のような亜人がなぜ一人でこの竜王国にいるのか。並ならぬ苦労があったのだろうな。もし困ったことがあれば、私の家を訪ねて欲しい。いつだって相談に乗るし、君のための安全な住まいだって用意できる。この国が不満なら、カルサナス都市国家に移住するという手もあるぞ。あそこには亜人の都市があるそうでな……」
本当にぐいぐい来る男だ。どうしても家に来て欲しいのか。
「いや、そんな都合の良い話が──」
「ああ、勿論強制するつもりはないさ。だが、君には味方がいるということを覚えておいて欲しい」
そういってクリントは強引に握手を交わし、名残惜しいがこれから予定があるといって扉を開けて出て行った。
今のやりとりは一体何だったんだ。結局一度も会話になっていなかった気がする。
彼は何というか、気持ち悪いくらい優しい男だった。だが不思議なことに、自分の中には不快感とはまた別な感情が渦巻いているようだった。
リアルなら、ユグドラシルなら、これは間違いなく詐欺の一種だと決めつけていただろう。
そう思わなかったのは、彼の人柄が良かったからなのだろうか。それともここが異世界だからという、心持ちの問題だろうか。
どちらも違う気がする。心のもやの原因が掴めない。他に何かあるとすれば……。
「あ」
そういえば番外ちゃんが待ちくたびれているんだった。女の子を待たせるなんて最低だ。今すぐ迎えに行かなければ。